本日オトコトリオ
数年に一度、これぐらいの季節の変わり目に出る喘息の発作が今年は激しく炸裂しておりますが、本日は東向島「Petit Rose」にてオトコトリオの初ライブです。
激しく、そして美しく行こうと思います。
お時間許します方は是非観にいらっしゃって下さい!
数年に一度、これぐらいの季節の変わり目に出る喘息の発作が今年は激しく炸裂しておりますが、本日は東向島「Petit Rose」にてオトコトリオの初ライブです。
激しく、そして美しく行こうと思います。
お時間許します方は是非観にいらっしゃって下さい!
まただ!
今日も共演のちゅんこちゃんに「ラインやんなよ」って言われて「やっても良いんだけど何か全然会わない人と友達になったりするのイヤなんだけど、とりあえず注意深く再登録するか」って言って教えてもらいながら再登録したら、勝手にあれこれ「友達になりましょう」みたいなメールが送信されたらしく、全然注意深く出来ていなかった事が判明!
イヤだけど、もう削除すんのもめんどくさいので放置!
という事でお知り合いの方でラインってのを介して「お友達になりましょう」という旨のメールが来た方にはお詫び致します。マジすみません。
無知な人間が想像力を獲得するというのはなかなかに難しい事のように思う。
芸術的な想像力というのは妄想力にも近いので、無知であっても成立する事もあるだろう。ここで言うのはもっと実用的な、生活における想像力の話だ。
これこれこういう行動を起こしたら、AもしくはBもしくはCという結果が想定される。Aという結果になった時にはA'もしくはA"という二次的な行動が想定されて…などと想像する根拠は、やはり自らの経験や知識なのだろうと思う。経験や知識に乏しければ「その先」を想像する事は難しい。
人間は生きていく過程の中で経験や知識を獲得していく。その総量は、増え幅などは個人差があるにしても、必ず年齢の増加と共に右肩上がりの曲線を描く。歳を重ねるごとに経験値は上がり知識量は増える。これは疑いようのない事実だ。
という事は、「若い」という事はほぼイコールで「無知である」という事である。個人差を比べるとその限りではなくて、確かに私よりも若いのに私よりも遥かに多くの種類の経験や知識がある者もざらにいるし、逆に私よりも年配なのに私よりも経験や知識の種類に乏しい人間だっているが、そうではなくて一人の人間の時間軸だけを基準に考えた場合には確実に右肩上がりなのである。
若い頃には勢いがあったなー、などという回顧は、つまり若かったから色々よくわかってなくてそれゆえに邁進が可能だった、という事でもある。
なぜ私がこんなことを言い出しているのかと言うと、今日ふと自分の20代の頃の事を思い出してしまったからだ。
私が20代の頃、日常的に何も悪びれずにやっていた事の一つとして「どこでも寝る」というのがあった。特に今日のような小春日和の日には、「あ、眠いな」と思った瞬間に、それがどこであろうと寝ていた。寝ても問題の少ない公園などを探さずに、ダイレクトにその辺の道に寝ていた。
そこには想像力が欠如していた、と言わざるをえない。寝ていてオヤジ狩りのような連中に襲われた事はないが、ポリスに通報される事がよくあった。
道で行き倒れているような私を見た人が「人が死んでいます」と通報してポリスがやってくる。トントンと身体を叩かれて目が覚める。「大丈夫ですかー?何してるんですかー?」と聞かれる。「すんません、寝てました」と答える。「酔っ払ってるんですかー?」と聞かれ、「いえ、シラフです」と答える。「ここは寝る所じゃないんでー」と怒られる。
こんなことを数回経験した後に、「道で寝てはいけない」という事を学ぶ。
眠い→道で寝る→ポリスが来る→怒られる
という一連の流れを身をもって体感することで、「道で寝てはいけない」という不文律を学ぶのである。
現在の私は野外で寝る事はたまにあるが、公園や土手などの「人が寝ていてもあまり違和感のない場所」を選ぶし、そういった事でポリスに迷惑をかけることはなくなった。
若くて無知であるがゆえに想像力の働かなかった私が年齢を重ねる事により経験と知識を獲得し、道で寝なくなったのだ。
今日の昼間に(おそらく酔っ払って)道で寝ている人を見かけて、そんな事を思い出した。
でも、これぐらいの陽気の日に道で寝るの、気持ちいいんだよなあ。
さて、演奏に行ってきます。
本日は市川のオーディーダイナーでボーカルのちゅんこちゃんとデュエットです。
20時過ぎぐらいから23時ぐらいまでやってます。
本日は小岩のライブシアター「オルフェウス」で「オルフェウスジャム」です。
毎度毎度で準備が結構大変なんですが、終わった後に参加者の方々に「楽しかった!」って言って頂ければ報われます。
19:00ぐらいからやってます。
今は16:00前。実はついさっき譜面の準備終りました。超ギリギリ。
楽しくいきましょう!
