本日(31日)池袋「ばがぼんど」
一昨日の記事でも書きましたが、本日は池袋「ばがぼんど」にてボーカルの千葉陽子さんとデュオです。
19:30から23:00までたっぷり4ステージ。ジャズスタンダードを中心にお届けいたします。
ノーチャージなのでどうぞお気軽に御来場下さいませ。
一昨日の記事でも書きましたが、本日は池袋「ばがぼんど」にてボーカルの千葉陽子さんとデュオです。
19:30から23:00までたっぷり4ステージ。ジャズスタンダードを中心にお届けいたします。
ノーチャージなのでどうぞお気軽に御来場下さいませ。
仕事が終わって教室から千駄ヶ谷駅へ向かう道すがら、ヤクルトスワローズと読売ジャイアンツのレプリカユニフォームを着た野球ファンを何人も見る。そうだ、今日はプロ野球クライマックスシリーズの第2戦が神宮球場で行われているのだ。
私も球場へこそ行かないものの、家に帰ってテレビで観戦する。応援するのは俄然ヤクルトスワローズである。
広島カープに次いで、私はセ・リーグでは中日ドラゴンズとヤクルトスワローズを応援しているというのも勿論あるのだが、やはり先日のドラフト会議の一件で、かねてより私の中にある「アンチ巨人魂」が再燃しているのだ。
ドラフト会議での一件というのは、ご存知の方も多いだろうが、東海大学の菅野投手の一件だ。現在大学ナンバーワン投手である菅野投手、彼の事を「ウチが頂くので他球団は指名するな」と暗に宣言した読売ジャイアンツ、そこに噛み付いた日本ハムファイターズの一件である。
その後に起こった(今も起こっている)すったもんだについては詳述を避けるが、私はこの一件において読売ジャイアンツに対して強い不快感を抱いた。そして「こういった事」が起こるから巨人の人気が落ちるのだ、と思った。
ガチガチの広島カープファンである私ではあるが、「巨人と阪神は人気球団であってほしい」という気持ちは大変に強い。人気、という点においてのみ、私は巨人と阪神を応援している。それ(人気)以外は全く応援していない。
巨人と阪神が人気球団であれば、我々カープファンは少数派でいられるというのが一つの理由だ。私は多数派にいると、とんでもない不安に駆られるタチなのだ。出来うる限り少数派でいたい、少数派の中にあってこそ初めて安堵出来る、という性癖だ。これに関しては理解こそして頂きたいものの、共感はして頂かなくて結構だ。昔大学時代に「俺の手淫は机の角にコチンをぶつけるという体を採る」と悪びれずに語った友人がいたが、それには勿論共感はしかねた。「ああ、そうやって快を得る者もいるのだな」と理解こそしたが。快を得る方法は人それぞれであって良いのだ。それが人に迷惑をかける方法でさえ無ければ。ちなみに私はコチンを机の角に打ち付けた事は無い。だってそんなんしたら痛いじゃん。
話を戻そう。私は人気という点においてのみ巨人と阪神を応援している。その理由の一つは上述したように「自分が少数派でいたいから」という理由であるが、もっと大きい理由としては以下の事が挙げられる。
「巨人阪神の人気は、イコールプロ野球の人気であるから」
これである。
昨今ではプロ野球の人気は低迷の一途を辿っている。何故か。巨人と阪神の人気が無いからである。
或る一時期を境にして、巨人と阪神は金で選手を集める球団になった。
昔はそうではなかった。
巨人ならば、松本、篠塚、原、クロマティ、吉村、岡崎、山倉、江川(江川は一瞬だけ阪神だったが)等々、自前の素晴らしい選手達がいた。
阪神だってそうだ。真弓、掛布、バース、岡田、藤田、佐野、木戸…数え切れないほどの素晴らしい虎戦士達がいた。
それが数年前の巨人などどうだ、小久保、ローズ、江藤、ラミレス、グライシンガー、イ・スンヨプ…どこのオールスターだ。
阪神もしかり。金本、シーツ、新井…どこの広島カープだ。
このような気の触れた強奪の先に待ち受けていたのは、巨人阪神のファン離れであり、そこから来るプロ野球の人気低迷である。
プロ野球が人気の無いコンテンツになってしまった今、テレビの地上波においてプロ野球中継が行われる事は極めて稀だ。これが大変に困るのだ。
我が家のテレビは野球中継を見る為に存在していると言っても過言ではない。野球の映らないテレビになんて何の価値も無い。
だからこそ。
菅野投手を気持ち良く日ハムに行かせてやってほしい。巨人軍は、清々しくそして強い、球界の盟主であってほしい。
とりあえず今日はヤクルト頑張れ。巨人負けろ。
リハーサルだとかレッスンだとか練習だとか、何だかばたばたと忙しくしていますが(あ、引越しもしなきゃいけないんだった)、明後日10月31日(月)は池袋「ばがぼんど」でボーカルの千葉陽子さんとのデュオです。
千葉さんがかなりファンキーなチラシを作ってくれたので、こちらにも載せます。仕事帰りにでも是非ご来場下さい!
