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2019年8月 6日 (火)

マゴチの夏

夏が、やって来た。

これは、梅雨のシーズンも終わりに近付き太陽が半ば暴力的なまでに我々を照らす日が増え始めたという、実際的な季節の流れとして夏がやって来たという意味だけではない。

私の元に、本当の意味で夏がやって来たのだ。

私の夏は、昨年以来やって来ていなかった。いくら気温40度に近いような灼熱の中で汗をかきながらアイスコーヒーの清涼さに救われても、縁側から遠くで鳴る花火大会の花火の音を聞きながらよく冷えたビールで喉を潤しても、ついに私には本当の意味での夏は訪れなかった。

マゴチを釣れなかったからである。

この日本で生まれ育った人々ならばほとんど全ての人々が、
「ニッポンの夏、マゴチの夏」
という言葉をどこかで聞いたことがあるだろう。
小学生ですら「日本の四季を言ってごらん?」と言われれば「んーとねー、春・マゴチ・秋・冬!」と答えてしまい、「タケシくん惜しい!確かに日本の夏はマゴチの夏だけど、正解は春・夏・秋・冬でした!でもマゴチでもほとんど正解みたいなものだけどね!」と石田ゆり子に激似の優しい先生にたしなめられる。そしてそれがタケシ少年の淡い初恋の記憶として心の奥底に残り続ける。どこの小学校でもよく見られる光景である。

また、清少納言の枕草子の冒頭ですら「春はあけぼの やうやう白くなりゆく やまぎはすこしあかりてむらさきだちたる雲の細くたなびきたる」の後には「夏はマゴチ」と続くのである。

古来より「ニッポンの夏、マゴチの夏」であったのだ。これは疑いようのない事実である。

私にとっての夏の不在は昨年に遡る。日本の夏といえばマゴチの夏であるので、これまでに釣ったことのないマゴチをどうしても釣りたい!という欲求が心に去来したその日から、マゴチを釣らないことには私には本当の意味で夏はやってこない、そのことに気付いてしまったからである。それは旧約聖書の「創世記」においてエデンの園でアダムとイブが禁断の果実を口にしてしまったことに酷似している。そこから私と「マゴチの夏」の、重く苦しい物語が幕を開けた。


昨年、私はとある釣り船屋からマゴチ船に乗った。結果から先に言えばボウズ(0匹)だった。乗船料金が一万円弱、交通費が千円程度、被害額としてはその程度なのであるが、精神的なダメージとしてはパチスロで10万円負けてしまった時と同程度か或いはそれ以上に甚大であった。皆さんはパチスロで10万円負けてしまったことは無いだろうか。私はある。「主役は銭形」というパチスロ機だった。それ以来、銭形のとっつぁんに軽くトラウマを抱くことになる。あの野太い声で「ルパーン!逮捕だー!」と言われるたびに「10万負けやめて!」となるのである。

このマゴチ初釣行で一匹でもマゴチが釣れていれば、事態はそこまで複雑化しなかったのかも知れない。世の中には二種類の人間しかいない、マゴチを釣ったことのある人間と釣ったことのない人間だ、そして私は「釣ったことのある人間」だ、と溜飲を下げていたことだろう。しかしそうではなかったのだ。私にはマゴチが釣れなかった。「マゴチの夏」は、ついに訪れなかった。

私はどうしても「あちら側」に、マゴチを釣ったことのある側に行きたかった。彼岸に憧れた。
船だけではなく、堤防から、サーフから、ボートから。あらゆる所からマゴチを狙ったが、私にはマゴチは釣れなかった。

マゴチ釣りについて簡単に説明しよう。
釣りとしては非常にシンプルだ。シンプルであるがゆえにものすごく奥が深い。そして技術介入度も非常に高い。
仕掛けは、糸の先にオモリ、オモリの先に針という、これ以上ないところまで無駄を削ぎ落としたシンプルなものである。 餌は生きたサイマキエビ(車エビ)もしくはハゼなどの小魚を針にかけ、生きたままに泳がせる。
それらを、マゴチに喰わせて、釣る。
以上である。

こう説明してしまえば、どこに技術介入の要素があるのか、どこが奥深いのかと思うかも知れないが、とにかく奥が深い。

まず、一番の難関は、エサの付け方である。先述のように、エサは「生きた」エビもしくは小魚を使う、と書いた。エサが生きていることが重要なのである。エサがご臨終を迎えてしまえば、それは空バリ(エサのついていない針の状態)と何も変わらない。針で誤ってエサの急所などを突いてしまうと、即座にそこでご臨終となる。エサに長めの戒名を付けたのちに約10分に及ぶお経を唱えて供養しなければならないので、時間のロスも甚だしい。いつまでもエサが元気に動けるエサの付け方、これはマゴチ釣りには必須の技術である。

また、マゴチ釣り最難関の技術と言えば、何といってもアタリからのアワセである。マゴチは決して補食の上手い魚ではない。一息にエサを飲み込むということは滅多にないので、最初はエサをガジガジと噛み、徐々にそれを飲み込む。全て飲み込んだ所で、非常に硬いマゴチの口にしっかりと針をかける為に渾身のアワセを入れなくてはならない。アワセとは、竿を思い切って上部に持っていき、針を口にかける行為のことである。そのタイミングの妙は、この釣りの最難関にして一番面白い部分である。


