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2011年2月

2011年2月28日 (月)

一人ランチ

最近では嫁と行動する事も殆ど無くなり、再び「お一人様」が板についてきた。

元々一人であれこれするのは好きなのだけれど。

今日の昼食は自分で何か作ろうか、とも思ったのだが、たまには「一人ランチ」を楽しもうと思って外食へ。

添付写真のラーメン屋、小岩の「澤」へ。

この「澤」のラーメン、なかなか美味くてこれまでにも何度も来ているのだが、以前はここのメニュー「支那そば」が気に入っていた。あっさりしていて、二日酔いの日などに丁度良い。

本日の注文は「塩ラーメン」。最近のお気に入りはこれ。

所謂普通の塩ラーメンよりも随分と濃厚なのだが、後味や風味はあっさりしている。なかなかにバランスが良いのだ。

具材もそれぞれに品が良くて、お互いにバランス良く共存している。

一人ランチ、なかなかに満足でした。

あ、もちろんスープは全部飲みました。

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2011年2月27日 (日)

修理師

自宅のピアノを調律してもらう。

恐らく調律というのは「修理」の一形態であると思うのだが、この「修理」という行為自体が私は好きだ。

古い道具がきちんと修理されて佇まいを正されている様子というのは、新品の道具の佇まいよりも遥かに好きだ。

それだけに、修理の技術を持つ人々、今日であれば調律師の技術には深く尊敬と感謝の念を抱く。

楽器弾きを支える修理師。

彼らがいなくては、決して我々は存在しえない。

本当に、感謝。

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2011年2月26日 (土)

オープン戦の季節

待ちに待っていたプロ野球のシーズンが、そろそろ始まる。

各球団、キャンプを打ち上げて、オープン戦が少しずつ始まっている。

今日もレッスンの合間に広島−ソフトバンク戦を5分だけテレビ観戦。栗原だったり赤松だったり、大好きな選手達が元気に野球をしている姿を見るだけで胸が熱くなる。

頑張れ広島カープ!今年も弱いかも知れないけれど、諦めずに応援するからね!

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2011年2月25日 (金)

101回目のダイエット

禁煙とダイエットをこれまでに一度たりとも成功させた事の無い事でお馴染み、どうもぼくです。

数日前から、再びダイエットに取り組んでいる。何故ダイエットなんかに取り組んでいるのかって?デブだからだよ、バカヤロウっ!

いかんいかん、自らの体形について語る時、私の中にいる「中学二年生反抗期真っ盛りのたけし」が出て来てしまう。母親の「たけし宿題やったの?」の声の最後の「たの?」の辺りに被せるようにして「今やろうと思ってたんだようるせえなっ!」と怒鳴り散らす「The反抗期」が。気をつけなくては。

これまでにも私は幾つものダイエットを試して来た。その内の幾つかと、事の顛末を皆様にお伝えしよう。

まず王道の「走って痩せるダイエット」。ジョギングである。走りに行くのが面倒くさすぎて失敗した。この失敗から学んだ教訓は「走るのは面倒くさい」。

続いて「節酒ダイエット」。三日に一日ぐらい酒を抜く日を作り、摂取カロリーを抑えるダイエット。これも酒が好き過ぎて酒を我慢出来ずに失敗した。この失敗から学んだ教訓は「酒はウマイ」。

更に「炭水化物カットダイエット」。米をあまり食わない、というダイエットであるが、自分の中で作ってしまった「麺類は炭水化物にカウントしない」という訳のわからないルールにより失敗。この失敗から学んだ教訓は「麺類は炭水化物である」。

といった具合に、なかなかに失敗ばかりで上手い事いかない私であるが、今回実践しているダイエットは、名付けて「ムキムキダイエット」。文字通り、筋肉でムキムキになって痩せようというダイエットである。

私は悟った。私は何かを我慢するのが嫌いだ。酒も、メシも、ラーメンも。そしてラーメンのスープも。スープは必ず飲み干したい。

ならば飲み干せば良いのだ。その為に、筋肉を付ければ良い、という結論に至った。

スクワットと腹筋を中心に、一日に数回に分けて筋トレをする。以前、柔道をしていた時にやっていた筋トレは瞬発力を身につける事に重きを置いた筋トレだったが、今回はとにかく筋肉を太くする筋トレ。

具体的にどう違うかと言えば、腹筋運動は以前は素早くやっていたが、今はゆっくり。上体を起こすのも倒すのもゆっくりとやる。この方が腹筋に負荷がかかる。

といった具合にやり始めて今日でちょうど四日間。とりあえず三日坊主は免れた。

筋トレをしまくる事で、基礎代謝が一日に10000キロカロリーぐらいになれば良いのに。そうしたら何をしたって太らないのに。

今後は、長渕剛・清原和博路線を行こうと思いますが、日焼けサロンとか通い始めたら、似合わないピアスとか付け始めたら、お願いだからゴルゴ13に依頼して射殺してやって下さい。

