普通さと丁寧さが何よりも偉大なのだ
ここ最近、ラーメンなどを食べた時に、一口目の時点で「おっ、美味いな」と思うようなラーメンだと、後半戦に差し掛かった辺りで少々飽きてくる事が多い。いや、美味いんだけど、ちょっともう良いかな、というような感じ。
それとは逆に、一口目の時点で「あれ?ちょっと薄いか?」とか「うーん、もう一味あっても良いのかなあ」と思うようなラーメンだと、後半戦がミラクルヘブンだ。舌が馴れてきた後半戦に様々な味わいがわかってくるので、一口目よりも後半戦の方が楽しい。
そういった一口目に「あれ?ちょい薄いかな?」の展開から、「やばいよう!美味いよう!美味いよう!あははははははははははは!」というシャブでもパキっとキメたかのようなヘブン状態のラーメン屋の代表格は平井の「○政(まるまさ)」である。私的な東京の美味いラーメン屋のベスト3は、一位と二位は同率首位で平井の「○政(まるまさ)」と小岩の「福福」であり、三位はその時の気分的なブームにより変わる。
本日の昼間には、近所にあるとんかつ屋「はやみ」へ。小中学校の同級生であるエーサクという男がやっている店で、エーサクの父上が先代の亭主である。何回か前にブログにも紹介したっけな?
添付した写真はその「はやみ」のとんかつ定食650円の写真。
今日気付いた事なのだが、「はやみ」のとんかつ定食の満足感がすごい。店を出た後には多幸感に包まれる。
あー、美味かったなー、あー、幸せだなー、また来ようー。
そんな事を考えている私の表情はおそらく緩みきっており、誰か知り合いに会ったら「福島くん、シンナーでも吸ってるの?」と言われてしまいそうな有り様だ。
とんかつ定食をものすごい幸福感と共に食べたのであるが、その時に、つくづく「普通って偉大」という言葉と「丁寧な仕事こそ絶対的正義」という言葉が脳内を激しくリフレインした。
「はやみ」のとんかつ定食は、はっきり言って普通である。
一口目を食べた時に、「何じゃこりゃあああああ!うまーーーいいい!!!!!!」と絶叫するようなタイプの派手なとんかつではない。しみじみと、「あ、美味いね。うん、美味い。うんうん」という、「これですよこれ、わかってらっしゃる」というタイプのとんかつである。
この「普通さ」が偉大なのだ。噛み締める普通さの愉悦は自動で増幅される。
後半戦が楽しくて仕方がないのだ。もう後半戦になると「とんかつに派手さなど必要ない!普通に美味い事以上に偉大な事などない!」という海原雄山的な文言が頭に浮かんでいる。
油がじゅわー!肉汁どばーっ!みたいなとんかつも私は否定はしない。そこにはそこの良さがあるだろう。しかしね、そうじゃないとんかつの美味さがわかるようになってくると大人なんですよ。
一口目の愉悦よりも後半戦の充実を選びたい。そして店を出た後の満足感を優先させたい。「はやみ」は後半戦の末脚がすごい。
またそのような充実の要因を探った時に、「丁寧な仕事」の果たす役割はあまりにも大きい。
定食についているごはんと味噌汁と漬け物。そしてとんかつに添えられたキャベツの千切り。これらの全てがものすごく丁寧に作られている。ごはんの炊き加減や米の美味さもばっちりだし、味噌汁と漬け物も美味い。キャベツの千切りはふわふわにしてシャキシャキだ。
定食で、メインの料理は美味いのだけれど、ごはんや味噌汁がイマイチ、という店は意外と多い。とても残念な状態である。
食べる人間の事を思いやって、食べやすくする為や美味しくする為の一手間を惜しまない店はやはりすごい。面倒くさい地道な事をひたすらにやる人間が一番偉いんだよという完全に昭和テイストな価値観が私の中に厳然とあるが、それは飯屋にも当てはまる。
実は以前ブログやFacebookにこのとんかつ「はやみ」の事を書いたら、それを見てきてくれたお客さんがちらほら増えてありがたかったと今日エーサクから感謝されたので、いやいやそれぐらいならいくらでも、という意味でとんかつ「はやみ」を宣伝。そもそも自分が美味いと思わなきゃ宣伝しないしね。
是非行ってみて下さい。
満足感は非常に高いです。
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名盤です。(←自分で言う)
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