2016年3月
2016年3月31日 (木)
2016年3月30日 (水)
2016年3月28日 (月)
今週はライブ三昧
開幕しましたね、プロ野球。
今年の楽しみは、ベテラン天谷宗一郎の復活だと開幕前からひそかに思っていましたが、二戦目と三戦目は良いプレーを見せてくれたようで。まだまだこれから。一戦目は記憶にありません。そんなのあったっけ?
野間くんはまだスタメンには早いかなあ。誠也くんが怪我から復活して来たらどうなるんだろう。
ま、とにかく頑張れカープ!大好きな新井さんはもちろん応援します!
さて、ワタクシは今週はライブが多いです。楽しみなものばかり。どこかでお目にかかれますように。
3月30日(水) 東京池袋 ばがぼんど
03-3983-9109
http://www.vagabond.jp/
vocal:千葉陽子 piano:福島剛
ボーカルの千葉陽子さんとデュオ。
19:30~start music charge:no charge
4月1日(金) 東京小岩 Back in time
03-3659-0351
http://www.bqrecords.net/backintime.htm
「ソロピアノ、競演!」
piano:大澤香織 piano:福島剛
尊敬するピアニストの一人、大澤さんと。入魂のソロピアノ。
20:00~start music charge: 2000円
4月2日(土) 東京亀有 Jazz 38
03-3690-8363
http://www.jazz38.tokyo.jp/
「オトコトリオ」
piano:福島剛 bass:須川こういち drums:金子清貴
おなじみサンパチに「オトコトリオ」初登場!誰でも知っているスタンダードジャズ・ナイト!
19:00~start music charge:4000円(1ドリンク1フード付)
4月3日(日) 東京亀有 Jazz 38
03-3690-8363
http://www.jazz38.tokyo.jp/
「Jam Session」
piano:福島剛 bass:須川こういち
13:00~start music charge:2700円(1ドリンク付・ソフトドリンクはフリー)
2016年3月24日 (木)
本日は日野林晋4!
なかなかにポンコツなもので、日常生活の様々な場面で自分の低脳に辟易することは多い。
ポンコツぶりの一つに、人の顔と名前がなかなか覚えられないというのがあって、本当にこれが困る。逆に一発で人の顔と名前を覚えられる人にたまに会うと、本気で「すげーっ!」って羨ましくなる。
本日は小岩「Back in time」でサックスの日野林晋さんのカルテット。20:00から。
日野林さんは何回もお会いしているのでもちろんしっかりと面識があるのだが、ベースの三浦とおるさんと、ドラムの林伸一郎さんは数日前のリハの時点が初対面。
先にも書いた「人の顔と名前を覚えられない病」により少し心配もしていたのだが、リハから数日経って本番である今日、三浦さんも林さんもしっかり顔も名前も、何なら声も覚えているし思い出せる。
何でだろうなあと考えた時に、やっぱりリハーサルからすごく楽しくて印象的だったからなんじゃないかという結論に至った。
本当にこういうの、自分でも珍しいのだけれど。
今日の本番がとても楽しみです。
以下詳細。
3月24日(木) 東京小岩 Back in time
03-3659-0351
http://www.bqrecords.net/backintime.htm
「日野林晋カルテット」
sax:日野林晋 piano:福島剛 bass:三浦とおる drum:林伸一郎
20:00~start music charge: 2500円
2016年3月22日 (火)
2016年3月20日 (日)
匠の左
本日超下品につき、女子供は早々にブラウザ左上部の「戻る」ボタンを激クリックして以下は読まないように。
昨夜は我が家に大学時代の友人T夫妻と後輩Bが遊びに来ていた。
友人Tは最近農学の博士号を取得した。後輩Bも京大卒の超エリートである。
当然会話はハイパーアカデミックになってしかるべきである。
我々のハイパーアカデミックな会話は、最近結婚した後輩BのエロDVDコレクションをどう処分するべきかというところからスタートした。
やはり無難な所で1テラクラスの外付けハードディスクを購入して、そこに全てデータを残して現物を処分、という意見もあったのだが、そこまでの時間がないという事になった。
ならばと出た対案は、その200枚ほどのコレクションの中で、苦しい時も悲しい時もそっと傍らに寄り添ってくれたエロDVDを選別し、23枚だけを手元に残してあとは処分、というものである。23、という数字はサッカーの代表選手の数と同じにした。
