Abdullah Ibrahim 2015年の来日のこと
関西から東京に帰って来て数週間。
ここ最近の間に、私には少々キャパシティオーバーかとも思えるほどの大量の情報がやって来ていた。原因は、Abdullah Ibrahimというピアニストを間近に見ていたからだ。
このブログでも度々紹介しているが、Abdullah Ibrahimは南アフリカ共和国出身のピアニストだ。かつてはDollar Brandの名前でも活躍した。現在御歳81歳。唯一無二の、孤高のピアニストである。
彼の音楽に触れ、彼の哲学や人間性に触れていたのが10月9日から13日までの約一週間の話だ。その事を少しずつ書いていきたい。
【東京から京都へ】
今回、Abdullahに最初に会ったのは10月9日の東京だった。10月10日と11日の京都上賀茂神社でのコンサートよりも数日前に来日して、東京で古武道の稽古をしていた彼を、新幹線で京都まで送り届けるというのは私の最初のミッションだった。
東京某所のホテルのロビーで彼を待ち、エレベーターから降りてきた彼と対面した。相変わらずデカイな、というのが数年ぶりに再会した印象。彼の体躯は実際にデカイ。
13日以降のアメリカ~カナダツアーの分の荷物まで入っていたので、彼のスーツケースはべらぼうに大きくまた重かったが、そこは私とて元柔道部、ノミの身体のフルパワーでそれを担ぎ上げて彼を品川駅まで引率。
山手線に揺られながら座席に腰掛けるAbdullahは、少々ガタイの良いどこにでもいる好好爺で、おそらく車内の多くの人が「この爺さんはとんでもないピアニストなんだ」と私が説明しても信じなかったかも知れない。
品川駅の新幹線のホームに到着したのは新幹線の出発時刻より一時間弱も前だった。山手線はよく人身事故やらで遅延する事があるので、余裕を見て出発したのだが、何事もなく順調に到着した。
新幹線を待っている間に彼から様々な話を聞く事が出来た。確か最初は私から「Abdullahさん、あなたの最新作の『The Song Is My Story』という作品を聴きましたが、あなたはとんでもない所まで行っておられますね」なんて話を振った辺りからだった。
彼は、今作で使用したピアノの話や自らの楽曲の事、数十年修業を続けている武術の事、それから音楽というものに対する自らの考えをゆっくりと語ってくれた。
ここで聞いた話は後述する。話を聞き感動しながらも、その時の私の役割は鞄持ちの付き人であるので、「大将、喉は渇いちゃいやせんか?腹は減ってませんか?」と気配りに心を砕く。Abdullahは駅弁とか食うかなあと思っていたのだが、「今はお腹すいてないから大丈夫」と言われた。
何ということのない時間なのだが、やはりそれは格別な思いもあって。
一番の憧れのピアニストとの時間はそれは格別だ。
Abdullahは新幹線のグリーン車に乗り込み、私はその隣の通常車輌に乗り込んだ。「大将、隣の車輌にいますから何かあったら遠慮なくおっしゃって下さいね」と言い残して。
一人になって自分の座席に腰を下ろしてリクライニングを傾けた辺りで自分が少し疲弊しているのに気がついた。少なからず緊張していたのだ。
車内販売でビールを一本買って呑んで、ぼんやりとしていたら新幹線は京都に着いた。
京都に着いたら今回のAbdullahのコンサートのスタッフ達が車で待ち構えてくれていて、そのまま車に乗り込んでAbdullahの宿泊するホテルへと向かった。
たまたまその日、10月9日はAbdullahの81歳のバースデーであり、夜は10人ほどでとある料亭で誕生日を祝った。
Abdullahは終始ニコニコと上機嫌だった。
【ジャズ喫茶「Lush Life」とそこに集う人達】
今回、いや、今回だけではないのだが、今回のAbdullahの来日の経緯を語る時に、まずはジャズ喫茶「Lush Life」の存在を説明しなくてはならない。
京都は出町柳駅のすぐ近くにあるジャズ喫茶である。10人も客が来れば満席になるようなカウンターのみの小さな店であり、店舗の場所は幾つか換えながらも40年ほど続く老舗だ。
結論から先に言えば、世界的なピアニストであるAbdullahを招いているのはこの小さなジャズ喫茶である。コンサートの企画から運営まで、ここに集う人達によって行われている。
私も京都に住んでいた1998年~2007年までの間、この店でかかるレコードや居心地の良さ、店主夫婦の人柄が好きで足しげく通った常連の一人である。今でも京都に行ったら必ずこの店には寄る。