関西から東京に帰って来て数週間。
ここ最近の間に、私には少々キャパシティオーバーかとも思えるほどの大量の情報がやって来ていた。原因は、Abdullah Ibrahimというピアニストを間近に見ていたからだ。
このブログでも度々紹介しているが、Abdullah Ibrahimは南アフリカ共和国出身のピアニストだ。かつてはDollar Brandの名前でも活躍した。現在御歳81歳。唯一無二の、孤高のピアニストである。
彼の音楽に触れ、彼の哲学や人間性に触れていたのが10月9日から13日までの約一週間の話だ。その事を少しずつ書いていきたい。
【東京から京都へ】
今回、Abdullahに最初に会ったのは10月9日の東京だった。10月10日と11日の京都上賀茂神社でのコンサートよりも数日前に来日して、東京で古武道の稽古をしていた彼を、新幹線で京都まで送り届けるというのは私の最初のミッションだった。
東京某所のホテルのロビーで彼を待ち、エレベーターから降りてきた彼と対面した。相変わらずデカイな、というのが数年ぶりに再会した印象。彼の体躯は実際にデカイ。
13日以降のアメリカ~カナダツアーの分の荷物まで入っていたので、彼のスーツケースはべらぼうに大きくまた重かったが、そこは私とて元柔道部、ノミの身体のフルパワーでそれを担ぎ上げて彼を品川駅まで引率。
山手線に揺られながら座席に腰掛けるAbdullahは、少々ガタイの良いどこにでもいる好好爺で、おそらく車内の多くの人が「この爺さんはとんでもないピアニストなんだ」と私が説明しても信じなかったかも知れない。
品川駅の新幹線のホームに到着したのは新幹線の出発時刻より一時間弱も前だった。山手線はよく人身事故やらで遅延する事があるので、余裕を見て出発したのだが、何事もなく順調に到着した。
新幹線を待っている間に彼から様々な話を聞く事が出来た。確か最初は私から「Abdullahさん、あなたの最新作の『The Song Is My Story』という作品を聴きましたが、あなたはとんでもない所まで行っておられますね」なんて話を振った辺りからだった。
彼は、今作で使用したピアノの話や自らの楽曲の事、数十年修業を続けている武術の事、それから音楽というものに対する自らの考えをゆっくりと語ってくれた。
ここで聞いた話は後述する。話を聞き感動しながらも、その時の私の役割は鞄持ちの付き人であるので、「大将、喉は渇いちゃいやせんか?腹は減ってませんか?」と気配りに心を砕く。Abdullahは駅弁とか食うかなあと思っていたのだが、「今はお腹すいてないから大丈夫」と言われた。
何ということのない時間なのだが、やはりそれは格別な思いもあって。
一番の憧れのピアニストとの時間はそれは格別だ。
Abdullahは新幹線のグリーン車に乗り込み、私はその隣の通常車輌に乗り込んだ。「大将、隣の車輌にいますから何かあったら遠慮なくおっしゃって下さいね」と言い残して。
一人になって自分の座席に腰を下ろしてリクライニングを傾けた辺りで自分が少し疲弊しているのに気がついた。少なからず緊張していたのだ。
車内販売でビールを一本買って呑んで、ぼんやりとしていたら新幹線は京都に着いた。
京都に着いたら今回のAbdullahのコンサートのスタッフ達が車で待ち構えてくれていて、そのまま車に乗り込んでAbdullahの宿泊するホテルへと向かった。
たまたまその日、10月9日はAbdullahの81歳のバースデーであり、夜は10人ほどでとある料亭で誕生日を祝った。
Abdullahは終始ニコニコと上機嫌だった。
【ジャズ喫茶「Lush Life」とそこに集う人達】
今回、いや、今回だけではないのだが、今回のAbdullahの来日の経緯を語る時に、まずはジャズ喫茶「Lush Life」の存在を説明しなくてはならない。
京都は出町柳駅のすぐ近くにあるジャズ喫茶である。10人も客が来れば満席になるようなカウンターのみの小さな店であり、店舗の場所は幾つか換えながらも40年ほど続く老舗だ。
結論から先に言えば、世界的なピアニストであるAbdullahを招いているのはこの小さなジャズ喫茶である。コンサートの企画から運営まで、ここに集う人達によって行われている。
私も京都に住んでいた1998年~2007年までの間、この店でかかるレコードや居心地の良さ、店主夫婦の人柄が好きで足しげく通った常連の一人である。今でも京都に行ったら必ずこの店には寄る。
店には実に様々な種類の人間が集う。学生、音楽家、絵描き、カメラマン、牧師、デザイナー、大学教授、等々。
この店の魅力の一つであるのだが、そういった様々な人間が集まって「放っておかれる」。和して同ぜず、という私の好きな言葉があるが、「Lush Life」の放置っぷりはまさにその「和して同ぜず」の具現かも知れない。言葉ではなく、そういった雰囲気から私は「生き方というのは色々あるのだから好きにすれば良い」という事を学んだ。
色々な人がいる。同じでなくて良い。
そういったバラエティーに富んだ人間達が集まってこのコンサートは動いていた。
発端は「Lush Life」の店主の茶木哲也氏が、かねてより大好きだったピアニスト、Randy WestonやAbdullah Ibrahimを呼んでコンサートがしたい、と考えたのがきっかけだった。たまたま店の常連にRandyやAbdullahに顔の利くフランスの婦人がいた事からその話は実現化した。
スタッフは、先に説明した店に集う常連達がボランティアで行っている。基本的には給料が発生しないのはもちろんの事、交通費や諸々の出費は自腹、なおかつ本番当日に演奏を聴く時にはやはり自腹でチケットを購入して聴く。
細かい事は言えないが、大雑把に言ってしまえばコンサートでの収益はほぼゼロに近い。スタッフがボランティアである上で二日間の演奏で客が満席に入ってトントンのペイライン、つまりプラマイゼロになる。
そこまでして何故やるのかと言えば、その体験は決して金では買えない貴重なものである事をわかっているからである。街の小さなジャズ喫茶が世界的なピアニストを招いて上賀茂神社でコンサートを開催する。これだけでも十分に痛快な話だ。 潤沢な資金を使って金にものを言わせるだけが能ではない。金が少ないなりに知恵を絞って誠意を尽くして、そうして作り上げるコンサートの悪い訳がない。
2~3年に一度開催されたこのコンサートに私がスタッフとして参加し始めたのは確か2004年ぐらいからだったような気がする(いつからだかは忘れた)が、ここでの体験は私の音楽家人生に大きな影響を与えている。
初めて参加した時には「何だか大人の文化祭みたいだな」と思った。大の大人が集まって、利益の為の「仕事」ではなくて、真剣に遊んでいる、という印象。真剣に遊べば遊ぶほど面白い。自然と妥協も減る。
大工も電気屋も自前でやって来る。この大工と電気屋の初老の男性二人がまたカッコ良くて、のんびりと、しかしコツコツと、丁寧で心のこもった仕事をする。口数は少ない。黙々と仕事をするその姿勢に何度も心を打たれた。