10月31日(月) 池袋 ばがぼんど
03-3983-9109
http://www.vagabond.jp/
vocal:千葉陽子 piano:福島剛
池袋の隠れ家的な呑み屋で、明るいボーカルの千葉陽子さんとデュオ。たっぷり4ステージやります。お店のピアノはグランドピアノです。
19:30~start
一週間に二日の禁酒日を設けるようにして二週間目。
今日は今週二日目の禁酒日。
でも大丈夫!
熱々の風呂に入って汗をかきまくって、風呂上がりにキンキンに冷えたゼロカロリーコーラを氷をガシガシに入れたジョッキにぶち込んで一気。
コーラの美味さがハンパじゃない。
あっという間に500ml飲んでしまった…
もう一本飲みたいけど、買いに行くのが面倒くさい…
楽しい禁酒生活でした。
釣り新聞には、釣り船屋の情報が載っているのが普通である。例えばこんなの。
「乗合(6時半)。マダイ…18日0.4〜3キロ1〜5尾、5尾が2人。カワハギ…18日16〜30センチ12〜59尾。ワラサ…17日3.2〜5キロ0〜2尾」
何も足さない、何も引かない。まさに必要最低限の有益なる情報である。
以前一度当ブログでも紹介した事があるのだが、この釣り新聞誌上に何故かポエムを載せるというキチガ…いや、なかなかにユニークなボート店がある。その名も「斉田ボート店」。昨日購入した「週刊つりニュース」、斉田ボート店のポエジィはますます加速の一途を辿っていた。
以下、その全文。
「ボート。天空の青さの中に待ち侘びた収穫の時を迎え、突然の糸鳴りの先に続く至福の美形に楽しきボート釣りの醍醐味を知る。吹き渡る一陣の風に秋の行方を尋ね、好日喝采の中で命輝くアジと過ごす素晴らしき静寂のひととき…季節の薄衣を重ねながら秋はその頂きを目指す」
一読してげらげらと笑った後に「その頂きを目指すじゃねーよ!」とついつい突っ込んでしまった。
まさに侍。全く意味がわからない。
是非当ブログの読者諸氏も、コンビニ等で「週刊つりニュース」をお見かけの際には270円にて購入、しかる後にこのポエムの滋味を堪能して頂きたい。
私は近い内にこの斉田ボート店を訪れてみる心づもりである。
少し肌寒くなってきて、ああそうか、もうすぐ冬かと知る。
もうすぐ私は一つだけ自動的に歳をとって、そうして一年が過ぎていく。
去年は何をしたっけ。ああそうだ、結婚したんだ。
今年はずっと音楽ばかりをやっていた。素晴らしい仲間との出会いもあった。
以前誰かから、「30代はあっという間に過ぎるよ、あれこれ必死だから」と言われた事があったけれど、本当にその通りだ。目の前の事を必死になってやっていたら、あっという間に一年が過ぎていく。気付いたら40歳になっているのだろうな。
今日もずっとピアノの前で一日を過ごして、まあこんなのも悪かねえな、と思う。
忘年会がしたいぞ。
かみさんが携帯電話の充電が切れたとかで全く連絡が取れなくなったのだが、そんな時に限ってかみさんと連絡を取らなくてはならない状態になり、仕方なく駅でひたすら待つ。
携帯電話なんて無かった時代の事を少し思い出したが、それにしてもナミコお前ちゃんとしろよとも思う。
家に電話をかけていたのだろうか、女子学生が公衆電話から電話をかけていた。
私も昔はいつも公衆電話だったな。友達の電話番号は大体暗記したりしていてさ。
しかしかみさんがやって来ない。
来月サポートで出演するライブがあって、その日の大体のセットリスト(演目)を事前に頂いていた。
どんな曲でも譜面さえあれば初見で大丈夫、難無く弾けるというピアニストはちらほらいるが、私はその逆。じっくりと念入りに事前に予習をしなくては弾けない。単にヘタクソなだけという噂もあるが、あーあー聞こえないオレはオレしか信じない。
そんなこんなで今日は来月のライブの曲を予習していた。基本的には私が普段やる事の殆ど無い曲ばかり。だからこそ念入りにやらなくてはならない。
