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2011年5月

2011年5月31日 (火)

オレも昔はナイフみたいに尖ってて

自宅レッスンの伴奏によくギターを用いる。

演奏する音楽の大半はジャズなので、なるべくならばフルアコギター(大きなバイオリンのようなギター)のようなもので鳴らしたいのだけれど、私はそれを持っていない。私が持っているのはフェンダー社のストラトキャスターというギターだ。このギターは、いわゆる「いかにもなエレキギター」といった風情だ。そもそものサウンドは、あまりジャズには似つかわしくはない。

私なりに工夫を凝らしたのだが、このエレキギターを、ベース用のアンプに繋ぐ。高音部を絞って中低音部を上げる。ピックアップはフロントのみ、もしくはフロント+センターを使う。ちなみに弦はかなり太いものを張っている。

こうすると、比較的フルアコギターに近いような、太くて丸い音になる。「そもそものストラトらしさ」は失われるが、ジャズには似合うサウンドになる。私はこのセッティングが気に入っていて、ずっとレッスンの伴奏ではこのギターでコードを弾いたりしていた。

それが、先日辺りから、このギターが「すわデスメタル!?」と言いたくなるような歪んだ音が鳴り始めた。擬音で表現すると、これまでが「ぽろろーん、しゃーん」という音色だったのが、「ぎゃいーん!ずぎゃーん!」という音色になってしまった。

私は直感した。「ギターがグレた」と。

「おうテメー!オレは元々ロックンローラーなんだよ!それが何だ!ベースアンプに差したりしやがって!ふざけんじゃねえ!オレはもうジミヘンサウンドしか出してやらねえ!」

そんな声が聞こえたようだった。

いや、しかし待てよ、と私は立ち止まった。確か私のギターは電池で動いていたのではなかっただろうか。まさか、その電池が消耗したが為に、このような「不良サウンド」になっているのではないだろうか。

私はコンビニへ走り、ギター用の電池を見た。コンビニに、その電池は売っていた。

しかし、値段を見て驚いた。何と驚愕の504円。国が一つ買えるほどの値段である。

私は思案した。この電池を買えば、或いは私のギターも「おグレになった」状態から、「オレもマジ昔は迷惑かけた。今はマジ親にも感謝して全てのものにリスペクト云々」という、アホ丸出しラッパーのような更正状態になってくれるやも知れない。しかし、「オレのささくれた心は電池なんかじゃ癒されねえんだ!」と、更正してくれないかも知れない。その為に504円を使うのは痛すぎる。

私は一度コンビニを出た。私はスーパーセレブなので、携帯電話なるものを持っている。年収が二兆円を超える者のみが持てるというスーパーアイテムで、これがあるとどこでも電話がかけられるのだ。

私は近所のライブハウス、「バックインタイム」に電話をかけた。実はこの店のマスターのK氏は、「ライブハウスのマスター」という顔の裏で、「凄腕ギタリスト」という顔も持っておられる。彼に聞けば、私のギターの不良化の原因もわかるであろう、と踏んだのだ。

「あ、どーもー福島ですー。Kさん、実はちょっと相談なんですけどー、ウチのストラトがぎゃいんぎゃいん歪んじゃいましてー」

「福ちゃん、そのギター、アクティブ?パッシブ?」

「???」

実はここで白状するが、私はギターの事は殆ど知らないのだ。アクティブ?パッシブ?何それ食えるの?という「お気の毒な人」なのだ。

「あ、いや、何か…電池で、電池で動くやつです…!」

何だその小学生のような受け答えは。

「あーじゃー電池が無くなってるだけだと思うよー、電池代えたら直るよー」

「はいっ!電池代えます!ありがとうございます!」

「いえいえどういたしましてー。あ、今度のライブの事でー(以下業務トーク)」

私は電話を切って、一人呟いた。

「やっぱ餅は餅屋やでしかし」

彼の言う事ならば間違いは無かろう。504円の出費は痛いが、それでギターが更正してくれるなら安いものだ。世の中金やで、と呟きながら、ドヤ顔で電池を買った。

家に帰って電池を交換してみたら、彼の言う通り、確かにギターは更正した。「いやあ、もう昔の話は勘弁して下さいよ…オレもアホでした…」と微笑みながら日本酒をちびりやる宇梶剛士よろしく、極めて爽やかな「好青年サウンド」がアンプから響き渡った。

おかげで本日のレッスンでも、我がストラトくんは絶好調。本当に見事に更正してくれた。

嬉しい。

さて、明日6月1日水曜日は上野アリエスでライブ。ハーモニカ皆川和義とのデュオ。ゲストボーカルには大塚美香。19:30スタートです。

是非ご来場を。もちろん明日はギターではなくてピアノを弾きます。

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2011年5月30日 (月)

引っかける

夜10時。本日の全ての仕事を終えて家路へ。

一杯呑みたい欲求が激しく湧き上がる。

金はそんなに持っていないけれど、小岩に帰れば安い酒場がたくさんある。

うん、今日は一杯引っかけて帰ろう。

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2011年5月29日 (日)

連敗とライブ

広島カープ、怒涛の四連敗っ!

もう今年は早めに言っておこう。

最初だけでも楽しませてもらった、夢を見させてもらった、と。

いやあ、打てない打てない。どうしたものか。

それはそうと、6月1日水曜日はライブです。

上野アリエスにて、皆川和義とのデュオ。ゲストボーカルは大塚美香です。

もう何だかんだでこのコンビも3年ぐらいになります。意外と飽きないもんです。

毎回毎回新しい事をやる訳ではないけれど、少しずつ我々も変化をしていて。願わくば、その変化は「進歩」であると良いのだけれど。

19:30スタートです。宜しくどうぞ。

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2011年5月28日 (土)

キュートなフライヤ

6月18日の俺カルテット(福島剛カルテット)のチラシを、かみさんに作ってもらいました。

漫画家志望だったかみさんは毎回チラシにマンガを描いてくれますが、今回ので言うと

・サックス黒ちゃんが細すぎる

・ベースつるががカッコ良すぎる

・ドラム南さんがかわゆすぎる

という点が挙げられます。

どうぞご賞味下さい。

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2011年5月27日 (金)

明るい節約生活

「てめぇの稼ぎが少ねえ上に、毎晩毎晩酒ばっかり呑みやがって!お陰でウチの家計は火の車だよ、このボンクラ!」と言いたい所をじっと堪えて、「たけちゃん、ちょっとお金無くなってきちゃった。節約しないとだね」と可愛く言うのは、我が妻ナミコである。

「へ?何で?」と間抜けに問い返しても、「だからてめぇの稼ぎが“ちょっとバイトを頑張ってる大学生”よりも少ねえからだろうが、このスカタン!」と言いたい所をぐっと耐えて、「まあ今はあたしが働いてないからね。それにまだ失業保険も振り込まれてないし…」と、決して私の低収入を詰ったりはしない、妻ナミコである。まさに妻の鏡である。私はナミコを心から愛している。最近では友人ヤマとの間では、ナミコの事を「ネ申子(カミコ)」と呼んでいる。理由はネ申過ぎるから。