後輩Bを私と友人Tとで優しく諭した。
「お前が彼女にフラれた時、親しい誰かが亡くなった時、お前の涙の代わりになってくれた、そんな大切なDVDがあるだろう。そいつらを捨てるなんて事は出来ない。それを選別するんだ。言い換えれば、そう、お前は自己と対話をするんだ」と。
後輩Bは「わかりました!死ぬ気で選びます!」と意気込んでいた。
会話はそこから更にアカデミックに発展した。
そこに居合わせた私を含めた三人は三人ともがサウスポー、左利きであることが判明した。
しかし、左利き度合いには差異があった。
私:鉛筆からお箸まで全て左の純然たる左利き
友人T:鉛筆は右、お箸は左という左利き
後輩B:鉛筆もお箸も右、という左利き
であった。
この話題になった際に、私と友人Tは後輩Bに対して「いやお前なんか左利きじゃねーし」と詰め寄ったが、「いや、スプーンとかフォークは左なんですって!」と譲らなかった。
私ははっきりさせたく思い、「じゃあお前、手淫はどっちよ!?」と尋ねた。
「福島さんはどっちなんですか!?」と逆ギレ気味に聞かれたので、「お前、オレはやっぱり、匠(たくみ)の左、初々しさの右よ!」と答えた。
そう、私の左は全てを熟知した匠であるのだ。私の身体の隅々まで、どこがどういう塩梅かという事を誰よりも熟知している。それに対して右はそこまでの経験値を持たない。しかし、その経験値の低さが必ずしもマイナス面にだけ作用するわけではなく、時には右手を使用することにより、普段とは違う、ぎこちなさの中に初々しさが存在する時が生まれる。
ここに関しては友人Tも完全同意で、「やはり匠は左だろ!」ということになったのであるが、そこで後輩Bが意を翻した。
「ぼくの匠は右です」と。
全くもってけしからん、左利きの風上にもおけん!と私たちは息巻いたが、後輩Bに言わせると、エロいタイプのコミックを使って事に及ぶ時には、ページをめくるのは左手がベスト、そして本丸に添えるのは右手!とのことだった。どうやらコミックタイプのものは、左から右に開いていく形式のものが多いらしい。
そうか、とそこで私も友人Tも立ち止まった。我々はフォト派であり、コミック派の都合を考慮に入れていなかった。
我々のハイパーアカデミックな会話により導かれた結論は、左利きの人間は基本的には左手に匠を宿している。しかし、コミック派に関してはその限りではなく、コミック派は原則として右手に匠を宿す、という事であった。
ていうかそんなの左利きじゃなくね?
2016年3月17日 (木)
3月後半、小岩「Back in time」での三つのイベント
普段から最もお世話になっている、地元小岩の「Back in time」。
こちらで今月後半から三つのユニークなイベントに立て続けに参加させて頂きます。
まずは一発目。
3月21日(月祝) 東京小岩 Back in time
03-3659-0351
http://www.bqrecords.net/backintime.htm
「Back in time 6周年Jam」
guitar:梶川朋希 piano:福島剛 bass:鶴賀信高
15:00~start music charge: 1800円
Back in timeの周年イベントです。ジャムセッションです。わいわいとBITのお誕生日をお祝いしましょう!何やら記念品の贈呈もあるみたいです。ベースはたまたま大阪から来ている鶴賀です。
続いてその三日後。
3月24日(木) 東京小岩 Back in time
03-3659-0351
http://www.bqrecords.net/backintime.htm
「日野林晋カルテット」
sax:日野林晋 piano:福島剛 bass:三浦とおる drum:林伸一郎
20:00~start music charge: 2500円
久しぶりの日野林カルテット。「NF4」などで活躍中のスーパーサックス奏者、日野林さんのオリジナルを中心にお届け致します。
そしてその翌週。
4月1日(金) 東京小岩 Back in time
03-3659-0351
http://www.bqrecords.net/backintime.htm
「ソロピアノ、競演!」
piano:大澤香織 piano:福島剛
20:00~start music charge: 2000円
尊敬するピアニストの一人、大澤香織さんとソロピアノの競演、します。彼女の果てしなく懐が深くて美しいピアノと一緒のステージを作れるなんて、とても光栄です。頑張ります。ジャズピアノファンの方々、是非!
という事で、どれもこれも頑張ります。
是非、足をお運びくださいませ!