例えばチックコリアの「Spain」、ジャコパストリアスの「The Chicken」(←作曲はジャコじゃない)、それからハービーハンコックの「Watermelon Man」とか。
こういった曲をやっていると、妙に懐かしい事を思い出す。もう何年も昔、京都で深夜にやっていたジャムセッションの事だ。
駆け出しも駆け出し、超アマチュアだった頃、京都駅にある某店で深夜にジャムセッションをやっていて、そこでホストをやっていた事がある。いわゆる「クラブ(ブにアクセント)」だったその某店はなかなかに問題も多く、流血事件を始めとして結構な修羅場も何回か見た。というか私が問題を起こしている時も多かったような気がしないでもないような感じがほんのりと漂う今日この頃であるがよくわからない。昔の事なのでよく覚えていない。
その店のセッションで定番だったのが、上に挙げたような「Spain」であり「The Chicken」であり「Watermelon Man」であった。何故だかはわからないがかなりのアップテンポで弾いていた。全体的にトチ狂っていた。
とてつもなくヘタクソだったのだけれど、演奏をする事が楽しくて仕方が無くて、いつも朝までひたすらセッションをしていた。そしていつもベロベロに酔っ払っていた。
その後から現在に至るまで、一緒に演奏をしているサックスの黒田雅之と出会ったのもここのセッションだった。私ほどではないが、彼も今に比べるとかなりヘタクソだった。私も彼も含めて、ヘタクソで雑で無秩序でアホで、けれど熱気に溢れたセッションだった。良い思い出か悪い思い出かで言えば、圧倒的に良い思い出だ。たくさんの人に迷惑をかけていたのだけれど。
「Spain」だの「Chicken」だのを久しぶりに練習していたら、そんな時の事を思い出して懐かしくなっていた。
今はあの頃よりはもう少し上手には弾ける。けれど、あんなアホな時間を過ごしていたから今の時間があるのだと思ったら、少しだけ暖かい気持ちになった。
追記:一つ前の記事に載せた写真、撮って下さったのは凄腕カメラマンの鈴木士宣氏です。宮沢りえと菅野美穂のヌード写真集を撮ったのも彼だったような気もしますし、あとは最近では海パン一丁になりながら「イイヨイイヨっ!グッと寄ってー!」などと叫びながら写真を撮る芸風でブレイク中のカメラマンだったような気がします。
久しぶりのソロピアノ、昨日終わりました。来てくれたお客さん、手伝ってくれた梶川さん夫妻、あと奈美子、ありがとう。楽しかった。
さて、今日は丸一日レッスンの日。午前の小岩レッスンを終えて千駄ヶ谷へ移動する途中、昼飯に立ち食い蕎麦を食べたらそこで滝汗。一人ナイアガラフォールズ。
デブだもの。デブを。
↑わかりにくいとは思いますが、「人間だもの。み○を」のパロディです。
ああ、それにしてももっとピアノがうまくなりたい。
もっと良い音楽がやりたいなあ。
朝からずっとピアノを弾いて、夜になったら家に帰って夕飯を作って。今日はそんな日。
毎日こんな生活が出来れば良いけれど、もちろんそんな事は出来ない。これは特別。毎日そんな事してたら即破産する。
昨日と今日は、仕事を入れなかった。明日がソロピアノの本番だから。ソロピアノに限らずなのだけれど、自分で企画したライブの時には演目から曲のアレンジから、前日までずっと悩んでいる。だから今日もああでもないこうでもない、と丸一日。
とりあえずやる事はやった。もう後は知らない。本番ではなるべく色んな事を忘れてやりたい。アホになりたい。
さて、栄養をつける為に、今日は野菜たっぷりの塩ちゃんこ鍋。
絶品が出来上がった。いただきます。
あ、明日の本番はコレね。
↓
10月22日(土) 小岩 Back in time
03-3659-0351