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2011年2月24日 (木)

横着者もいい加減にしておかないと

つい先日、知り合いのブログにコメントを書き残した。

頻繁に誰かのブログにコメントを残したりするわけではないのだけれど、たまにこうやってコメントを書いたりすると、その後ちょこちょこ、「どれどれ、ワシのコメントに対する反応はあるかな?」などと覗いてしまう。

という事をしていて気付いたのだが、このブログに頂いているコメントにもちょっとはレスを返せよ、オレ!

そう、ひょっとしたら、コメントを書いて下さった方の中には、私と同様に「どれどれ、何か反応はあるかな?」と、このブログを覗くにつけ、「ああ、今日も何もねえじゃん、っていうかこのブログの筆者、新木場の変な看板にものすごく夢中じゃん」と落胆されている方もいるかも知れないのだ。

自分がされて嫌な事は他人にするべきではないし、自分がされて嬉しかった事はなるべくなら他人にして返すべきである。

こうやって書いておきながら、まだコメント返しはしていない。

これまでに頂いているものについて、今月中にはちゃんと返そう。なんつう横着だ、オレは。

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2011年2月23日 (水)

普通の演奏

昼にピアノの練習をしていて、とある曲の参考音源を聴きたくなった。

自宅のパソコンのハードディスク内を検索していたら、先日他界したばかりのGeorge Shearing のものが出て来たので聴いてみた。単なる偶然だ。最近亡くなったから哀悼の意を込めて聴いてみよう、とした訳ではない。

聴いてみて少々驚いたが、これが思いの外に素晴らしかった。何というか、とても「普通」で、それゆえにとても素晴らしいのだ。

George Shearing という、イギリス生まれの盲目のピアニストは、喋るようにピアノを弾く。音楽を奏でる。それも、とびきりユーモアに溢れ、コミュニケーションとしての会話術に長けた人が喋るように。

一部の人にしかわからないような難解な日本語、或いは外来語を存分に散りばめながら喋る人間を見ると、「馬鹿だ」と思う。ちょっと気の毒にすらなる。往々にしてそういった人はひどく饒舌で、会話が一方通行になりがちだ。語彙があまりに貧困に過ぎても同様の事になりがちだが、要するに会話がコミュニケーションとして成立していないのだ。酔っ払った時の私もこういう状態になる事がままある。言うまでもなく、「馬鹿だ」。

George Shearing の音楽は、或る意味ではそういう状況とは対極にある。極めて自然にスイングし、そして無理のない「白人らしいブルースフィーリング」に溢れている。

私が今日探していたのは、Duke Ellington のとある楽曲なのだが、George Shearing はエリントンにきちんと敬意を払いつつ、しかし決してエリントンの模倣に堕さない「普通の演奏」に終始していた。

それを聴きながら私の脳裏に浮かんだのは、前述の「会話の上手い人」だ。中学生でも理解できるような語彙で、過不足なく自らの伝えたい事を話す。発話者としてのみならず、対話者の言葉にも耳を傾ける余裕がある。一言で言えば、とても寛いだ雰囲気のある演奏なのだ。

これは、言葉で言う以上に大変に「難しい」事だ。どうしても必要以上に饒舌になったり、或いは寡黙になり過ぎてしまう。中庸、という塩梅は難しい。

George Shearing 。先日亡くなった時には91歳であったという。長生きをした理由が、彼の演奏から何となくわかる。

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2011年2月22日 (火)

朝から動く

朝から色々と事務作業。パソコンと携帯電話を使いまくりつつ。

全部終わった!と思って時計を見たら、まだ正午過ぎ。かなり色々やったのに。朝から動くと時間が有効に使えるものだなあ。

さ、こっからは練習だ!

ピアノ弾くぞ!

追記:事務作業中にパソコンからずっと音楽を鳴らしていたのだけれど、今更なのだが、「アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズ」ってカッコいいね、すごく。

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時には昔の話をしようか

時には昔の話をしようか
派手なものばかりが持て囃される現代だ。

こんな時こそ、昔の話を、そう、とるに足らない昔の話をしようぜ。

っていう事で、地味な酒を地味なツマミで呑んでるだけだが、この「ホヤの干物」がすっげー美味い。珍味中の珍味。

焼酎がすすみまくる。

さっき、風呂に入ってるかみさんを覗きに行ったら「覗くな!」って怒られた。

ちょっと喋りたかっただけなのに。

ああ、酔っ払ってきた。

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2011年2月21日 (月)

ムネ?モモ?