さて。という訳で、我が家は本日より節約週間に入る事になった。我が家の節約事情を紹介したい。

気付かぬ内にぽんぽんと金を遣ってしまうものの一つに、「お茶」が挙げられる。我が家のお茶の消費量はマジにハンパない。デブを家に一匹乃至二匹飼っている方はよくご存知かも知れないが、デブというのは実によくお茶を呑むものである。そしてそれをばんばか汗として体外に出すものである。これはデブに共通の生態である。

我が家においても「デブ将軍」の名をほしいままにするこの私が、一日にリットル単位ではなく、ガロン単位で烏龍茶を呑む(1ガロンは約3.785リットルである)。何かと言えばすぐに、「ねーなみちゃーん、お茶入れてー」と言っては烏龍茶をがぶ飲み。額に汗をじっとり。一分の隙もないデブの姿ではあるが、本当に私は一日に4リットルぐらいは、つまり1ガロンぐらいは最低でもお茶を呑んでいるのである。

このお茶を、コンビニなどでいちいち買っていたのでは金が幾らあっても足りない。流石のビルゲイツでも「タケシ、ちょっとはコンビニのお茶を呑むのを控えてくれないか?タケシのお茶代が嵩んでいるせいで、我が社アップルコンピュータ社が傾き始めてしまったよ。社員のみんなは、リーマンショックに続くウーロン茶ショックだと口々に言っているよ」と泣きつく有様だ。

そこで、「インテル入ってない」でお馴染みのナミコゲイツと俺ゲイツは、常に冷蔵庫の中に家で沸かしたウーロン茶を常備しておくという画期的なアイディアを打ち出す事で、この「ウーロン茶ショック」からの打開を計っている。概算ではあるが、一ヶ月のお茶代を全て自宅で入れるという節約方法を採る事により、約二兆円の節約になる事が予想されている。これで少しはマシになる。

更に「外食禁止令」が緩やかに発布された。やはり、外食という行為のもたらす経済的被害は馬鹿にならない。我が家のようなハイパーセレブ家庭ともなると、外食の際には300円のモツ煮込みに舌鼓を打ちつつ、250円のハイボールをウマウマと呑む、というのが定番だが、これも度を過ぎると経済を圧迫する。

また、私が抱えている重大な病、「なみちゃんランチ行こうよ病」がある。平日の昼下がり、家で夫婦二人でダラダラと過ごしている時に私が発する悪魔の囁き、「ねえ、なみちゃんランチ行こうよ」である。

「ちょっと散歩してさ、ほんでカレー屋さんのランチでも行こうよ」という悪魔の囁きである。これに妻ナミコは抗えずに、「良いよ、じゃあ行こっか」となる。

本当に散歩をしてカレーを食べに行くだけならまだしも、我々は散歩の途中で古本屋などに寄り、無駄な買い物をしてしまう。先日は私は古本屋で「火の鳥」の1〜3巻を買ってしまった。妻ナミコは、萩尾望都の画集を買っていた。絵に描いたような「散財するアホ夫婦」である。

これを戒める為にも、我々はしばらくランチには行かない。「散歩→ランチ」のコースを辿りたい時には、まずは自宅から水筒に入れたお茶を二人分持って、江戸川土手まで散歩である。これにより散歩欲は発散される。そして帰りに近所のスーパーでつけ麺二人分入り250円也でも買って帰って、家でそのつけ麺でも食えば宜しい。最近スーパーで売っているつけ麺のレベルはぐんぐんと上がって来ている。つけ麺に関しては、外で食わなくとも良いかとも思っている。

勿論、友人や仕事仲間とのコミュニケーションの一環として外食をする事もある。妻ナミコにもそういう機会はある。その時にケチケチするのは良くないが、普段の生活では引き締めていかなくてはならない。

我々の節約生活は始まったばかりだ。

金があるのも良いことかも知れないが、金が無いのもそれなりに楽しいものである。

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2011年5月26日 (木)

俺リアルブック

ジャズの演奏を仕事や趣味でやっている人ならばご存知の方も多いかも知れないが、「リアルブック」だとか「フェイクブック」というものがこの世には存在する。

何かと言えば、要は譜面集である。

ジャズ演奏の時によく演奏されるスタンダードナンバーなどが、何百曲と収録されている。クラシック音楽などと比べて、ジャズの譜面は大変に簡略化されている為(即興の要素が強いので)、一曲あたりの譜面量は通常ならば1ページ、多くとも2ページほどで済んでしまう事が殆どだ。なので、一冊の譜面集の中に数百曲を収録出来る。それらを集めたのが、この「フェイクブック」或いは「リアルブック」なのだ。何故「フェイク(偽物)」と「リアル(本物)」の正反対の名前が冠されているのかは知らない。

この譜面集、よく考えてみればおかしな話なのだが、「今時は誰でも持っている」。

察しが早い人は気付いたかも知れないが、インターネットが原因である。

以下の話は法的には完全に違法なのだが、どこぞの誰かがそれらの本をスキャンしてデータ化し、インターネットを通じて何処かにアップロードをした。それを誰かがダウンロードし、更にそれをアップロードし…そんな事の繰り返しの中で、元々は高級品だったそれらの譜面集(確か一冊5000円ぐらいする)が、無料で様々な人の手元に渡ってしまった。こんな風に書いている私も、これらの書籍を電子データとして所有している。入手方法は「人からもらった」。詳しくは書かない。察してほしい。

そうやって譜面が手軽に入手出来る事は、私は手放しに良い事だとは思わない。譜面は基本的には「自分で書くべきだ」と私は思っている。

参考にするのは良いが、それをそのまま自らの演奏時に使う事にはものすごく抵抗がある。ぶっちゃけて言えば、「やってはいけない」と思っている。

なので私は数年前から「俺リアル(フェイク)ブック」を作っている。

自分で手書きで譜面を書いて、それをきちんとタイトルでABC順に並び替えて、という事で、「俺の俺による俺の為の譜面集」を作っているのである。

譜面を書く時には、余程の事がない限りはCDやレコードの音源などを聴いて、それを一音ずつ譜面にするのが基本路線だ。そう、実はこの作業が既に練習の一端を担っているのである。

「これをサボり始めるとおそらく俺は終わる」という意識もある。なので面倒なのだが、これは定期的に欠かさずにやる事にしている。

今日も休みだったのでこの作業をやった。今日はセロニアス・モンクの「Bye-Ya」。ちょっと変わった曲だが、良い曲だ。

「俺リアルブック」が少しずつ充実するのも、大変嬉しいのである。

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2011年5月25日 (水)

