二日酔いと鬱病
昨晩、ひょんな事から医者の先生と酒を呑む機会に恵まれた。
幾つか興味深い話は聞けたのだが、中でも印象に残ったのは二日酔いの話。
二日酔いの時の精神状態というのは、鬱病の人の精神状態と酷似しているらしい。脳の状態が似たような状況にある、と教えて頂いた。
そうやって教えて頂いたら、鬱病の人々の辛さが少しだけわかった。
私はこれまでに鬱病になった事は一度たりとも無いが、二日酔いになった事はたくさんある。通算で1000回以上は確実にある。
ゆえに二日酔いの精神状態、またその辛さはわかる。ああ、昨日も酔っ払っていらん事を言ったな。言いまくったな。死ねば良いのに。うん、死ねば良いのに。
繰り返す問答。なるほど言われてみれば鬱病の人々の「死にたい」という精神状態に近いと言えなくも無い。
という事は、鬱病である人々は、我々ノータリン酒呑み達の二日酔い状態が日常的かつ継続的にあるという事である。想像するだに、それは辛い。
また、我々クソ酒呑み達が、二日酔いも収まって来た夕刻辺りで「よっしゃ!回復してきたし迎え酒でもいっちゃうか!ウェルカムリカーで迎えちゃうか!」と缶ビールをプシュリしてしまうのは、その二日酔いによる一時的な鬱病状態が回復して「酒を呑む元気」が出て来ているかららしい。何が「迎えちゃうか!」だ。死んでしまえ。
「一日二杯の酒を呑み、肴は特にこだわらず、マイクが来たなら微笑んで、十八番(おはこ)を一つ歌うだけ。」
故河島英五先生の残した「時代おくれ」という歌の一節だ。私は一日十杯ぐらい呑むので、八杯は減らさなくてはならない。
「不器用だけれど白けずに、純粋だけど野暮じゃなく、上手なお酒を呑みながら、一年一度酔っ払う。」
もうこの辺に至っては全てが私に欠けている要素だ。野暮な人間が下手な酒を呑んでおる。
「目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬ事は無理をせず」
英五先生!もうやめて!天国からそんなにオレをいじめないで!もうオレのライフはゼロだよ!
いや、マジに「上手なお酒」を呑みましょう、というブログでした。もう三十路だぜ。
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