昨夜遅くに民放で「ロックの歴史を辿る」みたいな番組がやっていて、プレスリーだとかリトルリチャードだとかビートルズだとかストーンズだとかフーだとか、そういった「ロックレジェンド」と言って良いような連中が、日本のロック・ミュージシャン達によって紹介されていた。
日本のロック・ミュージシャンもなかなかに素晴らしい顔ぶれで、私の大好きなエレファントカシマシの宮本浩次、それから甲本ヒロトに真島昌利なんていう鼻血モノの連中も出ていたし、それ以外にも奥田民生だとか山崎まさよしだとかトータス松本だとか、結構「私好み」の連中が「ストーンズって最高なんだよねー!」とか「ビートルズはやっぱスゲーよ!」みたいな話を延々していた。とても面白い番組だった。
ビートルズ、ローリングストーンズ。確かに今聴いても素晴らしい上に今なおもって新鮮だし、本当に希代のロックバンドだったのだなと思う。
けれど、こんな事を書いて敬虔なロックファンの方々におかれては気を悪くしないで頂きたいのだが、私はこれまでの人生でビートルズにしてもローリングストーンズにしても熱心に聴いた事が殆ど無い。
勿論ビートルズにしてもストーンズにしても「悪い」と思った事は無いのだが、私自身が夢中になった事は恐らく一度もない。
それは一つの原因があって、ビートルズやストーンズの同時代にいた一人の歌手、ボブ・ディランという歌手に私は夢中であったのだ。故にビートルズ派とストーンズ派とディラン派の三派があったとしたら私はガチガチにディラン派であったが為に、ビートルズにもストーンズにもそれほど強い興味を抱かなかった。ディランに夢中過ぎたのだ。
先ず一つ言っておきたいのは、ビートルズ、ストーンズ、ディランと並べた時に、技術的に最も歌が下手くそなのは間違いなくボブ・ディランである。ディランは音程もリズム感も突出して素晴らしくない上に、特徴的なのが蚊が鳴くようなというか、すかしっ屁のような声の持ち主なのである。このショボい声でもって、「赤上げないで白下げないで赤上げないで白下げる」みたいなわかりづらい詩を歌う。これにまず私はガツンとやられてしまった。
そう、ジャズを初めて聴き始めた時だってそうだった。セロニアス・モンクのユニークな、と言うよりもヘンテコなソロピアノを聴いて「これが良いんだよこれが」などと訳知り顔で言ってみる。こんな「背伸び感」は確かにあったのだ。
それと同様に最初にディランを聴いた時に「何だか良くわからないけれどコレがわからないって言うとオレはアホの人みたいだから、わかる、カッコイイって言っとこう」という何ともアホな思春期特有の背伸び感によって若い私はディランを自分の中で神格化する事に成功した訳である。
学生運動が盛んな時期に学生達がマルクスの「資本論」と吉本隆明の「共同幻想論」を小脇に抱えていたというのは同じような精神作用に違いない。要はそんなのを聴いてる(読んでる)自分に酔ってるだけだ。ちなみに私も似たような思考回路で「共同幻想論」は読んでいる。「資本論」は漫画版の「よくわかる資本論」みたいなので間に合わせた。「共同幻想論」は1ミクロンも理解出来なかった。「資本論」は漫画だったお陰で「ブルジョアは搾取ばっかしてて何かヤな感じだ」という所まではわかった。
大体これぐらいの知識でもって、小道具である煙草をモクモクやりながら「つまり国家の真の民主化とは…」とか「ミシマが語るイデオロギーっていうのは…」とか言ってりゃあ良い訳で、なかなかに我ながらクソだなと思う。
「こんな時…どんな顔して良いかわからないの…」
「死ねば…良いと思うよ」
おっと申し訳ない。「エウ゛ァンゲリオン」の名台詞を引用してしまった。いやあ、オレってばインテリ!
(死ねば良いと思うよ)
てな訳で、ちょっとインテリぶりたかった私にボブ・ディランはジャストフィットしてしまった。
「はあ?ビートルズ?ストーンズ?ディランっしょ!」
てな感じで。
しかし、昨夜私はビートルズやストーンズの映像を見ながら、何故若い私がビートルズやストーンズではなくディランに強く心を惹かれたのかがやっとわかった。「何だそんな事か!」と。
ビートルズもストーンズも、物凄く「楽しそう」なのだ。
バンドみんなで合奏したりドラッグでラリったりしながら、それはすごく「楽しそう」に当時の私の目には見えたのだ。
そりゃあ楽しいだけじゃないだろう。ビートルズだったらジョンとポールの間の権力争いもあっただろうし、ストーンズだってミックとキースは仲が悪かったと言うではないか。そんな裏事情なんてまるで知らないので、ビートルズがみんな揃ってマッシュルームカットにして合奏してる姿がとにかく楽しそうに見えて、私は心の中で「ケッ」と思っていたのだ。
ディランは一人で下手っぴなギターを弾きながらボソボソとワケのわからない事を歌っていた。10代のアホでアホを煮染めた私が心惹かれるのはそりゃあディランで間違いない。
昨日、ビートルズやストーンズの若い頃の映像を見ながら、「やっぱ良いなあ」と思う一方で、「そりゃあ若いアホなオレにはこれはわからねえわ」とも思った。
でも、おそらく素直にビートルズやストーンズが好きになれるような自分であったら、今のようなクソ人間にはならずに済んでいる。
今のクソ人間としての自分になかなかに満足しているので、私はディランに感謝しなければならない。
あとはそこに到る過程の中島みゆきとさだまさしと吉田拓郎かな。
私は、今でもビートルズとストーンズよりもディランが好きだ。
らいかろーりんすとん。
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