短期集中連載「Abdullah Ibrahimの魅力に迫る~第二回:珠玉の名盤たち」
昨日のブログエントリーを第一回目として、当ブログはこれより短期集中連載「Abdullah Ibrahimの魅力に迫る」を掲載して行く。理由としては単に私が書きたいからだ。今週末に迫ったAbdullah Ibrahimの日本公演が楽しみで楽しみで仕方なさ過ぎて、激しくテンションが上がっているからだ。
という事で短期集中連載「Abdullah Ibrahimの魅力に迫る~第二回:珠玉の名盤たち」。
今回はAbdullahのこれまでに発表した録音作品の中から三枚のアルバムを紹介しながら、Abdullahの魅力に迫りたい。
【African Piano 1973年 ECMレコード】
まずは一枚目、とりあえずはこれを聴いて度肝を抜かれて頂きたいという思いで紹介するのは、1973年の作品『African Piano』である。
実際にこの作品は日本はもちろんの事、世界中の音楽シーンに衝撃を与えた作品として有名だ。
当時のジャズファンたちは、ジャズが黒人文化から生まれたものであり、黒人のルーツはアフリカにある、つまりジャズのルーツは遡ればアフリカにあるという事はぼんやりとわかってはいたのだが、では実際にアフリカンミュージックとは何なのかというと、イマイチ実体が掴めていなかった。
そのような状況下で登場したのが、南アフリカ共和国出身のピアニストDollar Brand(後にAbdullah Ibrahimに改名)であり、その名を世界中に知らしめた作品が『African Piano』だった。
私が聴いたのは1973年よりももっと後の話なのだが、初めて聴いた時、いきなり脳天をカチ割られたような衝撃を受けた。
一曲目に収録された「Bra Joe from Kilimanjaro」では、左手でひたすらに五拍子のリフ(繰り返される同一の旋律)が奏でられ、右手からは一見それとは無関係にも感じられる即興演奏が繰り広げられる。
その様相はどこかトランスミュージックのような呪術的な妖しい魅力に彩られてもおり、我々リスナーはあっという間にAbdullahの特異にして美しい音楽世界へと運び去られる。
この演奏から私が想起させられるのは、まさしく我々が生きる大地であり、地球の摂理である。右手の即興演奏は我々人間を始めとする生命体の暗喩であり、左手で奏でられる一定のリフはそういった生命体の思惑に左右されずに規則正しく自転と公転を繰り返す地球全体を思わせる。Abdullahはピアノ一台で森羅万象の理を表現している、と思ってしまうのである。
また右手の即興演奏が激しくて熱くて力強くて美しくてとにかく最高なんであるが、この辺りは実際に聴いて確認して頂きたい。
また個人的には本アルバムのB面のラストに収録された「Tintinyana」という曲が好きだ。GメジャーとCメジャーの二つのコードのみで奏でられるメロディがしばらく続いたあとに、メロディがドン!と一気に「開ける」。そのメロディの解放は一種のカタルシスのようでもある。実はこれはAbdullahお得意の手法であり、聴く度に「キター!!!!メロディ開いたー!!!!うぎゃあー!!!!カッコイイー!!!!」となるのである。
『African Piano』、素晴らしい作品なので是非聴いてほしい。
【African Marketplace 1980年 エレクトラレコード】
次に紹介したいのは、1980年の作品、『African Marketplace』である。
Abdullahはアフリカからやって来たのだ、アフリカに彼のルーツがあるのだ、という事がよくわかる作品だ。
個人的な好みから言えば、一曲目の「Whoza Mtwana」は先に紹介したAbdullahお得意の「メロディが開く手法」が使われており、一曲目から私の興奮が最高潮になる。とてもスケールの大きな佳曲だ。
また、Abdullahの最大のヒットソングの一つである「The Wedding」も本アルバムには収録されている。メロディというものはここまで美しくなれるのかという奇跡がそこにはある。私は人から結婚式での演奏を頼まれた時には必ずこの曲を弾く。弾きながらいつも「何て美しい曲なんだ!」と思う。大好きな曲だ。