きょうのにっき

きょうはだいかんやまとゆうところでなんぞのぱーてぃーがあるらしいです。

かみさんがそこにいくらしいので、ぼくもつれてゆかれることになりました。

だいかんやまとゆうところはとてもおしゃれなまちらしいので、ぼくもむりくりなおめかしをさせられました。

ぼくはおしゃれなまちにいくのはちょっとゆううつです。

こいわで150えんのちゅーはいをのんでいるほうがきらくです。

きょうはおやすみだったので、ひるはおひるねをしたりぴあのをひいたりしました。せろにあすもんくとゆうひとのきょくをいっぱいひきました。たのしかったです。

いってきます。

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2011年5月24日 (火)

返信

通勤電車の中で携帯電話からブログを書く事が多いのだけれど、今日はずっとほったらかしっぱなしだった、「頂いているコメントの返信」をしてみようと思います。

いつもありがたく読ませてもらっていますが、あまりに溜まると返すのも億劫になっていました。

とりあえず古いものから。

今日中にはおそらく終わらない。

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2011年5月23日 (月)

先日図書館で借りた本

三冊借りた。

「はじめての将棋」森内俊之監修・小暮克洋著

「最新矢倉戦法〜3七銀戦法」高橋道雄著

「正しいピアノ奏法」御木本澄子著

以上三冊。

明らかに、ピアノ奏法の本を最初に読まなくてはいけないのに、必死に「現代矢倉の3七銀戦法」を勉強してしまう。

3七銀から4六銀と上がる。代わりに3七には桂が入る、という陣形が面白い。6八から角の睨みを利かせておく訳ね。ほうほう。

ああ、ピアノ奏法の勉強もしないと…

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2011年5月22日 (日)

言葉

何かわからない事、というか、「お、これはぜんたいどうしたもんだろ」という事に向き合わざるを得ない時というのは、誰にだってある。いや、誰にでもは無いかも知れないが、よくはある。

そんな時に、「あの人ならばどう考えるんだろうか」と、参考にしたくなる人というのが私には何人かいて、その内の一人は吉本隆明さんという人だ。

昭和から平成にかけて、「知の巨人」だとか「戦後最大の思想家」などと形容される事もある人なので、勿論エライ人なのではあるが、私の認識としては「稀有なほどに、徹底して嘘の無いおじいちゃん」である。そう、彼の言葉には驚くほど嘘が無いのだ。

難しい本もたくさん書いていて、「共同幻想論」だとか「言語にとって美とは何か」だとか「心的現象論」だとか、タイトルだけでお腹いっぱいになりそうな著作がいくつもある。若い頃に背伸びをして読んでみたが、書いてある事の一割もわからなかった。その後、「サルでもわかる共同幻想論」みたいな本を幾つか読んで、少しはわかったような気になったが、やはり基本的には「わかっていない」。

けれど吉本さんが年老いてからは、糸井重里さん辺りの「吉本さんの事が大好きな人達」が、彼の言葉を聴きに行って、私のような堪え性と理解力に乏しい人間達にもわかりやすいように、彼の考えを伝える役割をしてくれている。これは実にありがたい。

我が家に吉本さんの特集をした雑誌があって(やはり糸井重里さんが中心になって企画してくれたそうなのだが)、それを電車の中でパラパラと読んでいた。

やはり彼の言葉は、とても真っ直ぐに私の心に響く。

今日は彼の素敵な言葉を少しだけ紹介して、本日のブログ記事に代えたい。

「自分だけが決めたことでも何でもいいから、ちょっとでも長所があると思ったら、それを毎日、10年続けて、それで一丁前にならなかったら、この素っ首、差し上げるよって言えるような気がしますね」

「子供が何をやろうと、たとえ犯罪者になろうと、オウムに入って出家したいって言おうと『やってみな』というだけでね。『挫折したりイヤになったりしたら、まあ、戻ってくればいいよ』って。そういうことなら、やや、僕はできる」

やはり彼の言葉には勇気付けられるのである。

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2011年5月21日 (土)

祝復活

久しぶりに丸一日レッスン。

合間にカープ速報のメールが入ってくる。

ヤッタゼ今日は3−2でオリックス(阪急?)に勝ち!

大竹寛ちゃんもナガカーくんも帰ってきたし、嬉しい嬉しい!

広島伝説廣瀬くんとスパイダーマンあかまっちゃんも早く帰って来るんだよ!

待ってるよ!

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2011年5月20日 (金)

連休最終日

今日で連休も終わり。明日からまた仕事。

今日は昼に家でピアノの練習をして、図書館に行って、そこから実家へ。

実家では採譜の作業。レコードを聴いて、それを一音一音譜面にする作業。実はこの作業が大好き。

本日は私のアイドルであるAbdullah Ibrahim氏の「Salaam-Peace-Hamba Kahle」という曲の採譜。ものすごく綺麗な曲だ。

只今野球を観ながら、鉛筆で殴り書きの譜面をボールペンで綺麗に清書中。野球は、カープがしょうもない試合をしておる。情けない。

夕飯はかみさんと一緒に実家で。すき焼きらしい。

楽しみですな。

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2011年5月19日 (木)

岩沼の事4

三日目を岩沼で過ごす最後の日と決めていた。東京に戻って仕事をしなくてはいけなかったし、滞在可能な日程としてはやはりその日が最後だった。

朝、6時過ぎほどに目を覚ましてから、簡単な朝食を摂って朝の作業の準備をする。

歯を磨いている時には、「今日で最後か」という感慨などは特別には無かった。「作業、面倒くさいな」などというネガティブな感情がある訳でもなく、ただ淡々と「10分前にボランティアセンターに並んで…」などとその日の段取りの事だけを考えていた。それはそれで今から思い出して考えてみると不思議な話なのだが、事実、そうだった。

三日目の朝は土曜日の朝だった。土日を使ってボランティアにやってくる人達も多く、私がぼんやりとしていると、私のテントの横に、新たにやって来た人達が新たにテントを設置していた。

簡単な挨拶や雑談をする。私は半分も減っていないウイスキーの瓶を彼らに進呈した。持って帰るのも重かったもので。

三日目の作業は、20人の大チームだった。京都からやって来ていた男性の方がリーダーを引き受けて下さったのだが、その男性と仲良くなって少し喋る。彼は幾つかの被災地を周って来たらしく、他の被災地の状況などを聞いた。どこも大差はないらしく、やはり大変な状況らしい。

その日の作業は、初日と同じ、濡れた畳の搬出と泥かきだった。少し慣れて来た事もあり、順調に午前の作業を終えた。

作業を終えてテント村に戻り、自分のテントの撤収作業に取り掛かった。

この時にやっと、「ああ、東京に帰るのだな」という感慨がやって来た。

三日間を振り返ってみて、殆ど私は何も出来なかったな、という情けない感情も抱いた。もう少しフルに働ければ良かったのだが、準備不足や少々のアクシデントにより、予定していた行程の半分ほどしか作業が出来なかった事を反省した。

帰りは新幹線を使って東京に帰った。現在、仙台から東京まで、期間限定なのだろうが、新幹線の運賃が半額になっていた。通常ならば1万円の運賃だが、5千円で東京まで行ける。バスと殆ど値段も変わらないのだった。これには助かった。