http://www.bqrecords.net/backintime.htm
Edogawan Piano vol.1
piano:福島剛
19:00~open 20:00~start チャージ:2000円(夫婦でお越しの方は、二人で2000円←つまり一人はタダ)
今日も練習。本番前なので。
本番前まではひたすらに「こんなんじゃダメだ!」って練習して、本番になったら「やるこたやった、後は知らねえ!」と開き直ってやる。
いつもこの繰り返しなのだけれど、結構この「こんなんじゃダメだ!」の過程が好きなんだよな。
さて、明後日開き直れるように。明日も練習だ。
こんなんじゃ全然ダメだ。
昨日ちらっとレッスンで名前を出した事でふと思い出して、練習の合間にJames.P.Johnsonのレコードを聴く。
圧倒的に凄い。
今から百年近くも昔に、既にこんなに天才的なピアニストがいたのだ。
素晴らしい演奏に、聴き終えてからこうべを垂れる。
凄過ぎてあまり参考にはならない(笑)
昨日の上野アリエスでのライブも終わり、次は今週末の22日、小岩「Back in time」でのソロピアノ。今日からは最後の追い込みでそこ(22日)に向けた練習をする事になる。
練習というのは何の為にするのだろう、と思った時に、私の中で一つの結論がある。
「もっともっと自由になる為」だ。
実際の本番の時、私はあまり色々な物事を「考えたくない」と思っている。これは偽らざる正直な気持ちだ。
出来うる限り直感の赴くままに、本能の赴くままにピアノを弾きたいと思っている。共演者の、或いは自らの出す音を注意深く聴いて、そこに今必要な音は何か、足りない色彩は何か(勿論余分な物も)という事を考えながら演奏がしたいと常々思っている。
判断基準は自らの直感であり、本能である。
先月開催したミュージックワークショップの場において、ゲストファシリテイターの蜂谷真紀氏の口からとても興味深い言葉が聞かれた。「例えば家でゴキブリなんかを発見した時に出てくる咄嗟の‘うわっ!’という言葉、これは本質的な意味での即興の声なのだ」という事。これは私の脳裏に非常に印象深く残った。
私なりに様々な咀嚼を繰り返した結果、それは「意識の更に奥にある無意識の音」だという解釈に到った。そして我々即興音楽家に度々求められるものは、そうした「無意識の音」なのだろうという事だ。
確かにそれを考えた時に、私の音楽にはまだまだ「意識的な言葉(音)」が多過ぎる。「こうしよう、こうしたい」という思いが強過ぎるがあまり、それはとても不自由で不自然な音になっているのだ。
逆にたまに自らの眼前のピアノから知らぬ間に「自然で美しい音」が鳴っている時があるが、それこそ無意識の音の一端なのではないだろうかと私は思っている。確かに私が弾いているのだが、何かどこかで意識の乖離したような感覚、まるで自分が弾いていないような感覚の時に、得てしてそういう音が出て来る。
翻って練習の話である。
そういった、ある意味では「忘我」の状態に自らを近付ける為に日々の練習が存在しているのだと私は思っている。コードやメロディ、またそれに纏わるスケールといった事を事前にしっかりと頭に入れる。音色のコントロール、正確なリズム。まずは自らの中に基準となるものを作っておく事で、逆説的により自由になれる。恐怖心を伴わずに逸脱してゆけるのだ。少なくとも私の場合は。
「何が起きるかわからない、しかしそれが面白い」と言える背景に「何が起こっても概ねは大丈夫」と言えるだけの根拠が欲しい。それが欲しくて毎日練習をしている。
さて、今週末22日、どこまでアホ(無意識)になれるかは、そこまでの練習次第。極限までアホになれるように、気は抜けない。
10月22日(土)小岩「Back in time」、ソロピアノ、20:00からスタートです。是非ご来場を!
