今日ぐらいは思い出しても良いかな
七回目の1月31日。
師匠の市川修が死んでから、今日でちょうど丸六年が経つ。
わざと思い出さないようにしている時もあるけれど、やはりこの日が近くなると嫌でも色んな事を思い出す。
病院の屋上でタバコを吸いながら、「意識戻らねえかなあ、元気になってくれねえかなあ」なんてぼんやり考えていた事とか。
今日は良いかな。
色々思い出してても。
どうしてもちょっと感傷的になっちゃうのが嫌なのだけれど。
七回目の1月31日。
師匠の市川修が死んでから、今日でちょうど丸六年が経つ。
わざと思い出さないようにしている時もあるけれど、やはりこの日が近くなると嫌でも色んな事を思い出す。
病院の屋上でタバコを吸いながら、「意識戻らねえかなあ、元気になってくれねえかなあ」なんてぼんやり考えていた事とか。
今日は良いかな。
色々思い出してても。
どうしてもちょっと感傷的になっちゃうのが嫌なのだけれど。
足柄SAのうどんはあまり美味しくないが、売っているオネエチャン数名はなぜか皆カワイイ。うどんさえ美味ければ。
あと足柄SAは富士山が綺麗に見える。添付写真は足柄SAよりの富士山の写真。
旅の豆知識から披露したのだが、という訳で私は今京都に向かっている。バスに乗って。
バスで京都に向かう時、余程の事が無い限り私はJRの昼行のバスを使用する事にしている。運賃が6000円。ネット割引という裏技を用いると5000円になる。このバスが私にとってはベストの交通手段なのだ。
よく人に「バスでの移動って長くて大変だね」等と言われる事があるが、私のそれに対する返事は「何で?」である。「大変」な意味がわからない。
新幹線での移動。これも大変に素晴らしいものであるのだが、新幹線は東京〜京都間を二時間半で行く。「すぐに」着いてしまう。新幹線は運賃が高い、という問題以上にこの「すぐに着いてしまう」というのが一番の問題点なのだ。
ここには大いなる矛盾点が孕まれている事にすぐ気が付くだろう。大抵の移動手段において「運賃と所要時間は反比例する」という何ともファックな問題がある。新幹線なり飛行機なり、高い金を払えば払う程に、その乗り物に長い事乗っていられないのだ!アホかホンマたいがいにせえやクソが!
先程の新幹線で言えば、東京〜京都間で二時間半。運賃はおよそ13000円である。13000円も払っておきながらたった二時間半しか乗せてくれないとは、一体どういう了見なのだろうか。詐欺も良い所だ。いや、詐欺だ。「速い速い詐欺」だ。本当にふざけている。
飛行機だってそうだ。東京から福岡へ行く時などにたまに飛行機を利用するが、東京〜福岡間を飛行機はおよそ一時間半である。本当におかしい。たった一時間半やそこらでその乗り物を充分に堪能する事など出来るだろうか、いや出来ない(反語)。せめて最低でも四時間、いや、後生だから三時間で構わない、それぐらいの時間は乗せて貰いたい。いつも私は心の底からそう願うのだが、それは叶わない。機内サービスを頼んだり、窓の外に広がる雲の景色を見たり、まさに垂涎の至福の時間を過ごしていると、あっという間に飛行機は目的地に着いてしまう。空港に降り立った時の私の感想はいつだって「まだもうちょっと乗りたかった…」である。
そういった理屈をご理解頂いた上で、今私の乗っている昼行のバスである。これは実に程良いのだ。
まずこのJR昼行バス、座席がゆったりとした独立型の三列シートである事が素晴らしい。隣との距離感を気にせずにゆったりと座れる事、これは快適な移動には欠かせない。なので私は滅多な事では二席×二席の四列シートのバスには乗らない。あれは窮屈過ぎて旅情を堪能する余裕が無くなる。四列シートはダメだ。三列に限る。
更に所要時間であるが東京〜京都間を八時間強、とこれも実に丁度良い。「ちょっとバスに乗るのにも飽きてきたかな?」と感じるか感じないかの微妙な時間が、この八時間というラインだ。「もうちょっと乗りたかったかな。でも良いか、たっぷり乗れたし」というかなり満足度の高い状態でバスを降りる事が出来る。この所要時間に関してはまさに「絶妙っ!」と言わざるを得ない。八時間。ベストな時間だ。
更にもう一点。夜行ではなく昼行、ここがポイントである。夜行バスには哀愁はあるが旅情は無い。「寝てる間に移動出来ちゃうから良いや」などと夜行バスをチョイスするのはまるで素人。何もわかっちゃいない。そういうものでは無いのだ、移動とは!乗り物とは!
