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2017年11月20日 (月)

中高生の時なんてほぼ毎日死にたかったわそんなもん!

少々気になるニュースを見た。これだ。

http://www3.nhk.or.jp/lnews/shutoken/20171118/1000003810.html

中高生の約20%が「死にたい」と思ったことがある或いは思っている、ということだそうで、それをしっかりとカウンセリングやケアをしていかなくてはならない、という旨のニュースである。

こりゃあやべえニュースだ、と思ったわけである。

何がやばいかと言うと。

「死にたい」と思ったことがある或いは思っているという少年少女たちの割合が約20%というのは、多いと思うだろうか、少ないと思うだろうか。私は、デタラメに少ない数字だと思っている。20%なワケがない。少なく見積もっても50%はいておかしくないし、或いはもっといても良い。

真っ当に思春期なんてものを過ごしていれば、「死にたい」と思う方がむしろまともで、思ったことがないなんていうのはよほど精神的に成熟しているか、もしくは単なるバカかのどちらかだろう。極めて凡庸な人間である私からすれば、「死にたい」と思ったことがない人間の方がむしろレアケースである。

ちなみに私は死ななかった。さほど問題は重要ではなかったことにすぐに気付いたからである。今も能天気に生きてごぶごぶと酒を呑んでいる(悪びれないっ)。

さて、このニュース、カウンセリングの対象は「死にたい」と思っている20%の子たちに対して、ということなのだろうが、それはいささか見当違いなのではないだろうか。残りの80%の子たちにこそカウンセリングが必要だと私は感じるのである。

このニュースの一番の問題点はどこかと言えば、「死にたい」ということすらも気軽に言えなくなっている社会の風潮がある、という点である。つまり、「死にたい」と思ったことなどない、と答えている80%の子たちの中にも確実に「死にたい」と思っている子がいる、その子たちが「でもそういうこと言ったら問題のある暗い人間だと思われたらまずいし」と本音を隠してしまっているという点である。カウンセリングが本当に必要なのはこの隠れ予備軍の子たちなのではないだろうか。

いやー、でもね、お兄さん(おじさんではない)は言いたい。

問題なんて抱えてて良いの!
暗くても良いの!

ここ数年特に感じるのであるが、社会全体が前向きさを強要している、と私は感じている。

かけがえのない仲間と共に、キラキラした光り輝く毎日を!

うーん…

そういうのが好きな人はそれで良い。けれどね…

私は「孤立すること」はとても大切なことだと考えている。また、自らの中の愚かな闇と向き合うことも、とても大切だと考えている。取り分け芸事をやるのであれば、これらの過程は必須事項なのではないかな。とにかく、別に明るく協調性があってキラキラしてなくったって良いのだ。ひとりぼっちでくすんでいて良いのだ。それはとても大切なことなのだ。

なので、「死にたい」と思っても良いよ、と私は強く言いたい。
ただ、我々は何のために生きているかと言えば、念のために生きているわけである。
どーせ愚かな人間である。失敗を繰り返したり、人を傷つけたり、傷つけられたりしながら生きるしかないのである。
しかし、生きているとたまに良いこともあるので、念のために生きながらえていた方がトクなのである。みすみす死んでは、もったいないのである。

「死にたい」って言う、っていうのは、一種の発散なんですよ。その発散までをも、子どもたちから奪わないでほしい。

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