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2011年2月 4日 (金)

当時、舞踏は「肉体的限界への挑戦」だった

昨日に引き続き、ジャズの歴史を学ぶ。

自分への備忘録も兼ねて少しだけその内容を。

1865年の南北戦争終結をきっかけとして、およそ400万人の黒人が解放され、農場から都市部へと拡散した。黒人文化が少しずつアメリカ各地に広がり始めた。

当時の黒人達は、言論を統制された。支配層の管理下に置かれ、様々な禁忌を設けられた為に、彼らには「直接語る」という選択肢は無かった。だからこそ当時の音楽の歌詞は、その監視の目を逃れる為に抽象的な物言いになる。実際に黒人達の間でのみ歌われていた音楽は、監視の目から隠されていた為に、資料としては殆ど残っていないという。

また彼らは楽器を取り上げられていた為に、その音楽の中では旋律よりもリズムが重んじられる事となった。多くの南部の地域(ニューオーリンズのコンゴー広場を例外として)では打楽器の演奏すらも禁じられた為、彼らは手拍子と足拍子でドラムの代用をするようになる。そうやって奏でられたリズムは、主に舞踏の助けとなった。

舞踏と言っても、芸術的側面と言うよりは、競技的側面が強く出ていたのが当時の黒人舞踏の特徴だ。彼らにとって舞踏は、「肉体的限界への挑戦」であった。その舞踏によって尊敬を勝ち取り、内的感情を放出する。農場生活の緊張を解放する(恐らく唯一の)手段として舞踏があり、音楽があったのだ。

またここに、ジャズを始めとする近代ポピュラー音楽の大きな特徴が現れている。それは、「等間隔のビート拍を持つリズム構造」という点である。一定のテンポで曲が進行する、と言い換えればわかりやすいかも知れない。それまでの西洋音楽にはなかった、アフリカからの影響がこのリズム構造である。

という所まで。

「ジャズ」、或いは「ジャズという言葉」が出て来るのはもう少し後、1915年前後の事だと言われています。まだジャズには至りません。ラグタイムやブルーズはこの頃既にあるんだけどね。

しかし、歴史は本当に面白いなあ。

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