昼行バスの素晴らしさ。それはまず第一に車窓の外が見えるという点にある。夜行バスなどはカーテンが閉められて電気が消されてしまう為に、車窓外の風景はなかなか目視することが出来ない。これに対して昼行バスは「丸見え」である。「薄ぼかし」や「ギリモザ(ギリギリモザイクの略)」などではなく、「丸見え完全無修正」なのである。これはやはりとんでもないメリットの一つと言わざるを得ない。
確かに、「ぼかし」の奥にある黒アワビ、見えないからこそ、秘すればこその花であるよという幽玄の気持ちはわからないでもない。その辺の趣は私にも十全に理解出来る。
しかし私は「見たい!」のだ。見たい!揉みたい!触りたい!なのだ。
空に一筋かかる果てしなく長い飛行機雲、富士の山の頂に未だ残る白い雪化粧、野良猫が魚を探す寂れた静岡の漁港、波打際で水をかぶる無数のテトラポッド…
驚くなかれ、昼行のバスならばこれらが「全見え」である。好きなだけ、そう、好きなだけ堪能出来るのだ。
また冒頭に足柄SAの事例などを挙げたが、各地のSAも昼ならば元気に絶賛営業中なのである。SAに立ち寄った休憩タイム、ここで各地のうどんや蕎麦などの麺類を堪能するのもまた楽しみの一つである。
こういった観点から、夜行よりも昼行バスに軍配が上がるのは明らかである。値段も5000円。なかなかのものである。
確かに、東京〜京都間が八時間近くかかる新幹線や飛行機、そんなものがあれば是が非でも乗りたい。もう充分過ぎると言う程に新幹線や飛行機を堪能したい、そんな欲求は私の中に存在する。しかし、いかんせん彼らは速いのだ。クソ早漏野郎なのだ。もうちょっとゆっくり走れよ新幹線、ほんでゆっくり飛べよ飛行機。
余談だが、私は車などでスピードを出したがる人の気持ちがまるで理解出来ない。「そんなにスピード出したら早く着いちゃうじゃんか」といつも思う。「つうか早く着きたいんならもっと早く家を出れば良いじゃん」と思う。安全面を考えても、車は飛ばさないに限る。意気がってスピードを出すなどまさに愚の骨頂である。ちなみに私は良い歳をして自動車免許を持っていないので車は運転出来ない。何一つ不便で無いので良いのだが。
またもう一つ余談だが、私はそんなに「渋滞」は嫌いではない。勿論理由は「たくさん車に乗っていられるから」である。
そんなこんなで魅惑のバス旅行。足柄SAを出た辺りから本日のブログ記事を書き始めたのだが、現在は静岡県の焼津市。静岡県っていうのがね、でかいんだよね。なかなかたまらないよね。静岡素敵だよ静岡…
という事で、引き続き私は昼のバス移動を全力で堪能する。
静岡の次は愛知だよ愛知…愛知綺麗だよ愛知…
え?変態かって?
変態だよ。
いかにもいかにも。
重大な発表がある。
つい嬉しくてがっついてしまって、ちょっと前に当ブログやfacebook上にちらっと情報を漏らしてしまったのだけれど、本決まりになったようでやっと公式に大声で言える。
御準備の程は宜しいだろうか。
では。
10月13日(土)14日(日)、Randy Weston来日決定っっっっ!!
場所は世界遺産でもある京都上賀茂神社っっっっ!!
共演にテナーサックスのBilly Harperっっっっ!!
こんな素晴らしい事があるだろうか!
私が最も影響を受けたピアニストの一人。
齢を重ねる毎に深化する素晴らしいピアニスト。
ああ、鼻血出そう!
今日は東京中のあちらこちらでレッスン。
あっち行ったりこっち行ったり。
小岩から千駄ヶ谷、千駄ヶ谷から池袋、池袋から蒲田、というルート。
なので電車にたくさん乗っていて、ブログもそれなりにボリュームのあるもの書けるかなと思っていたけど、全く無理。
移動中って色々やる事あって。
仕事のメールだとか次のレッスンの準備だとか。
そんな訳で今から最後。蒲田まで。
頑張れオレ。
携帯からなのでリンク等貼れずにすみません。
直近の演奏予定を二つ。
1月31日(火)は京都「RAG」で、「市川修七回忌追悼セッション」です。ええ、ウチの師匠の七回忌です。もうそんなになるのか。ちょっと特別な気持ちで演奏します。19:30〜でチャージが2000円だったかな。詳しくはまた後日書きます。
で、その翌日、2月1日(水)は毎月恒例の上野「アリエス」でハーモニカ皆川和義とボーカル大塚美香と。これは確実に19:30スタートでチャージ2000円。流石に毎月の事だから覚えてる。
ていう事で、西の方も東の方も宜しくどうぞ!
現在はこのブログのほとんど、約八割強を移動中の電車やバスの中から携帯電話を用いて書いている。今この文章もそうだ、電車の中で書いている。以前は長文と文中にリンクを含むものはパソコンから、と決めていたのだが、最近はとんとパソコンからは書かなくなった。以前より少しだけ音楽家としては真面目になったようで、家にいる時にはパソコンよりもピアノの練習という心掛けが定着しつつある。パソコンはもっぱらソリティア(大変下らないトランプゲーム)に興じるのに使っている。
なので、比較的長文が書いてある時というのは得てして長時間電車に乗っている日であるのだが、明日と、それから明々後日、最近では最も長時間電車等に乗らなくてはならない事がわかっている。
明日は東京のあちらこちらでレッスン。ざっと計算してみた所、およそ三時間は軽く電車に乗る。
明々後日に至っては、バスで京都に行くので、約10時間、バスに揺られる事になる。朝07:00に東京駅八重洲口を出たバスが京都に到着するのが16:00の予定だ。
という事で、エッセイの題材を今から考えている。
何について書こうか、と。
そんな事を説明するのが今日の文章。
ほとんど詐欺だ。
近所の焼肉屋さんが半額セールやってるから今日は焼肉食べに行こうか、とかみさんからの提案あり。
行くさナミコ、そりゃ行くさ。焼肉なんて我が家に似つかわしくない高級料理、そんなの行って良いのかい?喜んで行くさ!