今回のボランティアに関して私見を述べさせて頂くと、一ヶ月近い長期間で作業にあたる方々は別として、数日間の作業のみという事になれば、そこにはやはり多少なりの自己満足の感が介在することは否定できない。私も岩沼に赴く事に関して「所詮自己満足なのでは」と思っていたが、実際に行ってみた感想としては、やはり大いに自己満足である、と再確認した次第だ。

だからこそ、逆に前向きに捉えれば良いのではないだろうか、と私は思っている。立派な大それた事をしに行く訳ではない、所詮自己満足の為に行くのだ、と割り切れば、とても気軽な気持ちで被災地の復興作業にあたる事が出来るのでは無いだろうか。自分の情けなさに打ちひしがれる事ぐらいはあるかも知れないが、余程勘違いでもして行かない限りはそうそう現地の人々に迷惑をかける事も無い。ボランティアの基本だと言われる「自己完結の精神」さえ忘れなければ、何とかなる。泥かきの作業や被災者宅の清掃作業は、少なくとも人に迷惑をかけるような作業ではない。極めて微力ながらも、復興を前進させる一歩には繋がっているのだ。大した事ではないのだから、臆する必要もない。乱暴な言い方になってしまうが、「どんどんやれば良い」のだ。

そしてありふれた結論になってしまうが、これらの作業に求められるのはある程度の長さを持った継続性だ。私のような素人でもわかる事だが、「とりあえずの復興」という段階まででも、一年二年という時間が必要になる。無理の無い範囲内で構わない。「良い事をしよう、立派な事をしよう」などと気負わずに、本当に気軽な気持ちでその手助けを継続してやっていければ良いのでは、と私は感じた。

極めて個人的な事を書けば、被災地の現状(あくまでも一端ではあるが)を自分の目で見て、そして身体で感じられた事は、得難い経験であった。例えば三日間、私は日課にしているピアノの練習が出来なかった。それは音楽を生業にしている人間からすれば、なかなかに恐怖を伴う事である。練習が出来ない、というのは本当に怖い事なのだ。だが、それを含めて考えてもやはり「行って良かった」と思うのだ。いつも通りにピアノの前に座って練習をする事も勿論大事な事ではあるのだが、そうした得難い経験を通して、もう一度真摯に音楽と対峙する事が出来る。その意味でも私には大きなプラスとなった。

また、「被災地に行けない(行っていない)事」に関しても、負い目を感じる必要は全く無いと私は思う。復興支援の一形態として、「現地に赴き身体を動かす」という選択肢があるに過ぎない。東京を中心とした都市部、また離れた関西や九州などからの後方支援という形態も、これは極めて大事な事だ。「被災地に直接行かない人間には何も言う権利は無い」などと言う人間がいたとしたら、その人間の言う事はあまり信用しない方が良い。

最後になる。今回私が岩沼に赴く際に、強く心に留めておいた言葉がある。思想家吉本隆明氏の言葉を、糸井重里氏が紹介していたのだが、こんな言葉だ。

「『いいことをしているというときには、わるいことをしていると思うくらいで、ちょうどいいんですよ』これは吉本隆明さんから聞いたことば。いいことは、人を酔わせるからなあ」

長々と岩沼でのボランティアの事について書いてきたが、もしこの文章を読んで、「オレでも出来そうじゃん」、「オレも行ってみようかな」などと思っていただけたら、とても嬉しい。

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2011年5月18日 (水)

岩沼の事3

初日の作業は想像以上にきつかった。一言で言えば、目測を見誤った。

「作業はさほどきつくないだろう」という誤解、そして「自分の身体はまだまだ動くだろう」という誤解。それらの自惚れにも似た誤解が同時に作用した格好だった。

夜行バスでの移動でほぼ徹夜に近い睡眠不足、そして朝食を摂っていない事からくるエネルギー不足。それらも全て上記のような慢心による誤解がもたらしたものだったのかも知れない。

私は午前の作業を終えて一度自分のテントに帰ると、そのまま倒れこむようにして寝転がってしまった。疲れ果てて、そのまま午後の作業には出なかった。

「働くぞ!」と意気込んで行っていただけに、その「サボり」という事実に私は心中落ち込んだ。情けないなあ、とテントの天井を見上げた。しかし、身体は言う事を聞かなかった。

数時間眠って起きると、腹が減っている事に気がついた。手持ちの食料もあったのだが、岩沼駅からボランティアセンターへ向かう途中に、道の向こう側に牛丼の吉野家を見たのを覚えていた。カロリーメイトやらウィダーインゼリーやらではなくて、私は米が食いたかった。身体がカロリーを欲しているのがわかった。

歩くのは確かに面倒ではあったのだが、私は立ち上がってテントから這い出て、吉野家を目指した。雨がぽつぽつと降り出していた。

辿り着いた吉野家は、東京の吉野家と何ら変わらなかった。牛丼はいつものように美味かった。貪り食った。

食事を終えて一息ついてからテント村に戻ると、そのテント村の「村長」らしき人が私の方へ近付いてきた。近付いて来て曰く、その日は夜にかけて雨と風が強くなる、という予報が出ていたらしい。テントに防風の設備が無いとテントの骨が風で折れて壊れてしまう、テントを畳んでおいて、近所にある避難所で一晩を過ごした方が良い、と言うのだ。

何だか面倒な事になったなとも思ったのだが、仕方がない、自分の我を押し通して誰かに迷惑をかけても本末転倒だと思い、素直に従う事にした。貴重品とタバコと携帯の充電器と詰め将棋の本だけをビニール袋につめて、寝袋を脇に抱えた。残りの荷物はテント内に残した。テントを畳んだ上からビニールシートもかぶせるのだし、中のものは濡れないだろう、と踏んだのだ。避難所に大荷物を持っていくのも何だか嫌だったし。

避難所には、段ボールの板で仕切られた生活スペースがあった。私と他に数名、テント村から「避難」させられた人々がそこを共同で使わせてもらう事となった。

そのスペースで、共に避難させられた人たちと雑談を暫くしていると、「腹でも減ったしみんなでメシでも行くか」という話になった。前述の通り私は吉野家で食事を済ませていたので、その誘いを断った。皆が食事に出掛けると、私はその段ボールスペースの中で再び一人になった。

すぐ近くにあった本棚に、雑誌の「文藝春秋」が数冊あった。直近の芥川賞受賞作二篇を全篇掲載した号があり、それを手にとって西村賢太氏の「苦役列車」を読んだ。

読み終わると、そのまま寝袋の中で寝てしまった。

・・・・・・

朝起きると、雨はすっかり上がっていた。朝の6時30分から、避難所にいる人たちはラジオ体操をする決まりになっていた。私も起きていたので、一緒にラジオ体操に参加した。随分と久しぶりにラジオ体操をやった気がするが、不思議なほどにしっかりと覚えていた。子供の頃に覚えた事はなかなか忘れないものだ、と思った。

