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2013年7月14日 (日)

博多とんこつラーメン道

ラーメンは元々大好きな食い物だ。

なので「どこのラーメン屋がウマイか」と尋ねられれば、その尋ねた人の好みを勘案した上で「どこそこが良いのではないか」という多少のアドバイスは出来る。同じように「ラーメンが好きな人」と会えば、どこそこがウマイという話になりながら情報を交換する。無論、私よりもラーメンの事について熟知した人などざらにいる。私は教えを乞う事も少なくない。

しかし先日、とんでもない事実に一つ気付いてしまった。

一人で昼飯を食いに近所にある博多とんこつのラーメン屋に向かった時の事である。

勿論私は博多とんこつラーメンは好きだ。福岡は私の母方の実家がある(あった)所なので、福岡博多はそれなりに縁もゆかりもある土地であり、そこに行ったことも一度や二度ではない。そして行った際には間違いなく一度は博多とんこつラーメンを食べる。既に何軒かお気に入りの店もある。

しかしここに際して考える。

博多とんこつラーメンを私は最も好んでいるのか?と訊かれれば、恐らくそれに対する答えはノーだ。私が最も好きなのは昔ながらのあっさりした醤油ラーメンだ。細麺が望ましい。ナルトなんかが乗っかっているような風情の、そんな醤油ラーメン。これが最も好きだ。

次いで、太麺の麺の薫りが素晴らしい味噌ラーメンが好きだ。濃厚な味噌にモヤシやコーンなどの野菜が絡む。一味唐辛子などを適量入れて少々辛くしても良い。これまたたまらなく好きな一品だ。

しかし、だ。しかしなのである。私が「ラーメン屋に行こう」と思った時の博多とんこつラーメン屋の採択率は、恐らく五割を優に超えている。私は「博多とんこつラーメン屋に行く事」がとても好きなのだ。

原因の一つに「価格」がある事は否定できない。近頃流行りのラーメン屋が、たかだか(と敢えて言わせてもらいたい)ラーメンに800円だとか900円の価格、酷いときには1000円を超えるような価格を設定する店が巷に溢れる中、博多とんこつラーメンは大体高くて600円である。東京の場合でも500円が大体の相場であるし、地元福岡に行けば400円台300円台のラーメンもあちこちにある。私の中でラーメンは決して高級料理ではなく庶民の為の食べ物であるので、その辺の価格設定の塩梅が私のフィーリングとも絶妙にマッチする。

しかし私は先日、博多とんこつラーメンを啜りながら気付いてしまった。なぜ私がこんなにも頻繁に博多とんこつラーメン屋に通うのかという事の答えに。

それは一言で言うなれば、「作り手のみならず食べ手に委ねられた無限の可能性」である。

そう、博多とんこつラーメンとは、作り手が「おう、ワシが作ったもんば黙って食うとったら良いったい」と言って一方向的に出されるものではない。そういう食べ物ではないのだ。作り手と食べ手が共に手を取り合いながら、今その食べ手の舌にとって最良であるものを探していく、そんな味のコミュニケーションを模索するのが博多とんこつラーメンの楽しさなのだ。私はこの楽しさにやられてしまっている。

博多とんこつラーメンの店では、麺のゆで加減を好みに選べるようになっている所が殆どだ。麺の柔らかい順に「やわ→普通→かた→バリかた→粉おとし」などと大体五段階ぐらいに分かれている。この時点で既に「自分好みのラーメン探しの旅」は既に始まっているのだ。ちなみに私は「普通」から入るのが好きだ。

ラーメンが運ばれてきてからも片時も気は抜けない。まずはそのラーメンを十数秒の限られた時間でアレンジしなくてはならない。テーブルの目の前に置かれた紅しょうがとゴマと高菜。この三種の神器を用いて速やかに味を整えるのだ。私の好みは、紅しょうが少なめの高菜多めだ。ゴマは多過ぎず少な過ぎず。

これらをかける時間がおよそ十秒である。早くしなければ麺が伸びてしまう。

そして実食開始であるが、この実食中も気は抜けない。そう、博多とんこつラーメンを食する際の一番の醍醐味である「替え玉のタイミング」である。このタイミングを常に計っていかなくてはならない。大変シビアなこのタイミングを。

最も素人丸出しであるのは、今食べている麺が丁度全てなくなったタイミングでの替え玉注文である。これを見た時には「ああ!お前何してんの!何もわかっちゃいねえな!」と絶叫したくなる。新たな麺がやって来るまでの間にスープは冷めるし、何より何と言えば良いのだろうか、こう、筆舌に尽くしがたい緊張感というか、そういうテンションが途切れてしまう。これは私の中では最悪な行為の一つだ。

なので第一陣の麺を七割ほど食べ終えた所で流れるような所作で「替え玉かた(替え玉は硬、というのがジャスティス)お願いしまーす」と頼まなくてはならないのであるが、これもタイミングを一つ間違えると、第一陣の麺がまだ少し残っているのに替え玉到着という事になりかねない。やはり第一陣の麺、その最後の一本を啜り終わったコンマ二秒後に目の前に替え玉到着というのがどこまでも美しい。絶妙なタイミングで替え玉が到着した時には、私の中の脳内杉本清が「この一分の隙も無い見事な連携プレーに場内からは嘆息と驚嘆の声が上がっております!」と実況をカマしてくれる。もちろん脳内で。

第一陣の麺よりもほんの少し硬めの麺をスープの中でよく泳がせた後に、後半戦がスタート。もうここにおいては若干の余裕すら出てくる。前半戦で作ったアドバンテージが大きいのだ。決して焦る必要はない。落ち着いてゆっくりと麺を啜り、そして血圧上昇と肥満度増加といったクソのようなトピックを忘却の彼方へ追いやった上で最後の雫一つまでスープを啜り終わったら、頭の中に浮かんでいるのは「完全勝利」の四文字のみである。そう、完膚無きまでに勝利である。

この勝利の後に「ごちそうさま」の言葉と共に店を出た時の充足感というか、全能感というか、とにかく「勝った」感覚が凄い。あれほどの感覚を他の手段を用いて得ようと思えば、シャブでもパキっとキめる以外には無いのだろうが、シャブなんてやらないで良い。とんこつラーメンさえ食えば良い。清原和博氏も現役時代にはポスターで「覚醒剤打たずにホームラン打とう」と訴えかけていたのだ。
ちなみにこのポスターに対する故中島らも氏の感想は「たとえばシャブ中のオッサンがこのポスターを見て『わし、悪かった。今日から覚醒剤やめてホームラン打つ事にする』って誰が思うねん」との事だ。全面的に賛同したい。

かように、博多とんこつラーメンの道は非常に奥が深い。各々の「とんこつラーメン道」を是非究めて頂きたい次第である。

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