昨日のソロピアノ、楽しかったなあ。
第一部にAbdullah Ibrahim(Doller Brand)のメドレー、第三部に自作の組曲「銀河鉄道の夜」をやったのだけれど、その合間の第二部には古いジャズの小品集をやった。
ニューオーリンズのJazz Funeral(要は葬式)に使われる曲だとか、ルイ・アームストロングとかファッツ・ウォーラーの曲だとかトラディショナルの黒人霊歌だとか。
単なる思い付きでその場で決めてやったのだけれど、やはり「あのテの曲」っていうのが自分がジャズをやり始めた、好きになり始めたきっかけの曲だったから、弾きながら何度も「おー、久しぶりに弾くけどこの曲めちゃキレイな曲じゃんか」と思う事しきり。
客席に何故か大御所ジャズドラマーの村田憲一郎氏が途中からいて、終演まで全然気付かなかったのだけれど、終わってから「ひえええ、巨匠がいる!」とビビったのは確か。まあもうどうせ好きに弾き散らかした後だ、とタカを括っていたのだけれど、思いもかけずお褒めの言葉まで頂いてちょい嬉しいような恥ずかしいような。
あまり褒められ慣れてねえんだよ。
東中野「big river」でのソロピアノは次回は3月28日(水)に決まりました。
さ、今日からまた再スタート。
背伸びしてもしゃあねえ。
出来る事からコツコツ、ね。
練習も仕事も全部終わったら今日は焼肉だい!
我が家の前の道路に何やら布のようなものが落ちていて、よく見るとどうやらマフラーだった。
こんな路上にマフラーを落としてマヌケな奴がいるものだと思い、スルーして家に帰ろうと思ったが、ふと何かが心に引っ掛かる。「アレ?オレ何かこのマフラー見たことがあるようなないような…」
しかしいたずらに拾ってもどうだろう。落とし主が拾いに戻って来た時に、「アレ?この辺で落とした筈なんだけどなあ、無いなあ…」となっても困るだろう。
私はとりあえず家に戻り「思索の部屋」(通称:トイレ)に入り、ケツ辺りから謎の物体を爆誕させながら嫁であるナミコにメールを打った。
「オマイ、マフラー落としたか?」と。
光よりも速く即レスが来た。
曰く「落とした!茶色いヤツ!」との事。
道理で見たことがある筈だ、と私は合点しながらケツを拭いた。いや、拭こうとした。
その刹那、私の目に飛び込む悪夢の光景。
紙が無い。
いや、いつ如何なる時においても焦りは禁物だ。私は冷静にケツ部分から謎の物体が垂れないように深く注意を払いながら、居間にティッシュペーパーを取りに向かった。無論、下半身は「裸(RA)」の状態だ。
何も狼狽える事無く、そして何も焦る事無く、私はティッシュペーパーを手に取り「思索の部屋」(通称:厠)に戻ると粛々とケツ部分を拭いた。無論、ここまで全て下半身は「裸(RA)」で行われている。
しこうした後に私は紳士然とズボンを履き、我が家の前に落ちているマフラーを取りに行った。
オーケー、全て問題無い。万事順調だ。
悲しい事に、全て本日の実話である。
さて、これから午後の仕事だ。
雨の日の京成線は大変に絵になるが、雨の日のJR線はイマイチ感が強い、という事を実感しながらJR線に揺られて千駄ヶ谷へ。本日は昼にレッスンがあるのみ。
余った時間に練習しないと。明日は本番だ。
普段の練習に比べて、この本番直前の練習というものほどナーバスになって憂鬱になるものもない。
普段の練習では、結構ヤミクモに「材料を色んな所から引っ張って来て身体に入れていく」というようなイメージ。知らない事を知っていって、出来ない事を出来るようにしていくのだから基本的にこの練習はとても楽しい。
それらを踏まえた上で、本番直前の練習というのは確認作業、調整作業のような練習だ。
これがね、やればやるほど自分が何か決定的に「間違って」いるような気になる。本当にこれで良いのだろうかという自問自答を繰り返しながら本番当日を迎える。どんな小さな規模の演奏でも、本番当日は吐きそうになる。
という事で明日は本番。
東中野「big river」でのソロピアノ。
19:00〜でチャージは1000円。
宜しくどうぞ。
たまたま夕方からの仕事が飛んでしまったので、昼から練習。
今週末には久しぶりにソロピアノもあるし。
充実の練習。
酒ばっかり呑んでいてはイカン!とも思うのだけれど、それ以外の細かな用事も終わらせたし、ちょっと一杯だな。
乾杯。
それに併せて共通の友人Fが東京西部からやって来て、32歳児が三人、かみさんを入れれば四人集まって楽しく過ごした。
夜7時過ぎに我が家に集合したのだが、先程も言ったように全員同い年の32歳児。やって来た二人の男TとFは私の大学時代の友人である。
かみさんを含め、そこにいる四人全員にある共通点が見つかった。
「四年で大学を出れなかった残念な人々」である。
勿論その中にも順位があるのだが、一番優秀なFが一浪して一留。一留とは一年留年の意味である。これが最優秀である。
ついでかみさんの奈美子。奈美子は一浪して一留しているのであるが、Fが某国立大であったのに対し奈美子は某私立大学。学費が我々国公立組の倍かかる事を考えると奈美子が二位である。
三位が北海道から遊びに来たT。これが一浪二留である。Tは二年生を三回やっていた。毎年同級生が変わるのである。ちなみにこのTの行っていた大学は私と同じ京都府立大学だ。