宮崎の誇る郷土料理、「チキン南蛮」。

ここにはモモ肉派とムネ肉派の血で血を洗う熾烈な争いがあるという。

私の知り合いにおける唯一の宮崎人、鉄琴奏者にして作曲家の楠原木曜に、以下のようなメールを送ってみた。

↓以下原文ママ

重要な質問なのですぐに答えがほしいのだが

もっくんは、宮崎の誇る郷土料理「チキン南蛮」は、
ムネ肉派?
モモ肉派?

これに対する彼の答えは…

メールが返って来なかった。何だよアイツ。メール返せよっ!

悔しいので、他に知り合いで宮崎人を探した所、後輩の彼女が宮崎人だった。

思い出すや否や、光よりも速く電話をかけてみた。

「君はモモ?ムネ?」

回答は、「私はモモですが、元祖はムネらしいです」

オーケー。良い答えだ。おじさんが聞きたかったのはそういう答えだ。

「おぐら」はムネらしい。

でも、そんな事はどうでも良いのだよ。

問題は、君がモモかムネか。そういう事だ。

オーケー君はモモなのだな。

木曜はどっちなんだろう。気になって今晩も眠れやしない。

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2011年2月20日 (日)

写真集「えんこの小山」

昨日アップした電信柱だが、合計19本もの電信柱により、道行く人々にメッセージを送る、という何とも奇抜なものだ。広告主が「えんこの小山」なる木材会社であるらしい。

さて、それを大量の写真と共に紹介していきたい。うまくできるかな?

まず一本目。

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はい、元気です。

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そうなんですよね、新木場は木の町。昔も今も貯木場がありますね。

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はい

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確かに木を見ていると気持ちイイですね。

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安心の心の字が可愛いですね。

110219_161201

はい

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木で隠れてしまってすみません。

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コアラの好きな、と言えばアレですな。

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やはり!

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ん?

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ちょっとワケがわからなくなってきましたな。

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まさか…暴走…?

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ダメです!制御不能です!

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この辺に観覧車ってあったっけ?

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最近はゆりかもめも走ってますもんねー。

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お、やっと宣伝らしい宣伝が。

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すみません、アシタは新木場には来ません。

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「がんばって」の看板だけがものすごく汚れていますよ。自転車もボロボロですよ?

110219_160301

以上でございました。いやあ、こうして並べてみると、ほんっとに面白いわ。新木場の近くにある「えんこの小山」電信柱。お近くに立ち寄った際には是非見てみて下さい。            

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2011年2月19日 (土)

新木場の電信柱

新木場の電信柱
本日は新木場周辺を散歩しています。

知ってる人いるかなあ、「えんこの小山」。

「えんこの小山」写真集を作りたい。

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2011年2月18日 (金)

平成のジレンマ

昨晩、大学時代の先輩と共に東中野の「ポレポレ」という小さな映画館で「平成ジレンマ」という映画を観る。

戸塚ヨットスクール、というスパルタ式で有名なヨットスクールを追ったドキュメンタリー映画だ。

結論から言えば、とても面白かった。

映画冒頭で映し出される過剰なまでの体罰は、一旦観客に「嫌悪感」に近いような拒否反応を植え付ける。体罰の是非云々の前に、ここまで過剰な暴力は流石にまずいだろう、と。

後々から作者(監督)の意図が明らかになるが、恐らくは作者は我々観客に、冒頭で恐怖とも嫌悪感ともつかない感情を抱かせる事によって、まずは戸塚宏という男に対しての否定的な見方を強要している。私などはまんまとその策略に嵌まったクチだ。

そこから徐々に戸塚ヨットスクールの内情を、内側から描いていく。不思議な事に、観客である私の中には、先程の体罰を肯定、とまではいかないまでも、「まあ仕方なかった部分もあったんじゃねえの?」というような感情が芽生えてくる。

この作品のそもそもの狙いはそこなのである。というよりも、ドキュメンタリー制作者の本質的な部分はそこなのだ、という事に気付く。

当たり前の事だが、簡単に善悪が二元化出来る問題というのは極端に少ない。(或いは、無い)正義とは往々にして発言者の「都合」であるし、悪というのも逆の意味でまた同様だ。