店には実に様々な種類の人間が集う。学生、音楽家、絵描き、カメラマン、牧師、デザイナー、大学教授、等々。
この店の魅力の一つであるのだが、そういった様々な人間が集まって「放っておかれる」。和して同ぜず、という私の好きな言葉があるが、「Lush Life」の放置っぷりはまさにその「和して同ぜず」の具現かも知れない。言葉ではなく、そういった雰囲気から私は「生き方というのは色々あるのだから好きにすれば良い」という事を学んだ。
色々な人がいる。同じでなくて良い。
そういったバラエティーに富んだ人間達が集まってこのコンサートは動いていた。
発端は「Lush Life」の店主の茶木哲也氏が、かねてより大好きだったピアニスト、Randy WestonやAbdullah Ibrahimを呼んでコンサートがしたい、と考えたのがきっかけだった。たまたま店の常連にRandyやAbdullahに顔の利くフランスの婦人がいた事からその話は実現化した。
スタッフは、先に説明した店に集う常連達がボランティアで行っている。基本的には給料が発生しないのはもちろんの事、交通費や諸々の出費は自腹、なおかつ本番当日に演奏を聴く時にはやはり自腹でチケットを購入して聴く。
細かい事は言えないが、大雑把に言ってしまえばコンサートでの収益はほぼゼロに近い。スタッフがボランティアである上で二日間の演奏で客が満席に入ってトントンのペイライン、つまりプラマイゼロになる。
そこまでして何故やるのかと言えば、その体験は決して金では買えない貴重なものである事をわかっているからである。街の小さなジャズ喫茶が世界的なピアニストを招いて上賀茂神社でコンサートを開催する。これだけでも十分に痛快な話だ。 潤沢な資金を使って金にものを言わせるだけが能ではない。金が少ないなりに知恵を絞って誠意を尽くして、そうして作り上げるコンサートの悪い訳がない。
2~3年に一度開催されたこのコンサートに私がスタッフとして参加し始めたのは確か2004年ぐらいからだったような気がする(いつからだかは忘れた)が、ここでの体験は私の音楽家人生に大きな影響を与えている。
初めて参加した時には「何だか大人の文化祭みたいだな」と思った。大の大人が集まって、利益の為の「仕事」ではなくて、真剣に遊んでいる、という印象。真剣に遊べば遊ぶほど面白い。自然と妥協も減る。
大工も電気屋も自前でやって来る。この大工と電気屋の初老の男性二人がまたカッコ良くて、のんびりと、しかしコツコツと、丁寧で心のこもった仕事をする。口数は少ない。黙々と仕事をするその姿勢に何度も心を打たれた。
また後ほど書くが、この「Lush Life」主催のコンサートは今回で最後。私も取り分け思い入れはあるので、寂しい気持ちは強くある。
ともあれ、一連のこのコンサートはジャズ喫茶「Lush Life」の店主茶木哲也氏を中心に、そこに集う仲間たちで作り上げられたものだ。多分世界中どこを探してもこのレベルでの「真剣な大人達の遊び」はないのではないだろうか。
【Abdullah Ibrahim 上賀茂神社公演の初日、リハーサルの終了まで】
話をAbdullahに戻そう。
10月10日が今回の公演の初日だった。私たちスタッフ30人ほどは朝の8時に上賀茂神社に集合し、それぞれの班に分かれて準備に取り掛かった。舞台となる庁ノ舎(ちょうのや)の中を清掃する班や、野外のテントを組み立てる班など。実はみな既にこれらの作業を経験済みなので、作業は驚くほど円滑に進んだ。また前日までの事前準備もばっちりであったので、午前中の内にはほとんどの作業が終了していた。
スタインウェイのフルコンサートモデルのグランドピアノが運び込まれ、調律の名手、久連松氏が時間をかけて調律をして下さった。準備万端となり、我々はAbdullahを待った。
Abdullahが会場へやって来たのは15:00ぐらいだっただろうか。覚えているのは、私はトイレに行っていて、トイレの中から外のスタッフ達の拍手や歓声がわっと上がったのを聞いて、「お、アブさん来たな、早く戻んなきゃ」と思った事だ。私は大体において間が悪い。
挨拶を軽く済ませると、Abdullahがピアノに向かう。リハーサルというほど綿密に弾く訳ではないのだが、本日のピアノに対して「首尾はどうだい?」と伺うような塩梅でポロポロと弾いていく。
