« 覚悟のある人達 | トップページ | 新木場の電信柱 »

2011年2月18日 (金)

平成のジレンマ

昨晩、大学時代の先輩と共に東中野の「ポレポレ」という小さな映画館で「平成ジレンマ」という映画を観る。

戸塚ヨットスクール、というスパルタ式で有名なヨットスクールを追ったドキュメンタリー映画だ。

結論から言えば、とても面白かった。

映画冒頭で映し出される過剰なまでの体罰は、一旦観客に「嫌悪感」に近いような拒否反応を植え付ける。体罰の是非云々の前に、ここまで過剰な暴力は流石にまずいだろう、と。

後々から作者(監督)の意図が明らかになるが、恐らくは作者は我々観客に、冒頭で恐怖とも嫌悪感ともつかない感情を抱かせる事によって、まずは戸塚宏という男に対しての否定的な見方を強要している。私などはまんまとその策略に嵌まったクチだ。

そこから徐々に戸塚ヨットスクールの内情を、内側から描いていく。不思議な事に、観客である私の中には、先程の体罰を肯定、とまではいかないまでも、「まあ仕方なかった部分もあったんじゃねえの?」というような感情が芽生えてくる。

この作品のそもそもの狙いはそこなのである。というよりも、ドキュメンタリー制作者の本質的な部分はそこなのだ、という事に気付く。

当たり前の事だが、簡単に善悪が二元化出来る問題というのは極端に少ない。(或いは、無い)正義とは往々にして発言者の「都合」であるし、悪というのも逆の意味でまた同様だ。

そうした時に、我々は「では問題の根っこにあるのは何なのか?」という事に考えを巡らさざるをえない。

そこを取り出して来て、断片を我々観客に提示してから「考えさせる」。これこそがドキュメンタリーというものの本質なのだ。

例えば、作中で戸塚宏氏は「いじめ」というものを肯定してみせる。そこには不思議な説得力があり、私もなるほど、と思わされる部分はあった。

しかし、作品の最後、エンドロールでスタッフ達の名前が流れていく傍らで流されるのは、実際に戸塚ヨットスクールで行われている「いじめ」の映像だ。それは、戸塚校長の言う「(いじめられる側の)進歩」を前提としたものではなく、陰惨で鬱屈とした映像だった。戸塚校長の理想とする「いじめ」に、それは遥かに程遠いいじめであった。

さて、戸塚宏という男は善であったか悪であったか。実の所、本作はそこについてはさほど言及していない。戸塚宏という、極めて強い個性を持った人物を通して、現代、つまり「平成」に蔓延るいかんともしがたい閉塞感、「ジレンマ」を映し出した。そこを我々観客に問い掛ける。「どうよ、現代ってさ?」と。

現代という事に関して言えば、良いとも悪いとも言えないというのが私個人の意見だ。ただ少なくともこれだけは言える。「考える価値はある」と。

学校教育が、これまでに無かった程に窮屈な事態になっているという事は、様々な方面から話を聞いてなんとなくは知っている。少年少女達は、そして教育者達は、今何を考えながら生きているのだろうか。

|

« 覚悟のある人達 | トップページ | 新木場の電信柱 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

戸塚宏氏の教育は一理賛同出来る所もありますが
手放しであの理念を受け入れるのは無理がある様に思えます
確かに家庭内暴力や非行 引きこもり等家族から手を焼き匙を投げられ最後の手段としてヨットスクールに頼った。その様な経緯は解りますし、鍛えられて強くなると云う理念も解るのでありますが
例えば戸塚氏は今は体罰をマスコミに批判されるから出来ないと云います
又いじめは鍛えられ強くさせると肯定します
体罰も普通に小衝いたりする程度の体罰ではなく 昔スパルタの海と云う映画でいきなり思い切り殴る蹴るの映像 役者が演技しているのですか
いじめ行為の様子も描かれておりました
これが戸塚氏の理想とする形何でしょうか
又平成ジレンマの中で本人を鍛えるいじめとは程遠い陰湿ないじめがエンディングに放映されたと云う事ですが
私の思いでそう思うのであり戸塚氏的に見ればあれで相手を鍛える為のいじめでありそこで挫折する人間は弱い奴
強くなる 鍛えるが理想でありその為には死人が出ても仕方が無いとその様な印象を受けたのであります

投稿: 虎八 | 2011年4月25日 (月) 06時20分

虎八さんへ
コメントありがとうございます。そうですね、アレを手放しで賞賛はとてもじゃないけど出来ないですね。色々と観客に考えさせる、という意味で、やはり良い映画だったなあと思います。

投稿: ふくしまたけし | 2011年5月24日 (火) 15時38分

戸塚宏校長の理念は体罰肯定 いじめ奨励で相手を鍛えると云う事であるのですが、ある番組で理念は評価出来るが人が亡くなったと云う現実があるのはどうするのかと云う意見や
戸塚宏校長のスパルタのやり方はかえって逆効果になる人間も出てくるのではと云う意見にも挑発的に怒っておりました。
強くなる事それが理念であると云う事ですが、その為に失うものもあり。強ければ全て通ると云う考えも矛盾に思います。
又弱いから駄目。戸塚校長の発言には弱いから死んで当然等と云う発言がありました。
強くなる為に人間性をも失っても良く、
戸塚校長の云う弱い人大人しい人いじめや喧嘩が嫌いな人は引きこもりや登校拒否をせず真っ当に生きていでも駄目と云う印象を受け、その辺りが矛盾を感じるのです
ご意見を戴ければ幸かと思います

投稿: 虎八 | 2011年6月24日 (金) 06時13分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 覚悟のある人達 | トップページ | 新木場の電信柱 »