そうした時に、我々は「では問題の根っこにあるのは何なのか?」という事に考えを巡らさざるをえない。

そこを取り出して来て、断片を我々観客に提示してから「考えさせる」。これこそがドキュメンタリーというものの本質なのだ。

例えば、作中で戸塚宏氏は「いじめ」というものを肯定してみせる。そこには不思議な説得力があり、私もなるほど、と思わされる部分はあった。

しかし、作品の最後、エンドロールでスタッフ達の名前が流れていく傍らで流されるのは、実際に戸塚ヨットスクールで行われている「いじめ」の映像だ。それは、戸塚校長の言う「(いじめられる側の)進歩」を前提としたものではなく、陰惨で鬱屈とした映像だった。戸塚校長の理想とする「いじめ」に、それは遥かに程遠いいじめであった。

さて、戸塚宏という男は善であったか悪であったか。実の所、本作はそこについてはさほど言及していない。戸塚宏という、極めて強い個性を持った人物を通して、現代、つまり「平成」に蔓延るいかんともしがたい閉塞感、「ジレンマ」を映し出した。そこを我々観客に問い掛ける。「どうよ、現代ってさ?」と。

現代という事に関して言えば、良いとも悪いとも言えないというのが私個人の意見だ。ただ少なくともこれだけは言える。「考える価値はある」と。

学校教育が、これまでに無かった程に窮屈な事態になっているという事は、様々な方面から話を聞いてなんとなくは知っている。少年少女達は、そして教育者達は、今何を考えながら生きているのだろうか。

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2011年2月17日 (木)

覚悟のある人達

昨日の小岩コチのセッション、楽しかった。ピアニストも上手い人がたくさんいたので、勉強になった。

セッション終了後に残っていた人達と喋っていたが、やはり「続ける」事は何よりも大事だと再確認。

「続ける」為には、様々な努力、或いは協力が要る。昨日のセッションで言えば、お店の努力、ホストミュージシャンの努力、そしてお客さんの協力。

十年という「継続」は、そういった様々な要素の上に成り立っている。だからこそ、以前も少し書いたように、「十年続ける」という事は言葉で言う以上に難しいし、その事実は既に素晴らしい事だ。

コチのマスターや、ホストミュージシャンの日下部氏、松永氏らと話していて感じたのは、「きちんと覚悟が決まっているなあ」という事だ。本人達は、「最初はとりあえずやってみるかという程度のものだった」とおっしゃってはいたが、やはりそれも年月を重ねる毎に「いや、もう、やるって決めたんだから」という覚悟に変わっていった。楽しい事や面白い事ばかりではなかっただろうが、それでも「続ける」という覚悟。これには本当に心を打たれた。

コチのセッションは、ホストミュージシャンは毎回ベーシストの日下部氏とドラマーの松永氏が基本的に固定、ピアニストやギタリストが毎回代わりながらという形を採っている。私がホストピアニストとして参加させて頂いたのは昨日で二回目だが、そんな区切りの時に呼んで頂けた事を光栄に思う。(正直に言えば、「そんな時にホントにオレで良いのか」とも少しは思っていたのだが)

これからもそういう素晴らしい「継続」が続いていけば良いな、と心より思う。

さて、本日は大学時代の先輩と二人で映画を観て来ます。東中野のポレポレという映画館で、「平成ジレンマ」という映画を。一時期日本を騒がした「戸塚ヨットスクール」のドキュメンタリー映画だそうだ。恐らく題材が題材なだけに、単純な善悪(体罰や教育に関して)を糾弾するだけでは収まらないだろう。

とても楽しみ。

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2011年2月16日 (水)

プロの焼くお好み焼き

プロの焼くお好み焼き
写真はお好み焼き。近所にあるお好み焼き屋のもの。

いつもはかみさんと二人で行って、自分達で適当に焼いていたのだけれども、昨日は店員(店長?)さんが焼いてくれた。見た目の美しさは流石。

食べてみたらば、見た目だけでなく味までもが、我々がテキトーに焼いたものとは雲泥の差。ふわふわ感とジューシーさが際立っていた。

やはり餅は餅屋、とも言いたい所だが、昨日はその店員さん(マエストロ)の所作を注意深く観察した。大体の手順はわかったから、今度は家で一度チャレンジしてみたい。

ちなみにこのお好み焼き屋、我が家の近くにある「みつばち」というお店。小岩駅南口の商店街、フラワーロードの中にある。安くて美味い。私のお気に入りは「みつばちもんじゃ」というもんじゃ焼き(680円)と牛すじ煮込み(380円)。

「もんじゃ発祥の地」と言われている月島に行くと、もんじゃ焼きが1200円ぐらいする。完全にぼったくり。二度と月島でもんじゃは食わない。

もんじゃやお好み焼きは、小岩で食べるに限る。

あ、しつこいようですが、本日16日、小岩「COCHI」でジャムセッションです。19:30ぐらいから。演奏しに来て下さい。

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2011年2月15日 (火)