冒頭にも書いたが、結論から言えば私は既にマゴチを釣った。肝心要のその話に移ろう。

釣ったのは、今年の6月某日、神奈川県は金沢八景にある「一之瀬丸」という船宿からマゴチ船に乗った時のことである。

ここにたどり着くまでにも紆余曲折があった。

今年初のマゴチ釣行を予定した時、私はあろうことか寝坊した。私はマイカーを持たない電車釣行派であるので、たった数分の寝坊が命取りとなる。始発の電車が行ってしまうと船宿の出船時間に間に合わない。この失敗から学んだ教訓は「寝坊をしたらマゴチは釣れない」である。

二回目のマゴチ釣行では、ばっちりと起きた。そして朝の六時に某船宿に到着したが、そこには誰もいなかった。急いで船宿に電話をかけてみると「今日は予約が全く入っていないので休みにした」とのこと。そのような船宿も当然ある。予約を入れなかった私のミスである。この失敗から学んだ教訓は、「ちゃんと予約をしないとマゴチは釣れない」である。

この辺りでだいぶ私の心はぽっきり折れかけている。PRIDEの解説者席に高田延彦氏がいたならば、誰もいない船宿の前で早朝にうなだれている私を見ながら「心が折れそうな場面ですけど、ここ、正念場ですよ!」と言うところだ。本当に私はマゴチに縁が無いのではないだろうか、私は一生マゴチを釣ることが出来ないのではないか。そんな疑念が頭をもたげ始めていた。

三回目、入念な目覚ましセットと前日の乗船予約というバッチリ過ぎる準備の上、私は「一之瀬丸」に乗船することができた。

「一之瀬丸」がどんな船宿かと言えば、ただの神船宿である。素晴らし過ぎた。

初心者に優しい船宿では、出船前に船長から釣り方のレクチャーがあることがある。ここ「一之瀬丸」でもそのレクチャーは開かれていた。マゴチ初心者というよりも完全なるマゴチ童貞、童貞で童貞を煮しめたほどのギンギンの童貞である私は当然ながらこのレクチャーを受けたくて仕方がないのだが、いかんせん電車釣行の身である。始発に乗って船宿に到着する時間は出船間近、レクチャーも終わりかけの頃に私は船に乗り込んだ。

短距離走の桐生祥秀選手に似た渡辺船長がマゴチ釣りのレクチャーを行っていた。ちなみに私ほどのコミュ障になると「気さくに船長に名前を聞く」なんぞは人類が8秒台で100メートルを走るレベルの無理ゲーであるので、渡辺船長という名前は後にネットで調べた。Google万歳である。

最後だけでも一言一句聞き逃すまいと、私はそのレクチャーの輪に加わった。誘い方、アワセ方の話がすでに始まっていた。
そしてそのレクチャーの最終盤、渡辺船長よりその日の私に大きな影響をもたらす金言を賜った。

「スッポ抜けても仕方ない。最後は必ずアワセて終わろう!マゴチ釣りにラッキーパンチはないから!」


その言葉は私の心の奥底に刺さった。

思い返せば、私たちはきちんと最後までアワセる人生を送ってきたのか。
決断を他人任せにし、責任逃れをして、下卑た冷笑を浮かべながらセーフティな所へ逃げていたのではなかったか。
それはつまるところ、「きちんと失敗してきたのか?」という問いに変わる。

失敗するリスクをきちんと背負いながら、自らを信じて覚悟と共に決断を下した人間にだけ「成功」は微笑む。
成功することが必ずしも正しいのではない。失敗することを覚悟できることこそが正しいのだ。


船は海原へと漕ぎ出した。

当日の釣りについて話そう。

私はこの日、自前の竿を二組用意した。一本は手持ちで、一本は置き竿で。「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる作戦」である。とにかくアタリを出さなくては話にならんだろうと目論んだ為だ。が、後にこの目論見は大いなる失敗であることに気付く。この時の私はまだその失敗に気付いていない。

船宿から30分も走らないような近場のポイントに到着して、その日のマゴチ釣りは幕を開けた。

開始してから間もなく、船のそこかしこで竿が曲がった。いわゆる「時合い」に突入したのである。船中にマゴチが何本か取り込まれていく。私にはやってこない。

この時の私は「良いなー、おれにもマゴチ釣れねーかなー」というぐらいの気持ちであったのだが、周囲は釣れているのに私には釣れないという状況が加速すると、感情はネガティブな方面にスパークしていく。いつの間にか私の脳内には中島みゆきのあまりよく知られていない名曲である『縁』という歌が流れていた。


縁ある人 万里の道を越えて引き合うもの
縁無き人 顔を合わせ術(すべ)もなくすれ違う
あなたは私を追い回す
私はあなたの毒になる
河よ教えて泣く前に
この縁はありやなしや


私はマゴチには縁が無いのではないか。今生においてはマゴチにお目にかかることはないのではないか。脳内に流れる中島みゆきの寂しくも美しい歌声と共にそんなことを考えていた。蛇足であるが私は中学生と高校生の頃は中島みゆきのファンクラブに入っていた。今でもめちゃくちゃ好きである。

待望のマゴチよりのアタリがその後私に訪れるのであるが、私はこの日一発目のアタリを、空振りしている。原因は中途半端なアワセである。野球で言えばハーフスイングによる三振である。
朝のレクチャーの中の渡辺船長の「最後は必ずアワセて終わろう!」の言葉が反芻される。

何をやってるんだ!

