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2018年11月25日 (日)

緊張について

緊張。

どうだろうか。

しない人は全くしない、と聞く。

私はと言うと、する。未だにする。ピアノを弾き始めてから20年ほど、音楽の世界で金を稼いで生活するようになって13年ほど経つが、未だに年に数回は、驚くほどの緊張をピアノの前で味わうことがある。

手がぷるぷると震えて、言うことを聞かなくなる。普段ならばまずミスることのないフレーズが満足に弾けなくなり、リズムが断片的にしか捉えられなくなる。一つのミスをリカバリーしようと躍起になるとそれが更に新たなミスを呼び、大まかに言えば、演奏がガタガタになる。

そんなことがあった日には、帰り道にて「そうだ!死のう!」と思うが、もちろん死なない。怖いから。いやー、まいったまいった。

ピアノの生徒からも時折「緊張しない方法って何かありますかね?」と聞かれる事があり、そんな時には呼吸法やら姿勢やらの話で「こうすれば緊張しづらくなるんじゃないか」とアドバイスをすることもあったが、最近ではそれも少し変わってきている。

結論から言えば、「緊張すりゃ良いじゃん」という話である。

極度の緊張によりその日の演奏がズタボロになる。それは、その日一日という短期的な視点で見ればあまりにも無惨で、そんなことは極力起きてほしくはない。
しかし、「一生をかけて音楽をやっていく」という長期的な視点で見れば、それはその後の音楽人生に恩恵を与える僥倖なのではないか、と最近では考えている。

緊張、というものの原因を考えてみる。

これは私のケースだが(それなりの人にも当てはまるのではないだろうか?)、私が緊張してしまう時というのは、「良いところを見せたい、上手いと思われたい」などというみみっちいことを考えている時に起きる。もっと自然体で音楽に対峙出来れば、そのようなことは起きないような気がする。

けれど、「良いところを見せたい、上手いと思われたい」、大いに結構ではないかと思うのだ。もちろんその行きつく先に「本当に美しい音を奏でたい」という欲求があることが好ましいが、私は私のなりたい自分になりたくて毎日練習をしている。私は私の考える、理想の音楽家に近付きたい。そうやって研ぎ澄ました音を人前で奏でる時にはやはり極力失敗はしたくないし、そういった力みが緊張に繋がっているのかも知れない。

一つの結論として、緊張するということは、真剣にやっているということの一つの証左であるのだ。

私は、たかだか音楽なぞというものに、生きるの死ぬのの大袈裟な態度で臨んでいる人間を美しいと思う。

音楽には様々な形があって構わない。

しかしこれまでの私の経験では、ヘラヘラ笑いながら「あ、間違っちゃったー」なんて言いながらショボい音を出している演奏に心を動かされた経験は一度たりともない。
生身の人間が全身全霊をかけて奏でた音に魂を震わされる経験は幾度もあるのだけれど。

だから、緊張は、して良い。

緊張して失敗して、「お前なんてやめちまえ」と罵られて、それでも再び諦めずに立ち上がって。

そういうことを繰り返して、くたばる直前に「ま、やるだけやったから良いか」と思えればそれで良い。

いや、最近、そんな感じの他人の真剣な演奏を見て、「良いぞっ!とっても良いぞっ!」と思ったので、そこで感じた事をまとめてみました。

さて、本日11月25日と明日11月26日は二日続けて池袋「ばがぼんど」で演奏。本日は歌の千葉陽子さんと。明日は同じく歌の池田聖子さんと。同じくっつっても歌のタイプはだいぶ違うんだけど。どちらも19:30から。ノーチャージ。

手がプルプルするぐらいの緊張はあんまり味わいたくはないけれど、でも人から何を言われようがド真剣にやります。

良かったら聴きに来て下さい。

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