いい加減荷造りをしないとと思っていた辺りで、夕方から思い出したように雨が降り始めた。
雨が降ると、本当に全く理由もわからないのだけれど、何故だか頭の中で思い出される記憶がある。
私は幼い頃から大学三年生が終わるまでずっと柔道というスポーツをしていた。自分で言うのも何だがそれなりに強かったし、随分真面目に取り組んでいたと思う。純粋に競技が楽しかったという事に加えて、どこかで「自分が強くなっていく過程が楽しい」という事はあったのかも知れない。
中学生ぐらいの頃には学校の部活動だけでは物足りなくて、二駅離れた本八幡駅にある町道場にも並行して通っていた。
この町道場からの帰り道、道場から本八幡駅への道すがら雨が降っていた事があって、何故かその時の記憶が妙に蘇るのだ。
傘に当たる雨の音や靴が水溜まりを踏む音を思い出すだけではなくて、練習後に飲んだスポーツドリンクだのイチゴ牛乳だのの味までが口の中に蘇る。本当に理由はわからないのだけれど、それらの視覚聴覚味覚嗅覚が一体となった感覚が、雨の度に記憶として蘇る。
今日は今から夜行バスで京都に向かう。小岩駅への道すがら、傘を差しながらとぼとぼ歩く中学生とおぼしき少年とすれ違った。
或いは君も何十年経った後に今日の雨を思い出したりするのだろうか、この何でもない雨を。
そんな事を考えていたら、何だか愉快になってきた。
只今夜の20:00。夜行バスが出るのは23:00過ぎ。
ちょっと早めに出発予定地の上野駅に着いたので、一人で上野駅を散策してみようと思う。
もう一つ。
10月の中盤以降のオススメライブ情報。
10月17日(月)東京上野 アリエス
tel 03-3831-0523
http://www.jazz-cygnus-aries.co.jp/aries/ari-top.html
月イチ恒例のアリエス。スタンダードからオリジナルまで多彩な曲目でお届けいたします。大塚美香氏のボーカルも交えながら。澄み渡るハーモニカの音色をご堪能下さい。
harp:皆川和義 pf:福島剛 guest:大塚美香(vo)
19:20~start music charge:2000円
10月22日(土) 小岩 Back in time
03-3659-0351
http://www.bqrecords.net/backintime.htm
ソロピアノ。一番ぼくが自由になれるソロピアノ。一番集中力を使って、くたくたに疲れるのもこのソロピアノ。ぼくがやりたい音楽、美しいと思える音楽を表現する事の出来る渾身のステージです。とにかくお越し下さい。
piano:福島剛
19:00~open 20:00~start チャージ:2000円(夫婦でお越しの方は、二人で2000円←つまり一人はタダ)
10月31日(月) 池袋 ばがぼんど
03-3983-9109
http://www.vagabond.jp/
vocal:千葉陽子 piano:福島剛
池袋の隠れ家的な呑み屋で、明るいボーカルの千葉陽子さんとデュオ。たっぷり4ステージやります。お店のピアノはグランドピアノです。
19:30~start
この間、久しぶりにオリジナル曲を書き下ろしました。タイトルは「猫の矜持」というヘンテコなもの。でも、なかなかに満足のいく作品になりました。22日のソロピアノの時に初めて人前でやろうと思います。
各ライブ、張り切ってやります。是非ご来場を!