この時、私の自己嫌悪はピークの状態にあった。

何を大事に行き過ぎているのだ。お前に守るものなどあるのか。挙げ句、アワセているのかいないのかわからないような中途半端なアワセでうまく針がかりも出来ずに。お前にはアワセる勇気もないのか。

かつて横浜ベイスターズの那須野巧投手がストレートを投げずに変化球を多投しているのを見たTBSアナウンサーの椎野茂氏が「なぜストレートを使わない!那須野!使えないのか!使いたくないのか!使う度胸もないのか!」と罵倒していたのを思い出した。ちなみにこの「使わない→使えない→使いたくない→使う度胸もない」の活用は「椎野四段活用」と呼ばれている。この椎野四段活用が私の脳内でこだました。

なぜきちんとアワセない!タケシ!アワセられないのか!アワセたくないのか!アワセる度胸もないのか!といった具合である。

空振りの後の落胆に震えながら、よし、倒れるならば前のめりに倒れよう、と心に決めたのがこの瞬間である。


そしてついに。


そしてついにその時は訪れた。


アタリがやってきた。道糸をたるませることのないようにゆっくりと竿先を送りこみ、更に強い引き込みを待つ。マゴチからのアタリが、竿先のみの反応から竿の胴に入ってきた辺りで私は一言「ニッポンの夏…」と呟き、胴の曲がりがある角度を越えた辺りで一呼吸置き、「マゴチの夏!!!!」と唱えながら渾身のアワセを入れた。

強烈な引き込みが竿先に伝わる。これは確実に乗った。しっかりと針がかりした。水深は浅い、10メートルほどだ。夢中になってリールを巻く。バレんなバレんなバレんなああああ!!!!

水面まで魚が上がってきた。マゴチである。しかもそれなりにデカい。傍らから渡辺船長が100メートル9秒台のスピードで駆け付けてくれてタモ網にマゴチを入れてくれる。

私の人生で初となるマゴチが、私の元にやってきた。

ついつい、私の口から言葉が漏れる。「や…やったあ…」と。我ながら情けないヘロヘロとした溜め息のような言葉であった。

爽やかな笑顔の渡辺船長が「おめでと!」と声をかけてくれる。

「いや、おれ、初めてのマゴチです。やっと釣れたぁ…」私の声は震えている。

それに対して即座に渡辺船長からの愛のあるダメ出し。

「なに!?初めて!?じゃ、竿を二本も出してちゃダメだよ!一本で集中してやった方が絶対に良い!」

私は即座に置き竿にしていた竿をケースに仕舞った。調子に乗っててマジすんません。


釣り上げた直後、私の手は興奮で激しく震えていた。心臓もバクバクと鳴っていた。
アタってから取り込むまで、おそらく30秒もなかったかも知れない。しかしそれは私には永遠のように感じられた。
私は「これはヤバい」と感じていた。何なのだこの麻薬的な魅力は、何なのだこの快感は、と。
脳が焼けるような快感である。マゴチ釣りには、それがある。
「はい!中毒患者一人出来上がり!」と妙に客観的になりながらそう思った。


二本出していた竿の片方を仕舞い竿を一本にしてから、更に私はマゴチ釣りの面白さに魅了されることになった。
マゴチのアタリはなかなか繊細であることが多かった。ぐん、ぐんと引き込むような明確なアタリは稀で、もぞっ、とか、がりっ、というような微妙なアタリも多数あった。その繊細なアタリをキャッチしてやり取りを開始する愉悦は、手持ちの一本竿ならではだった。


結局その日私は更に四本のマゴチを釣り上げ、計五匹のマゴチを持ち帰ることになった。最後のマゴチを釣り上げる時ですら一向に飽きることはなかった。一本ごとにきちんと脳が焼けるような快感があった。ギャンブル依存の人の脳とまるっきり同じだと思う。

一之瀬丸と渡辺船長の指導の賜物である部分は大きい。


マゴチの料理やその味についてはまた別記事で機会があれば触れようと思う。


これまでにそれなりに色々な釣りをしてきたが、マゴチ釣りの面白さは、本当に危険なレベルだ。こんなに面白くて、悔しくて、嬉しくて、楽しい釣りは他にあるのだろうか。


最後に私が学んだマゴチ釣りのポイントを箇条書きにしてまとめておこう。
・寝坊しない
・船宿はちゃんと予約する
・竿は一本でやる
・きちんとアワセる


以上である。


令和元年、私に「マゴチの夏」がやってきた。


夏はまだ、終わらない。

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