将棋第69期名人戦(本局編)
山梨は甲府まで、かみさんと二人で将棋第69期名人戦の大盤解説を観に行った。日帰りの山梨行程。遠いようでなかなかに行けてしまうものである。
どうしても現地に観に行きたかった。同い年、同級生であり、小学生の頃からずっと凌ぎを削り合って来た好敵手同士、そして現代将棋の最高峰である二人、森内俊之氏と羽生善治氏の対決、それも最終局である。数ヶ月に渡って繰り広げられた大熱戦の、一番のクライマックスなのである。観に行かずにいられようか(いや、いない)、と反語を呟いて、早起きして甲府行きの電車に飛び乗った。
結果は既にご存知の方も多いかも知れないが、非常に激しく、そして極めて難解な勝負の末、森内九段が勝利。名人位に返り咲いた。
素晴らしい名勝負であった。振り駒(一種の抽選のようなもの)によって、先手が森内九段(現名人)、そして後手が羽生(前)名人と決まった。
先に仕掛けたのは羽生名人。森内九段に対して「攻めて来いよ」と誘ったのだ。
森内九段がそれに応えた。中々に珍しい事である。元来、森内九段の棋風は、激しいものではない。彼自身はこの呼び方をあまり良くは思っていないそうだが、彼の棋風はしばしば「鉄板流」などと呼ばれる。その呼び名の通り、彼の棋風というのは「重厚な受け」が売りである。幾重にも重ねられた守りで相手の攻めを受け、間隙をついて相手の玉を一瞬にして陥れる、そんな棋風であるのだ。
しかし昨日の森内九段は違った。序盤において、二騎の桂馬が4五の地点と6五の地点まで上がる、という激しい攻めを見せてくれた。過激な言葉を使えば、「トシユキィ!来いよオラァ!」という羽生名人の挑発に「潰してやんよ!ヨシハルゥ!」と応えたという格好か。実際に彼らが喋っていたとすれば、「まー、森内さんに一度攻めてきてもらいたかったんですね、ええ、えー」と羽生名人が言って「あっ、ちょっと指し過ぎかなとも思ったんですけど、指したかったんで指しました」ぐらいのものだろうが。
森内九段が攻めて、羽生名人が受ける、という状況が続いた。森内九段の攻めは、いつにも増して激しかった。
象徴的だったのは、初日最後の封じ手である。森内九段の棋風を考えると、「8二歩打」というのが本線と考えられていた。手堅い攻めである。しかし森内九段が選択したのは、「5三桂左成」という流れに沿った素直な攻め。私はその一手に「あっ、今日はとことんまで行こうかなと思いまして」というような森内九段の覚悟を感じたような気がした。
細い攻めを森内九段が繋げる中で、検討室や大盤解説上でも全く考えられていなかった妙手が森内九段から飛び出した。5五角、という一手である。
この一手以降、先手(森内九段)優勢で勝負は展開した。
しかし、流石はこれまで幾多の将棋の歴史を塗り替えてきた天才、羽生名人である。そこから驚異的な粘りを見せて、一時期は「後手優勢」という声が上がる所まで勝負の流れは二転三転した。
「羽生でなければこんなに白熱した将棋にはならなかった」とは、現将棋連盟会長の米長邦雄氏の言葉である。
時刻が午後八時を回り始めた頃、いよいよ先手優勢の流れは確固たるものになり始めた。観客も検討室も、もはや「どこで羽生名人の頭が下がるか」という事が気になり始めた頃だ。
羽生名人は、それでも指した。「負けました」の一言、喉の奥から出かかったその一言を飲み込んで、「どこかに勝機はないか、活路はないか」と、懸命の一手を指し続けた。私は盤上から彼の打つ駒の音が聞こえる度に、背筋に何度も電流が走った。「みっともなくても何でも良い、とにかく負けたくない」という彼の心の叫びが聞こえてきたような気がした。有り体に言えば、感動していた。
ついに彼の玉が何処にも生きる道が無くなったその時、羽生名人の腰が折れた。
「負けました」
その一言が、彼の口から発せられた。
現地会場は大きなどよめきと、そして割れんばかりの拍手に包まれた。私も深く、感動していた。
羽生さんと森内さん、どちらを応援してという話とは別次元に、まるで命の削り合いのような渾身の将棋を見せてくれた二人を、ただただ讃えたかった。
素晴らしい、名人戦最終局に相応しい将棋であった。
森内新名人には心から「おめでとう」と言いたい。そして羽生前名人にも、「素晴らしい将棋をありがとう、次に期待しています」と言いたい。
心に残る、名勝負だった。
(「こぼれ話編」に続く)
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