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2011年8月 7日 (日)

夫婦の集い

久しぶりに8時間耐久飲酒。19時から27時まで。よく呑んだ。午前3時に「あれ、今何時?」「大惨事(3時)」というチンカスのようなお約束のやり取りをして帰宅。楽しかった。

最終的には高校の同級生であるトミとの二人呑みになったのだが、そもそもは高校時代の友人達との酒の席だった。

驚くべきは、私を含めて全員が既婚者、という事だった。夫婦で来ている連中も多かった。私もかみさんと列席した。

友人達に関して言えば、10代の頃からの知り合いだ。15年近くもの昔、我々がその後再会した折には全員がそれぞれに家庭を持っている、などと言っても誰も信用しなかったに違いない。

結婚なんてしない(出来ない)と思っていたもの。

私に関して言えば、度々文中にも登場する「ネ申子(かみこ)」こと奈美子というボランティア精神に多分に溢れた女が現れ、弱者を救済するような奉仕精神でもって私と結婚(そして現在は諦めの境地)、というウルトラCの末に家庭を持つ事となった。そんなミラクルでもなければ、恐らく結婚などしていない。

閑話休題。昨日の呑み会は楽しかった。それは恐らく、高校生の時分、或いは高校を出てすぐの大学生の時分に集まった時を比較して考えて、面白さの度合いとして「より面白かった」のだと思う。

若い頃に過剰だった自意識がある。それは私に限らず、殆どの人が持て余していたようなものだ。現実以上に自分を大きく見せたいと思い虚勢を張る。仮初めの言葉として「オンリーワン」などという言葉を信じてしまう。また、理想の自分と現実の自分が大いに食い違う。いくら無頼な事を言った所で実家から学校に通っている、という事実などはその一つの例だ。

そういった「青さ」、それはそれで大変に可愛らしいものでもあるのだが、私達はどうやらそのような「自分が何者であるかを不安がっていた10代」を過ぎて、徐々に自意識と折り合いをつけつつ来ているようだ。

不必要に虚勢を張らずとも済む。また、相手の話を聞いて自分が喋って、という相互コミュニケーションが成立する。だからこそ楽しくなる。ある意味では極めて自然な話だ。

そういった事に関して言えば、女性達は30代を迎えてますます「面白く」なって来ていた。旧知の友人である女性二人は、昨日の店に設置されていた「かなり変わった」形状の男性トイレを、直に見に行っていた。形状の詳細を説明する事はここでは避けるが、その二人は、「ありえねえ!」とゲラゲラ爆笑しながら男性トイレから戻って来た。正直に言おう、お前らの方がありえねえ。さてはお前らチンコ生えてやがるな。

いやいや、これこそ結婚や出産という段階を踏んでまさに「脂が乗ってきた」と言うべきだろう。単に「下品になって来ただけ」とも言うが。

勿論ここでは彼女達の実名を挙げる事は避ける。ただ「お気の毒な方々」なだけなので、生暖かい目で見守っていきたい。

私達が酒を酌み交わしていた後ろの席では大学生とおぼしき数名が所謂「合コン」なるものを催していた。私はそういったものをつぶさに観察する、という高尚な趣味を持っているので、つぶさに観察、現代用語で言えば「ガン見」していたのだが、そこにいる女性達の楽しくなさそうな事が露骨だった。16対2とかのスコアで負けている広島カープ戦を観戦している時の私くらいつまらなさそうだった。「マジもう勘弁してよ…コールドゲームにしようよ、コレ…ああ、また上野が打たれた…」という塩梅だ。

基本的に酒の席で不貞腐れているヤツは嫌いだが、私はそれをつぶさに観察、現代用語で言う所の「ゴリ見」しながら、「もうちょい歳食ったら楽しくなるぜ、きっと」と心中で呟いた。

こういう事があると、歳を取っていく事が楽しく思える。一年か二年に一度ほどしか集まらない連中なのだけれど、次に集まる時には昨日よりも楽しいのだろう。

人生は上々だ。

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