雪が溶ければ季節も変わる

昨夜、東京では久しぶりの大雪。

朝になるとその殆どが溶けてなくなっていたが、雪の夜特有のしんとした静けさを、家で楽しむ。深夜三時に寝付く頃にはもうすっかり雪はやんでいたっけ。

こういう日々を何日か越すと、もうすぐ春がやって来る。梅が咲いて、桜が咲いて、厚手のジャンパーも使わなくなって箪笥に仕舞う。

これまで何遍も繰り返して来たサイクルなのだけれど、今年は何とは無しに不安になる。

芥川のように「ぼんやりとした不安」などと言うと大袈裟になるが、果たして私も季節と共に巡って行けるのだろうか。

明日はセッション。多数の演奏者のご来場をお待ちしております。

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2011年2月14日 (月)

石の上にも10年

明後日は小岩でジャムセッションをします。

2月16日(水)東京小岩 COCHI
tel 03-3671-1288
http://www.jazz-cochi.com/
ホスト b:日下部史貴 ds:松永博行 pf:福島剛
東京都江戸川区南小岩8-12-6 マンション中村Ⅱ1階
19:30~start  music charge: 1800円

この「COCHI」のセッション、明後日で丁度10周年の区切りを迎えるそうです。

月に1回から2回、それを10年。

言葉にしてしまえば簡単に聞こえますが、10年も続けるっていうのはやはり素晴らしいです。一つの事を、始めるのは簡単だし、止めるのも簡単。続ける事が何より難しく、それゆえに素晴らしい事だと思います。

思えば私もピアノを弾き始めてから丁度10年ぐらい。あの時はまだ21歳で、ピアノは恐ろしくヘタクソで、更には頭もクソ悪かった。

未だにピアノはヘタクソだし頭も激悪いけれど、それでもあの頃よりはマシになったんじゃないかな。少しはピアノも上手くなったし、物事も多少はわかるようになって来た。下手でもバカでも腐らずに続けていりゃあ、それぐらいのご褒美はもらえるらしい。

あと10年ぐらい更に続けると、もう少し大き目のご褒美になるらしいので、とりあえずあと10年ぐらいは頑張りたい。その後の事は、その時に決めれば良い。

という事で、10周年区切りのジャムセッション。皆様、楽器や譜面を持って、是非演奏しに来て下さい!お待ちしております!

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2011年2月13日 (日)

電気が無かったら大変ですよ

我が家の漏電ブレーカーが見事に壊れ、無電力による生活を強要される事に。

いや確かに純くんが「電気が無かったら大変ですよ?夜になったらどうするんですか?」と五郎さんに聞いた時に、五郎さんは「夜になったら寝るんです」とは言ってたけど、実質無理だぜ?電気無かったら。暖房つかねえし。

今日は一日お仕事なので、かみさんに任せて家を出てきましたが、家に帰った時には復活しているのでしょうか。

風力発電とかの装置をかみさんが作っているのでしょうか。

どうなんでしょう。

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世界で一番美味いもの

世界で一番美味いもの
酒を呑んだ直後のラーメン。

うますぎるっつうの、マブでよお。

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2011年2月12日 (土)

名誉挽回

名誉挽回
当ブログには、我が家の女房の料理の写真が少ない、というご指摘を頂いたので、本日はかみさんの作ったシチュー写メを一発。

なかなか美味いやないかい。

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2011年2月11日 (金)

明るい悩み相談室

「アタシ人からよく天然天然って言われますけど、そんな事ありませんからっ!」という遠回しな「アタシ天然ですアピール」を聞くとうんざりする。「アタシよく変わり者って言われるんですけどそんな事ないです!」も同様。誰得情報だそれ。

似たような所では、「いやあ、昨日は久しぶりに6時間も寝たわー」という遠回しな「普段は寝てないアピール」も鬱陶しい。

「いやあ、最近酒が切れると手が震えてさ」というアピールには、すぐさま病院に行く事を勧めたい。

「いやマジでシャブがやめらんなくて」という相談には、「最近だとフィリピンに逃げるという手段があるらしいよ」と答えよう。

「最近肛門が痛くて…」

痔だ。病院へ行け。

「最近娘が口を利いてくれないそして目も合わせない」

反抗期だ。もしくはぐれている真っ最中だ。

という事で、色々と悩みや相談がある人は私に言うと良い。一言で解決してあげよう。

すんません、昨日から仕事の事でちょっと心穏やかではありません。

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2011年2月10日 (木)

レバ刺しとビール

レバ刺しとビール
久しぶりに小岩の名店「大竹」へ。

レバ刺し(300円)、超絶うまい。

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2011年2月 9日 (水)