2016年3月15日 (火)
2016年3月11日 (金)
五年目の「月曜日の朝」
今日で震災から丸五年。
そういう日だけ思い出すなんて不真面目だなと思いながらも、やっぱり今日ぐらいは思い出さないと。
そういう事でこの動画を掲載。
尊敬するボーカリスト、村松ショータローさん率いる「歌正」の作品。
この歌を初めて聴いた時に心の一番深い部分を震わされたのを覚えている。
さだまさしの「風に立つライオン」を聴いた時の感じに似ているな、と思った。
とにかく力強く生きていこうぜ。
そういう風に思います。
2016年3月 8日 (火)
京成線を愛でながら聴きたいジャズアルバム
夜間飛行社のWebマガジンでの連載、「馬鹿ジャズ名盤講座」。
本日新しい記事が更新されました。
相変わらずのバカバカしさでございます。
是非ご笑覧下さいませ。
2016年3月 7日 (月)
無能だもの
自らの能力が低い、という事を自覚するのはあまり気分の良いものではない。
出来れば自分は何かしらの能力に秀でていてほしいという承認欲求は人間としては比較的まともな欲求であろうし、そうでないという自覚、つまり「あれ?オレってすげー低スペック?」という自覚は、出来るならば持たずに生きることが出来れば良かった。
しかし日々を暮らす上で、私のような低スペックの人間は成功よりも失敗を圧倒的に多く重ねてしまう。失敗を繰返しながら「うむ!認めたくないが、私は低スペックである! 間違いない!」という自覚に至る。
このような自覚は、私の場合で言えば高校に入学してすぐに勉強がさっぱりわからなくなったり、様々なアルバイトをするもその働いた先々で「使えないバイトくん認定」を受けたり、大学を留年しまくったりした辺りで「うーむ、認めたくはないが、どうやらオレは無能な上に低俗らしい」と気付かざるをえなかった。
気付いて良かった部分も少なくない。自分が無能であるという自覚を抱く事によって、仕事などを溜め込んだ場合にはそれを処理しきれない事は理解しているので、前倒し前倒しで仕事を片付けるようになった。自分に自信があれば「ギリギリまで放置しといてもオレならば何とかなる!」という思考回路で放置もするのだろうが、自らの低スペックゆえに何とかならない事を理解しているので仕事は極力溜め込まない。早めに片付ける。
ソクラテスの言う「無知の知」に似ていなくもない。
私には音楽的なセンスや技術など微塵も備わってはいないが、それでもこの音楽の世界でかろうじて生き残っているのは、そうした自らの無能を自覚しているからかも知れない。
こういう事情であるから、自らの無能さや低俗さを自覚する事は必ずしも「あきらめ」とイコールではない。無能な人間には無能な人間の戦い方がある。それに気付くか気付かないかは、私の中では非常に大きな問題なのである。
しかし人間というのは難儀なもので、常に様々な方便を使って自らを正当化しようとする。
私も無意識の内に無能であり低俗である自分を正当化するための理屈を脳内で構築していた。
私の場合は、主に親鸞とキリストという二人の宗教家の理屈を借用する所から始まった。
そう、「人間とはとても愚かな存在である」という理屈である。
ここで親鸞やキリストの思想に細かく言及することは避けるが、彼らの思想を一言でまとめると「人間は愚かだが、これでいいのだ」というバカボンのパパ的な所に落ち着く。私は無能な私を認める為に、どうやらこの理屈をかなり信じている部分がある。宗教への信仰はズボラであるがゆえにあまり無いのだが。
この事が私に困った事を一つ引き起こしている。
現在書いているエッセイの原稿だが、五編も書くとその内三編は、「人生はしょっぱく、人間は愚かであるから愛おしい」という結論に至っている。立て続けに書いている訳でなく、少々時間を空けながら書いているから余計なのかも知れない。とにかく、サゲの結論部分に非常に頻繁にこの「無能人間万歳\(^-^)/」が使われている。
というか私の書く文章には一つのパターンみたいなものがあり
・下ネタを交えたマクラ
↓
・くだらない本編
↓
・人生はしょっぱく、人間は愚かであるから愛おしい、というサゲ