「本番は一切撮影禁止だからこのリハーサル風景ぐらい写真に撮っておくかなー」と思って携帯電話のカメラを出して、数枚Abdullahがピアノを弾く写真を撮ってはみたが、そこから身体と脳が一時的に動かなくなった。気がついたら私は落涙していた。最初は、「あれ、やべえぞ?リハーサルなんだからここで泣いてたらマズイマズイ」と思ったのだが、そこからはなかなか止まらなかった。
その前日にほぼ丸一日Abdullahと過ごしていてそれなりに感動していた訳だが、一発目の深い感動は、やはり彼がピアノをポロンと弾き始めたその瞬間にやって来た。
そこには、パッと聴いてすぐにわかる「Abdullahの音色」があった。
「自分の音色」を持っているミュージシャンは間違いなくスゴイ。これは私の価値観の一つだ。
実はこれはかなり困難な話で、超一流のミュージシャンでも自分の音色を持っていない人は少なくない。というよりもほとんどいない。
レコードを数秒だけ聴いて「ああ、これは誰それの録音ね」とわかる人と言えば、Louis ArmstrongとMiles DavisとThelonious MonkとBud Powellと、あと誰かな、とにかく少ないのである。
Abdullahはかなり独特な「自分の音色」を持っている。それは特にこの20年、いや、もっと言えばここ10年の間に獲得したもののように私には思える。それ以前、つまり60歳よりも前のAbdullahの録音を聴いた時に、ものすごく個性的な「Abdullahの音楽」というものは既にはっきりと確立されているが、音色は今ほど独特ではなかったように思う。ここ10年のAbdullahの音色は極めて独特だ。
そして私はその独特な音色を、「ピアノという楽器の出しうる最も美しい音色」だと思っている。音楽というものの辿り着く美しさの一つの境地だと思っている。
そんな音色が、目の前にあったのだ。
軽くピアノの機嫌を伺うように弾いても、それははっきりとわかるAbdullahの音色だった。私が理想として追いかけ続けている音がそこにあった。それでついつい「やべえやべえ」と落涙してしまった。
だってさ、ダイレクトに心の奥底に響いてくる音なんだもん。反則だぜ、アブさん、とそんな事を思った。
リハーサル、とは呼べないかもしれないが、数分のピアノの試奏を終えて、「パーフェクトだ」と言い残してAbdullahは楽屋へと戻った。私たちも各々の仕事へと戻った。あと数時間で久しぶりにAbdullahの演奏がまた聴けるのだと思うと心が躍った。
【コンサート初日と二日目について】
日が沈んで、会場である上賀茂神社が静寂と暗闇に包み始められた頃あたりから、三々五々に観客が来場し、コンサートの開演を待った。
私は場外で「会場はこちらですよ」と案内する係をやっていた。
18:00の開演時間になると、会場に入ってその一番隅に座ってAbdullahの登場を待った。
少し時間は押したが、Abdullahはゆっくりと登場した。
そしておもむろにピアノに座って、彼の音楽世界が繰り広げられた。
Abdullahの演奏スタイルは少々独特で、曲間を空けない。メドレー形式で複数の曲が繋げられ、約一時間に渡ってノンストップの演奏が繋げられる。それを二回。これはここまでに見たAbdullahの演奏すべてがこの形式に則っていた。今回ももちろんそうである。
Abdullahの演奏を聴いて常々思うのは、半ば強制的に自己と向き合うことを強いられる、ということだ。目の前で行われる音楽という行為、それをただ黙って鑑賞するだけではなく、自らの心の中の一番深い部分に潜っていかなくてはならない、という事がたびたび起きる。それは音楽という行為を目の前にした時にはなかなか起こりえない事だ。そういう意味でもAbdullahの音楽は特殊だ。
演奏は文句なしに素晴らしかった。それはどのような賞賛の言辞を用いても筆舌に尽くしがたいほどに。本当に美しい音楽がそこにあった。
もう、何を言うのも陳腐になる。とてつもなく深い「間」と、そして美しい音色。紡がれる即興演奏と、珠玉の名曲たち。夢のような時間だ。
それは二日目もそうだった。
二日間、演奏を聴いた人間として見当はずれを覚悟の上で感想を言えば、初日の一部は、まだ「探っている」感じもあるように思えた。上賀茂神社という空間の中で何が最適な音なのかを探りながら弾いているようにも。