下らない怪我

昨日は酒を呑んでいない。我慢した。

業界用語で言う所の、ケーサーをミーノーするのをマンガーした、という所だ。業界用語に置き換えた事には意味は全く無い。言ってみたかっただけだ。

結婚してからはしばしば昨日のように酒を呑まない日が出来ている。恐らく良いことなのだろうと思う。今日は家に帰ったら軽く呑もうと思う。一日我慢した分、普段より美味い筈だ。ケーサーマイウーな筈だ。

さて。実は一週間ほど前から、左手の薬指を怪我している。ついつい喧嘩をしてしまって、などとヤンチャな事の一つも言えれば良いが、原因は単なる深爪である。深爪をした所からばい菌が入り、そこが化膿してしまった。楽器演奏を生業にする人間としては、情けない限りである。本当に、痛みを伴って薬指が腫れはじめた時には我ながら「ぎゃー!やっちまったー!馬鹿なの!?死ぬの!?」と自らを罵った。せめて指には気をつけようぜ、オレ。とりあえずはピアニストなんだから。

先日のライブでは、痛みを「無かった事」にして何とか乗り切った。「痛くない。ていうか怪我とかしてない」と自分に言い聞かせる、という近代医学の最先端の技術を用いた治療法だ。

この治療法、まさに近代医学の粋を集めた治療法である事は確かなのだが、如何せん効き目はイマイチだ。痛いものは痛い。「や、痛覚なんてものはオレの身体にはねーし」と思い込んでもみたが、やはり痛覚は私の身体には存在したようで、左手の薬指がピアノの鍵盤に触れた時には「いやーん!痛いー!」となった。様々な状況を勘案するに、どうやら私の指は怪我をしているらしく、そしてそれはまあまあ痛いようだった。とにかく乗り切った。

その後も数日間痛みは続いた。本日の時点では、痛みのピークは越えていたが、やはりまだまだ痛かった。

なので、日課である筈のピアノの練習は、今日は殆どしていない。

こういう日はストレスが溜まる。

鍵盤を触らないでも、譜面を書いたりリズムトレーニングをしたり、そういう事もある筈なのに、ふて腐れてそれもしていない。

だから余計にストレスも溜まる。

家に帰ったらもう一度消毒をして薬を塗ろう。そして酒を呑もう。

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2011年2月 8日 (火)

中毒は恐ろしい

決して悪い事をしている訳ではないのだけれど、人に言うのはちょっと恥ずかしい癖・習性・趣味、というものは、人には一つや二つは必ずあるものなのではないだろうか。

私にも勿論ある。例えば、私は爪や指を噛んでしまう悪癖がある。これはなかなかに恥ずかしい。かみさんからも「みっともないからやめて」と言われることもしばしばだが、何か考え事をしている時や、ぼおっとしている時などについつい噛んでしまう。少しずつ注意して直したいのだけれど。

他にも色々ある。例えば「時間が空くと、ついゲーセン(ゲームセンター)に行ってしまう」という習性。ちょっとした野球ゲームをやりに行く。一試合が30分弱なので、それぐらいの待ち時間などがあるとついつい行ってしまうのだが、これもやはり同様に「悪い事ではないのだけれどちょっと恥ずかしい」事である。30歳を超えたいい年をした大人がちょこちょこゲーセンに行っているというのは、やはり声高に言うような事ではない。

そしてもう一つ、これも決して悪い事ではないのだが、やはり恥ずかしいのは、「異常なほどに辛い食べ物が好き」という事だ。これに関しては、「え?別に恥ずかしくないじゃん?」と思われる方もいるだろう。違うのだ、私は度が過ぎて辛いものが好きな為に、それは少々恥ずかしいのだ。

まず、「こいつ…味覚障害なんじゃねえか…?」と思われるのが恥ずかしい。例えば、モツ煮込みみたいなものを食べる時に私は、許されるならば、七味唐辛子をどばどばとかけたい。分量としては、すり切らない大匙の五杯分は少なくともかけたい。しかし、そこまでかけてしまうとそれを見ている人は、「あんなに唐辛子かけたら元の味がわかんなくなっちまうじゃねえか」と思うだろう。

確かにその通りなのだ。元の味はかなりぼやけてしまう。辛みが先行してしまうので、繊細な味付けなどは曖昧になってしまう。しかし、その時の私の思考回路の不等式としては、「とにかく辛いものが食べたい>美味いモツ煮込みが食べたい」という具合なのだ。であるがゆえに、とにかく唐辛子をかけたい。口がひりひりするほどの辛さを味わいたいのである。