四位は勿論この私だ。私はこの四人の中では唯一現役で大学に行ったのだが、そこからの体たらくは驚異の二休三留。二休は二年休学の意味であるので、私は実質九年間をかけて京都府立大学を卒業した。「大学に長居した」という話では私は人にはまだ負けた事が無い。自慢するような事ではないのはわかっているのだが。
「いやあ、あん時はオレら大学行かなかったねー」などと談笑する事暫し。馬鹿の極みである。
京都時代、TとFがルームシェアの格好で同じ家に住んでいた。そこに私が半年ほど居候していた。つまり一緒に暮らしていた事になる。
昨日話題に上がったのだが、その家に引っ越す際に私とFは全く引っ越しを手伝わなかった、との事だった。引っ越し当日に寝坊して二人とも起きないかと思いきや、やおら起きて来たかと思えば薮から棒に「となりのトトロ」のビデオを見始めて二人でキャッキャとはしゃぐというファンタジスタぶり。私もFもおぼろげにしか記憶になかったのだが、Tの口から「あれは酷かった。二人まとめて殴りたかった」と言われればそこに何の異論も無い。殴っても一向に構わない案件だ。完全に正義はTにある。ていうか引っ越し当日にトトロ見ながらはしゃいでるって、完全にキチガイじゃんか…
私はその家に居候している時の役割は「飲酒」のみであったから、全体的に何もしていなかった。家事もしなかったし金も入れなかった。ただひたすら酒を呑んでいた。ああ、ホントにオレ、糞だな。まあ良いや。
で、昨日はそのまま深夜4時ぐらいまで飲酒マラソン。然るべき後に酔っ払って各人就寝。
Fは朝仕事に出掛けた。エライ。
Tは今日の午前中の便で北海道に帰るつもりが、「寝坊した」という明確な理由により寝起きに即、航空会社に電話。予約時間を変更して午後の便に。デキる大人は一味違う。
という事で暇だった私はTを見送りに羽田空港まで行って来た。
いやあ、飛行機超カッコイイわ。マジにテンション上がるわ。
TもFもまた遊びに来ると良いな。
普段の音楽の練習、というとその半分ほどを「コピー」と呼ばれる練習に費やしている。
極めて単純なもので、CDやレコード等の音源を何回も繰り返し聴きながらそれを譜面に起こして、あとはその音源に近いように弾けるように何回も練習するというものである。
まさに「コピー」(模倣)である。音楽にはオリジナリティも大切だが、こうした模倣もとても重要なのだ。私はこの練習抜きに音楽的に上達する方法を知らない。
死んだ師匠からもこのコピーの重要性は口酸っぱく言われて来た。
さて、そのコピーに関して思っている事を少し書きたい。
例えば小学生のサッカー少年が、テレビでオーバーヘッドシュートを見て「カッコイイ!オレもやってみたい!」と思ってオーバーヘッドシュートを練習する事、これもコピーの一種である。私にも似たような経験があって、私の場合は柔道少年だったので、当時の金メダリスト古賀稔彦氏の背負い投げに憧れてそれを何遍も練習した。試合のビデオを何度も何度も見たっけか。スロー再生で。
これと似たような事で、音楽のコピーをしていても「おっ、今のフレーズカッコイイ!真似したい!」という事が度々ある。
勿論それは真似して良い。真似をする事で知識として自らの中に吸収して良いのだ。
しかし、もう一つ大事な事がある。
オーバーヘッドシュートなり背負い投げなりカッコイイフレーズなり、「何故そこに至ったか」という部分を考える事である。
例えばオーバーヘッドシュートならば、そのシュートはゴールに背を向けた状態からのシュートである。その状況に至るまでの経緯も重要だが恐らく最重要なのは、そのシュートを放ったプレーヤーが「何時でもどんな姿勢からでもゴールに向かう、シュートを放つ」という意識を有していたという事を理解する事である。
つまり上記の場合、オーバーヘッドシュートは「事例」なのである。「いつでもゴールを狙ってやる」という意識を持ったサッカープレーヤーにラストパスが放たれた時に、そのプレーヤーはゴールに背を向けていた。しかしそのプレーヤーは「背中越しだけど回転すればシュートが打てる!よし、オーバーヘッドシュートだ!」と瞬時に判断してそういった結果になる。或いは判断という事よりも先に身体が反応していた可能性もある。
いずれにせよそれは因果で言えば「果」の方だ。ならばその「果」と同時に「因」を深く考察する事で、それはより深い「理解」となる。
先日、Randy Westonのコピーをしていた時に、その事をもう一度再確認した。
表面だけをなぞらないように。
より深く、なぞるように。
音楽は、とても面白い。
わが家にピアノの生徒が遊びに来たので、嬉しくなって餃子を100個とモツ煮込みをたくさん作る。
当然余る。
でも大丈夫。
明日はウチに大学時代の友達が遊びに来るから。
明日もモツ煮込みと餃子じゃーい。
居酒屋たけし万歳。
もう一週間切ったので告知させてもらいますね。
1月22日(日)東中野 Big River
http://www.bigjazzriver.com/st/nd.html
pf:福島剛
19:00~start music charge: 1000円
この日は久しぶりに組曲「銀河鉄道の夜」やります。
8つの曲を繋げたこの組曲、ぶっ通しでいきます。即興の部分が多いので正確なことは言えませんが、全部で40~50分に及びます。
是非聴きにいらして下さい!
