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2011年9月28日 (水)

打ちたかったら打とうとしない

我らが広島カープ、今年のペナントレースは早くも混戦から脱落して俄かに終戦の雰囲気が漂ってはいるが、幾つかの個人タイトル争いは未だに楽しみな部分が多い。

その中にあってやはり筆頭は、頼れる主砲、四番の栗原健太選手である。

今日現在までの正確な成績は知らないが、つい先日までは打点王の座を守っていたし、首位打者部門においてもだいぶ良い位置にいる。大いに期待が持てる。

が、この栗原選手、今シーズンの序盤は惨憺たる成績であった。四番の座を離れる事もしばしばあった。

この原因の一つとして、彼の「打ちたい」という気持ちが強すぎたのではないだろうか、と私は睨んでいる。

シーズン序盤においては四番の責務を全うする為に「とにかく自分が打たなければならない」という気持ちが強すぎたように私には見えた。

その結果、振らなくて良いようなボール球に手を出すという事になっていた。「打ちたい→振りたい」という事なのだろうか。またバットをボールに当てに行き過ぎるが為に、スイングが中途半端になっていた。当然、成績は伸びなかった。

それがシーズン中盤あたりから、人が変わったように彼はヒットやホームランを量産し始めた。

野球に関して素人の私が知ったような口を利くのもどうかとは思うが、中盤からの彼はあまりボールを「打ちにいかなくなった」ように見えた。

身体全体を使ってしっかりとしたバランスでバットを「振る」、そんな事に砕心しているように見えたのだ。

この時に私は私の生業であるピアノの事を思った。お、似ている、と。

「ピアノを弾く」という事に関して、私はなるべく「弾こうとしない」ように気をつけている。

頭の中でメロディを歌ったり、リズムを身体で感じたり、それに合わせて呼吸をしたり。そんな事の延長線上、一番先に「弾く」という行為があるように感じている。

どうしても手軽な結果が欲しくて「弾きに」いってしまう気持ちは十全に理解出来るが、やはりそこを我慢して敢えて「弾こうとしない」という態度。この態度が結果的にはスムーズに「弾く」という行為を導くのではないかと思っているのだ。

弾きたかったら弾こうとしてはいけない。打ちたかったら打とうとしてはいけない。

すごく矛盾した言い方のように聞こえるかも知れないが、そんなこともあるのではないだろうか。

栗原選手のここの所の好調に目を細めつつ、そんな事を思ったのだ。

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