また後ほど書くが、この「Lush Life」主催のコンサートは今回で最後。私も取り分け思い入れはあるので、寂しい気持ちは強くある。
ともあれ、一連のこのコンサートはジャズ喫茶「Lush Life」の店主茶木哲也氏を中心に、そこに集う仲間たちで作り上げられたものだ。多分世界中どこを探してもこのレベルでの「真剣な大人達の遊び」はないのではないだろうか。
【Abdullah Ibrahim 上賀茂神社公演の初日、リハーサルの終了まで】
話をAbdullahに戻そう。
10月10日が今回の公演の初日だった。私たちスタッフ30人ほどは朝の8時に上賀茂神社に集合し、それぞれの班に分かれて準備に取り掛かった。舞台となる庁ノ舎(ちょうのや)の中を清掃する班や、野外のテントを組み立てる班など。実はみな既にこれらの作業を経験済みなので、作業は驚くほど円滑に進んだ。また前日までの事前準備もばっちりであったので、午前中の内にはほとんどの作業が終了していた。
スタインウェイのフルコンサートモデルのグランドピアノが運び込まれ、調律の名手、久連松氏が時間をかけて調律をして下さった。準備万端となり、我々はAbdullahを待った。
Abdullahが会場へやって来たのは15:00ぐらいだっただろうか。覚えているのは、私はトイレに行っていて、トイレの中から外のスタッフ達の拍手や歓声がわっと上がったのを聞いて、「お、アブさん来たな、早く戻んなきゃ」と思った事だ。私は大体において間が悪い。
挨拶を軽く済ませると、Abdullahがピアノに向かう。リハーサルというほど綿密に弾く訳ではないのだが、本日のピアノに対して「首尾はどうだい?」と伺うような塩梅でポロポロと弾いていく。
「本番は一切撮影禁止だからこのリハーサル風景ぐらい写真に撮っておくかなー」と思って携帯電話のカメラを出して、数枚Abdullahがピアノを弾く写真を撮ってはみたが、そこから身体と脳が一時的に動かなくなった。気がついたら私は落涙していた。最初は、「あれ、やべえぞ?リハーサルなんだからここで泣いてたらマズイマズイ」と思ったのだが、そこからはなかなか止まらなかった。
その前日にほぼ丸一日Abdullahと過ごしていてそれなりに感動していた訳だが、一発目の深い感動は、やはり彼がピアノをポロンと弾き始めたその瞬間にやって来た。
そこには、パッと聴いてすぐにわかる「Abdullahの音色」があった。
「自分の音色」を持っているミュージシャンは間違いなくスゴイ。これは私の価値観の一つだ。
実はこれはかなり困難な話で、超一流のミュージシャンでも自分の音色を持っていない人は少なくない。というよりもほとんどいない。
レコードを数秒だけ聴いて「ああ、これは誰それの録音ね」とわかる人と言えば、Louis ArmstrongとMiles DavisとThelonious MonkとBud Powellと、あと誰かな、とにかく少ないのである。
Abdullahはかなり独特な「自分の音色」を持っている。それは特にこの20年、いや、もっと言えばここ10年の間に獲得したもののように私には思える。それ以前、つまり60歳よりも前のAbdullahの録音を聴いた時に、ものすごく個性的な「Abdullahの音楽」というものは既にはっきりと確立されているが、音色は今ほど独特ではなかったように思う。ここ10年のAbdullahの音色は極めて独特だ。
そして私はその独特な音色を、「ピアノという楽器の出しうる最も美しい音色」だと思っている。音楽というものの辿り着く美しさの一つの境地だと思っている。
そんな音色が、目の前にあったのだ。
軽くピアノの機嫌を伺うように弾いても、それははっきりとわかるAbdullahの音色だった。私が理想として追いかけ続けている音がそこにあった。それでついつい「やべえやべえ」と落涙してしまった。
だってさ、ダイレクトに心の奥底に響いてくる音なんだもん。反則だぜ、アブさん、とそんな事を思った。
リハーサル、とは呼べないかもしれないが、数分のピアノの試奏を終えて、「パーフェクトだ」と言い残してAbdullahは楽屋へと戻った。私たちも各々の仕事へと戻った。あと数時間で久しぶりにAbdullahの演奏がまた聴けるのだと思うと心が躍った。
【コンサート初日と二日目について】
日が沈んで、会場である上賀茂神社が静寂と暗闇に包み始められた頃あたりから、三々五々に観客が来場し、コンサートの開演を待った。
私は場外で「会場はこちらですよ」と案内する係をやっていた。
18:00の開演時間になると、会場に入ってその一番隅に座ってAbdullahの登場を待った。
少し時間は押したが、Abdullahはゆっくりと登場した。
そしておもむろにピアノに座って、彼の音楽世界が繰り広げられた。
Abdullahの演奏スタイルは少々独特で、曲間を空けない。メドレー形式で複数の曲が繋げられ、約一時間に渡ってノンストップの演奏が繋げられる。それを二回。これはここまでに見たAbdullahの演奏すべてがこの形式に則っていた。今回ももちろんそうである。
Abdullahの演奏を聴いて常々思うのは、半ば強制的に自己と向き合うことを強いられる、ということだ。目の前で行われる音楽という行為、それをただ黙って鑑賞するだけではなく、自らの心の中の一番深い部分に潜っていかなくてはならない、という事がたびたび起きる。それは音楽という行為を目の前にした時にはなかなか起こりえない事だ。そういう意味でもAbdullahの音楽は特殊だ。
演奏は文句なしに素晴らしかった。それはどのような賞賛の言辞を用いても筆舌に尽くしがたいほどに。本当に美しい音楽がそこにあった。
もう、何を言うのも陳腐になる。とてつもなく深い「間」と、そして美しい音色。紡がれる即興演奏と、珠玉の名曲たち。夢のような時間だ。
それは二日目もそうだった。
二日間、演奏を聴いた人間として見当はずれを覚悟の上で感想を言えば、初日の一部は、まだ「探っている」感じもあるように思えた。上賀茂神社という空間の中で何が最適な音なのかを探りながら弾いているようにも。
それが初日の二部になると、どんどんとメロディが出てくる。Abdullahのインスピレーションが何物にも邪魔される事なく研ぎ澄まされ、音楽は確実に積み重ねられ、そして高みに昇っていく、そんな印象だった。
二日目は第一部からその感覚があった。確信に満ちた音と静寂のコントラストが、我々を異世界へといざなった。そして二日目の第二部は、その二日間の演奏を総括するような、そんな風に聴こえた。
実際にAbdullahが二日目の終演後にスタッフに「いつも演奏していると辿り着きたい所がある。でもその 高みにはなかなか辿り着けないんだ。でも昨日のコンサートのラスト10分でお客さん全員と辿り着けたよ。」と言っているのをまた聞きした。
素晴らしい。とんでもなく素晴らしい。
最高の演奏だった。
【最後に】