避難所を後にしてテント村に戻ると、私のテントを畳んだその上に、随分大きな水溜りが出来ているのが見えた。嫌な予感はしたが、上にかけたビニールシートをめくってみると、中の荷物が全て雨に濡れてしまっていた。特に作業着が全てぐしょぐしょに濡れていたのが痛かった。暫く思案したが、前日の午後の作業に引き続き、これは午前の作業も休んで衣服を乾かさなければ、と思うに至った。やはりこれも我ながら情けなかった。作業をして身体を動かしに来ている筈なのに、何でこうなるのか、と。

諦めて、衣服に染み込んだ雨水を手で搾り、日当たりの好い場所にそれらを干した。日差しはなかなかに強く、7時過ぎごろから干し出した私の洗濯物たちは、10時を過ぎる頃には九割方乾いていた。これで午後の作業が出来る、と私は安堵した。

午後の作業は、たまたまであるが、前日と同様に少人数のチームだった。この日はひたすらに泥かき。庭にたまったヘドロを掻いては運び掻いては運び、という作業だった。確かにきつい作業ではあるが、慣れれば何とかなる。それと前日と比べて言うならば、睡眠と栄養(朝食)をしっかりと摂っているという事が大きな違いを生んでいた。途中でこまめに水分補給をしたり、そういう事でもだいぶ違ってくる。そういった体調面での「準備」も実に大切であると私は実感した。

この日の作業中も、休憩時間に依頼主のご主人と話す機会があった。

ヘドロまみれになった庭を見ながら、「昔はこの庭でよくバーベキューなんかやってさ、外にある田んぼの稲を見ながら昼からビール呑むんだ。最高だよ?」なんて言っていた。

「ああ、そりゃたまりませんねえ。ビールも美味いですよ、そういう時なら」などと言いながら酒だのタバコだのの話でしばし盛り上がる。ご主人は、とても明るく笑っていた。それが私の印象に残った。

作業が終わってテントに戻って、この日は少しだけ酒を呑んだ。持ってきたウイスキーをちびりと舐めた。やはり気がつくと、私は眠りについていた。

(つづく)

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2011年5月17日 (火)

ビビり

ビビり
雷にビビる実家の猫。

きゃわいい。

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2011年5月16日 (月)

岩沼の事2

ボランティアセンターは、大きな病院の近くにあった。すぐに見つかった。

午前の作業の受付開始時刻は朝の8時30分だ、という事は事前にネットで調べていたからわかっていた。私がボランティアセンターに到着したのは朝の7時。まだ受付開始には一時間以上の時間があった。私はまずは背中の重い荷物をどうにかしたかった。やはりこれもまた事前に調べていた事ではあるが、私はボランティアセンターの近くの公園に作業者達が幾つもテントを設営して、そこがさながら「テント村」になっている事を知っていた。まずはそのテント村へと足を運んだ。

噂に聞いていた通り、そこには幾つものテントが点在していた。私が想像していたよりは若干数は少なかったが、それでも10~20近くのテントがそこの公園には張られていた。

早起きな「先住民」たちに「おはようございます」と軽く挨拶をすると、私もそこの公園の空きスペースにテントを設営し始めた。被災地にボランティアに行っておいて不謹慎な話ではあるが、こうしたアウトドアの始まりは何とはなしにわくわくする。

細長い筒状のケースに入っていたテントを組み立てると、約二畳ほどのスペースのテントが出来上がった。設営時間は約10分。慣れた人ならばもう少し短時間で組み立てられるだろう。

テントが出来上がると、私は膨れ上がった背中のバックパックを無造作に小屋の中に押し込み、テントの前で煙草を一本吸った(無論携帯灰皿持参。携帯灰皿をくれたU野さん、ありがとう)。テント村となっている公園の真横には、被災して家を失くした方々が住んでいる仮設住宅があった。子供がランドセルを背負って学校へ行く。母親が洗濯物を軒先に干している。あまりにありふれた「日常」が目の前で繰り広げられている事で、私の現実感は少々希薄になった。「今、被災地にいる」という現実感が。

時計を見ると、やはりまだ8時30分までは少し時間の余裕があった。私は自らの身体ごとテントの中に押し込み、鞄からipodを取り出して音楽を聴いた。今度は脳内ipodではない、本物のipodである。普段は私は外で音楽を聴く事は殆どない。理由は特に無い。強いて挙げるとすれば、「外に出てまで音楽を聴かなくても良いだろう」というのがあるぐらいだ。けれど今回の旅行に出る前に、私は「ひょっとしたら音楽を聴きたくなる事もあるかも知れない」と思って、珍しく鞄の中にipodなんぞを潜ませておいたのだ。中には私の尊敬するピアニスト、Abdullah Ibrahim氏のアルバムが6~7枚分ほど入っているだけだった。

テントの中で寝転びながら、静謐なピアノの音色に埋もれていると、いよいよ私の現実感は薄くなる。現実と肉体が乖離していくような錯覚を味わった。

そうこうしている間に、作業受付の時間が近付いてきた。私は持ってきたカッパや作業着に着替えて、テント村から歩いて一分の場所にあるボランティアセンターに向かった。

ボランティア作業にあたる面々は、滞在のタイプとしては大きく分けて三つのタイプに分かれる。一つは私のようにテントを張ってそこに寝泊りする連中と、自分の車の中で寝泊りする車中泊組、そして日帰りの連中である。近くに簡易旅館もあるらしいのでそういった所に泊まっている人もいるらしいが、数としては少数だ。そういった連中が三々五々ボランティアセンターに集まって、作業の受付を待つ。老若男女様々なタイプの人間がそこにはいる、と言いたい所だが、やはり圧倒的に多いのは20代~40代と思しき男性だ。作業は基本的には肉体労働である。当たり前と言えば当たり前だし、やはりそういう「若い男手」こそが今の被災地に求められているのだなと合点した。

受付を済ませると、廊下に一列に並ばされ、順々にチームに分けられて作業のガイダンスを受ける。私が割り振られたチームは、6人のチームだった。作業内容は、依頼主宅の濡れた畳を40枚屋外に運び出す作業と、庭に溜まったヘドロを掻き出す作業。また、被害状況を写真等に収める行為は謹んでほしい、との注意を受ける。

ガイダンスを受けたら、ボランティアセンターの外に停めてある送迎バスに乗り込み依頼主宅に向かう。一台のバスに3チームが合同して乗り込んだ。およそ20人ほどだったと思う。

バスが走り出して間もなく、私は息を呑んだ。

被災の現実を目の前にした。

岩沼という街に関して言えば、私が降り立った岩沼駅、また最初に訪れたボランティアセンターの周辺は、「目に見える被害」はさほど受けていないようにも見えた。建物が壊れている訳でもなく、何かの異臭が漂うわけでもない。ちょっと拍子抜けした、というのが正直な所だ。

