「月曜日の朝」について
昨夜は小岩のライブシアター「オルフェウス」でアコースティックジャム。
参加者の方々の素晴らしいパフォーマンスに感謝。次回は11月4日(水)。
昨日の事を少し。
昨日の一曲目に、ホストで一曲という事で、村松ショータローさんと二人で彼のオリジナル曲、「月曜日の朝」を演奏した。
どんな歌かは、YouTubeで「歌正 月曜日の朝」と入れて検索すれば見られるはずなので見てほしい。そして是非ショータローさんのライブに足を運んで生で聴いてほしい。本当に生で見てほしい。生とYouTubeは全く違うから。当たり前過ぎる話なのだけれど。
ここまで言うのだから私はこの「月曜日の朝」という歌を好きで気に入っているのだと思われるだろうが、もちろん好きで気に入っているが、「良い歌だなー、好きだなー」というレベルよりはもう数段高い所で、この歌に対する愛着がある。
さだまさしの歌の中に「風に立つライオン」という曲があって、このブログでも度々紹介するが、日本を離れアフリカの内戦地で医療にあたった柴田紘一郎氏をモデルに書かれた歌で、私はこの歌を聴く度に強く心を震わせられる。「生きる」という根本的な所をもう一度見つめ直しながら、「よし、生きよう」と再び力強く思う。「風に立つライオン」を聴くという行為は、すなわちそのような意味を持つ。私にとっては。
村松ショータローさんの「月曜日の朝」を初めて聴いた時には、それに似たような衝撃が私にやってきた。さて、お前さんはどうやって「生きる」?そんな事を問われているような気がした。
以来、この「月曜日の朝」は、私にとっては単なる好きな歌よりももう一段高い、自分にとって特別な意味を持つ歌になっている。
東日本大震災をテーマに描かれた歌である。
子供たちに笑顔を。
おばあちゃんにも笑顔を。
歌の中にそんな歌詞があるが、聴く度にいつも涙をこらえるのに大変だ。
昨日もそう。ショータローさんはこの歌をあまり感情的にならずに淡々と歌う。それが余計に心に沁みる。とても力強くて、とても美しい。
音楽というのは上手くなくてはいけない。芸事である以上、それが絶対だ。
上手くなくても心を打つ音楽があることは認めるが、それはきっと音楽でなくても良い。感動するのは音楽的な要素以外の所にあるに違いない。
ショータローさんの歌はもちろん上手いのだけれど、力強くて、美しい。
私は音楽とは上手いのは当然として、力強くて美しいのが良いと思っている。
彼の歌う「月曜日の朝」は本当に素晴らしい。
願わくば、多くの人にこの歌を聴いて頂いて、歌の中にある「隣に困っている人がいたら手を差しのべるって事は当たり前の事なんだぜ」という価値観を共有してもらえればと思う。
本日は池袋「ばがぼんど」で甲斐久仁江さんとのデュエット。19:30~23:00までの4ステージ。ノーチャージ。
今日も力強く美しく、音楽がやりたい。
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