最後に少しまとめて。
Abdullah Ibrahimという稀代の音楽家と接して、そして彼の音楽に久しぶりにじかに触れて、私が思ったことを。
一言で言えば、私は音楽をなめていたな、という感想を持った。
私も生活のほぼ全てがもはや音楽であるし、それは私にとって特別なものである事には間違いない。
しかし、私が考えていた「音楽というものが抵触する領域」は実際よりも狭く、実は音楽はもっともっと広い所まで抵触し、影響を及ぼすのだ、という事を思った。
「音楽による感動や心の揺れ動き」が確かにある事を私は認めている。しかし、そういった心の揺れ動きは、例えば人の生き死に、赤ん坊が生まれるとか好きな人が亡くなるとか、そういった事による感動や落胆ほどには心を動かさないのではないか、と思っていた。
そうではなかった。私は音楽の力をなめていた。
Abdullahの音楽により動かされた心は、まさに人の生き死にに匹敵する感動だった。音楽はここまで深く人の心を動かし、震わせる事が出来るのか、と、その可能性、また底力に驚嘆した。音楽って本当にすげえ、と思った。
二日目の演奏の後に打ち上げに行った。そこでもAbdullahと話す機会に恵まれた。
彼が私に伝えてくれた言葉の数々は、ここから数十年かけて取り組むべき課題を明確にしてくれた。
東京から京都へ向かう新幹線を待っている時にも色々と教えていただいたが、その時には私の英語力不足でおっしゃっている事の半分ぐらいしかわからなかったが、京都に着いてからは音楽人類学者の矢野原佑史氏が通訳を務めてくれていたので随分と言葉を理解するのは楽になった。
「新しいことを演奏する必要はない。常にお前自身を演奏しなさい」
今回Abdullahからかけられた言葉の中でも特に印象深かった言葉である。
その後に、「新しいもの」とはどういう経緯で生まれてくるのかも教えて頂いたが、それはここには書かない。というか書けない。
Abdullah Ibrahimという音楽家に出会えたことを、私は誇りに思いたい。
最後になるが、今回までのスタッフへの謝辞を。
先にちらっと書いたが、今回でこの「Lush Life」主催のコンサートは最後になる。事情は色々あるのだけれど、やはりそれに関しては正直に言えば寂しい。
しかし、ここまでの事に関して。Randy WestonやAbdullah Ibrahimを招いた計八回のコンサート。すごい事をやってくれた。そんなに簡単に出来る事じゃない。その仲間に入れてもらった事は、私の人生の中でも何よりも大切な財産である。
今回の最終日のコンサートの時に、私は我々スタッフのボスである哲也氏と横に並んでAbdullahの演奏を聴いていた。哲也氏は曲に合わせてハミングの鼻歌を歌っていて、そしてその横で私は感動のあまりに嗚咽していた。静寂のコンサートの場で、この二名がうるさかったらしく、後で軽く注意をされたが、私に関してはまあ反省するとして(仕方ねえじゃん)。
哲也氏に関しては、「もう良いじゃん」という気持ちで横にいた。この人が「呼びたい!」と思った所からこのコンサートが始まったんだ。そこから色んな人が彼を助けて、それがこんなにも唯一無二の素晴らしいコンサートになってさ。今回で最後なんだ。だから鼻歌まじりに気持ちよく聴いていて、何も問題はない、と私はそう思っていた。
まあ全体的に私は何もしていないので、本当に周囲の仲間の方々に感謝。
Abdullah Ibrahimに会えた。そして素晴らしいコンサートの渦中にいる事ができた。
私は明日からもまたピアニストとして生きていく。
現在発売中の「CDジャーナル」という雑誌に、私のソロピアノアルバム『Self Expression』のレビューを掲載して頂いたそうです。
もし良かったら見てやって下さい。
ちなみに私はまだ見てません。酷評されてたらどうしようと若干ビビっております。
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詳細は以下。
まずは
africanpiano@gmail.com
までメールを下さい。365日24時間予約受付致しております。
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・お名前
・CDを送ってほしいご住所
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福島へのメッセージなどを書いて頂いても結構ですが、なくてももちろん大丈夫です。上記三項目は必須でお願い致します。
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発送致しますCDの中に料金の振込先を書いた紙を入れておきますので、そちらに後日(いつでも良いです)2000円をお振込み下さい。
CDだけを受け取って料金を永遠に振り込まないという形も可能ですが、それは私が大変に悲しくなりますのでやめて下さい。
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自分で言うのはものすごくアレですが、良い作品に仕上がったと思います。
多くの人にお聴き頂ければ幸いです。
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ここ数日で会った何人かに「最近ブログ書いてないね」と言われた。
書いているのだ。
ただ、長過ぎてなかなか書き上がらないだけ。
なので数日後にやったらめったら長いブログ記事がアップされますので覚悟しときなさい。
普段は圧倒的にうどんよりも蕎麦派だ。好みのうどんを食べさせてくれる店がなかなか近くにない代わりに、蕎麦なら結構美味い店が手頃な所にあるからだと思う。
我が家の近所にある「米むら」という蕎麦屋には、おそらく週に2~3回は行っていて、いつも飽きずにたぬきそば、まれに鴨せいろを頼む。七味唐辛子を入れすぎて食べている最中に汗だるま親方(a.k.a.島本慶)になってしまうのはご愛敬。常にタオルは欠かせません。
それがここ数日は関西にいたので、狂ったようにうどん。うどんに次ぐうどん。nothing but the うどん。あまりにうどんにまみれていたので、NHKアナウンサーの有働由美子さんの事が少々好きになってしまったはおそらく無関係ではあるまい。
香川県に所縁のある方には大変申し訳ないのだが、私は「うどんにコシなどいらん」という思想信条を持っている。細いうどんが伸びたみたいにくたくたになっているのが好きなのだ。ツルツルでシコシコのうどんは、全くもって不味いとは思わないが、宗教上の理由で食す事が出来ない。難儀なのだ。
関西、中でも京都のうどんは最高だ。特に私のお気に入りは北大路橋東詰にある「みなもと」といううどん屋。ここには今回の行程で半分ぐらい一緒にいたベーシストの鶴賀と2日連続で行ってしまったが、
「(福)昼メシどうしよっか」
