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2011年3月24日 (木)

芸で動かす

電車の乗り換えで降りた錦糸町駅前に、横綱白鵬関以下数名の力士がいた。地震の義援金を募っていて、それを多数のテレビカメラや何かが囲っていた。

ついつい相撲取り見たさに近寄って私も小銭を数枚、たかだか数百円の端金だが募金をした。

白鵬関見たさに募金をしたのだから、私は決して「良い事」をした訳ではない。私は自分にそう言い聞かせた。

チャリティの気運などが高まっている所でこういう事を言うのは凡そ憚られるが、私は「良い事」をするのが嫌いだ。

正確に言えば、「良い事と言われている事を人前でする」のが苦手だ。

私はそんなに良識に溢れた人間では無いし、立派な訳でも無い。例えば数百円の小銭を募金箱に入れただけで、そんな事で私ごときが「良い人」になるはずも無かろう、そんな事をどこかで思っている。

だからこそ、今日目にしたような横綱白鵬関達が行っていた街頭募金活動は、私のように少々自意識過剰な人間達にとっては、格好の言い訳を与える素晴らしい機会だと感じた。

「良い事」をしたいから募金をしたのではない、単に白鵬関を近くで見たかったから募金をしたのだ、と。「近くで見たい」と思わせる事、それ自体が一つの芸である。

そう思うと、自分に対する照れ臭さや恥ずかしさも幾分和らぐ。あまりにひねくれていると言われればそれまでだが、そんな事も確かにあったのだ。

翻って自らの「楽隊屋」という商売を考えた時に、同じような事が私にも出来れば良いのにな、と思った。

例えばチャリティコンサートなどを企画した時に、「募金がしたいから私の演奏を観に来る」のではなく、「あいつの演奏が観たい。結果としてその対価が義援金に使われようが何だろうが知った事ではない」と、そう思われたい。私が「おっ、白鵬!近くで見たい!」と思ったように。

恐らく、表立った「良い事」が恥ずかしいだけで、心の中では「本当は被災地の方々に何かをしたい」と思っている人間は相当数いるはずだ。そういう人間達を突き動かしていくのも、我々芸事を志した人間のするべき事ではないのだろうか。

何によって突き動かすのか。

芸によってだ。

情によってではない。

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コメント

おおっ、さすが東京ではそんなことがあんのかww

まぁ、確かに言われてみて、翻って良く考えると、NZの地震の時の募金は「私の思い出の街が壊れて悲しかったから」、今回の募金は「日本がなくなると困るから」、いいことをしているつもりで、全部自分のためだ。
このブログ読んで我利我利偽善亡者にならないよう、気をつけます。

最後の情によってではなく芸によって。
これはいいな。

投稿: okada | 2011年3月25日 (金) 12時54分

okadaさんへ
良いんだよね、「自分のため」で。これからも頑張って自分のためにやっていこうと思う。

投稿: ふくしまたけし | 2011年5月24日 (火) 16時03分

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