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2011年2月 6日 (日)

比類無き

「常軌を逸した」などという類いの言葉は軽々に使われるべきではない。

往々にして、自らを個性的だと評したり、或いは自らの人生を波瀾万丈だなどと形容する人間は酷く凡庸だし、一頃流行った言葉を使えば、凡その事が「想定の範囲内」で片が付く。自慢げに「ホラ、アタシの恋愛遍歴ってすごい小説みたいだから」という女(大体細身のタバコを吸っている)は、九割九分、単なる普通のヤリマンである。

本当の意味で「常軌を逸する」ような人物・事象というのは、稀であるからこそ、良くも悪くも価値がある。

友人の作家、石田ゆうすけ氏に「世界一美味い」と勧められた京都のおでん屋に先日行ったが、成程その美味さたるや、確かに「常軌を逸し」ていた。あまりの美味さに、私などは痴女モノAVに出て来る男優ばりに「あっ…美味しい…です…ひんっ!…すごく…お…おいし…ンギモッヂイイ!!」などとなっていた訳であるが、やはり良い意味で常軌を逸したものというのは、そのように周囲にも強い変化(美味い→ンギモッヂイイ!)をもたらすものである。店の名前は「おもて」。木屋町六角を少し上がった所だ。

さて、そのような「常軌を逸した」人物を、私は昨日テレビで見た。そのあまりの衝撃に、私は企画モノAVでコトが終わった直後の女優のように茫然と虚空を見た。私を虚ろにさせたその彼女の名は、小泉今日子。「キョンキョン様」の愛称で親しまれる、なんてったってアイドルである。

ブラウン管越しに見たキョンキョン様の御尊顔。私はふと言葉を漏らした。「神や………神が……おる………」と。

確かに、其処に、神が、居た。

その常軌を逸した美しさたるや、最早この世のものではなかった。現世(うつしよ)から常世(とこよ)へ。此岸から彼岸へ。まさにそれは涅槃の境地とも言うべき美しさに外ならなかった。

キョンキョン様が本当の意味でなんてったってアイドルだった時代から、私はキョンキョン様を知っている。あいつもこいつもあの席をただ一つ狙っていた時代の話だ。ショートカットが眩しかった。キョンキョン様は若さに満ち溢れていた。

そのような十代(←壊れそうなものばかり集めてしまう年代)を過ぎ、二十代、三十代をも経て、キョンキョン様は現在御歳四十と五。一般的に言って、「若くない」年代に入って来ておられる。しかしその美しさたるや、年齢という横軸に正比例するかのように確実に増加の一途を辿っておられる。一つだけ言える事は、「キョンキョン様は今が一番御美しい」という真理である。また、これから更にお美しくなられる事は容易に想像される。

最近撮った映画の宣伝で、ここの所しばしば彼女をテレビで見るが、目尻に刻まれた皺を一つ見る度に、私はその御美しさに茫然とする。

ああ、キョンキョン様、御美しや。

KKKという団体がある。白装束に三角頭巾を被り、盲信的かつ狂信的にキョンキョン様の美しさを愛でる、という「kyon kyon kawaii」クラブの略称である。そのKKKの調べによれば、キョンキョン様の美しさを堪能するのに最も推奨されるのは、「すいか」という2003年に放送されたテレビドラマや、大ヒット作となった「踊る大捜査線」シリーズだという事だが、今月より上映される映画「毎日かあさん」にも強い期待が寄せられている。

キョンキョン様の美しさを、私も映画館で堪能したいと思う。

あ、あと明日ライブだ。上野アリエス、ハーモニカ皆川和義と19:30から。よろぴく。

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コメント

歳を取るごとに美しくなると言えば、永作博美と大竹しのぶ。二人とも本当にきれい。内から滲みだす美しさは女性の私から見ても憧れるよ。

投稿: クロサバ | 2011年2月 9日 (水) 00時35分

クロサバさんへ
その二人とはたまにデエトします。ええ、無論妄想内で。

投稿: ふくしまたけし | 2011年5月24日 (火) 13時34分

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