しかし、バスが海岸に近付いていくに従って、街の景色はがらっと様相を変えた。

干ばつして荒廃した畑、ひしゃげたガードレール、そして幾つもの廃墟。畑には夥しい量の瓦礫が散乱し、そしてその下にはヘドロがこびりついていた。

目を覆いたくなった。

間もなくすると、バスは作業地である依頼主宅へと辿り着いた。

私たちは指示された通りにまずは家屋内にある濡れた畳を屋外に運び出す作業に取り掛かった。

昔柔道をやっていた時に、道場の畳を運ぶという事は毎日のようにやっていた。それほど大した作業でもあるまいと考えていたが、甘かった。水と泥をたっぷりと含んだ畳は、存外に重かった。最初の数枚は調子良く運んでいたが、次第に腕に力が入らなくなってくる。私の身体も充分に鈍っていた。情けない我が身に苦笑しそうにもなったが、兎に角目の前にある畳を運び出す事に神経を集中させた。若い男の子と二人で畳を運んでいる最中にあまりに腕に力が入らなくなり、「ちょっとごめん!待って待って!」と言って畳を一度床に置いた時には、本当にひ弱な自分の身体が憎らしくなった。

その作業が終わったら今度は庭の泥かきだ。庭の土の上には、津波によって海底より運ばれたヘドロが10センチほども積もっていた。それをスコップで掻き出して一輪車に乗せて近くの畑へ捨てに行く。この作業のひたすらな繰り返しだ。

確かにきつい作業ではあるのだが、決して出来ない作業ではない。庭はそれなりに広く、泥かきを始めた当初は「こんなの午前中に終わるのかよ」とも思ったが、少しずつ泥をかいていくと、ヘドロが乗る前の、元の茶色い土を見せている範囲も広がってくる。結論としては、午前中にきっかりその作業は終わった。

休憩中には、年老いた依頼主夫婦がお茶の差し入れをしてくれた。本当に身体に染みた。

帰り際に少しだけその夫婦と話が出来た。

家の前に畑があった。その夫婦の畑だそうだ。勿論、その畑も荒廃していたが、その中で葱だけが力強く伸びていた。先端にコミカルな花をつけていた。

「こんなになっても葱は枯れないんですね」と私が言うと、奥様が

「うん、葱は強いんだ」と言った。

その言葉が、強く私の心に残った。

定刻になると、私たちを作業地まで送り届けてくれたバスが再び迎えにやって来てくれた。

「ありがとうね、ありがとうね」と、何度もその奥様は頭を下げた。元より曲がった腰を更に深く曲げた。旦那様は、バスが見えなくなるまでずっと手を振っていた。

私はそれを、バスの中から、見ていた。

(つづく)

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2011年5月15日 (日)

岩沼の事1

数回に渡って簡単に記事を書いてきたが、三日間ほど東北に行ってきた。

今日はその顛末を少々書いてみようと思う。

まずはその準備から。テントによるキャンプ生活を基本にしようと思っていたので、そういった装備を揃えた。持っていったアイテムを思い出せる範囲で書いてみる。ちなみに参考にしたのは、友人石田ゆうすけのブログにあった記事である。

・テント
・寝袋
・タオル5本
・Tシャツ(捨てても良いようなもの)4枚
・靴下4本
・カッパ
・長靴
・サンダル
・軍手2組
・ゴム手袋
・水500ml×4本
・烏龍茶500ml×2本
・カロリーメイト3箱
・ウィダーインゼリー2個
・詰め将棋の本
・歯ブラシセット
・タバコ3箱
・ウイスキー1本
・ipod

他にもあったと思うが、忘れた。まあ大体で許してほしい。これらを40リットルのバックパックに詰め込んで、テントは小脇に抱えて出発した。

東京を出たのは11日の晩だった。夜0時に新宿発の夜行バスに乗り込んだ。JRバス、「ドリーム政宗号」というネーミングセンスの欠片も無いバスであるが、4500円の乗車賃である。三列シート(一席ずつ独立したシートが一列に三つ、という形)で極めて快適。5時間40分ほどの走行の後、翌日12日の朝、5時40分ほどに仙台駅に着いた。

仙台駅に着いた所で、早朝の時間なので何も店もやっていない。朝食を取る事もままならない。なので、いきなり目的地の岩沼を目指す。岩沼へは、仙台駅からJRの電車で約30分ほど、運賃は320円である。

電車に乗っていると、通学の学生たちも電車に乗ってくる。ん?朝6時だぞ?宮城の学校は始業が早いのだろうか。クラブの朝練なのだろうか。わからないけれど、早朝の電車には学生が多かった。

岩沼駅に着いたら、目的地である岩沼のボランティアセンターを目指す。どこにあるかは知らなかった。駅で聞けばわかるだろう、と高を括っていたが、案の定、駅にいたおばちゃん駅員さんは親切に教えてくれた。ただ、「結構歩くよ」との事。笑顔で「大丈夫っす!」と返す。おばちゃん駅員さんの「頑張ってね、ありがとう」の声に何となく心が躍る。

意気揚々と岩沼駅を出て歩き出したが、実は荷物がかなり重かった。先ほど荷物の中身を軽く紹介したが、40リットルのバックパックにパンパンに衣類だの食料だのが入っているのである。重さにして、およそ10kg~20kgはあったと思う。とにかく重い。足取りも一歩ずつ重くなるのである。

話は逸れるが、私は旅行に行く時に大きな荷物を持っていく事ほど嫌いな事は無い。極端な理想を言えば、出来れば手ぶらで行きたいと思っている。どこに旅行に行くにしても、人間が生活している所ならば生活に必要なものは最低限は揃っているのである。現地調達で全てを済ませてしまえという所は大きい。また、「大きな荷物を持って行く事」というのは、「普段の自分の日常を持って行く事」だと私はどこかで考えている。例えばインドに行くのに「日本での自分の日常」を無理やりインドに持ち込む必要もなかろう、私はどこかでそう思っている。インドにはインドの日常があるのだから。

だから、今回のような大荷物の旅行には慣れていなかった。今回は特別だ。曲がりなりにも被災地に行くのだから、なるべく被災地の方々に物資的な面だけでも面倒はかけたくない、そんな事を思っていたから、思いもかけない大荷物になってしまったのだ。これはある意味では仕方のない事だし、やはりこれから被災地に向かう方々にも「なるべくならば自分で持っていけるものは自分で持っていった方が良い」と私は言いたい。大荷物を担いで歩く大変さは重々わかるが、そこはやはり耐えなくてはならない。

閑話休題。そんなこんなで重い荷物を担ぎながら私は岩沼駅から歩き始めた。せっかくipodを持ってきているのにも関わらず、それは鞄の中から出さずに、脳内ipodの中で音楽を再生した。確かエレファントカシマシの「風に吹かれて」が再生されていたと思う。それを脳内再生だけではなくて、軽く口ずさんで歌いながら、えっちらおっちらと歩いた。

