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2017年12月19日 (火)

末木利文さんのこと

何年か前に、板橋のとあるお店でボーカルセッションをやったことがある。

そこに、今もよく共演するシンガーのaya Suekiが、自分のボーカル教室の教え子たちを何人も連れてきてくれた。

ほとんどの人が「みんな若いのにうまいなあ」という感じで歌っている中で、一人だけ「どこから歌い始めたらいいかわからん」と言いながらド素人感満載な初老の男性がいた。
私は「イントロ、こんな感じで出しますから!ほんでサンハイ!って言いますから!」などと若干テンパりながら一緒に演奏したと思うのだが、やはりその時はきちんと歌に入れていなかったような記憶がある。
歌ったのは、ジャズスタンダードの「Take the A train」と「Stardust」だった。

その男性が、末木利文さんだった。アヤちゃんの、お父さんだ。家で暇をしていた利文さんを、アヤちゃんが引っ張り出してきただけだった。

比較的そのすぐ後に知ったが、利文さんは演劇界のものすごく有名な演出家だった。イントロから歌に入るのが苦手なジャズボーカリストではなかった。当たり前だけれど。

今思い返すと恥ずかしい話が一つある。
私は大学生の頃に文学を学んでいたのだが、最終的にはアイルランドの劇作家、サミュエル・ベケットという人の勉強をしていた。利文さんが演劇の世界の人だということを知った時に「ぼくも大学の時にベケットのことを勉強してまして…」などと言ったのだが、利文さんはベケット研究の第一人者であった。将棋の羽生善治さんに「いやあ、私も少々将棋を嗜みましてね」とか、野球のイチローさんに「私も独自のバッティング理論を持ってまして」などと言うような暴挙である。頼むからオレ、知ったかぶって余計なことを言うなよ…

会ってすぐに、私は利文さんのことが大好きになった。頭の回転が速くて、とてもユーモラスで、そして何よりアツい大人だった。会うたびに演劇の話や芸術の話をせがんでは、色々と彼の哲学を聞かせてもらった。私の音楽についても度々意見を聞かせてくれることがあった。それはとてもありがたかったし、実際に私はその言葉にとても影響を受けた。

去年のいつだったか、ちょっとした録音作業があってアヤちゃんの家を尋ねたことがあった。
アヤちゃんからは「ギャラは出せないけど、ウチでたらふくご飯食べて酒呑んでって良いから。ま、ごはん作るの私じゃなくておっ母なんだけど。あと、おっ父と一緒に酒呑んで良いから」と言われていた。
普段ならば「は?ノーギャラ?絶対イヤだ!」と力強く言い放つがめつい金の亡者こと私であるが、他ならぬアヤちゃんの頼みであるし、何より利文さんと呑めるのが嬉しくて「良いよー!行く行く!」と二つ返事で答えた。
録音を30分もかけずに終わらせて、それからは末木家のリビングで利文さんとの二人宴会が始まった。最初はアヤちゃんやお母さんも同席していたのだが、私と利文さんの話が白熱してきたのがウザくなってきたらしく、早々にアヤちゃんとお母さんは自分の部屋に戻った。
演劇とは。文学とは。芸術とは。そして音楽とは。
色々な話を聞かせてもらった。
とても印象に残った言葉がある。
「芝居は、役者のものなんだよ」という言葉である。
それは利文さんが心の底から人間というものの可能性を信じていた、ということに他ならない。前向きに、そして誠実に、利文さんは人間を信じていた。細い目の奥にギラギラと光るようなものがあった。私は、それを本当に美しいと思った。

「あんたたちいつまで呑んでるの!フクちゃんはもう帰りなさい!おっ父は早く寝なさい!」というアヤちゃんの言葉に遮られて、「いーじゃねーか、オレはフクちゃんと呑んでるのが楽しいんだから」と抗う利文さん、「そーだそーだ!いーじゃねーか!」とそこに便乗する私であったが、あまりにも長時間呑み続けていたので、その日は強制的にお開きにさせられた。
私は帰りの電車を酔っ払って寝過ごした。
利文さんは酔っ払ってなぜか自宅の庭で寝ていたようだった。
二人して何やってんだか。

利文さんが亡くなったと、一昨日の日曜日の朝に聞いた。土曜日の深夜に亡くなったそうだ。
もう随分悪いことは知っていた。
今年の10月と、それから11月に、利文さんが演出してくれたアヤちゃんのステージでご一緒させて頂いたのが、利文さんの最後の仕事になってしまった。最後の仕事をご一緒出来たのは、とんでもなく嬉しく思っている。11月の仕事は、入院中の病院から抜け出してきての仕事となった。楽屋でみんなでずっとチンコと包茎の話をしていたのはここだけの話だ。
それが、利文さんに会った最後になってしまった。

享年78歳。
利文さん本人からしたら、「オレはもう十分やったよ、もうこの辺で良いだろう」てなことなのかも知れないが、私はまだまだ、彼からたくさんの言葉を聞きたかった。真摯に、そして信じられないぐらいの情熱をもって一生を芸能に捧げてきた人の言葉を。

一昨日と昨日、私はずっとレッスンの仕事が詰まっていたので、頭を切り替えて明るく元気にレッスンをやってきた。それで良かった。気を抜くと、利文さんのことを思い出して、涙が溢れる。

私のソロピアノのCDを気に入ってくれて、家でいつも聴いているって言ってもらえたの、嬉しかったなあ。

不遜を承知で言えば、私と彼との間には、友情があった。芸能の世界では大先輩とぺーぺーの関係であるが、彼は私を愛してくれたし、私も彼を心から尊敬し、愛していた。
そこには、確かに、友情があった。

おれはまだ利文さんの不在を受け止められないでいる。

さよならも、ありがとうも、まだ、言えない。

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