正月は歴史熱が高まる1
漫画にて幕末の歴史漫画を読み、元からその辺りの歴史には大変に興味を持っていたのだが、その辺の熱が再燃してインターネットであれこれと調べたりしてしまう。
今回調べていたのは二つのキーワード。「長州藩」と「土佐勤王党」。
長州藩について。
長州藩というのは今で言う山口県の、江戸時代から明治時代途中までの呼び名である。
特に「禁門の変(蛤御門の変)」以前の長州藩の動向について興味を持ってあれこれと調べてみた。
当時の日本の状況を大雑把に説明すると、まさに歴史の過渡期である。
300年弱も続いた江戸幕府の世の中、そして鎖国の世の中が、外国からの黒船来航により根幹から揺るがされ始めていた。
ここに関しては現代から考えれば「鎖国」なんて状態が250年も続いていた事に驚く。
人々は外交的な面と内政的な面でそれぞれに二択の選択を迫られる事になった。
外交的には
・「開国なんてとんでもない!外人ぶっつぶせ!」の攘夷派
・「もう鎖国なんて無理だって!外国の文化を取り入れなきゃ!」の開国派
であり、
内政的には
・「まずは幕府ありきだろう!幕府の権力が一番なんだ!」の幕府派
・「幕府が腐ってるからダメなんだ!幕府を解体させるぞ!」の倒幕派
である。ちなみに倒幕派の多くは「幕府に代わって最高権力には天皇の復権を」という立場の人間が多い事から尊王派と呼ばれる事も多い。
この当時の政治的情勢を大雑把に分類するとこの四つなのであるが、実際にはもう少し複雑だが、ここでは一先ずそれには触れない。
長州藩はそういった流れの中では「倒幕プラス攘夷」の急先鋒であり、最も「過激派」であったと言って良い。
不思議、というか何とも興味深いのは、佐久間象山〜吉田松陰〜長州藩という流れである。当時の長州藩の中心人物の殆ど全ては吉田松陰という人間の元で学んでいる。代表的なのは桂小五郎(後の木戸孝允)、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤俊輔(後の伊藤博文)などだ。佐久間象山はその吉田松陰の師だ。
佐久間象山であるのだが、この象山先生、かなりの開国論者なのだ。外国の学問も積極的に取り入れ、「トゥギャザーしようぜ」の名文句を初めに流行らせたのはこの佐久間象山だとかそうでないとか。
浦賀にペリー達がやって来た時には「外国文化を盗むチャンス!行くぞ吉田くん!」と、泳いで黒船まで近づくというナチュラルバカな行動に出ているが、当然「帰れバカ」と帰されてしまっている。なかなかに愛すべきバカ師弟である。
結局は右翼っぽい感じの人に「あの西洋かぶれはマジにウザいので殺す」と言って殺されてしまった。
吉田松陰はその象山先生の思想を受け継いだが、そこに「幕府がクソみたいな事ばかり言うから国が弱いままだし幕府を倒したい」が加わる。あまりにそういう事をおおっぴらに言うので、幕府が「最近ちょっと危険な感じのやつらを一斉に処刑しちゃおうキャンペーン」として行った「安政の大獄」で吉田松陰は殺されている。弟子達が義憤に駆られ「幕府マジ許せねえ」となるのはまあわかる。
という事で佐久間象山〜吉田松陰〜長州藩の流れをまとめると
・佐久間象山「開国しようぜ、トゥギャザーしようぜ」
↓
・吉田松陰「日本マジにピンチ!外国にやられちゃうから外国の知識を盗まないと!だから幕府はその邪魔をすんな!」
↓
・吉田松陰死刑
↓
・その弟子達「幕府マジ許さねえゼッテー潰す!ついでに幕府の味方の薩摩と会津も‘バラ肉’にしちまうよぅ!?外人?‘皆殺し’だよぅ!?」
という流れなのだ。うーむ随分変わってしまったものだ。そして最後は少々「特攻の拓」テイストになってしまった。
この流れについて突っ込んで書きたかったのだが時間がなくなってしまったので続きは明日!
今日は今から小岩「Back In Time」でセッションです。
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