ブルーズ、ブルーズ、ブルーズ
バド・パウエル「Dance of Infidels(異教徒の踊り)」、ランディ・ウエストン「Berkshire Blues」、トラディショナルの「Nobody knows you when you're down & out」(作曲はジミー・コックス)を昼から練習する。
少々音楽に明るい人ならば気付くかも知れないが、これらは全て広義の意味で、ジャズでありブルーズである。
は?どっちなの?と思った方は良い反応だ。
私なりの答えを言えば、「どちらも正解」だ。
上記三曲全て、ジャズ演奏家(と呼ばれる人達)による録音が複数残っている、という意味で「これらは全てジャズナンバーである」と言っても差し支えはないだろう。パウエルとランディの曲に関しては、むしろ「ジャズの曲」という認識を持っている人の方が多いかも知れない。
「Dance of Infidels」という曲は12小節のフォーマットを持ち、目まぐるしく複雑にコードが進行していく。しかし、そのコードをよく観察してみると、所謂「ブルーズ」と呼ばれる12小節の3コードの進行を元にそのコードが設定されている事もわかる。パウエルは明らかにこの曲の発想の元としてブルーズを意識している。
ランディの「Berkshire Blues」は、3拍子(ワルツ)。小節数も18小節であり、コード進行は「ブルーズ」の3コードを元にはしていない。しかしタイトルに冠されているのは、まさしく「Blues」の文字である。
ランディ・ウェストンという人は、自らの音楽を「Jazz」と呼ばれる事に抵抗を感じている。彼は自らの音楽を称して「Black Classical Music」だと呼んでいる。この辺り、ローランド・カークと重なる部分もあるが、今回はその点は割愛する。そして彼がアフリカ音楽と共に自らのルーツの一端として認めるのが、ブルーズである。
ならば、彼の著作の一つである上述の「Berkshire Blues」も、「彼のブルーズ」なのかも知れない。
ブルーズとは、一体何なのだろう。私はここの所ずっとその事を考えている。
私自身も、自分の音楽の根っこにあるのはブルーズだと感じている。高校生の頃、フレディ・キングやロバート・ジョンソン、マディ・ウォーターズにオーティス・スパン、そういったブルーズミュージシャンに憧れて少しずつ音楽を始めた。(ちなみにその頃私はギターを弾いていた。ピアノを弾き始めるのはもう少し後の話だ)ジャズを始めてからも、セロニアス・モンクやデューク・エリントン、バド・パウエルにランディ・ウェストン、エロール・ガーナーにダラー・ブランド(アブドゥーラ・イブラヒム)。ブルーズの匂いを強く発する音楽家たちに惹かれ続けて来た。
彼らのブルーズは、それぞれ異なった形で発露される。まるで一本の幹から何本もの枝が分かれるように。
レイ・チャールズのブルーズとルイ・アームストロングのブルーズ。これも異なるが、やはり「どちらもブルーズ」だ。ベッシー・スミスとビリー・ホリデイとマヘリア・ジャクソンも、やはり形こそ違えど皆ブルーズを唄う。
ブルーズとは、一体何なのだろう。
若い頃から考えて15年近くブルーズと接して来たが、その謎は深まるばかりだ。
「ジャンルなんて関係ないよ、良い音楽は良いでいいじゃん」という言葉をたまに聞くが、そういった言葉は実は私には全く響いてこない。音楽のジャンルとは即ち民族の歴史だ。ジャンルなんて、大いに関係ある。もっと謙虚に、音楽を奥深く探っていかなくてはならない。
ブルーズ、ブルーズ、ブルーズ。
私の頭の中でずっとこの音楽が大事な位置を占めている。
そう言えば死んだ師匠は「誰がジャズとブルーズを分けたんや!!」と怒っていたっけな。
師匠は、ジャズとブルーズの狭間で生きて、死んだ。誰よりも真剣だった。だから、国内外のすごくたくさんのジャズマンやブルーズマン達に愛されていた。それは口で言うよりも遥かに難しい事だ。私は彼にはまだまだ到底及ばない。
及ばないからと言って、「努力をしなくて良い」という口実にはならない。
ああ。良い音楽がしたいなあ。
| 固定リンク
「音楽」カテゴリの記事
- 市川修 in New York(2017.10.31)
- ピアノ教室ブログ更新(2017.09.29)
- Abdullah Ibrahim 2015年の来日のこと(2015.10.27)
- 短期集中連載「Abdullah Ibrahimの魅力に迫る~第四回:2013年にAbdullah Ibrahimを観に韓国まで行った時のこと」(2015.10.07)
- 短期集中連載「Abdullah Ibrahimの魅力に迫る~第三回:Abdullah Ibrahimのルーツを辿る」(2015.10.06)
コメント