数か月に一度ほど、このブログの中枢部分である管理画面をいじくる事がある。
ご存知の通り、普段は書きっぱなしの投げっぱなしジャーマンだ。
携帯から書く事が多いからなのだけれど。
携帯から書くと、文章の「カテゴリー分け」が出来ない。「グルメ・クッキング」だとか「日記・コラム・つぶやき」だとか「音楽」だとか。そういったカテゴリーが予めブログに設定されていて、その日書いた文章にカテゴリーを付与する事が出来るのだけれど、それをしていない時が殆どだ。
で、久しぶりにこれまで書いた文章をカテゴリー分けしようと思って遡ってみたら、何と去年の11月ぐらいからそれをしていなかった事が判明。こうしてほぼ毎日ブログを書いている為に結構な量の文章がそこにはあって、全てをカテゴリー分けするのは大変に時間がかかるので、とりあえず去年の分と今年の一月ぐらいの所までその作業を完了させる。
ブログには日記的な側面が強くあって、約一年前の文章をぱらぱらと見ていると、ああこんな事してたなそういえば、と少々懐かしくもなる。
コメントを返すのも、大変に無精をしてしまっているせいで、今年八月以降のコメントには返していない。これは年内にやります。いつも言うけどコメント、やっぱり嬉しいもんだからね。
去年の記事を見ていたけれど、今年も何だかんだでもうすぐ終わるんだよな。一年は早いな。
大好きなバンドの一つに「エレファントカシマシ」というバンドがある。
彼らのような音楽がやりたい、とは思わないけれど、彼らのようにジャズをやりたい、と思う。
あと、ブルーハーツのように。
要約してえば、「真っ直ぐに」。
これがなかなか難しいんだ。
すぐカッコつけようとするしね。
明日、あ日付は今日か、今日もライブだ。ちょっとカッコつけずにやってみよう。
最近貯金をしている。
かみんから毎日1000円の小遣いをもらっているのだが、それをコツコツと。
タバコを減らしている事と、暇な時にやってしまっていたゲーセンの野球ゲームを全然やらなくなった(飽きた)のが原因で、あまり金が減らない。
今日は実家からカレーのおすそ分けを夕飯用にもらった。
これでまた金が減らない。
金を減らす為に酒を買わなくてはならない。
朝から怒涛のレッスン連チャン。現在小岩から千駄ヶ谷へ移動中。
夕方まで頑張ったら、夜はライブ。東中野ビッグリバーで19:00から皆川和義と。
何かと今日は働いてます。
ライブがうまくいくようにと、あと将棋が強くなるように、鳩森神社でお願いしてこ。
鳩森神社は将棋の神様が祠ってある神社です。
数日前にも書きましたが、明日10月9日(日)は、東中野「ビッグリバー」でハーモニカ皆川和義とのデュオです。夜19:00〜!
飲み物オツマミ、オール350円です。一杯引っ掛けに来て下さい。
バタバタしてます。簡単更新ですみません。
夜行バスのチケットを予約した。来週関西に行くので。
昔は夜行バスが大嫌いで、でも金が無いから夜行バスしか選択肢が無くて仕方無く乗ってたけど、久し振りに夜行バスに乗ると思うと、ちょっとだけ楽しみ。
深夜のサービスエリアってのが結構好きなんだな。
これぐらいの時期は特に。暖かくて甘ったるい缶コーヒーとタバコね。良いよね。
本日只今よりリハーサル。
何のリハーサルかと言うと、コレ。
↓
10月9日(日)東中野 Big River
http://www.bigjazzriver.com/st/nd.html
harp:皆川和義 pf:福島剛
19:00~start music charge: 2000円
そう、今週末は東中野でライブです。新宿より西でライブするのも随分久しぶりだな。
という事で、お暇な方は是非東中野「びっくりバー」へ!
ライブの連チャンも終わり、今日はレッスンが一つだけの穏やかな日。
日中に歯医者に行って、そこからは久しぶりに「普段の練習」をする。
ライブがある時にはそのライブに向けて練習をしなくてはいけない。曲を覚えたり、構成を考えたり。野球選手がキャンプ中にやる練習が「普段の練習」で、シーズン直前にやるオープン戦が「ライブ用の練習」と考えて頂けるとわかりやすいだろうか。他の音楽家の方がどういった形をとって練習に挑んでいるのかは知らないが、大きく分けて私はこの「普段の練習」と「ライブ用の練習」を使い分けて練習をしている。
で、この「普段の練習」には色々な練習ジャンルがあるのだが、今日行った練習はその中でも最も体育会系(アホ)な「ひたすら指を動かす千本ノック練習」。
普段は色々な事に注意しながら神経を配って練習をしているのだが、この練習の時にはそういった様々な事はあえて考えない。ひたすらアップテンポな曲の中で指を動かしまくる。疲れて来たら少しだけ休んでまたひたすら同じ事をする。とにかくアホな練習方法。
当然いつもこればかりじゃいけないのだけれど、たまにはこういうアホな練習も良い。私にとっては。
そんなこんなで今日は頭の中が大分アホになっている。
鎮める為に酒を呑まないとっ。
注意:本日当ブログ、女人禁制!
