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2017年10月31日 (火)

市川修 in New York

CDラックの中に、聴くことを明らかに意図的に避けているCDが何枚かある。

それは、そのCDがつまらないからではなくて、その逆、それを聴くと私がそのCDに収められた演奏の影響をモロに受けてしまうからだ。

その最たるものが、2006年に他界した私の師、市川修のCDだ。

今日、自宅でレッスンをしていた時のことである。
とある生徒がここまでに取り組んでいた楽曲があってそれが一段落ついたので「それでは新しい曲を」となった。あるブルースナンバーを今度は取り上げてみようということになり、譜面と音源を探した。その楽曲は、市川のCDに収められていた楽曲でもあったことを私は覚えていたので、参考音源として実に久しぶりに師の録音を聴いた。

CDと譜面を照らし合わせながら聴いていると、恐らく20代の中ごろに私が書いたその譜面は非常に瑕疵が多く、「こりゃあもう一回きちんと書き直さなくてはいかんな」と思い、生徒が帰ったあとにそのCDをもう一度聴き直しながら譜面を書き直した。つまり、「じっくりと」聴いた。師の録音を。

聴きながら、譜面を書きながら、様々な思いが交錯した。

誤解を恐れずに言えば、それはまるで私が弾いているように聴こえた。

もちろん、それは市川の演奏が私に似ているわけではなく、私の演奏が市川に似ているのだ。私はその演奏を初めて聴いた時から「なんてカッコイイんだ!むき出しの本能と照れたようなロマンチシズムと!最高だ!」と一発で好きになった。そしてそれを追いかけた。

追いかけてから、一度、離れた。

市川の死後、私はその影響の強さに悩んだこともある。市川の演奏を真似た所で、それは決して「私の演奏」ではない。しかし、どうしても似てしまう。そのジレンマに悩んだ。そういったジレンマから、意図的に市川のCDを聴くことを避けた。

しかし、久しぶりに聴いた師の録音は、一言で言えば、たまらなく愛おしかった。私がかつて最も大きな影響を受け(そしてその影響に悩むほどに)、追いかけた演奏だった。美しく、激しく、そして非常にチャーミングだった。

私がジャズの虜になった原点が、そこにあった。

この人に出会ったから、今の私があるのだなということを再確認した。そしてそれと同時に、何としてでもこの人に追い付き追い越さなくてはならない、と強く思った。

まだまだ、及ばない。とことんまでジャズを愛して、ジャズに生きて、死んでいったその男に。

先生、おれ、まだまだやります。

件のCDは、『市川修 in New York』。バスター・ウィリアムス(bass)、ベン・ライリー(drums)という強力なリズムセクションと共に、市川の演奏が堪能できる。まだ通販とかでも買えるっぽい。
1452087154

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