韓国記5
アブさんがステージに現れた。その時点では私は軽く苛立っていた。周囲はその前の電子音バンドの興奮の名残で未だにざわついていたし、相変わらず携帯電話で通話をする連中もいた。頼むけえ、頼むけえ静かに聴いてつかあさい。私はそんな事を考えていた。
アブさんは今ステージ上で何を考えているのだろう。そんな事を思っていたが、巨匠はピアノの前に座ると何のてらいも無く、極めて自然に音を紡ぎ始めた。
一曲目から、彼の曲の中でも私のフェイバリットである「Blues for a Hip King」が演奏された。どこまでも静かで深く美しいピアノの音、音、音。拡がっていく音はやがて景色となり、そして私の耳や皮膚を通して慈しみ深い至福が細胞に染み渡り始めた。
この時点で私は既に号泣だった。
常々私は「世界最高峰の音楽を出来る限り生で観るべきだ」と思っている。それは実を言えば「勉強の為」では無い。アブさんの音楽は技術的な側面から見て勉強になるかならないかで言えば、あまりならない。高度過ぎるからだ。技術的な事だけで言えば「わからない事」の方が多い。
しかし、彼の音楽を生で享受した時に、私はいつでも「音楽」というものに対して強固な確信を得る事が出来る。
それは「音楽とはこんなにも美しくそしてこんなにも素晴らしいものなのだ」という確信だ。「音楽には無限の可能性がある」という希望だ。それを得る事で、私はもう一度遥かな地平の彼方を見つめる事が出来る。人生を捧げる事を決めた「音楽」に、再び忠誠を誓う事が出来る。
そうなのだ、私がわざわざ韓国まで行って彼の音楽を聴きに行ったのは、その忠誠心を確かめに行く為だった。
アブさんの音を全身で浴びながら、「音楽とはこんなにも素晴らしいのか」と感動に打ち震えていた。
その時点で一つの異変に気がついた。先程までざわついていた客達が、完全に静寂の中にいた。目の前で、Abdullah Ibrahimという一人のアフリカ人が今まさに奇跡的な音楽を奏でている。その事に全ての人達が気が付いた。誰もが耳を澄ましながらアブさんの奏でるピアノの音色に聴き入っていた。それもまた私にとっては感動的な光景だった。
アブさんのソロピアノのスタイルは、一曲一曲を区切って弾かない。数十曲もの曲を組曲のように一曲に繋げながら一時間ほどノンストップで弾ききるスタイルだ。
私はAbdullah Ibrahimの熱心なファン、というよりも「アブオタク」なので、当然全ての曲がよく知った曲だった。
大好きなメロディーが、最高の音色と大地のリズムに乗って次々に流れて来る至福。まさに桃源郷だった。
ここ最近では最後は必ず「Blue Bolero」という曲で締め括るのがお決まりとなっている。約一時間の演奏。時の経つのを忘れながら聴いていたせいで、「Blue Bolero」の旋律が奏でられた時に、そうかもう終わりかと少しだけ残念に思った。
最後のピアニッシモの一音が途切れた時には、会場からは割れんばかりの拍手が鳴り響いた。そこにいる多くの人達がアブさんの音楽に感動していた。もちろん私も。
私はいても立ってもいられなくなり、荷物を即座に片付けて自分が座っていたスペースを後にした。
ステージ脇に駆け寄り警備のスタッフに「Mr.Abdullah Ibrahimに会わせてくれ」と頼みに行ったが「ハア?お前アホか!会える訳ないやろが!」と一蹴された。冷静に考えればそれもそうだ。私のような得体の知れないよくわからん謎の日本人が会える訳が無い。それはごもっともだ。しかしこちとら日本からわざわざ飛行機を乗り継いで彼に会いにやって来たのだ。簡単には引き下がれない。
「ノープロブレム!大丈夫だ!私は彼を知っているから!私は日本から来た!」と主張したが、今から考えれば「私が彼を知っている」のは当たり前の事で、それは有効な主張ポイントではない。
しかし念ずれば叶う事も色々あるものだ。私が警備スタッフに懇願している真横をアブさんがたまたま通り掛かった。
ギャア!アブさんだ!
「ミスター・アブドゥーラ!」と私が彼に呼びかけると、彼はこちらに気付いてくれた。
そして私を手招きし、彼の胸元に抱き寄せてくれた。
もう私の涙腺は完全に崩壊していた。えぐえぐ言っていたのできちんと英語が喋れていたかは謎だが、「覚えていますか、数年前の上賀茂神社でのコンサートを手伝わさせて頂いた者です、今回は日本から来ました。素晴らしくてアメイジングな演奏でした。私もピアニストなんです。今日の演奏もどれだけ感動したか!」みたいな事をえぐえぐ言いながら彼に伝えた。
「ありがとう、ありがとう」と穏やかに微笑む彼は、やはり私にとっては特別な存在なのだと改めて実感した。
時間にして5分ほどだったろうか、彼と喋って、そして別れた。頭がぼうっとしていた。
その後のラリー・カールトン・バンドも当初は観て帰るつもりでいたのだが、何だかもう私の頭の中のキャパシティが限界になってしまったので、目の前で演奏は始まっていたのだが、「もう良いや、充分だ」と思って会場を後にした。
帰りの電車でも、翌日の飛行機でも、私の耳に彼の奏でた音が確かに残っていた。
会いに行って本当に良かった。
私はまたもう一度、音楽に立ち向かう事が出来る。
(了)
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