「(鶴)どこ行きましょうかねえ」
「(福)昨日と同じで悪いんだが、オレはみなもとに行きたい」
「(鶴)全く異議なしっす、行きましょう」
という事で2日連続。もうね、最高。うどん大好き。
もう一つ、私が普段は好んで食べないものの一つにパンがある。二日酔いで口の中がカラカラになっていて、昨夜の酒の席での自分の失言などを思い出して若干死にたくなっている所にパンなどを食べてしまったら、口の中の水分を全てパンに吸われてしまってしんどくなるからだ。
そもそも私はあまりパンが好きではない。
しかし、新幹線に乗っている時だけは話は別だ。新幹線に乗ったらカツサンドとビール。これで決まりなのだ。カツサンドをツマミに呑むビールの美味さは格別だ。ついつい写真に上げてしまうほど。カツサンド、カツサンド、魅惑のカツサンド、と頭の中で幾度と反芻していても故小林カツ代さんの事を女性として好きにならないのは、おそらくそこにはカツ以外の因果関係がないからであろう。料理人としては心から尊敬している。ただ、抱けない、というか、勃たない、というだけであって。有働由美子さんならばエッフェル塔だ。
アホなことを言わないと、ついついマジメな事ばかり言ってしまいそうなぐらいに衝撃的な体験の多かった今回の関西行程。
ゆっくりと総括します。
まだ関西にいます。本日は枚方の「メイズダイニング」にて。
ボーカル市川芳枝さん、ブルースハープ羽田“ネコ八”純さん、ベース光岡尚紀くんと。19:30から。ミュージックチャージは2500円です。
先ほど、Abdullah Ibrahimさんが空港に向かうのをホテル前からお見送りしてきまして、とりあえず今回のアブさんシリーズは一通りおしまい。
宝物のような、何物にも代えがたい数日間の体験でした。
ラッシュライフファミリーに、そしてAbdullah Ibrahim氏に心より感謝します。
音楽ってすごいね。
短期集中連載「Abdullah Ibrahimの魅力に迫る」、第三回目は「Abdullah Ibrahimのルーツを辿る」。
Abdullahのルーツはもちろんアフリカにある。それは間違いない。
なので「Abdullah Ibrahimのルーツを辿る」と題した時には私がアフリカの大地を旅して、彼を生み、育んだその悠久の地をつぶさに紹介するのが理にかなっているのだが、何分私はアフリカを旅した事がない上に、今からアフリカを旅すると、肝心の今週末のAbdullahの上賀茂神社でのコンサートに行けなくなってしまうので、それは本末転倒だ。
「アフリカを紹介せずに何がAbdullahのルーツか!」というお叱りの声には「あーあーあー聞こえない」とアホの子のフリをしつつやり過ごして、やはり昨日と同じくレコードを紹介しようと思う。
Abdullahが、自らにその影響を認めている音楽家を紹介したいのだが、紹介する作品自体は単なる私のお気に入りであるのでAbdullahから言わせれば「いや、もっと良い作品がある」という事になるのかも知れないが、そこも気にしない。 色々気にし過ぎていたら何も書けないんだって。
【This One's for Blanton : Duke Ellington & Ray Brown 1973年】
まずはこれから。ピアニストにして作曲家、そしてバンドリーダーとしても有名なDuke Ellingtonの作品。実はAbdullahを世間に紹介したのはこのEllingtonだという経緯もある。『Duke Ellington presents The Dollar Brand Trio』という作品が1964年に発表されたが、それである。
Duke Ellingtonがかなり個性的でアヴァンギャルドなピアニストであるという事を知らないジャズファンが意外なほど多いのに驚く。が、それはあまりにも彼のビッグバンド、Duke Ellington Orchestraが著名すぎるからかも知れない。ビッグバンドを率いた彼のコンダクターやコンポーザーとしての手腕はもちろんとんでもなく素晴らしいが、やはり私は「ピアニスト・Duke Ellington」がたまらなく好きだ。
ベースの名手、Ray Brownとのデュエットアルバムである本作は、そのピアニスト・Ellingtonの魅力が存分に詰まった一枚である。
【Thelonious Himself : Thelonious Monk 1957年】
続いてはこれ。Thelonious Monkのソロピアノ・アルバム。実は私が本格的にジャズに興味を持ち始めたきっかけとなった一枚でもある。
Abdullahがどのピアニストからの影響が最も色濃いのかという事を考えた時に、本人はどう言うのかはわからないが、やはり一番はMonkではないだろうか、というのが私の見解だ。
Abdullahの素晴らしさの一つに、残響音の美しさと、間の取り方の巧みさ、また独自さが挙げられる。
かつて私の受講したミュージックワークショップの際に、その中心であった名ギタリスト廣木光一氏が「休符を休みと捉えるのは音楽的な犯罪である。休符と音符は等価値である」と仰ったのを聞いて、なるほどなるほどと目から鱗が落ちたが、Monkの休符は、音符と同じかあるいは時によってはそれ以上に我々聴き手をぐいぐいと音楽世界に引き込んでゆく。
言うまでもなく、超個性的なMonkの音楽世界であるが、Abdullahがその音楽をスタイルとしてだけではなく本質的な部分から理解し、敬意をもって演奏した名演に1982年のアルバム『African Dawn』における「'Round About Midnight(Thelonious Monk作曲)」がある。この演奏は、決してMonkの模倣にとどまらない、まさにAbdullahならではのモンクスミュージックの解釈という事で私はとても好きだ。
【Handful of Keys : “Fats” Waller and His Rhythm 発表年不祥】
最後に紹介したいのはこのアルバム。Abdullahにも強い影響を与えた20世紀前半に活躍した名ピアニスト、“Fats” Wallerのアルバムである。
Wallerと同時期に活躍した超絶技巧のピアニストでArt Tatumというピアニストがいる。どちらもストライド奏法を巧みに操る名手であるが、個人的な好みとしては断然こちらのWallerである。
Abdullahがしばしば自らのルーツにブルースという音楽の影響がある事を言うが、このWallerの音楽にもたっぷりとブルースが詰まっている。
悲哀に似た感情を冗談にして笑ってしまおうというのがブルースの根っこであるとするならば、Wallerの音楽にはそういった冗談性や、またそれだけにとどまらない優しさまでもが含まれている。それはもちろんAbdullahもそうだ。
という事で第三回目の「Abdullah Ibrahimの魅力に迫る」は、彼にゆかりのある三人のピアニストを紹介してみました。
やばい!一生懸命書いてたらこんな時間だ!仕事に遅れる!