そして本アルバムの中でどうしても触れておきたいのは、アルバムのタイトル曲である「African Marketplace」である。
アフリカンビートに乗せて、明るくて、極めてシンプルで、そのシンプルさゆえに美しいメロディが奏でられる。聴いていると「まさにここにアフリカンミュージックがあるっ!」という感じで自然と身体が踊り出してしまう。ちなみにダンスセンスが皆無な私が踊り出すと、はた目にはそれはどこかが痒いのに手が届かなくて悶絶しているようにしか見えずに、見ている人間はMPを吸いとられるらしい。
シンプルなメロディラインというのはAbdullahの特色の一つだ。この特色について考える時に、この「African Marketplace」と並んで「Mannenberg」というAbdullahの曲を思い出さずにはいられない。
この曲は南アフリカの人間には特別な意味を持つ曲であり、「南アフリカ共和国第二の国歌」や、「反アパルトヘイト運動の象徴」と例えられる事も多い。
Abdullahの音楽は極めて芸術性の高いものであるのにも関わらず、決して市井を離れない。常に民衆と共にある。その多義性はAbdullahの優れた点の一つなのである。
【SENZO 2008年 intuition】
最後に紹介したいのは、近年の作品の一つ、『SENZO』である。2008年の作品だ。
近年のAbdullahの音楽を知りたいのであれば、2002年にリリースされた『African Magic』、本作『SENZO』、2013年の『昔』、それから昨年末に発表された『The Song Is My Story』辺りを聴けば、今のAbdullahがおぼろげながら見えてくるが、取り分け私が『SENZO』を推薦したいのは単純な理由で、単に好きな曲が多いからというそれだけの理由である。
アルバムの中でも私が特別に好きで、自分の演奏時にも頻繁に取り上げるのは「Blues for a Hip King」である。特にこの曲は1982年に発表されたアルバム『African Dawn』に収録された同曲と聴き比べて頂くと、Abdullahの音楽的な変化がわかりやすい。
『African Dawn』に収録されたこの曲は、非常にダイナミックでドラマチックである。曲の後半で繰り広げられるトレモロ奏法によるメインテーマは、まさにアフリカの夜明けを思い起こさせ、その圧倒的なパワーの前で目と鼻から色々な液体を噴出させずにはいられない。「ああー…アブさんすごいようー…」てなもんである。
それが26年後の2008年に録音された『SENZO』での演奏となると、ダイナミックさやドラマチックさが削ぎ落とされた代わりに、一音一音を慈しむかのように弾く優しさが付与され、その音楽はより一層の進化、また深化が起こっている事がわかる。心の一番奥の部分をがっちりと掴まれて、そこを震わせられるような演奏である。
私はAbdullahの音楽は若い頃から現在に至るまで、表現されている本質的な部分は変わっていないと感じている。それは普遍的な人間の感情であり、アフリカであり、そして自然である。しかしAbdullahがキャリアを重ねるに従って、その表現の方法が変わって来ている。より深く、そしてより本質的な所を見据えた彼の表現は、今まさに頂点にある。いや、ここから更にすごくなるのかも知れないけれど。
さて、いよいよ今週末!上賀茂神社!
見に行く方で時間のある方は、上記のようなアルバムを聴いて予習してから行くのも楽しいもんですよ。
もちろん何の予習も無しにありのままで聴くのも良いかも知れないけれど。
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コメント
African Pianoは1969年にデンマークのSPECTATOR RECORDSから発売,次ぎにドイツのJAPO Records,その次にECMとレーベルが移りました.
http://www.spectator-records.dk/dollarbrand/dollarbrand.html
投稿: 中村 | 2015年10月 5日 (月) 19時58分
中村さんへ
補足と訂正ありがとうございます。やばい、全般的にレコードレーベルに興味が薄いのがバレる(笑)
投稿: ふくしまたけし | 2015年10月 5日 (月) 21時38分