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2011年2月23日 (水)

普通の演奏

昼にピアノの練習をしていて、とある曲の参考音源を聴きたくなった。

自宅のパソコンのハードディスク内を検索していたら、先日他界したばかりのGeorge Shearing のものが出て来たので聴いてみた。単なる偶然だ。最近亡くなったから哀悼の意を込めて聴いてみよう、とした訳ではない。

聴いてみて少々驚いたが、これが思いの外に素晴らしかった。何というか、とても「普通」で、それゆえにとても素晴らしいのだ。

George Shearing という、イギリス生まれの盲目のピアニストは、喋るようにピアノを弾く。音楽を奏でる。それも、とびきりユーモアに溢れ、コミュニケーションとしての会話術に長けた人が喋るように。

一部の人にしかわからないような難解な日本語、或いは外来語を存分に散りばめながら喋る人間を見ると、「馬鹿だ」と思う。ちょっと気の毒にすらなる。往々にしてそういった人はひどく饒舌で、会話が一方通行になりがちだ。語彙があまりに貧困に過ぎても同様の事になりがちだが、要するに会話がコミュニケーションとして成立していないのだ。酔っ払った時の私もこういう状態になる事がままある。言うまでもなく、「馬鹿だ」。

George Shearing の音楽は、或る意味ではそういう状況とは対極にある。極めて自然にスイングし、そして無理のない「白人らしいブルースフィーリング」に溢れている。

私が今日探していたのは、Duke Ellington のとある楽曲なのだが、George Shearing はエリントンにきちんと敬意を払いつつ、しかし決してエリントンの模倣に堕さない「普通の演奏」に終始していた。

それを聴きながら私の脳裏に浮かんだのは、前述の「会話の上手い人」だ。中学生でも理解できるような語彙で、過不足なく自らの伝えたい事を話す。発話者としてのみならず、対話者の言葉にも耳を傾ける余裕がある。一言で言えば、とても寛いだ雰囲気のある演奏なのだ。

これは、言葉で言う以上に大変に「難しい」事だ。どうしても必要以上に饒舌になったり、或いは寡黙になり過ぎてしまう。中庸、という塩梅は難しい。

George Shearing 。先日亡くなった時には91歳であったという。長生きをした理由が、彼の演奏から何となくわかる。

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