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2012年6月29日 (金)

K先生の事

酒を呑んだり歌を歌ったりしていたら随分うっかりしてしまってブログの更新を二日ほどサボってしまった。

大した事ではないのだけれど、やはり普段から続けている事を中断すると何とは無しに気持ち悪い。ピアノの練習とかもそうなのだけれど。

さて、昔話を少し。

これまでに私が知り合った「先生」という人達の中で、何人かすごく良く覚えている人がいる。そういう人達の事は一言で言ってしまえば「とても好き」だし、少なくない影響を私の人生に及ぼしている。結構これまでに「先生運」には恵まれていると思う。

そんな「好きだった先生達」の中の一人に大学の先生がいる。K先生というアメリカ文学の先生だ。私が18歳で大学に入学した当時にK先生は30歳ぐらいの若い先生だった。私が卒業する時にはK先生は40歳ぐらいになっていたし、私も30歳手前になっていた。9年もかけて大学を卒業した私が悪いのだが。

K先生が専門にしていたのは、アメリカのウィリアム・フォークナーという作家だった。彼の著作の中でも著名な作品の一つに「アブサロム!アブサロム!」という作品があるが、この作品について取り上げた授業というのが私にとっては特に印象深く、「学校の授業」というものを聴きながら鳥肌が立った体験というのは後にも先にもこの授業の時に体験したのみだ。「感動した」という感覚に比較的近いのかも知れないが、もう少し複雑な感覚。「人間っちゅうのはこりゃちょっとナンギだぞ」というような感覚である。兎にも角にも私は一度K先生の授業を聴いて鳥肌が立った事がある。

そのK先生から教わった事の中で、今でも私の中で一つの指針になっている事がある。

「間違っても良いから自分の頭で考えなさい、そして自分の言葉で喋りなさい」という事だ。

だからレポートの指導なんかも厳しかった。よそからの剽窃やコピーアンドペーストが散見すると、「低評価」ではなく「不合格」とされる事もあった。それは「恥ずべき行為だ」と私はK先生に教えられた。その事に対しては、私もその通りだと今でも思っている。

そんな「恥ずべき行為」が、平然と行われているという事を昨日知った。

そんな学者の言葉には、何も鳥肌が立つ事などない。何一つ心に響かない。だってそれは自分の言葉ではないのだから。

K先生は、先程言ったように私が入学した時には30歳前後であったのだが、卒業する時には40歳前後になっていた。そうやって歳を重ねていく内に、K先生の学問的な主張(人種や政治観)も少しずつ変わっていった(ように私には感じられた)。それは「きちんと自分で思考している」からこそなのではないかと私は思う。きちんと間違って、それときちんと向き合っているからこそ、そうやって変化をするのではないか、と。だからこそK先生の言葉は私の胸に強く残っているのかもしれない。

もう一つ、K先生が授業の中で言っていた事で私の印象に残っているのは、「アメリカという国が好きか嫌いかと訊かれたら、随分迷うのだけれど、私はおそらく好きだと答えると思う」という言葉。

その言葉を聴いた時に、「あ、オレは何かこの人信用出来る」と思ったのを覚えている。

K先生、元気かなあ。

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