チャージもドリンクも安いしさ!(全品350円均一)
昔から自分の年齢というものに殆ど興味が無かったのだけれど、最近またそれがとみに酷い。
あれ?オレ幾つだっけ?と考えて、パッと自分の年齢が出て来ない。
31?32?
えーっと、1979年生まれで今が2012年だから…と考えてからやっと、32歳だ!って出て来る。
何だかなあ。早くもボケが始まってるのか?
ま、どうでも良いんだけど。
丸一日レッスンと練習と、相も変わらず音楽ばかりしていたのだが、その合間にネット経由でとあるニュースを小耳に挟む。
「米長会長vsボンクラー」である。
米長会長とは勿論現在の日本将棋連盟の会長である米長邦雄永世棋聖の事だ。
そして「ボンクラー」とは、どこぞの誰かが開発した将棋コンピュータである。要するに将棋ゲームだ。
10年近くも以前に引退したとは言え、以前は日本のトップに立った棋士である、たかだかコンピュータに負ける訳が…と思っていたのだが、先程携帯からネットを見た所、あっさりと負けてしまったらしい。何てこった!
そんな馬鹿な!
会長!もうちょっと頑張ってよ!
チキショウ、コンピュータ風情が。
誰か、渡辺明でも良いし羽生善治でも良いし森内俊之でも良いしこのコンピュータやっつけてよ!
お願いだから!
とりあえず帰ってから今日の対局の棋譜見よう。
本日、とある筋からトンデモナイ情報が入った。
何と、ピアニストのRandy Westonが今年の10月に来日するとの事である。
恐らくメンバー等の詳細な情報はまだ未確定な部分も多いだろうし、私の口からはっきりとした事は言えないのだが、兎にも角にもランディがやって来るのだ!極めて信頼のおける筋からの情報なのでそれは間違いない。
Randy Weston。Abdullah Ibrahimと並んで、私がこれまでに最も強い影響を受けたピアニストである。今現在も、極めて多大なる影響を私は彼から受け続けている。
彼はしばしば自らの事を「アメリカ生まれのアフリカ人」と評する事があるように、自らのルーツを強固にアフリカに見出だしている。
そのせいなのだろうか、彼のピアノを無理矢理に一言で表すならば、「大自然」である。
Randy Westonがピアノを弾くと、いかにもピアノらしい美しい音色に混じって時折「およそピアノという楽器から発せられたとは思えない」ような音がする事がある。
小鳥が囀るような音色、風が吹き過ぎるような音色、雷鳴が轟くような音色、そして地響きのような音色。
それらは皆、ピアノという楽器のみを用いて、Randy Westonという偉大なるピアニストの身体から発せられた音なのだ。
まるで魔法だ、と思う。
かなり直截的にアフリカの大地を連想させるリズムに乗せてそれらの信じ難いような音が紡がれていくその様は、まさに「大自然」の様相である。
Randy Weston。現在御歳85歳。来日時には86歳になっているが、老いて益々盛ん、その演奏は漲るばかりである。遥かなる深淵が、そこにある。
詳細がわかり次第、このブログにも随時情報を上げていきたい。
Randy Westonを見ないと後悔するぜ、マジに。
正月にだらだらとしていたのが遠い過去のように感じる。
1月も十日余りを過ぎて、いよいよ「日常」が始まっている。
私の場合、音楽をする事が仕事であるので、今日も日中は練習、夜はレッスンと「いつも通り」の一日を過ごした。こうやって何ら変化の無い日常を過ごせる事、それ自体には心から感謝をしている。
このブログを書いているのもレッスンからの帰りの電車の中だ。
しかし、今日は一つだけ、普段と違う事がある。それは「かみさんがいない」という事だ。
友達との呑み会に出掛けたらしいのだが、「今日はご飯作れなくてごめんね、夕飯は何か適当にして」との事。これは大変にテンションが上がる。
普段ならば、夕飯を作って待ってくれている細君に最大限の感謝の意を表するべく、仕事が終わればいそいそと家に帰る私である。
それが今日は「他所でメシを食ってきて良い」と!つまりは「軽く呑みに行っても良い」と!(←脳内変換)
どこに行こうかな、と浮かれまくっている。
まずはどこかで簡単に腹を満たしてから然るべき後に呑みに…
などと考えている。
どこ行こう。立ち呑み屋かな…それとも…
