暗闇の中で灯りをともす
素晴らしいニュースをネットで目にした。
東工大のとある研究チームが、化粧品などに使われる顔料を用いて、汚染水に含まれる放射性ヨウ素やセシウムの除去に成功したそうだ。
除去装置は近い内に実用化されるようで、そうなれば原発の二次災害である汚染水問題も、少しずつ現状復帰の道を辿る事だろう。
嘗てアインシュタインが発見した「質量とはエネルギーである」という法則、つまり「E=m×c×c」という余りにも有名なこの式から、原子力は発明された。
私も専門家ではないので詳しい事はわからないが、原子力のおおよその理屈はこうだ。
元素(原子?)は、くっついて融合したり、二つに分裂する時があるのだが、その時に「1+1=2」という理屈が成り立たなくなるケースがある。
融合の時で言うと「1+1=1.9」ぐらいになったり、分裂ならば「2=0.95+0.95」ぐらいになるといった感じか。つまり、融合や分裂の過程で質量が失われているのだ。
この失われた質量こそが、実はエネルギーなのだ。失われた質量mに、cの二乗をかける。これがエネルギーの計算式であるが、このcとは、光速度の事である。一秒間に地球を7周り半してしまう、光の速さの事なのだ。数値にして秒速30万km。実に膨大な数値である。ほんの少しの質量の損失によって、莫大なエネルギーを得る、これが原子力のおおよその理屈だ。
この原子力の概略を知った時に、私は戦慄した事を覚えている。科学は、もはや人間には随分と分不相応な領域にまで手を出してしまっているのではないだろうか、と。「だってcの二乗って、途方も無い数字じゃん…」と。
私は原発推進でも反対でも無い。そんな大袈裟なもの(原発)が無しで生活出来るに越した事は無いが、現在の我々(特に都市生活者)の便利さや快適さを原発が支えて来た、というのも間違いなく事実である。そして私はそれを比較的無批判に享受してきた。それを享受しておきながら、ここぞとばかりにヒステリックに原発を叩くのは、何か私は「違うんじゃないか」と思ってしまうのだ。
だからこそ、冒頭に挙げたようなニュースに私は感動する。原発推進、或いは反対、その正しさ、正当性を競い合うのではなく、現状として起きてしまった惨事を少しでも改善する為の科学としての前向きな努力、そういったものをこのニュースから感じ取ったのだ。
原子力は、それが良いものか悪いものかは別にして、科学の産物である。そして、顔料による放射性ヨウ素の除去という発見も、勿論科学の産物である。
批判や非難に時間を割いて自らの正当性を訴え、自分は「わかっている」、「賢い」という無駄なアピールに終始する阿呆が多い中、「どうやったら状況が改善できるだろう」という事に心を砕き、こうして成果を挙げる人々もいる。
繰り返して言うが、我々が今すべきは批判ではない。こうした前向きな「研究」であり、「行動」である。暗闇の中に灯りをともす事である。
この開発をした研究チームに、心からの賞賛を贈りたい。勇気を頂いた。
ニュースのページはこちら。
↓
http://www.cybozu.net/news/national/20110415k0000e040015000c.html
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コメント
うん、大方賛成。
原発なくしてやっていける社会を作らないで、
原発に反対するのはナンセンスだと思う。
そういうことに散々反対してきたから、
今はニュートラルに考えられる。
10年、20年言い続けてきたことが、
やっと日本の常識になる。
社会の流れはそんなものなんだよね。
投稿: ぴょん | 2011年4月15日 (金) 23時24分
ぴょんちゃんへ
でも原発が「ナシで済むならそっちのが良い」っていうのは事実。代替エネルギーの開発は、今や科学者達の至上命題じゃないだろうか。
投稿: ふくしまたけし | 2011年5月24日 (火) 16時09分