女子供達が帰ったところで、と。
意識、というものは果たして何処にあるのだろうか。
私が私であるという自意識、アイデンティティ。そういったものの在り処を考えた時に、我々の多くは「それは脳にある」と考える。脳、つまり頭部だ。それはあながち間違いではない。
また人によっては、「心」という意味で、心の臓、つまり胸部を指す人もいる。これもまた、明確に否定するべき術を私は持たない。
それは何処に在るものなのか、誰にも分からない。或いは霊魂のように、身体という容器の外にそれは在るやも知れない。意識の在り処に関しては、私は「わからない」と答えざるを得ない。「死んだらどうなるのか」という問いに答える術を持たないように。
思えば、この自意識によって私達の人生は味わい深いものとなっている。「私」とは誰なのだ?「あなた」とは?「彼(彼女)」とは?そういった哲学的思索の中で、わからない事に幾つか折り合いをつけながら、ため息をつきながら、舌打ちをしながら。それでもやはり人生は素晴らしいのだと言えるように、そんな風にして私は生きている。きっと多くの人がこの点に関しては同じように過ごしているのではないだろうか。
古典落語の傑作の一つに「粗忽長屋」なる話がある。詳細はwikipediaなどのページに委ねるが、話の概要としては、主人公である熊が路上で行き倒れて死んでいる「自分」を発見。確かにそれは死んでいて、熊は死んだ自分を抱えながら「確かに死んでるのは俺で、じゃあ抱えている俺は一体誰なんだ?」というサゲがついた所でお後が宜しいようで…となる何とも奇妙な話だ。家元談志を筆頭とする立川流落語では「主観長屋」とタイトルを変えられて演じられる事でも有名な話、勿論ここでも重要になるのは「意識」の問題だ。「私は誰なのだ?」という普遍的な問いが、この話を面白くしている。自意識、或いは意識の在り処、それは遥か昔から考えられ、今尚以って不明瞭な答えしか導き出されていない問題なのである。
さて昨晩、私を含めた高尚な男性四名が、この「意識の在り処」について極めて学術的で哲学的で形而上学的な議論を戦わせる事となった。
それは「セルフフェラに挑んだ事はあるか」という所から始まった。
繰り返して言うが、私を含めたその四名の男性は皆極めてアカデミックかつ高尚な人間である。全員が既婚者であり、私を除く三名が子持ち、つまり人様の親である。
セルフフェラ。日本語に直せば自分尺八。自らの下腹部のもう少し下部に鎮座ましますポコティーヌ伯爵、これを自らの身体を屈める事によりペロンチョ、否、ベロリンチョしてみようとする行為の事である。しつこいようだが繰り返して言う。全員が良い歳をした大人で既婚者、そして私以外は皆子持ちである。
私の中での常識としては、これは「あまねく全ての男達が一度くらいは試してみた事のある行為」である。勿論私は試してみた事がある。私は身体が硬いので伯爵まであと数センチ、届かなかった。たった数センチ、しかしその数センチが全てなのだ。甲子園の決勝戦、九回裏に本塁に突入した三塁ランナー、その伸ばした手がほんの数センチ、ホームベースに届かなかったように…
同席したT氏は、やはりこのセルフフェラに挑んだことのある一人だった。そして彼は何とその頂に辿り着く事に成功した、と言うのだった。私が挑んでも決して届く事のなかったその数センチ、T氏はそこに辿り着いたのだ。
しかしここで横槍が入った。残る二人のK氏とN氏は、このセルフベロリンチョに挑戦した事が無い、と言うのだ。そもそも何故そんな事をするのか意味がわからない、と。何をアホな事を言っているのだ、と反論したのは、私とT氏である。それは「何故山に登るのか、その意味がわからない」と言っているのと一緒で、答える言葉は「そこに山(ティンポ)があったから」の一択でキメ打ちである。そもそもその席にはK氏とN氏の細君も同席しておられた。大方伴侶の手前、見栄を張って嘘をついていたのだろうというのが私とT氏の見解ではあったが、私達は大人なのでK氏N氏の言葉の真偽自体は置いておいて、更にディベートを進めた。
そこで衝撃的な発言がK氏の口から飛び出した。
「それってさ、一体、舐めてんの?舐められてんの?」