「辛さ」は、「痛み」だという話をよく聞く。そういう意味で言えば私はマゾヒストなのかも知れない。だが、恐らくこの「辛さ」にはちょっとした中毒性がある。暫く身体に優しい味付けや食材の料理ばかりを食べていると、無性に激辛の麻婆豆腐などが食べたくなる。唐辛子と山椒と豆板醤。辛さの三重奏。だらだらと汗をかきながら、ひーひーと口から火を吹きながら、「辛いものが食べたいっ」そう欲してしまうのだ。

まるで覚醒剤中毒の患者のようだ、と思っていたら、今日、覚醒剤絡みで、芸能人の小向美奈子さんに逮捕状が出たらしい事をネットのニュースで知った。つい最近覚醒剤で逮捕されていたばかりだと思ったが、その舌の根も渇かない内に再逮捕とは、どうやら覚醒剤の中毒性は随分と強いようだ。

しかし小向さんもこれで二年ぶり二度目。甲子園出場校なら、なかなか新設の強豪校である。勿論、古豪の「聖シミケン学院」(三年ぶり五度目)や「田代農業高校」(二年ぶり四度目)など、ライバルたちには事欠かないが。(こんな高校野球ネタがネットで盛り上がっていた。)

私は、「辛いもの中毒」ぐらいで留めておいて、覚醒剤には手を出さないように気をつけたい。

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2011年2月 7日 (月)

今日はライブします

本日上野アリエスでライブです。

ハーモニカ皆川和義と、ゲストボーカルに大塚美香を迎えて。

19:30からです。

よろしくどうぞ。

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2011年2月 6日 (日)

比類無き

「常軌を逸した」などという類いの言葉は軽々に使われるべきではない。

往々にして、自らを個性的だと評したり、或いは自らの人生を波瀾万丈だなどと形容する人間は酷く凡庸だし、一頃流行った言葉を使えば、凡その事が「想定の範囲内」で片が付く。自慢げに「ホラ、アタシの恋愛遍歴ってすごい小説みたいだから」という女(大体細身のタバコを吸っている)は、九割九分、単なる普通のヤリマンである。

本当の意味で「常軌を逸する」ような人物・事象というのは、稀であるからこそ、良くも悪くも価値がある。

友人の作家、石田ゆうすけ氏に「世界一美味い」と勧められた京都のおでん屋に先日行ったが、成程その美味さたるや、確かに「常軌を逸し」ていた。あまりの美味さに、私などは痴女モノAVに出て来る男優ばりに「あっ…美味しい…です…ひんっ!…すごく…お…おいし…ンギモッヂイイ!!」などとなっていた訳であるが、やはり良い意味で常軌を逸したものというのは、そのように周囲にも強い変化(美味い→ンギモッヂイイ!)をもたらすものである。店の名前は「おもて」。木屋町六角を少し上がった所だ。

さて、そのような「常軌を逸した」人物を、私は昨日テレビで見た。そのあまりの衝撃に、私は企画モノAVでコトが終わった直後の女優のように茫然と虚空を見た。私を虚ろにさせたその彼女の名は、小泉今日子。「キョンキョン様」の愛称で親しまれる、なんてったってアイドルである。

ブラウン管越しに見たキョンキョン様の御尊顔。私はふと言葉を漏らした。「神や………神が……おる………」と。

確かに、其処に、神が、居た。

その常軌を逸した美しさたるや、最早この世のものではなかった。現世(うつしよ)から常世(とこよ)へ。此岸から彼岸へ。まさにそれは涅槃の境地とも言うべき美しさに外ならなかった。

キョンキョン様が本当の意味でなんてったってアイドルだった時代から、私はキョンキョン様を知っている。あいつもこいつもあの席をただ一つ狙っていた時代の話だ。ショートカットが眩しかった。キョンキョン様は若さに満ち溢れていた。

そのような十代(←壊れそうなものばかり集めてしまう年代)を過ぎ、二十代、三十代をも経て、キョンキョン様は現在御歳四十と五。一般的に言って、「若くない」年代に入って来ておられる。しかしその美しさたるや、年齢という横軸に正比例するかのように確実に増加の一途を辿っておられる。一つだけ言える事は、「キョンキョン様は今が一番御美しい」という真理である。また、これから更にお美しくなられる事は容易に想像される。

最近撮った映画の宣伝で、ここの所しばしば彼女をテレビで見るが、目尻に刻まれた皺を一つ見る度に、私はその御美しさに茫然とする。

ああ、キョンキョン様、御美しや。

KKKという団体がある。白装束に三角頭巾を被り、盲信的かつ狂信的にキョンキョン様の美しさを愛でる、という「kyon kyon kawaii」クラブの略称である。そのKKKの調べによれば、キョンキョン様の美しさを堪能するのに最も推奨されるのは、「すいか」という2003年に放送されたテレビドラマや、大ヒット作となった「踊る大捜査線」シリーズだという事だが、今月より上映される映画「毎日かあさん」にも強い期待が寄せられている。