ほとんどがこのパターンに収まっている。
それに、今日、気付いてしまった。
書きかけの原稿や書き上がった原稿を見たら、「結論、全部一緒じゃん」とorzした。
無能だもの。
仕方がない。
2016年3月 6日 (日)
雨音ソムリエことワタクシ
夜、寝るときには枕元にタブレットを置く。薄っぺらい下敷きのようなパソコンの出来損ないのようなアレだ。
そしてそこからYouTube動画を流しながらそれをBGMに寝る。
もちろん一般的な意味での音楽はかけない。丸一日音楽に携わってヘトヘトに疲れて(それ自体は非常に幸せなことではあるのだが)、寝る間際ぐらいは音楽から解放されたいという気持ちは少なからずある。
寝る間際にタブレットからYouTubeで流すのは、雨の音だ。これはとても良い。安眠のきっかけになりうる。
YouTubeの検索窓に「雨音」と入れると、実に様々な雨音が見つかる。非常にたくさんのバリエーションがある。
私の中での流行り廃りがあって、ちょっと前までは「車の中で聞く雨の音」というのがスマッシュヒットだった。「川面を打つ雨の音」というのもなかなかに良かったのだが、川のせせらぎの音なども混じり、少々情報過多な所がありヘビーローテーションには至らなかった。車の中で聞く雨の音は、遮蔽された空間に響く雨音で、混じりっけの無さが非常に良い。
恐らく、私と同じように寝る際に雨音をBGMにしている人は少なくない数で存在するはずであるが、そういった雨音ファナティックたちにとって極めて重要な問題は、「雷鳴はあった方が良いかなかった方が良いか」という問題である。
雨音を愛する我々は、まず間違いなく雷鳴も愛している。これはほぼ間違いない。雷鳴は嫌いだけど雨音は好きだ、などという輩には真の雨音好きを名乗る資格はない。雷鳴を含めての雨音である。
雷が鳴ると「キャー」とか言ってカワイコぶってる女とかいるじゃん。あんなの全くタイプじゃねえよ。ま、向こうも私の事はタイプじゃないどころか汚物扱いなんだろうけれど。あんなやつらは三年風呂に入っていないホームレスにレイp…いやいや、言葉が乱れてしまった。とにかく、雷鳴は雷鳴で素晴らしいのである。
しかし、安眠の為のアイテムとしての雨音、と考えた時に、雷鳴は時として睡眠を妨げる時もある。雷鳴は、私の興奮神経を刺激し過ぎるのだ。
雷が鳴る。どんがらがっしゃん!
それは「さて、貴様はこの偉大なる自然と如何に対峙するか」と問われているかのようである。
大地の音、或いは大自然の音。
音楽家のはしくれである私が非常に強い畏怖の念を抱くのはこれらの音である。
深い自問自答のスパイラルに陥り、安眠どころではなくなる。これはよろしくない。
私は就寝時の雨音の雷鳴に関して言えば、「遠雷ならば可、しかし雷鳴がメインになるようならば不可」というスタンスをここ数年で築き上げている。
遠雷は良いんだよなあ、遠くで鳴っててさ、風情があってとても良い。
さて、本日の記事の本懐に突入したいのであるが。
最近私は、極めて理想的な就寝時の雨音を発見した。
「テントの中から聞く雨の音」である。
これが、何とも言えないレベルで、良い。
そもそも私はテントの中から雨の音を聞きたかったのではないだろうか、と思うほどに良い。
山、もしくは森の奥にいる。私はテントの中にいる。外では雨が降っている。
そんな情景を夢想する。
全ての罪や穢れが赦されていくような錯覚に襲われる。
ちなみにこの「テントの中から聞く雨の音」には雷鳴ははいっていない。
睡眠時にももってこいである。
ああ、雨の日にどっかでテント張りてえなあ。
2016年3月 4日 (金)
久しぶりにラーメン
醤油ラーメン730円+大盛り50円。
家から近いところだとかなり好きな店かなあ。
本日のお昼ごはん。
ちなみに東京東部の私的なラーメン屋ベスト3は、小岩の中華料理屋「福福」、平井の「○政(まるまさ)」が磐石のツートップで、次いでココ。
心の中で「いやいやいやいや、ここは大森貝塚やむなしでしょう」とダジャレをカマしながら欲張って大盛りにしたのはひょっとしたら失敗だったかな、と思うほどに大盛りはボリューミーだったのだけれど、後半戦に隠し味の柚子がかなり良い仕事をしてくれて爽やかに食べられる。もちろん完食。