まさに先ほど私が「粗忽長屋」の例を引用して書いたように、そこには主観性の問題が大いに孕まれていた。我々の議論は弁証法的な手法を用いて、「セルフフェラの主観性はどこにあるのか」というアウフヘーベンに辿り着いた。
そしてK氏が発した続く一言、これに一同騒然となった。
「だって口ってさ、脳に近いじゃん。なんか舐めてる、って感じが強くない?」
ざわ…ざわ…ざわ…
私たちの鼻が俄かにとんがり始めた。
ここでもう一度、意識の在り処を問題にしたい。
K氏の論では、口と伯爵(ティンポ)を比べて考えた時に、距離として口の方が脳に近い。それゆえに意識の主体性は口にある。そう考えた時に、セルフフェラという行為は「舐められる」という受動性よりも、「舐める」という能動性の方が割合としては高いのではないか、という話だった。
そうなると問題は一気に解決に近づく。かつてキンキキッズというアイドルは「愛されるよりも愛したいマジで」と朗々と歌い上げたが、そこにいた我々は皆「舐めるよりも舐められたいマジで」な人間である。少なくともことティンポに関しては。そうなると一気に「じゃあセルフフェラって、ティンポを舐める訳だから、気持ち悪いだけじゃん」という事で話が落ち着く。事実、昨晩はそこで話が落ち着いて、我々は次のトピック、「TENGAって使った事ある?」の話に移行していった。これもまた極めて高尚な話である。
しかし、私は一晩考え抜いた結果、もう一つのアンチテーゼに辿り着いた。
「いや、ティンポにも人格(意識)はある」
この事に異論を挟む者はもはや存在すまい。我々男子、必ず一度や二度は経験がある筈だ。「今頑張るな、今はお前の出番じゃない」と脳で考えているにも関わらず、股間付近の伯爵が「元気があれば何でも出来る!」とアントニオ猪木よろしく燃える闘魂と化してしまった事が。
私はそのような時には「やる気!元気!井脇!」でお馴染みの井脇ノブ子氏の姿を思い浮かべる事で、猛る軍神の気勢をそぐ事にしているが、それでもやはり抗えない時もある。
このように完璧な論を用いて証明したように、股間付近にも自意識が存在するのだ。
そう考えると、このセルフフェラという行為は必ずしも「舐める」という能動性だけではなく、「舐められる」という受動性をも孕むアンビバレンツな行為である事がわかってくる。
ならば「舐めるよりも舐められたいマジで」な我々がこの行為に一度ぐらいは挑戦しているという事にも合点がいくだろう。
というかさ、やっぱみんな一回ぐらいチャレンジしてるっしょ、セルフフェラ。
そんなこんなで、完全に下ネタのみな会話の元、私達の酒の席は過ぎていった。
いい歳した大人達の会話の99パーセントが男性器名称と女性器名称ばっかりなんだもんな。完全に狂ってやがる。
ピアノ演奏においての最大の敵は何か。
人によって色々あるだろうが、私の最大の敵は、眠気である。
空腹であっても良いし、疲れていても良い。寝不足であったって構わないのだが、その結果として「眠い」と、話にならない。
今日は夜に演奏の仕事(本番)があったのだが、夕方から訳が分からないほどに強烈な眠気に襲われていた。
勿論対策は一つ、「寝る」という一択である。
夕方四時半ぐらいから六時過ぎまで、私は「何は無くとも寝よう!」という強い意志の元に布団に倒れ込み、一分かニ分ほどタマーキン公爵を揉んだり撫でたりしていたら、あっという間に眠りに落ちた。
そこで見た夢は、「本番前にちょっと寝ていたら、知らない間に夜23時、見事に本番に遅刻する」という夢である。しかも何故か途中で大地震まで起こって何が何でも現場に辿り着けない、という、裏ドラが乗りまくったような夢だ。
ホントに、夢から醒めた瞬間の安堵感ったらなかったよ。今季一番の安堵感だ。
という事で、遅刻もせずに眠くもなく、これから本番行ってきます。
良かったよ、夢で。
昨晩、泥酔しているにも関わらず、「もっと酒をー、もっと酒をー、モア・アルコホールー」と呻きながら帰宅したというのは我が家のかみさん談。さすがに「死ねば良いのに」と再び思ったよ、てへっ。
そんなこんなでまた久しぶりに昨晩はブログ書くのも忘れました。
皆さんお酒の呑み過ぎに注意しましょう。
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