昨日のブログエントリーを第一回目として、当ブログはこれより短期集中連載「Abdullah Ibrahimの魅力に迫る」を掲載して行く。理由としては単に私が書きたいからだ。今週末に迫ったAbdullah Ibrahimの日本公演が楽しみで楽しみで仕方なさ過ぎて、激しくテンションが上がっているからだ。
という事で短期集中連載「Abdullah Ibrahimの魅力に迫る~第二回:珠玉の名盤たち」。
今回はAbdullahのこれまでに発表した録音作品の中から三枚のアルバムを紹介しながら、Abdullahの魅力に迫りたい。
【African Piano 1973年 ECMレコード】
まずは一枚目、とりあえずはこれを聴いて度肝を抜かれて頂きたいという思いで紹介するのは、1973年の作品『African Piano』である。
実際にこの作品は日本はもちろんの事、世界中の音楽シーンに衝撃を与えた作品として有名だ。
当時のジャズファンたちは、ジャズが黒人文化から生まれたものであり、黒人のルーツはアフリカにある、つまりジャズのルーツは遡ればアフリカにあるという事はぼんやりとわかってはいたのだが、では実際にアフリカンミュージックとは何なのかというと、イマイチ実体が掴めていなかった。
そのような状況下で登場したのが、南アフリカ共和国出身のピアニストDollar Brand(後にAbdullah Ibrahimに改名)であり、その名を世界中に知らしめた作品が『African Piano』だった。
私が聴いたのは1973年よりももっと後の話なのだが、初めて聴いた時、いきなり脳天をカチ割られたような衝撃を受けた。
一曲目に収録された「Bra Joe from Kilimanjaro」では、左手でひたすらに五拍子のリフ(繰り返される同一の旋律)が奏でられ、右手からは一見それとは無関係にも感じられる即興演奏が繰り広げられる。
その様相はどこかトランスミュージックのような呪術的な妖しい魅力に彩られてもおり、我々リスナーはあっという間にAbdullahの特異にして美しい音楽世界へと運び去られる。
この演奏から私が想起させられるのは、まさしく我々が生きる大地であり、地球の摂理である。右手の即興演奏は我々人間を始めとする生命体の暗喩であり、左手で奏でられる一定のリフはそういった生命体の思惑に左右されずに規則正しく自転と公転を繰り返す地球全体を思わせる。Abdullahはピアノ一台で森羅万象の理を表現している、と思ってしまうのである。
また右手の即興演奏が激しくて熱くて力強くて美しくてとにかく最高なんであるが、この辺りは実際に聴いて確認して頂きたい。
また個人的には本アルバムのB面のラストに収録された「Tintinyana」という曲が好きだ。GメジャーとCメジャーの二つのコードのみで奏でられるメロディがしばらく続いたあとに、メロディがドン!と一気に「開ける」。そのメロディの解放は一種のカタルシスのようでもある。実はこれはAbdullahお得意の手法であり、聴く度に「キター!!!!メロディ開いたー!!!!うぎゃあー!!!!カッコイイー!!!!」となるのである。
『African Piano』、素晴らしい作品なので是非聴いてほしい。
【African Marketplace 1980年 エレクトラレコード】
次に紹介したいのは、1980年の作品、『African Marketplace』である。
Abdullahはアフリカからやって来たのだ、アフリカに彼のルーツがあるのだ、という事がよくわかる作品だ。
個人的な好みから言えば、一曲目の「Whoza Mtwana」は先に紹介したAbdullahお得意の「メロディが開く手法」が使われており、一曲目から私の興奮が最高潮になる。とてもスケールの大きな佳曲だ。
また、Abdullahの最大のヒットソングの一つである「The Wedding」も本アルバムには収録されている。メロディというものはここまで美しくなれるのかという奇跡がそこにはある。私は人から結婚式での演奏を頼まれた時には必ずこの曲を弾く。弾きながらいつも「何て美しい曲なんだ!」と思う。大好きな曲だ。
そして本アルバムの中でどうしても触れておきたいのは、アルバムのタイトル曲である「African Marketplace」である。
アフリカンビートに乗せて、明るくて、極めてシンプルで、そのシンプルさゆえに美しいメロディが奏でられる。聴いていると「まさにここにアフリカンミュージックがあるっ!」という感じで自然と身体が踊り出してしまう。ちなみにダンスセンスが皆無な私が踊り出すと、はた目にはそれはどこかが痒いのに手が届かなくて悶絶しているようにしか見えずに、見ている人間はMPを吸いとられるらしい。
シンプルなメロディラインというのはAbdullahの特色の一つだ。この特色について考える時に、この「African Marketplace」と並んで「Mannenberg」というAbdullahの曲を思い出さずにはいられない。
この曲は南アフリカの人間には特別な意味を持つ曲であり、「南アフリカ共和国第二の国歌」や、「反アパルトヘイト運動の象徴」と例えられる事も多い。
Abdullahの音楽は極めて芸術性の高いものであるのにも関わらず、決して市井を離れない。常に民衆と共にある。その多義性はAbdullahの優れた点の一つなのである。
【SENZO 2008年 intuition】
最後に紹介したいのは、近年の作品の一つ、『SENZO』である。2008年の作品だ。
近年のAbdullahの音楽を知りたいのであれば、2002年にリリースされた『African Magic』、本作『SENZO』、2013年の『昔』、それから昨年末に発表された『The Song Is My Story』辺りを聴けば、今のAbdullahがおぼろげながら見えてくるが、取り分け私が『SENZO』を推薦したいのは単純な理由で、単に好きな曲が多いからというそれだけの理由である。
アルバムの中でも私が特別に好きで、自分の演奏時にも頻繁に取り上げるのは「Blues for a Hip King」である。特にこの曲は1982年に発表されたアルバム『African Dawn』に収録された同曲と聴き比べて頂くと、Abdullahの音楽的な変化がわかりやすい。
『African Dawn』に収録されたこの曲は、非常にダイナミックでドラマチックである。曲の後半で繰り広げられるトレモロ奏法によるメインテーマは、まさにアフリカの夜明けを思い起こさせ、その圧倒的なパワーの前で目と鼻から色々な液体を噴出させずにはいられない。「ああー…アブさんすごいようー…」てなもんである。
それが26年後の2008年に録音された『SENZO』での演奏となると、ダイナミックさやドラマチックさが削ぎ落とされた代わりに、一音一音を慈しむかのように弾く優しさが付与され、その音楽はより一層の進化、また深化が起こっている事がわかる。心の一番奥の部分をがっちりと掴まれて、そこを震わせられるような演奏である。
私はAbdullahの音楽は若い頃から現在に至るまで、表現されている本質的な部分は変わっていないと感じている。それは普遍的な人間の感情であり、アフリカであり、そして自然である。しかしAbdullahがキャリアを重ねるに従って、その表現の方法が変わって来ている。より深く、そしてより本質的な所を見据えた彼の表現は、今まさに頂点にある。いや、ここから更にすごくなるのかも知れないけれど。
さて、いよいよ今週末!上賀茂神社!