個人的には、もうちょい魚介ダシは弱くても良いなあというのと、もう少しだけ麺が細いと良いなあと思うのだけれど、許容範囲内なので全く問題ナシ。
ラーメンほど好みの分かれる食べ物も少ないとは思うが、私の好みは醤油ラーメン。昔ながらの「中華そば」みたいなのが好き。
たまには家系とか背脂なんかも良いかも知れないけど、やっぱり好みはこの中華そば系醤油ラーメン。良いよねえ、美味しい所だと、食べ終わった後の口の中の後味まで美味しいもんね。
さて、午後もしゃかりき頑張ります。
2016年3月 2日 (水)
色んな方々からお酒頂きまくり
昨日などはセッションにいらっしゃったN氏が近日中まで新潟にいたようで、我々タケシーズにと日本酒の四合瓶を数本下さったのだが、その日本酒に群がる我々はまるで動物園でエサを配給される動物のごとし。キャーとかワーとかはしゃぎながら日本酒を頂いた。有り体に言えば、ハイパー喜んでいた。
もし実際に我々が動物園の檻の中に入れられたら、立て看板に「タケシーズに酒を与えないで下さい」と書かれるのは避けようのない事実である。
明けて今日、私は今日も日本酒を頂いた。
冒頭添付写真がそれである。
ピアノの生徒が岩手は花巻に行っていたそうで、頂いた日本酒はなんと「銀河鉄道の夜」。
率直に言って超嬉しい。
酒が好きなのもそうだが、このパッケージ。
私はほとんど信仰に近いような度合いで宮澤賢治という作家を崇拝している。彼の世界観、そして作品群は私のものごとの考え方に極めて大きな影響を与えている。
この日本酒!素敵過ぎる!
ただ、ここまで素敵過ぎるといささかの問題があるのも事実。
そう、「呑むのがもったいない」のである。
昨日頂いた日本酒も、年明けにピアノの生徒のOさんから頂いたウィスキーも、先週ライブを見に来てくれた同級生のMさんから頂いたウィスキーも、未開封で家にある。
私は間違いなくウィスキーも日本酒も、何ならワインも焼酎も全てが好きなのであるが、実際に家で呑もうかと思うと少々憚られる時は少なくない。
原因は、一年間365日の内360日ぐらいはほろ酔い乃至泥酔状態で帰宅するからだ。帰宅してから自らにトドメを刺すためにもう一杯、とはなるのだが、そのような状況下においては正直言って「何を呑んでも一緒」である。大吟醸の素晴らしい日本酒も、消毒用のエタノールも同じレベルで呑める。
はっきり言おう。酒に旨い不味いは確かにあるが、それは酔いが無い状態でのみ判別可能なのである。酔いが回った状態では何を呑んでもほとんど一緒だ。
なので私は安い発泡酒なり缶チューハイなりをトドメの一杯にすることが多い。大体が朝起きたときに枕元に呑みかけのそれらの酒が放置してあるのだが、大体が350ml中、300mlほど残っている。ものすごくもったいない。なので、頂いたそれらの上等な酒を呑もうと思えば、シラフで帰宅するという、セルゲイ・ブブカも裸足で逃げ出すレベルの高いハードルを越えなくてはならない。
酒を頂く度に、「この酒をどう呑るか」という事を思案する。
例えば先に書いた生徒のOさんから頂いたウィスキーはブルースなどの音楽を聴きながら呑りたいし、同級生のMさんから頂いたウィスキーはセロニアス・モンクもしくはアブドゥーラ・イブラヒムのソロピアノを聴きながら呑りたい。昨日N氏から頂いた日本酒は上等な刺身が手に入った時に開けたい。そして今日頂いた日本酒「銀河鉄道の夜」は、もちろん小説「銀河鉄道の夜」のページをめくりながら呑りたい。当然である。
そう考えた時に、頂いた酒を家で呑るのは、やはり相当にハードルの高い行為であることがわかる。
そういえば今月は大学時代の一番の友人のツネキと、やはり大学時代の後輩ベーシストのツルガが我が家に泊まりにくる予定がある。
その時に開けるのも良いかなあ。
少なくともダラダラとした酒としては呑まない。きちんと味わいながら、心底から堪能させて頂く。
色んな方々、お酒下さってありがとうございます。大切に呑ませて頂きます。
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