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2013年9月19日 (木)

情報と視野

一般的な意味での若い人間に「視野を広く持て」というのはなかなかに難しい話だと思う。

視野の広さというのは言い換えれば「判断材料となる情報の多寡」である。それが多ければ多いほど物事を多角的に見る事が出来るし、少なければ一面的になる。

昨日はライブだった。高田馬場「サニーサイド」で、ピアノトリオ「タケシーズ」のライブ。そこにおいて、私としてはほぼ初めてだと思うが、Bill Evansの名曲「Waltz for Debby」を弾いた。弾きながら「ああ、良い曲だなあ」としみじみと感じた。

まだ20代前半の頃、私はこのBill Evansというピアニストが好きではなかった。というよりも、嫌いだったと言う方が近いだろう。少なくとも積極的に聴こうとは思わなかった。

それはおそらく私の持つ情報量の少なさが原因なのだろうと思う。

情報量が少ない為に、その少ない情報から「ジャズとはこういうものだ」という自らの判断基準を作る。そしてそこから外れたもの、今回で言えばBill Evansの音楽を「異質なもの」と見做し、それを意識下で否定する事によって「その価値基準に従う自分」を確認する。あまりにも脆弱ではあるものの、一種の自己確認であると言って間違いない。

それが音楽を学ぶ内に様々な情報が増えて来る事で、そもそものその判断基準を広範囲に修正していく必要が出て来る。

例えば若い頃の私は「スイングしない音楽はすべからくクソだ」と思っていたが、今の私はスイングしなくとも素晴らしい音楽のたくさんある事を知っているし、更に言えば「スイングの仕方」にも多種多様ある事を以前よりは知っている。

そういう観点に立った時に、「あれ?オレが嫌いだった筈のBill Evansって全然悪くないぞ?ていうかムチャクチャ良いぞ?」という具合に価値観の転換を自らに強いなくてはならなくなる。

私は今ではBill Evansの音楽を「とても良い」と思っている。「とても好きだ」とは違うのだが。

このような、私と同じような過程を辿った人はそれなりにいるのではないだろうか。情報の獲得と共に判断材料が増え、それと同時に以前の価値観が変わってきたという経験のある方が。

それは個人的には好ましい変化だと思っているのだが、それとは別に「視野が狭いからこそ持ちうる意志」というのも同様に大切にしたいと思う。

例えば「ジャズとはこういうものなのだ」と信じていた若い頃の私には、「自らの信じた道を突き進むのだ」という意志は今よりも強固にあった。それは視野が狭かったから。情報が少なかったから。

情報を閉鎖する事で民衆を戦争へと駆り立てた20世紀前半の日本政府のやり方を見てもそうだが、情報を一点に集中させる事によって人間はかなり狂信的になれる。私は確かに音楽に対して狂信的であった。今でもその名残は随分とある。

以前に比べると情報の多寡が増した為に、狂信的な部分は随分と減ってきた。それに伴って強固な意志というものは薄らいできたのかも知れない。

しかし、私は以前よりも圧倒的に音楽を楽しんでいる。学ぶ事で情報が増え、それによって視野が広がる事で、以前よりも遥かに音楽が楽しめる。そして以前に比べれば着実に上達している。当たり前だが。

だから、これからも「知る」事をやめたくはない。学び知る事を。

明日9月20日(金)は月例のセッション&ワークショップ。私にとっては貴重な「学びの場」である。

是非共に学びを実感してもらえれば。

19:30よりティアラこうとうの練習場にて。参加希望者は私までご一報を。

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