それが初日の二部になると、どんどんとメロディが出てくる。Abdullahのインスピレーションが何物にも邪魔される事なく研ぎ澄まされ、音楽は確実に積み重ねられ、そして高みに昇っていく、そんな印象だった。
二日目は第一部からその感覚があった。確信に満ちた音と静寂のコントラストが、我々を異世界へといざなった。そして二日目の第二部は、その二日間の演奏を総括するような、そんな風に聴こえた。
実際にAbdullahが二日目の終演後にスタッフに「いつも演奏していると辿り着きたい所がある。でもその 高みにはなかなか辿り着けないんだ。でも昨日のコンサートのラスト10分でお客さん全員と辿り着けたよ。」と言っているのをまた聞きした。
素晴らしい。とんでもなく素晴らしい。
最高の演奏だった。
【最後に】
最後に少しまとめて。
Abdullah Ibrahimという稀代の音楽家と接して、そして彼の音楽に久しぶりにじかに触れて、私が思ったことを。
一言で言えば、私は音楽をなめていたな、という感想を持った。
私も生活のほぼ全てがもはや音楽であるし、それは私にとって特別なものである事には間違いない。
しかし、私が考えていた「音楽というものが抵触する領域」は実際よりも狭く、実は音楽はもっともっと広い所まで抵触し、影響を及ぼすのだ、という事を思った。
「音楽による感動や心の揺れ動き」が確かにある事を私は認めている。しかし、そういった心の揺れ動きは、例えば人の生き死に、赤ん坊が生まれるとか好きな人が亡くなるとか、そういった事による感動や落胆ほどには心を動かさないのではないか、と思っていた。
そうではなかった。私は音楽の力をなめていた。
Abdullahの音楽により動かされた心は、まさに人の生き死にに匹敵する感動だった。音楽はここまで深く人の心を動かし、震わせる事が出来るのか、と、その可能性、また底力に驚嘆した。音楽って本当にすげえ、と思った。
二日目の演奏の後に打ち上げに行った。そこでもAbdullahと話す機会に恵まれた。
彼が私に伝えてくれた言葉の数々は、ここから数十年かけて取り組むべき課題を明確にしてくれた。
東京から京都へ向かう新幹線を待っている時にも色々と教えていただいたが、その時には私の英語力不足でおっしゃっている事の半分ぐらいしかわからなかったが、京都に着いてからは音楽人類学者の矢野原佑史氏が通訳を務めてくれていたので随分と言葉を理解するのは楽になった。
「新しいことを演奏する必要はない。常にお前自身を演奏しなさい」
今回Abdullahからかけられた言葉の中でも特に印象深かった言葉である。
その後に、「新しいもの」とはどういう経緯で生まれてくるのかも教えて頂いたが、それはここには書かない。というか書けない。
Abdullah Ibrahimという音楽家に出会えたことを、私は誇りに思いたい。
最後になるが、今回までのスタッフへの謝辞を。
先にちらっと書いたが、今回でこの「Lush Life」主催のコンサートは最後になる。事情は色々あるのだけれど、やはりそれに関しては正直に言えば寂しい。
しかし、ここまでの事に関して。Randy WestonやAbdullah Ibrahimを招いた計八回のコンサート。すごい事をやってくれた。そんなに簡単に出来る事じゃない。その仲間に入れてもらった事は、私の人生の中でも何よりも大切な財産である。
今回の最終日のコンサートの時に、私は我々スタッフのボスである哲也氏と横に並んでAbdullahの演奏を聴いていた。哲也氏は曲に合わせてハミングの鼻歌を歌っていて、そしてその横で私は感動のあまりに嗚咽していた。静寂のコンサートの場で、この二名がうるさかったらしく、後で軽く注意をされたが、私に関してはまあ反省するとして(仕方ねえじゃん)。
哲也氏に関しては、「もう良いじゃん」という気持ちで横にいた。この人が「呼びたい!」と思った所からこのコンサートが始まったんだ。そこから色んな人が彼を助けて、それがこんなにも唯一無二の素晴らしいコンサートになってさ。今回で最後なんだ。だから鼻歌まじりに気持ちよく聴いていて、何も問題はない、と私はそう思っていた。
まあ全体的に私は何もしていないので、本当に周囲の仲間の方々に感謝。
Abdullah Ibrahimに会えた。そして素晴らしいコンサートの渦中にいる事ができた。
私は明日からもまたピアニストとして生きていく。
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