知らない内にこだわっていた
私の卒業した母校、京都府立大学というのは、その名前の通り公立の大学であった為に、あまり裕福な大学ではなかった。
何かのきっかけでたまたま私立の大学に行った時などは、その設備の豪華さに驚くばかりだった。
そういった事を考慮に入れたとしても、私の母校はとても良い大学だったと思う。取り分け教授達の質の高さは他所に対しても誇れる所だと思う。
文学を学んでおきながらその後音楽家になってしまった私は、大学で学んだ学問から離れた所に行ってはしまったが、やはりそこで学んだ事は今の生活に生きている。「真摯に思考しろ」という当たり前の事を、私は素晴らしい教授陣から学んだ。正解を安易に与える事はしてくれなかった。というよりも、「何が正解なのかは正直な所私自身もよくわからん、だからこそ一生懸命考えている」という事を、自らの身をもって伝えてくれた教授達に私は心底から感謝をしている。
そんな大学で私は音楽を始めた訳だが、私がいたジャズ部というのが、設備に関しては酷いものだった。
拾ってきたドラムに拾ってきたピアノ、そしてストーブで焼け焦げた安物のウッドベースなどを使いながらいつでもガチャガチャと音を出していた。ちなみにウッドベースを焼け焦がしたのは私の友人のツネキくんだ。一緒に練習をしている時にウッドベースからもくもくと煙が立ち上がった時に「マジやべえって!」と二人でおたおたしたのをよく覚えている。
ピアノも勿論酷いものだった。調律が合っていないなどは当たり前で、鳴らない鍵盤も幾つかあった。そんなオンボロのピアノを一日に何時間もずっと弾いていた。
私は留年をしまくって9年をかけて大学を卒業したのだが、留年の主たる原因は私の怠惰であるが、それ以外に音楽のせいと言うのも確実にある。いや実に楽しい学生生活であったのだが。
そんな事があったせいで、私は数多いるピアニストの中でも楽器に対するこだわりが随分甘い方だ。
「音が鳴ればそれで良い。自由に弾かせてくれれば更に申し分ない」
そんな部分も多々ある。
けれど、やはりコンディションの良い楽器を触っているとどうしても顔がニヤニヤと緩みがちになる。きちんと調律された状態の良いピアノを弾いている時は至福の時だ。
そしてそれはピアノだけではなく、他の楽器に関してもそうだ。
私の家の近所に住んでいるIさんというピアノの生徒がいて、家が近くなので出張でその自宅まで教えに行っている訳だが、私はレッスンの時にはエレキベースを弾いている事が多く、Iさんの家にもエレキベースを置いてもらっているのだが、そのIさんの家にあるエレキベース用のアンプがここ数回極めて調子が悪く、音が割れるという現象が度々起きていた。
「まあしょうがないか」と思ってやっていたのだが、今日Iさんの家に行くと、新しいベースアンプがやって来ていた。
テンションがうなぎ登りに上がるワタクシ。
新しいベースアンプにエレキベースを差して弾いてみると、もうバッチリ。言うこと無し。
こんな時でもついつい顔が緩んでしまう。やはり、コンディションの良い楽器を弾くのは本当に楽しい。
ずっと「自分は楽器に対してはそんなにこだわりのある方ではない」なんて思っていたのだが、やはり私も人並みに「良い楽器が好き」というのはあるみたいだとわかった。
どうやらIさん曰く、壊れたベースアンプでベースを弾く私が随分と悲しそうな顔をしていたとの事。
何でもかんでも顔に出てしまうのは私の悪いところの一つなのだが、そうか、やはりそういう風になっていた訳ね。
あ、あとこの当ブログ、今日見てみたらアクセス数が30万を超えていました。
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