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2013年12月21日 (土)

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』について

昨日の東中野「Big River」にお越し下さった方々、ありがとうございました。久しぶりにスタンダードジャズをガツンとやったなという印象です。楽しかったです。

明日22日は夕方17:30より19:30まで「ティアラこうとう第四練習場」にてセッション&ワークショップ。音楽の勉強会みたいなものです。

週が明けて24日は小岩「Back in time」でタケシーズのクリスマスパーティー。ライブもしますし、食べ放題で様々な料理が出ます。料理は私が作ります。お腹空かせて来て下さい。

以上宣伝でした。

さて。

増田俊也著『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』、読了。700ページ超の大作であったが、そのあまりのパワーに圧倒されて貪るように読んでしまった。

かつて木村政彦という天才柔道家がいた。史上最強の柔道家(或いは武道家、格闘家)の呼び声も高く、「木村の前に木村無く、木村の後に木村無し」という言葉まであるほどだ。本書はこの木村政彦の生涯を追ったノンフィクションドキュメンタリーである。

本書の中にも記述してあるが、木村政彦の名前は長い事忘れられていた。忘れられていたというよりは抹殺されていた。現在の日本柔道の胴元である所の講道館が、とある事情により木村の存在をアンタッチャブルなものにしていたのだ。

木村の名前が再び世に出たのは木村の死後、1993年の事である。当て身(打撃)、投げ技、関節技、絞め技。全ての技術が使用を許された世界で初めての総合格闘技大会がアメリカで開催され、そこで圧倒的かつ衝撃的な強さでもって優勝したブラジルのホイス・グレイシーが、「我々は一子相伝のグレイシー柔術の使い手であり、その創成に関わったマサヒコ・キムラという柔道家は我々にとって極めて特別な存在である」と語ったのだ。

確かに木村はその昔、ブラジルに渡りホイス達の父、エリオ・グレイシーと死闘を繰り広げ、そして勝利をものにしている。木村との勝負、そして敗戦。そこで培った技術や敗北の屈辱がグレイシー柔術をより洗練させる事となった事は間違いない。確かにグレイシー一族にとってはマサヒコ・キムラは特別な存在なのである。

この時点より木村政彦の名前が再び人々に認知されていく。

世間一般ではそんな流れだ。

ところが私はその数年前より、木村政彦の名前を知っていた。まだ私が小学生か中学生ぐらいの時分である。

私が通っていた本八幡にある「加藤道場」という柔道道場、ここに木村政彦が「三倍努力」と書いた色紙が飾ってあった。

少年時代の私はそこで柔道を習っていた。主に教えてくれていたのは「若先生」であったが、週に一度ほどはその父親である「大先生(おおせんせい)」が道場へやって来て稽古をつけてくれた。この大先生が、本書の中にも登場する加藤幸夫先生だ。

加藤先生も、先に出たエリオ・グレイシーと戦っている。そして加藤先生はエリオに負けた。木村政彦と共に海を渡りブラジルに行ったのだ。

加藤先生の名誉の為に言っておきたいのだが、加藤先生は当たり前だが強かった。べらぼうに強かった。私が稽古をつけてもらっている時は加藤先生も70代であったはずだが、まるで敵わなかった。何かをどうすれば良いというようなレベルでなく、何をどうしようが敵わなかった。今から思い返してみれば、体幹の強さが全く違った。押そうが引こうがびくともしなかった。

本書によれば、加藤先生はエリオ戦において立ち技ではエリオを圧倒している。寝技で絞め落とされたとある。そうなのだ、柔道においていかに寝技が重要かという話である。

本書の中でも、加藤先生はこのエリオ戦、そして木村政彦については殆ど何も語りたがらなかったと書いてあるが、実際に私も加藤先生の口からはこの世紀の一戦については何も聞いていない。

ただ、道場に飾ってある「三倍努力」の色紙を見て私が「この木村さんという方は強かったんですよね?」と聞くと、「強かった。あんなに強い人はいない」と教えてくれた事ははっきりと覚えている。私の脳裏に「史上最強の柔道家=木村政彦」という図式がインプットされた瞬間だ。

当時の私の柔道のアイドルは古賀稔彦であり、彼の現役時代をリアルタイムで見る事が出来た事を私は今でも嬉しく思っているが、やはり頭の片隅で「しかし最強は木村政彦」という思いはあった。そしてその思いは本書によって確信へと変わった。「木村の前に木村無く、木村の後に木村無し」は真実であったのだ。

この『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』であるが、非常に綿密なる取材を重ねてから書かれた「資料」としても極めて興味深いのだが、単純に「読み物」としても面白い。それは何故なのだろうと考えた時に、作中に頻繁に作者の視線が登場するのが原因の一つだと私は気付いた。この事により「木村政彦」という三人称が主語となる物語から「私」という一人称が主語となり、つまり作者増田俊也の視点を我々読者は共有出来るのだ。

増田の視点は、徹底して木村政彦への敬意と愛情に溢れた視点だ。過剰なまでに木村贔屓だと言っても良い。増田が木村政彦を心から敬愛している事が容易にわかる。

その視点を共有しながら物語を読み進める事で、読者である私もいつの間にやら木村への強い愛情を共有する事となる。

先にも述べたように私は木村政彦の事を「史上最強の柔道家」としては認識していた。しかし、本書を通じて、それだけではない、もう少し複雑で強固な「木村政彦への敬意」を獲得する事になる。

物語のクライマックスの一つは、プロレスとして行われた力道山vs木村政彦の一戦である。TV中継もされ、視聴率100%という信じられないほどの注目の下、木村政彦はこの一戦に敗れた。

普通に戦えば、史上最強の柔道家と関脇止まりの元相撲取り、木村政彦が負ける訳はない。ここには様々なカラクリがある。気になる方は是非本書を紐解いて頂きたい。

木村はこの一戦での敗戦を生涯抱えて過ごす事となる。

その木村を最後に増田は救いたかったのではないだろうか、と私は思う。この膨大な量の文章でもって木村の英霊に最後の介錯をしたかった、そういう事なのではないだろうか、と。

大学の先輩でもある友人の書籍編集者から聞いた話であるが、増田はこの本の執筆中に遺書をしたためたらしい。自分がもし何かで死んだりした場合には何があってもこの本を出版してほしい、というものだという。

そうなのだ。本書からヒシヒシと伝わって来るのは、作者増田の決死の覚悟である。作者は本書を書きながら「いつ死んでも構わない」という気概をもって書いている。ヤクザへの取材もまるで厭わない。まるで戦場ジャーナリストのようだ、と私は感じた。

突き動かしていたのは、やはり木村政彦への愛だ。その尋常ならざる愛が、増田に決死の覚悟でペンをとらせた。実に凄まじい。

この比類無きノンフィクションを書き上げた増田俊也氏に、心からの称賛の拍手を送りたい。こんなに凄まじいノンフィクションはそうそう読めない。

壮絶な、一冊である。

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