「かがやく太陽はーオレーのーもーのでー、キラメク月はーそおーオマエの涙ー」

そんな事をしていると、朝の散歩をしている岩沼のおばあちゃんに声をかけられた。

「ボランティアで来てくれたんかい?どこから?」と。

「あ、そうです。東京から来ました」

そしてやはりここでも言われる。

「ありがとう、頑張ってね」と。

本当に、こういう一言で私のような単細胞は途端に力が湧いてしまう。

「よっしゃあ、オレぁやるぞ!頑張って働くぞ!」と。

確かに岩沼駅からボランティアセンターまでは、歩いて10分~15分ほどかかった。けれど、その道のりは、私にはそれほど長く感じられなかったのである。重い荷物を背負っていたにも関わらず。

(長くなるので、つづく、にします)

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2011年5月14日 (土)

岩沼三日目

午前の作業を終えて、テントやら何やらを撤収して帰路へ。

さよなら岩沼。また来るね。

詳しい事は後日書くが(多分)、一つ確かな結論としては「行って良かった」。

帰りの新幹線(何と半額の5000円)で呑むビールが美味過ぎて死ぬかと思った。

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2011年5月13日 (金)

岩沼二日目

昨夜の雨でテント内は水浸しに。

作業着が全て使い物にならなくなったので、午前の作業を休んで洗濯に充てる。日差しは強かったので、全て数時間で乾く。

午後の泥かきの作業を終えてテント村に戻ると、今度は強風のせいでテントがぺしゃんこに。マイテントはマジに気合いが足りない。

今日も身体がばきばき。貧弱なマイボディもマジに気合いが足りない。

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2011年5月12日 (木)

岩沼一日目

被災地の現状には驚いたが、それに次いで自分の身体の動かなさ具合にも驚いた。

近所に置いてあった文藝春秋を読む。

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2011年5月11日 (水)

行って来ます

昨日のブログにもちょろっと書きましたが、東北へ行って来ます。

今は新宿発の夜行バスを待っていますが、そのバスに乗ってまずは仙台まで。朝5:30ぐらいに仙台に着くらしいので、そこからJRの電車で岩沼という所まで。

岩沼にボランティアセンターがあるらしく、そこに登録して三日ばかり肉体労働をしてくる予定です。3kgぐらい痩せる予定です。

天気が不安だ。

という訳で、急ぎの用がある人は、以下のアドレスまで。

africanpianoアットマークgmail.com

携帯の簡易充電器を買ったので、一日に一度ぐらいはチェックします。基本的には電池が無いので、携帯は電源off状態が長いかも知れません。

という訳で、行って来ます。

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2011年5月10日 (火)

逆冷え症

女性に多いとは聞くのだが、冷え症とはたいそう大変だそうだ。まるで氷で冷やしたかのように手足の先が冷たくなり、当然ながら動きが鈍くなる。どうやら血液の循環の問題らしい。

こうして他人事のように書くのには訳がある。

私は全く冷え症ではないどころか、寧ろそれとは真逆の方向の悩みを抱えているからだ。「末端ポカポカ症」と呼ばれたり、「汗だるま親方」と呼ばれたり、或いは単なる「デブ」と呼ばれたりする類いのアレだ。

この病を患う私達にはなかなかに手強い季節がやって来た。額に汗をじっとりとかきながらそんな事を思うのである。

これぐらいの季節。つまり梅雨入り少々前ぐらいから初秋の頃まで。私達デブどもには辛い季節がやって来る。

私達デブは、ただじっと座っているだけでも額に汗を滲ませる事が出来るのである。これが「エアコンの効きの悪い満員電車に30分」であるとか、「扇風機しか回っていないラーメン屋で激辛ラーメンを完食」というような状況になれば、当然のように「一人ナイアガラフォールズ」である。「一人水の都ヴェネツィア」である。水分という水分が、毛穴という毛穴から噴出するのである。マジな話、激辛であろうとなかろうとラーメンを完食した後は私は、一っ風呂浴びたかのように濡れている。ずぶ濡れである。

そんなこんなも、全てデブが悪いのである。

私は痩せなくてはならない!

という事で、明日の晩からダイエットを目的に仙台〜岩沼へ行こうと思う。今日、テントを買った。後は耐油用のゴム手袋を買えばばっちりだ。夜行バスのチケットは、今からJRで聞く。

毎日更新してきたこのブログも、恐らくは更新環境が無いので更新は難しいかも知れない。

可能な限りは更新します。宜しければどうぞ。

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2011年5月 9日 (月)

教えるふり

体調不良からほぼ完全に復活。

復活の原因は、ここ数日体調不良のせいで止めていた酒を、昨晩はビール一杯、元気良く呑んだお陰だと思われる。「呑める食える」は元気な証拠やでしかし。

今日は朝からレッスン。一年と少し教えて来たとある生徒が、今回のレッスンにおいて劇的な変化を見せてくれる。一言で言えば「ノリ」が良くなった。劇的に。

レッスンの際にはいつも生徒にピアノを弾いてもらう横で私はベースを弾くのだが、共に一つのリズムを共有出来ると、それだけで私は楽しくなる。金を貰っている立場でこちらが楽しくさせてもらう、というのは何だかいささか恐縮する話ではあるのだが、楽しいのだからしょうがない。

リズムを細分化して細かく取る、という捉え方をする一方で、リズムを「時間」として捉えて大きく取る、という相反する感覚を同時に持つ。つまり、一拍が一秒だと仮定した時に、一拍(一秒)を三分割したり四分割したりする一方で、一小節(四拍)を「1+1+1+1=4」ではなく、単純に「4秒」というかたまりとして見る。或いは「2+2=4」でも良いかも知れない。もっと大きく取れば、二小節で8秒だ。そういった取り方を演奏者達が同時に共有する事で、リズムはより立体的になり、音楽に奥行きが生まれる。実に面白い。

一つずつ階段を昇る事でしか見えて来ない事がある。というよりも、音楽に関してはそんな事だらけだ。

只今より午後のレッスン。

私は人に教えているふりをして、人に教えられている。

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2011年5月 8日 (日)

ふらふら

ふらふらしている。

昨日の体調不良が本気を出してきやがって、昨晩0:00頃から本格的に熱も出てきやがった。

マスク等の完全防備で働く。

何とか今日を乗り切りたい。

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2011年5月 7日 (土)

気合いで乗り切る

体調が激烈に悪い。

昨日辺りから喘息の発作の兆候が出ていたが、今日になった時点で喘息は本格化、そして若干の寒気もあることから、弱った所で風邪ウィルスにも少々やられている事がわかる。

メンタンドラ1で5200(ゴンニー)だっただけの手に、モリっとウラが乗って現在親っパネ18000(インパチ)までという所か。この手、なかなかに化けるぞ。

今日はレッスンの日。流石に少々の体調不良では仕事は休めない。朝一の生徒にだけは、時間を少々遅らせてもらった。朝の喘息の発作はなかなかにヘビーだったもので。けれどそれ以降は今の所順調。

