丸山明宏(美輪明宏)の歌った佳曲に「ヨイトマケの唄」というものがある。
随分と昔に歌われた歌だが、シンプルなメロディラインとストレートな歌詞は、聴く度に時を超えて私の心を揺さぶる。ごくたまに私もカラオケに行く事があるが、私のカラオケの十八番はこの「ヨイトマケの歌」と「それゆけカープ」だ。
その「ヨイトマケの唄」の中にこんな一節がある。曰く、
「何度かぼくもぐれかけたけど
やくざな道は踏まずにすんだ
どんな綺麗な唄よりも
どんな綺麗な声よりも
ぼくを励まし慰めた
母ちゃんの唄こそ世界一
母ちゃんの唄こそ世界一」
この歌詞の持つ破壊力は今更説明するまでも無いだろう。興味を惹かれた方は、その前後の歌詞も調べてみると良い。破壊力はさらに増す筈だ。
さて、上記の歌詞を勘案してみたい。
「どんな綺麗な唄や声よりも、母ちゃんの唄こそ世界一」という事は、「母ちゃんの声は決して綺麗ではなかったにも関わらず、何よりも強く私の心を慰めた」という事実が見て取れる。それはそうだ。何せこの物語の中の「母ちゃん」は、「ヨイトマケ(わからない人はヤフーでググるように)」であり、いつも男に混じって綱を引きながら声を張り上げていたのだ。ステレオタイプな意味での「綺麗な声」とは程遠かった事が想像に難く無い。しかし、それでもなお「ぼく」の事を「励まし慰めた」のだ。何よりも強く、そして何よりも優しく。
これは、音楽に置き換えて考えれば「(表面的に)技巧的な音楽だけが人の心を打つとは限らない」と言い換える事も可能かも知れないし、料理に置き換えてみれば、「値段的に高級とは言い難い料理でも充分に人の心を打つ事はある」と言い換える事も出来る。感動という現象が多分に主観的なものを含む性質なのだから、それは当然と言えば当然の話なのだ。
さて、我が街小岩には、とある特級厨師が営んでいた中華料理屋があった。名を「美中味」と言った。
この「美中味」は、様々な場面で私の生活を彩り、そして私の生活を慰めて来た。友人のヤマちゃんが○○で××した時(自主規制)、「お前マジに死ななかっただけでもラッキーだったと思えよ!?」なんて言ってたのもこの美中味だった。また私が気恥ずかしさを伴いながら「オレさ、実は結婚しようと思うんだ」なんて事を友人に告白したのもここ美中味だった。結婚式の直後にその三次会で悪魔のような連中がゲラゲラ笑いながら私の髪の毛をばっさばっさイってたのもこの美中味だった。かみさんと下らない夫婦喧嘩の後、「仲直りにメシでも食いに行こう」と訪れたのもここだ。本当にこの「美中味」には様々な思い出がいくつもあるのだ。
また私たちがこの「美中味」を愛用していた理由の一つには、類い稀なるコストパフォーマンスがあった。具体的な例を言えば、生ビール(Not発泡酒)が250円。これだけでも充分であったが、我々が親しみを込めつつ「コジキセット」と呼んでいたセットがあった。料理二品とビールがついて980円、という破格のセットである。
前述のように、この店には特級厨師がいた。この事実がもたらす結果は、ただ一言、「ウマイ」という結果である。
私は取り分けこの店の麻婆豆腐が好きであった。芳醇なコクのソースに絡むとろけるような豆腐。その美味さたるや、口に入れた瞬間に膝がガクガクと震え、目が白目を剥く事請け合いな一品であった。
他にもユーリンチーや棒々鶏など、この店は「美味いもの」に事欠かなかった。大袈裟な物言いでなく、出て来るもの全てが美味かった。そして信じ難いほどに安かった。何せ、それら二品と生ビールで980円である。ここ以上に安くて美味い店を、私は他に知らない。
その店が、過日、最後の日を迎えた。
「ヨイトマケの唄」のように、どんな綺麗な店よりも、どんな高級な酒よりも、私達を励まし慰めて来た店が、落日の時を迎えたのだ。
最後の日、やはりこの店を愛用していたBIT(近所のライヴハウス)常連の連中と共に私はこの店を訪れた。
呑み慣れた250円の生ビールや絶品料理の数々、そして見慣れた店の景色が私の様々な記憶を喚起した。
この店に通い始めた当時、私はまだアルバイトをしていた。音楽で、生計が立てられてなどいなかった。美中味に来ては、いつもグチグチと「バイトが嫌だ」と言いながら、鬱屈とした毎日を過ごしていた。
やっと、裕福ではないにしろ、生活に必要な金ぐらいは音楽で稼げるようになった。
「今じゃ機械の世の中で、おまけにぼくはエンジニア」
「ヨイトマケの唄」の一節が脳裏を掠めた。
どんな綺麗な店でどんな高級な酒を呑んでも、これほど励まし慰められる事はなかっただろう。そんな事をぼんやりと考えていたら、寂しさに少し、泣きそうになった。
中国人だった特級厨師の店主夫婦は、今月中にも祖国である中国に帰る、と聞いた。
店を出る際に、「いつもご馳走様でした。いつも美味しかったです」と伝えると、店主の奥方は「こちらこそいつもありがとうございました」と流暢な日本語を話しながら深々とこうべを垂れた。「国に帰ってもどうぞご無事で」と言うと、「ありがとう」と言って握手をしてくれた。
寂しさと、感謝と。そんなものが色々と入り混じって、目頭が熱くなった。
今も聞こえるヨイトマケの唄
今も聞こえるあの子守唄
もう二度とあの夫婦に会う事は無いかも知れないが、恐らく私は美中味を忘れる事は無い。
さよなら。
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