見に行く方で時間のある方は、上記のようなアルバムを聴いて予習してから行くのも楽しいもんですよ。
もちろん何の予習も無しにありのままで聴くのも良いかも知れないけれど。
私が本格的にピアノを弾き始めたのが大体15年ぐらい前の事。それが生業になり始めたのが10年ぐらい前。
そうやって考えてみれば無謀も良い所だ。始めて5~6年の芸事の道で食い扶持を探そうというのだから、無謀だし図々しいしデタラメだ。
なので私の職業音楽家生活は、「私はプロのピアニストです!」と力強くハッタリをカマす(もしくは嘘をつく)所から始まって、いかにその嘘を本当にしていくか、もしくはバレないようにしてやり過ごすかという、反則スレスレというかむしろ明らかに反則な手段を用いてどうにかしてきているので、音大を出たりコンクールで入賞したりと正攻法でプロになられた方々には後ろめたさこそ無いものの、申し訳なさを感じないでもない。コンクールなんか出ねえって。出たらヘタクソがバレちゃうじゃんか。音大とか受けたら間違いなく落ちるって。
嘘が真になったのかどうかは私にはわからないし、正直に言ってどちらでも構わない事であるけれども、嘘とハッタリから始まった私の職業音楽家生活はまだ今も続いている。多分ヘタクソなのは最初から今までずっとバレ続けている自信もある。
先月には初のソロピアノアルバムを出版した。
先月に発売開始した私の初のソロピアノアルバム『Self Expression』であるが、ありがたい事に聴いて頂いた方からちらほらと感想などを頂いている。
「この曲が好き」だとか「この曲からはこんな風景が見えた」などのご感想の他に、非常に多く頂いたご感想が「何か意外」という感じのものだった。
意外、と言われる意味は何となくわかる。
いかんせん技術に乏しいピアニストであるので、「足りない技術は気合いと気迫でカバー」というスタンスでやってきた。どちらかと言えば、無遠慮に、激しくピアノを弾いてきた。私がピアノを弾き始めた頃から見て下さっていた方にはその印象が強いのかも知れない。
それが、あるタイミングから徐々に変化が出てきた。
Abdullah Ibrahimというピアニストとの出会いである。
改名前のDollar Brandの名前でも日本で良く知られた彼の存在はもちろん知っていたし、そのレコードを気に入ってずっと聴いてきた。
10年ほど前から彼の来日公演の手伝いをさせて頂く機会に恵まれ、それまで以上にAbdullahの存在が身近になり、私は彼の音楽に没頭する事になったが、それが私にとっては非常に大きな契機となった。
音楽に対する根本的な敬意と畏怖が、遥かに強くなった。そして私は音楽というものを根っこから信じるようになった。
音楽とはここまで深遠な領域にいけるのだ、音楽とはここまで美しくなれるのだ。
Abdullahの音楽が私に伝えたのは、とんでもないレベルでの「音楽の可能性」である。
それを知ってしまったら自らも変化せざるをえなかった。音楽のたまらない美しさとその可能性を知ってしまったら、同じ黒白の88つの前にいる人間として「少しでもあの美しさに近付きたい」と願うことは、避けがたい欲求だった。
先月に出版した私のソロピアノのアルバムには、そのAbdullahからの影響は無視出来ない。それを聴いて少しでも「意外に美しい」と思って下さった方には、「Abdullahが私に美しく音楽を奏でたいという欲求を植え付けてしまったのだ」と釈明したい。
そんなAbdullah Ibrahimが、間もなく日本にやって来る。
10月10日と11日の二日間、京都の上賀茂神社での演奏を行う。
チケットは既に完売してしまっているのだが、幸運にも今回Abdullahを生で見る事の出来る方は、是非とも音楽というものの持つ無限の可能性を体感して頂きたい。
あー、アブさん来るぜ!
すっげー楽しみだ!
昨日は仕事が終わってから一人でとぼとぼと上野の国立博物館へ。
アニメーション映画『銀河鉄道の夜』が野外で上映されると言うので。
見終わってどうだったのかと言えば、それは文句なしに素晴らしかった。それはわかっていた。私はかれこれこの映画を20~30回ほどは見ていて、それほどにお気に入りで私にとって特別な映画であるから、それを野外で観て悪い筈が無いのである。
普段ならばこういう場面であれば缶ビールの何本かも買い込んで一人宴会の様相で観るものだが、昨日はそれもしていない。ペットボトルのウーロン茶を一本だけ買って、シラフで観た。シラフで観たかったのだ。
昨日の当ブログの記事にも書いたが、19:00に上映開始であるのにも関わらず私は17:00には国立博物館に到着しており、座席を確保したのは良いものの一人なのでそこから離れる事も出来ずに、ひたすらに二時間を座って過ごした。携帯でスクリーンの写真を撮ったりなどもしていたが、それにはすぐに飽きてしまって、やはりぼんやりと過ごした。
こういう時間の過ごし方は私の最も好きな時間の過ごし方である。特別にする事もなく、ひたすらに「待つ」というのは、私にとっては実に至福のひと時なのである。余談だが、大学時の私の卒業論文は「待つという行為について考える」というものと「現実の不確かさについて考える」というものであった。「待つ」という行為は実に面白い。
待っている間、作品『銀河鉄道の夜』について考えた。それから宮澤賢治について。
宮澤賢治という作家は、おそらく私が最も多大な影響を受けた作家だ。どんな作家かと言えば、私の個人的な印象としては「純然たるキチガイ。ゆえに天才。そして唯一無二」というものである。
賢治の世界観にはついていけない時が多々ある。この『銀河鉄道の夜』という作品に関してもそういう所はある。賢治の「石オタク・星オタク・宇宙オタク」みたいな部分が一切の遠慮無しに作品に注入されてしまい、何を言っているのだかわからない場面も少なくない。
でもそれで構わない。賢治の世界観はそれで良いのだ。石や星や宇宙について我々が専門的な知識を持たなくても良い。それはそういうものとして受け止める以外にない。
20年以上昔、中学生だった時に宮澤賢治の詩集『春と修羅』を初めて読んだ時の衝撃は忘れない。
~わたくしという現象は仮定された有機交流電灯の一つの青い照明です~
キャー!ナニコレ!意味がわからない!そしてとんでもなく美しい!タケシ少年はイチコロだった。今読んでも意味がよくわからない。有機交流電灯が何なのかよくわからないし、この詩にはあとで「因果交流電灯」も出てくるし、そもそもこれは詩ではなくて「心象スケッチ」なのだ、と。賢治の世界観はぶっ飛んでいる。理解しなくて良いのだ。あるがままに感じるしかない。