断りを入れておくが、オネエチャンのいるような呑み屋には行かない。高いしあまり好きではないから。
さて、今夜は小岩の夜を満喫するぜ。
遠く離れてしまっても、何時迄も忘れられない人がいる。
その人の事を思い出す度に、いつも切なく胸が締め付けられる。
何時か此処に戻って来るのだろうか、そんな事をずっと想っている。
そう、現在メジャーリーグで活躍する元広島カープの黒田博樹選手の事である。
カープの、そして日本球界のエースピッチャーとして活躍した彼は、2008年に海を渡った。
ロサンゼルスドジャースにおいて快刀乱麻、とまでは言い過ぎかも知れないが、極めて安定した成績を毎年収め、抜群の信頼度を勝ち取って来た。現在メジャーリーグで最も評価されている日本人選手は、イチロー選手でも松井秀喜選手でもこの度メジャーに挑戦するダルビッシュ有選手でもなく、この黒田博樹選手だと専らの評判だ。
古くは川口和久選手(→巨人)や江藤智(→巨人)選手、最近では金本知憲選手(→阪神)に新井貴浩選手(→阪神)と、FA(フリーエージェント)という制度を利用してカープを去っていった選手は数多い。少年時代に読売ジャイアンツを応援していた私がアンチジャイアンツになり広島カープファンになったのはこの事がきっかけだ。「他所からエースと四番を強奪するような球団は応援しない。その強奪された球団を応援する」と。
FAというのはプロ野球選手に与えられた当然の権利であり、それを行使して他球団に移籍する事は何ら違法行為でも無い。だが正直に言えば、私はそうしてカープを去って行った人々に対して、あまり良い印象は抱いていない。
何と言えば良いのだろうか。
長年連れ添って苦楽を共にした伴侶がいたとする。四畳半のアパートで暮らして、台風が来ると雨漏りする天井から垂れてくる水滴をアルミの洗い桶で受け止めて、それでも二人で笑い合いながら、ささやかだけれど幸福な暮らしを営んでいた伴侶が。
「ねえ、たけちゃん、今日はお酒呑もうか?」
「お前、さ、酒、って…い、良いのか…?」
「良いのよ、月に一度の贅沢だもの」
「でもオレも随分酒なんて呑んじゃいねえ…呑んだら、酔っ払っちまうかも知れねえ…」
「…酔っちゃえよ…ベロベロに、酔っちゃいなよ!」
「そ、そうか。それじゃすまねえ、おッ母ァ。の、呑むぞ…」
「呑んじゃえよ!」
「お、おう!呑むぞ…!」
「良いよ!」
「止そう…また夢ンなるといけねえ」
少々脱線してしまって最後は落語の「芝浜」のサゲになってしまったが、要するにこんな感じの伴侶だ。
この伴侶が、たまたま知り合った金持ちの男に見初められて「ちょっとお金欲しいし、アッチ行くわ!」とアッサリ出て行ってしまった感じ、と言えば良いのだろうか。
いや、金が欲しいのはわかるけどさ!ちょっとそりゃあつれなくはねえかい!?と、そんな塩梅だ。
中には「出て行くのは辛いんです!カープが好きだから!」などと泣きながら出て行った輩もいる。
出て行くんならそういう事言うなよな、ましてや泣いたりとかするなよな、と思った人は少なくない筈だ。敢えて誰の事かは言わない。
黒田選手もまた、FA権を行使してカープを去って行った一人だ。
しかし、この黒田選手に関してはそれまでのカープを去って行った選手達とは違う印象というか感慨を抱いている。
極端に言えば、それまでに出て行った選手達には「捨てられた」というような感慨があったが、黒田選手に関して言えば「巣立っていった」である。
彼がメジャーリーグで強打者を翻弄するのを見るにつけ、「黒田ッ!良いぞッ!」と胸が躍るのである。
その黒田選手であるが、困った所が一つだけある。
毎年シーズンオフには、「黒田カープ復帰か!?」という情報が錯綜するのだ。
カープに対する恩義を公言して憚らない黒田選手であるが、それが高じてか何なのかはわからないが、「カープに戻る!………かも…」という事を毎年言ってしまうのである。
これは我々カープファンの間では「戻る戻る詐欺」と呼ばれている。
黒田選手ほどの素晴らしい投手が戻って来てくれる、そんなにも嬉しい事は無い。しかし、戻って来ないのである。
あまりにもメジャーリーグで活躍し過ぎてしまったが為に、彼の給料は現在高騰している。およそ10億円ほどの年俸だそうだ。それに対してカープが用意している年俸は3億円。
ウチにはお金が無いの!これがギリギリなの!
