立川談志さんのこと
先月の家元死去の報から暫らくがたって、私の中でも「家元の死」ということについては少しずつ整理がついて来たので、今日は家元こと立川談志さんの事を書く。
立川談志。立川流落語の家元。素晴らしい落語家の一人である。
しかしそういう事とは別に、私にとっては立川談志という人は極めて特別な存在だったのだ。ひょっとしたらその感覚というのは「信者」などと揶揄されるかも知れない。まあそれでも良いか、とは思っている。
若い頃の彼の芸も好きだ。談志の声は少々聴き取りづらい所もあるし、人物描写、取り分け女性の人物描写に関しては、若干画一的に過ぎるな、と感じる事もある。しかし、そういった幾つかの点を考慮に入れたとしても、若い時分の立川談志の噺というのは、どれもこれもが圧倒的である。
まずは圧倒的なリズム感だ。噺が音楽へ昇華される瞬間というのが、一席の中に何度もある。紡ぎ出される言葉達、そして合間に入る呼吸。まさに音符と休符の関係である。あんなにも「音楽的な」落語家というのを私は他に知らない。
そして一番私が談志の落語が好きな理由であるが、全編を貫く比類なき緊張感である。談志が高座にやってくる。座布団の上に座る。丁寧にお辞儀をしてから枕に入る。もうこの一連の流れの中に、「括目して見ざるをえない」という緊張感が漂っている。良い意味でも悪い意味でも、彼の噺はBGMになりえない。噺家が客に相応のテンションを求めるような、そしてそこに確固たる必然性があるような、そんな芸である。
年老いてからの彼の芸はどうかと言えば、評価が分かれる所であろうとは思う。声が出なくなったり若い頃にあったリズム感が失われたりで、老いた談志の芸はダメだ、とする見方もある。それに対して、私は「老いてからの談志こそが」との思いがある。
私は晩年の立川談志を聴くと、ビリー・ホリデイ、そしてバド・パウエルの晩年の演奏を思い出す。
三者とも、若い頃には「圧倒的名人芸」で鳴らした連中である。それが、ビリーやパウエルに至っては麻薬やアルコール(パウエルには精神疾患もあった)の影響で、談志は老いの影響で、若い頃のようには芸をまっとう出来なくなった。その晩年の演奏が、何よりも不思議と心を打つのである。
これは何も「技術的に拙くなった芸が素晴らしい」などと言っている訳ではない。例えば「バーチュオーソ(巨匠)」として知られたジャズピアニスト、オスカー・ピーターソンの晩年の演奏に関しては、私は聴くに耐えない。指がもつれるその様は、見ていて単純に痛々しい。「もう良いよ、ゆっくり休みなよオスカー」とつい思ってしまう。オスカー・ピーターソンをたまたま引き合いに出してはみたが、オスカーに限らず、この問題に関しては圧倒的大多数が「衰えた芸」で人の心を打つ事が困難である、という事である。やはり瑞々しく洗練された技術が芸を支える、それは疑いようの無い事実である。
先に挙げた立川談志、ビリー・ホリデイ、バド・パウエル。この三者に関しては、極めて稀有な例であると言って良い。「衰えた芸」と一言に出来ないような、得体の知れない「凄み」のようなものがそこにはある。或いは常識的な範囲内での技巧を失う事で、何か私には想像のつかないような技を彼らが体得したのかも知れない。その真意はわからないが、彼らの晩年の芸には共通して人の心を打つ凄みがある、と私は感じている。
以前一度このブログで紹介したことがあるが、思想家の吉本隆明氏の数年前の昭和女子大での講演を観た時にも同じような感慨を得た。壇上で指示表出と自己表出の話なんかをしている吉本さんを見ていると、言葉こそ聴き取りづらくたどたどしいものの、「今俺が目にしている光景はよくはわからないが何だかとんでもない光景だ」という事ははっきりとわかった。共通しているのは、神々しい「凄み」である。
談志の「芝浜」を映像で見た。ここ数年のものである。
CDなどで慣れ親しんだ若い頃の談志の「芝浜」とは違う。先に述べたように、言葉は遅くなり、聴き取りづらくなっている。しかし、圧倒的に感動した。
噺の終盤、大晦日の晩の夫婦のやり取りを観ていたら、涙が止まらなかった。それは恐らく、話に感動していたのではない。立川談志という、誰よりも深く落語を愛して、そして落語と正面から向き合った、真摯な一人の芸術家の姿に感動したのだ。
落語とは人間の業の肯定である、と談志は言った。私にはそれが今一つピンと来ていなかったのだが、その「芝浜」を観て、少しだけ合点がいった。ひょっとしたら談志が追い求めたものは、こういうものじゃなかったのだろうか、と。
あれほどの名人だ。自らが衰えている事の自覚など嫌というほどにあるだろう。それでも高座に上がって、全身全霊で芸を魅せる。諦めや舌打ち、そして想像もつかないほどの悔しさを心の奥底に追いやって。
彼を観る度に、私は少し背筋が伸びる。
芸とは。そんな事をもう一度自らに問い掛ける。
まだまだ答えは出ない。しかし私もどうやら芸事の世界に足を踏み入れてしまっている以上、芸の道から足を洗うか、或いは死ぬかでもしない限り、ひたすらに向き合わなくてはならない問題である。
立川談志が死ぬその直前まで、芸に執着していたという事を聞く。本当に落語が好きだったんだと思う。
ありがとうなんて言わない。合掌もしない。
立川談志さん。あなたという芸人が、俺は心から好きだ。
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