昨日も映画を観ながら「いやあ、良いね!相変わらず賢治の世界観はぶっ飛んでいるし、別役実の書いた淡々としながらも重苦しい脚本は観客を暗い宇宙へトリップさせるには充分だ!細野晴臣の音楽も素晴らしい!この作中のメインテーマになっている曲はひょっとすると細野晴臣の最高傑作なんじゃないか?ますむらひろしのキャラクターデザインも良いよね!この猫の擬人化っていうのはこの作品の一つの重要ポイントだよな!しかし最高な映画だ!素晴らしすぎる!うむうむ!」と一人でニヤニヤしていたのだが、後ろにいた若い女二人組が「何かさー、猫はカワイイんだけどさー、さっぱり意味がわかんなくない?これ面白いの?」なんて言っているのが聞こえてきたものだから、オジサンは振り返って小言の一つも言ってやりたくなりましたよ。
「あのねえ、意味がわかるものだけを良しとする態度はいかがなものかねえ。よく意味がわからないから何べん観ても面白いんだよ!あのリンゴは何を象徴しているのか、とか、何故作中の登場人物は猫ばかりなのに、後半に人間が三人だけ出てくるのかとか、この作品の中で描かれる死の意味は、とかそういう事を考えながら観ていたらめちゃんこ面白いの!この作品は!もうお前らは上野公園にいるホームレスに(以下略)」などとね。もちろん言いませんけどね。
いやほんと、確かに難解な映画ではあるのだ。全体的な空気もずっと重苦しいし。しかし、だからこそ面白い。観る度に発見がある。そして生と死について考えさせられる。哀しくて切なくて、そしてたまらなく美しい。
本日10月3日も上野の国立博物館で野外上映をやっているらしいので、観た事がない方には激しくオススメ。
ああ、全部仕事をほったらかして岩手に行きたくなってきたなあ。北上川と早池峰山を見ながら賢治の世界に浸るんですよ。あめゆじゅとてちてけんじゃ。
最後に大好きな賢治の詩を一つ紹介。これも最高だ。
眼にて云ふ 宮沢賢治
だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。
という訳で夕方まで仕事をしてから今日は一人で上野の国立博物館へ。
添付写真のような巨大スクリーンが屋外に設置されて、これよりアニメーション映画の名作「銀河鉄道の夜」が上映される。
19:00からの上映だというのに着いたのは17:00ぐらいで、近くかつ見やすいベストな席をキープ出来たのは良いものの、上映までの二時間強、話し相手もおらずになかなかに暇である。
しかし考えてみればこんなにぼんやりとした緩やかな時間というのも随分と久しぶりで、そうやって考えれば、この待ち時間の二時間も含めての映画鑑賞だと思えば充分に贅沢である。
このアニメーション映画「銀河鉄道の夜」は、調べてみたら今から30年前、1985年の作品で、一つ前のブログの記事にも書いたが、杉井ギサブロー監督、ますむらひろし作画、細野晴臣音楽という何とも贅沢なスタッフ陣であるが、三年前の2012年にも同じく杉井ギサブロー監督、ますむらひろし作画で、やはり宮澤賢治原作の「グスコーブドリの伝記」がアニメーション映画として発表された。
もちろん私も映画館まで観に行ったが、これに関しては少々首を傾げた。あまりピンと来なかった。一言で言ってしまうと、説教臭くてちょっと鬱陶しかったのだ。
また、昨今のスタジオジブリのアニメーション作品などにも言える事であるが、発達したCG(コンピューターグラフィック)技術の映像をこれでもかという具合に見せられると少々うんざりする。
もう一つ、昨今のアニメーション作品に対する個人的な感想としては、アニメーションを主戦場とする声優ではなく、役者達がアフレコをするのにも私は違和感を感じている。あまり好きではない。最近のジブリ作品の「風立ちぬ」の主人公の堀越二郎役を庵野秀明がやったのは文句なしに素晴らしかったが。違和感は最初の10分だけで、途中からは「この主人公はこの棒読みの感じじゃなきゃダメだ!」というぐらいにハマってきた。私は良かったと思う。庵野秀明のあの棒読みは。
そうやって考えるとこの杉井ギサブローの「銀河鉄道の夜」は最高なんだよなあ。全てが実に腑に落ちる。
プラネタリウム限定でKAGAYAという若い映像作家が「銀河鉄道の夜」をアニメーション作品にしたが、これは逆にCG全開な感じが素晴らしかった。プラネタリウムに五回は観に行った。
さて、ぼちぼち始まる。
すっげー楽しみ。
死後の世界、というものに昔から並々ならぬ興味を持ってはいるけれど、いかんせん一度も死んだ事がないので、ぜんたいどうなるのだか見当もつかない。
現状で予想している所では、身体的な全ての機能が停止するので完全な沈黙と完全な無がやってくるのかなと想像してはいるが、確信はない。死んだ事がないので。
なので霊魂の存在もまるっきり否定する気はないし、極楽浄土や天国(或いは地獄)の存在も、輪廻転生のロジックも否定する根拠はない。何せ死んだ事がないので。
出来る限りの力を尽くして人から疎まれつつも長生きがしたい、願わくば近所で有名な「イヤなジジイ」になりたいという野望と現世への未練を十二分に持った上で、不謹慎を承知で言えばそれでも死後の世界はどんなものなんだろうと正直ちょっと楽しみですらある。
死んだらどうなるのだろう。
どこに行くのだろう。
こういう事をはっきりと意識し始めたのは多分小学校一年生ぐらいの時からだ。藤城清治という影絵作家の絵本で、宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」をその時に読んでから、ずーっと死後の世界に興味を持っている。子供心に、あれは生と死の「こちら側とあちら側の物語」だというのはすぐにわかった。あちら側はどんな世界なんだろう。そんな感じでずっと興味を持っている。
その後に、アニメーション映画で同作品「銀河鉄道の夜」を見た事で、私は決定的に宮澤賢治のファンになってしまった。ますむらひろしが原作を書いて、杉井キザブローが監督をして、細野晴臣が音楽を作って、最後に常田富士男が詩集「春と修羅」の序文を朗読するやつ。わたくしという現象は仮定された有機交流電灯の一つの青い照明です。猫の主人公が銀河鉄道で死後の世界を旅する抒情詩。すっげー良いんですよ、この映画が。多分一番好きなアニメーション映画。
今日はその映画が上野の野外で上映されるらしいので、仕事が終わったら一人で観に行こうかなと。
雨天中止らしいので、ものすごく雨と嵐の好きな私ではあるけれど、今日ばかりは降らないでほしいなと。
死んだらどうなるのだろう。どこに行くのだろう。
いつも「銀河鉄道の夜」を読む(見る)たびにそんな事を思う。
やばい、楽しみだ。
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