いや、噂によると親会社のマツダのオーナーがたんまり貯め込んでいるという噂もあるが…
金銭問題などもあって、黒田選手は今年もカープに復帰しない。
恐らく来年も復帰しない。
けれど毎年我々は想ってしまうのだ。
あの漢(おとこ)が戻って来るのではないか、と。
ねえもうさあ、黒田戻って来てつかあさいよ。
金の問題で訴えられながら、気持ち良いぐらいにしらばっくれている小沢一郎が大変愉快。
中途半端に良い人ぶる輩が大嫌いだが(良い人は好きだよ)、ここまでわかりやすく「悪い人」はやはり良いよね。
もうそんなに怒らないであげてよ。
ちなみにオレは「我々の血税が…っ!」と言えるほど税金を払っていない。脱税はしてないよ、貧乏だから税金が安いんだよ。
だからあんまり怒らない。いや、怒れない。
しょうがないね。
昨晩、夜9時頃に猛烈な眠気に襲われそのまま就寝、4時間後の深夜午前1時に目が覚めてしまった。
これが最も悪い睡眠のパターンで、この後に目が冴えてしまって夜明け近くまで眠れなかった。おかげで今日は少々日中は眠い。大した問題ではないが。
こういった「眠れない時間」というのは存外に嫌いではなくて、取り留めも無くあれこれと妄想、というかとにかく色んな事を考える。大半は無駄な事ばかりだ。
そんな時にふと思った。
ちょっと前に吉本隆明さんが「引きこもれ」と言っていた事を。
彼の論調では「みんなが社交的になって外を向いてという事を強要するような社会が気持ち悪い。一人の時間っていうのも必要なもんだ。」といった感じで、「一人の時間を持つ事も悪い事じゃないよ」と言っていた。
では何故「一人の時間」なのか、という事を考えた時に、要するにそれは「無駄な時間」であるが故に尊いのではないだろうか、というのが私の意見だ。意見というよりも実感だ。
何がしかのテーマを誰がしかの他者に伝達する事を目的とする場合、情報の要点を纏めてからわかりやすくする必要がある。無駄を削ぎ落として「より伝わり易く」する必要がある。これは音楽や文芸にも似たような所がある。
例えば「小岩駅から池袋駅まで行く方法」を相手に伝える時に、大事なのは「まず総武線に乗って、秋葉原で山手線に乗り換えてしばらくすると池袋に到着する」という事を伝える事である。これが他者に理解してもらう為に必要なコミュニケーションの在り方である。
しかし、一人の場合は違う。単に漠然と「小岩から池袋までの行き方」という事を考えている時にはこうなる。ジョイスの「ユリシーズ」の最終章みたいに。
「まず小岩駅に行って電車に乗って小岩駅って昼から駅構内で酒呑んでるバカ親父とかいるんだよなああ良いなオレも何だかビール呑みたくなって来たそんで電車乗って新小岩平井亀戸錦糸町そういえば錦糸町にあったオレの出た高校あの高校にいた好きだった女の子って今何してんだろな結構早い内に結婚したみたいな話聞いたけどどうなんだろう確か門前仲町に住んでたんだよな違ったっけかまあ忘れちまったよそれから秋葉原でアキバも変わったよなあ昔は電気製品の街だったのにそういえばブルーレイのプレーヤーほしいな」などといった具合に想念はあちらこちらに飛散する。
それは「誰かに伝える」という事を目的としないからだ。要点を得なくても構わない、自分が理解していればそれで良いという事になるから、幾ら話が脱線しようとも誰も困らないのだ。
メディアの発達によってこういった「無駄な情報」というのは徐々に減りつつある、というのが昨今の状況だと私は感じている。
紙媒体としての新聞の売り上げが極端に落ちている、というのもその一例だ。必要な情報やニュースは、パソコンをクリックしさえすれば容易に得られる。自分で取捨選択出来る範囲が随分と広がっている。情報がどんどん「要点を纏めたもの」に変化しているのだ。
果たして本当にそれで良いのだろうか、というのが強く私の感じる所だ。
簡略化され効率化された社会というのは、「現状を維持する」という観点においては素晴らしいと思う。現状からより一層の無駄を省いていく事で文明はより洗練されていく。それ自体は良い事なのだろう。
だが、多くの新しい発明や発見は、得てして「無駄な所」から生まれる場合が多い。それこそ、夜中に寝付かれずに取り留めも無く想念を飛散させている時などに。
そういった事を考えた時に、「他者と向き合い何かを伝える」という行為と同等かそれ以上に「一人で無駄な事を考える」事も重要なのではないかと思うのだ。
それは言葉を変えれば「伝達手段として洗練された言語」に先立って「曖昧模糊として取り留めの無い想念がある」という事でもある。
無駄な言葉。無駄な想念。
それを蔑ろにし過ぎる事は、私には危険な行為に感じられる。
声高に「テレビは無駄な情報の垂れ流しであり最早害悪である」という意見を口にする人々を見るにつけ、「無駄なもんだって必要なんだよ」と言いたくなる。
前述の吉本氏の「引きこもれ」に関してもそうだ。自らの内側で浮かんでは消える泡沫のような想念を見つめる時間、それは現代を生きる我々に必要とされている時間のような気がする。
同じ事を何度でも言うが、音楽など「無くても良い無駄な物」である。
けれどやはり音楽があって良かったと思う。無駄なものだって必要なのだ。
昨晩深夜、一人でそんな事を考えた。
本当に取り留めも無く。
録画しておいたものの、技術的な問題で見る事が出来なかった「立川談志71歳の反逆児」という番組を見る。技術的な問題が解決したので。
改めて、立川談志は凄い。
あまり言葉も出て来ない。