関西プチツアーの事も書きたかったけれど、今日はちょっとそういう状態じゃないな。またいずれ。

いやしかし、ヨシエはんは凄かった。

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2011年5月 6日 (金)

帰路

久しぶりに会った関西の友人知人達に「お前太ったな」と言われること数十回、いや、数百回。

その度に深く傷付き、また今後の人生をデブとして生きる決意を新たに、語尾に「でぶ」をつける練習をしていたでぶ。

そんな感じの関西ツアー。デブがデブでデブしてデブでした。

もういいでぶ。

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2011年5月 5日 (木)

本日深草ざぶざぶ

本日深草ざぶざぶ
本日深草ざぶざぶ
本日5月5日、京都深草ざぶざぶにて市川芳枝さんとのライブです。

19:30からです。

添付写真は二日連続で昼飯を食べに行ったうどん屋「みなもと」のうどんです。

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2011年5月 4日 (水)

京都お決まりコース

昨日のこと。

・演奏のギャラをもらい忘れた。

・後輩つるがの「腹の上のポニョ」が着実に成長していた。

・友人石田ゆうすけが××した。(←ちょっと秘密)

・↑この事もあって、たくさんお酒を呑んだ。

・泊めてくれた後輩の家が立派過ぎて笑った。

・確か呑みの最後は「ドキっ!丸ごと全裸!」だった気がする。男四人で。

という事で関西にいる。

関西を離れて何年か経つが、たまにこうして戻ってきてふらふらしている。

なるべくならば「何もしない一日」を作るようにしていて、今日がまさにその「何もしない一日」だ。

そんな日には、大体いつも同じコースを辿る。決まった所がある。

全て京都だ。

まずは墓参り。鞍馬口にある寺に行く。これだけは未だに欠かした事は無い。墓参りをしたから何だ、という事でもないのは知っているが、単純に自分にとって「行かない事」が気持ち悪いから行く。

それが終わったら、京都で最もウマイうどん屋(オレなび調べ)に行く。北大路通り沿い、賀茂川のほとりにある「みなもと」。ここのうどんは京都で一番ウマイ。いや、日本で一番ウマイと言っても過言ではない。

決して高くは無い。千円でお釣りの来るレベルだ。

確かに私はチェーン店のうどん屋「丸亀製麺」が大好きだ。しかし、「丸亀製麺」と「みなもと」の間には、決して越えられない壁がある。もはや根本的に違う食べ物だ、というぐらい違う。

立ち上るダシの芳醇な香りに、関西特有のソフティな麺。まさにダシとうどんのマリアージュや!私は一人で食っていたにも関わらずについつい口に出して呟いてしまう。「ウマすぎる…っ!…悪魔的だ…っ!」と。俄かにアゴも尖ってくるというものだ。お耳もポロリしちゃうぜヘイヘイ。

後ほどこの悪魔的「みなもとうどん」の画像は添付したい。いやホントにウマイんだって。マブだよ、マブ!

さて、それが終わったらバスで少々南に下り、出町柳へ。ジャズ喫茶「LUSH LIFE」へ。日本で一番濃いジャズばかりをかけるジャズ喫茶だ。師匠が死んでから後は、私にとって唯一の「ジャズの学校」だ。何時間でもいられるし、何時間いても怒られない。

という事で今からラッシュライフへ。今日は一日のほとんどを喫茶店で過ごします。

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2011年5月 3日 (火)

本日高槻JS

新幹線の中から。

本日5月3日は、大阪は高槻で行われている「高槻ジャズストリート」に出演する為にはるばる大阪まで移動中。

この高槻ジャズストリート、一部のVIPミュージシャンを除いて、出演に関しては基本的に公募の形を採っている。

散々これまでにも告知してきたが、明後日5月5日(木)には京都深草「ざぶざぶ」にて、市川芳枝さんとのライブがある。

実はそっち(芳枝さんとのライブ)が先に決まっていて、「せっかく関西に行くし、ついでに高槻ジャズストにも出れたら良いなー。お祭りだしなー」という感じで応募してみた。

3枠を使って応募した。一つはサックスとのデュオ、もう一つはハーモニカとのデュオ、そしてもう一つがソロピアノである。

見事に先に挙げた二つの枠は落選続き(希望枠が重複した際には抽選をする、らしい)で、ソロピアノの応募だけがすんなりと当選した。いやはや、クジ運の無さには以前から自信を持っているが、ここでも遺憾無くそのヒキの弱さを発揮してやったぜ。ま、一個だけでも当選したから良いんだけど。

そんなこんなで今から高槻ジャズストリートの一部で演奏。お祭りムードをぶち壊すかのような辛気臭いソロピアノをやろうと企んでいる。いや別に悪意がある訳では無くてね。私のピアノは根本的に辛気臭いのだよ。そこはご了承頂きたい。

本日17:00〜、「Billie's Bounce」というお店でやります。宜しく。

それで明後日5月5日は市川芳枝さんとのライブ!詳細については過去の記事をご覧下さい。

また明日か明後日にもその事については書きます。

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2011年5月 2日 (月)

宣伝のみ

本日上野「アリエス」、19:30〜です。

何かばたばたしていて簡単な告知のみのブログですみません。

張り切って参ります。

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2011年5月 1日 (日)

GWライブ詳細

明日から続く何本かのライブの詳細です。

ご都合の合う方は、是非お越し下さい。

5月2日(月)東京上野 アリエス
tel 03-3831-0523
http://www.jazz-cygnus-aries.co.jp/aries/ari-top.html
いつものアリエスです。スタンダードからオリジナルまで。多彩な曲目でお届けいたします。最近は大塚美香氏のボーカルも曲数が増えて来ました。澄み渡るハーモニカの音色もご堪能下さい。
harp:皆川和義 pf:福島剛 guest:大塚美香(vo)
19:20~start  music charge:2000円

5月3日(火祝)大阪高槻 「高槻ジャズストリート」 
http://www.0726.info/
久しぶりに、大阪高槻の「高槻ジャズストリート」に参加致します。初日の5月3日、「Billie's Bounce」というお店で17:00からソロピアノをやります。この日は、久しぶりに組曲「銀河鉄道の夜」を全篇演奏しようと思っています。カンパ制ですので、お気軽にどうぞ。
pf:福島剛
17:00~start  music charge:カンパ制

5月5日(木祝)京都深草ざぶざぶ
tel 075-642-6348
http://www7a.biglobe.ne.jp/~zabuzabu/
vo:市川芳枝 harp:皆川和義 pf:福島剛
ゴールデンウィークの最終日には、これまた久しぶりに芳枝さんとのライブ。繊細にして豪胆、美しさと激しさを兼ね備えた慈しみ深い歌は、まさに日本最高峰のボーカリストのものです。関西の方々も、そうでない方々も、この機会に是非一度その魂のボーカルを聴きにいらっしゃって下さい。
19:30~start music charge:2400円

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