自分の中の常識を遥かに越えて「圧倒的なもの」を見ると、どうしてもこうなる。
練習しよ。
四の五の言わずに。
ここ最近「せんべろ酒場」なる言葉をよく耳にする。
「1000円でべろべろに酔える」の省略らしく、使い出したのは我らが故中島らも先生だそうだ。
言っては悪いが、そんな言葉が世間に浸透する前から私は「せんべろ」と共に生きている。何も気負わず、何も恐れず。ごくごくありふれた日常として私はこの「せんべろ酒場」で酒を呑む。
この理由として「金は無いが酒は呑みたいから」というのが全てではないのは賢明な読者諸氏ならば容易に想像がつくだろう。金が無いという事を理由の第一に置くならば、家で酒を呑むのが最も安い手段なのだ。
凡そ1500円也の「宝焼酎」4リットルペットボトル、これをジョッキにどばどば、上から放射性セシウム入りの水道水でこしらえた自家製の氷をガシガシ、然る後にそれらを自家製(勿論セシウム入り)の烏龍茶で割る。立派な「ウーロンハイ」の完成である。値段にすれば恐らくは一杯50円も見れば充分であろう。これ以上に安く酒を呑む手段も無くは無いだろうが、「それなりに呑める酒」を呑もうと思えばこれが最も安い値段だ。
幾ら「せんべろ」と言えども、これを下回る値段を提示するのは不可能である。参考までに私が頻繁に訪れる小岩の立ち呑み屋では、最安値のチューハイが150円である。家呑みに比べれば、スーパーセレブの呑み物だと言わざるを得ない。
余談だが、チューハイを一杯100円で出す呑み屋が以前小岩にあったが、そこのチューハイは信じられないぐらいにマズかった。恐らく目が潰れるタイプのアルコールを使用していたせいだと思われる。またその店に関して言えば、客層が小岩で一番、という事は日本で一番悪かった。数々の呑み屋を出入り禁止、所謂「出禁」になった連中が跋扈し、意味のわからないホラの吹き合いが繰り広げられていた。
「ニイちゃんオレはな?東大行ったんだよ!テニスで国体優勝した事もあるしな!小岩でオレの事知らねえヤツはモグリだ!」
返す言葉はただ一つ、「マジっすか!超スゴイっすね!」の一択だ。包帯のような嘘を見破る事で学者は世間を見たような気になるらしいが、私は学者ではないのでそれらの悲しい嘘に対しては上述の「マジっすか!超スゴイっすね!」の言葉をキメ打ちだ。
しかし「昔は悪かった自慢(しかも多分嘘)」をする酔客はまだ良いのだけれど、「オレは今でもナイフみたいに尖ってんだからな!お前なんていつでもボコれるんだからな!」みたいな事を言う輩はどうにかならんもんかな。ついつい「オラやってみろやコラ」などと予定外のインプロビゼーションをカマしそうになる。
また、「マジっすか!超スゴイっすね!」の言葉を鸚鵡のように繰り返していると、予想の遥か斜め上から突拍子もない言葉が飛んで来る事もある。私がこれまでに最も耳を疑ったのは、酔客が私の呑むチューハイのジョッキを指差し、「なあ、ニイちゃん…ちょっとそれ…半分くれよ…」と言って自らのカラになったジョッキを差し出して来た時である。ちなみにこれは前述の自称東大卒、元テニスの国体チャンピオンというオヤジの発言である。この時ほど私の脳裏に鮮明に「早うに死んだらええのになあ、死んだら誰も悪うに言わんのやから」という西原理恵子氏の名作「ぼくんち」の劇中台詞が浮かんで来た時は無い。早うに死んだらええのに。
閑話休題。
「せんべろ」には「金が無いから」という理由のみで行く訳では無い。より安い酒は家にある。
何故行くのか。
そんな人間動物園が見たいのだ。
ちなみに今日はその「せんべろ」で呑みながらこの文章を書いている。
酔っ払ってきたので、唐突だが本日はコレでおしまい。
年明けからブログが手抜き更新ですみませんな。
今日は昼からあれこれしてました。
図書館にCD返しに行ったりとかね。
ちょっと落ち着いたらまたゆっくり書きます。
書きかけの原稿も幾つかあるんだよなあ。
ちょっと正月でだらだらしてましたが、明日から仕事です。
明日はコレ。
1月4日(水)東京上野 アリエス
tel 03-3831-0523
http://www.jazz-cygnus-aries.co.jp/aries/ari-top.html
月イチ恒例のアリエス。スタンダードからオリジナルまで多彩な曲目でお届けいたします。大塚美香氏のボーカルも交えながら。澄み渡るハーモニカの音色をご堪能下さい。
harp:皆川和義 pf:福島剛 guest:大塚美香(vo)
19:20~start music charge:2000円
新年一発目の演奏です。
是非ご来場下さい!
少々寝坊してしまうも、昼ぐらいに起きて練習。そんなに長時間出来た訳では無いけれど、何曲か譜面も書けたしまあ良いや。
今日はかみさんの実家へ新年の挨拶に。
ああ、今日書いた譜面、早く練習したいなあ。完璧に覚えるとこまでやりたいなあ。
明けましておめでとうございます。
これから福島家の集いです。毎年恒例です。ぼくが酔っ払うのも毎年恒例です。
今年の抱負を一発。
すごく当たり前の事なんですが、
「もう一度、真摯に謙虚に音楽と向き合う」
です。
基礎からの見直し、それとぼくの根っこにあるブルーズにもう一度真剣に挑む、という事。
こんな当たり前の事ですが、年末にMitchさんのライブを見て再確認しました。
今年も頑張ります!
福島 剛
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