キョンキョン様の美しさを、私も映画館で堪能したいと思う。

あ、あと明日ライブだ。上野アリエス、ハーモニカ皆川和義と19:30から。よろぴく。

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2011年2月 5日 (土)

乗っ取り

乗っ取り
我が家の近所の100均コンビニ(SHOP99)が、100均ローソンに乗っ取られた。

その結果何が変わったかと言うと、酒を売りはじめた。

あっしには関係のねえことでござんす。

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2011年2月 4日 (金)

当時、舞踏は「肉体的限界への挑戦」だった

昨日に引き続き、ジャズの歴史を学ぶ。

自分への備忘録も兼ねて少しだけその内容を。

1865年の南北戦争終結をきっかけとして、およそ400万人の黒人が解放され、農場から都市部へと拡散した。黒人文化が少しずつアメリカ各地に広がり始めた。

当時の黒人達は、言論を統制された。支配層の管理下に置かれ、様々な禁忌を設けられた為に、彼らには「直接語る」という選択肢は無かった。だからこそ当時の音楽の歌詞は、その監視の目を逃れる為に抽象的な物言いになる。実際に黒人達の間でのみ歌われていた音楽は、監視の目から隠されていた為に、資料としては殆ど残っていないという。

また彼らは楽器を取り上げられていた為に、その音楽の中では旋律よりもリズムが重んじられる事となった。多くの南部の地域(ニューオーリンズのコンゴー広場を例外として)では打楽器の演奏すらも禁じられた為、彼らは手拍子と足拍子でドラムの代用をするようになる。そうやって奏でられたリズムは、主に舞踏の助けとなった。

舞踏と言っても、芸術的側面と言うよりは、競技的側面が強く出ていたのが当時の黒人舞踏の特徴だ。彼らにとって舞踏は、「肉体的限界への挑戦」であった。その舞踏によって尊敬を勝ち取り、内的感情を放出する。農場生活の緊張を解放する(恐らく唯一の)手段として舞踏があり、音楽があったのだ。

またここに、ジャズを始めとする近代ポピュラー音楽の大きな特徴が現れている。それは、「等間隔のビート拍を持つリズム構造」という点である。一定のテンポで曲が進行する、と言い換えればわかりやすいかも知れない。それまでの西洋音楽にはなかった、アフリカからの影響がこのリズム構造である。

という所まで。

「ジャズ」、或いは「ジャズという言葉」が出て来るのはもう少し後、1915年前後の事だと言われています。まだジャズには至りません。ラグタイムやブルーズはこの頃既にあるんだけどね。

しかし、歴史は本当に面白いなあ。

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2011年2月 3日 (木)

お勉強

お勉強
中華丼作った。

肉にもう少し下味が付けられれば良かった。次回への反省点。エビは美味かったな。

今日は休みだったのだが、全然ピアノを弾いていない。昼からずっと本を読んでいた。ジャズの歴史の本だとか、ピアノ奏法の本だとか。

こういう事も大事だ。ピアノを弾いているだけじゃダメだ。きちんとした勉強や研究は必須だ。

今日学んだ事。

奏法については

・ボディマップを拡大する

・体重の支柱としての脊柱を意識する

歴史

・南北戦争直後に生まれた「ジャズの原形」の研究

・それがどのような面からヨーロッパ音楽の影響を受けているのかの分析

やること色々あるな。

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2011年2月 2日 (水)

ライブとセッション

宣伝です。

ライブとセッション。

演奏が聴きたい人はライブへ。自分も演奏したい人はセッションへ。どうぞお越し下さい。

〈ライブ〉
2月7日(月)東京上野 アリエス
tel 03-3831-0523
http://www.jazz-cygnus-aries.co.jp/aries/ari-top.html
harp:皆川和義 pf:福島剛 guest vocal:大塚美香
19:20~start  music charge:2000円

〈セッション〉
2月16日(水)東京小岩 COCHI
tel 03-3671-1288
http://www.jazz-cochi.com/
ホスト b:日下部史貴 ds:松永博行 pf:福島剛
東京都江戸川区南小岩8-12-6 マンション中村Ⅱ1階
19:30~start  music charge: 1800円

宜しくお願いいたします。来てくれたら、嬉しくて泣きゲロを吐きます。

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2011年2月 1日 (火)

新幹線から

新幹線から
新幹線から
東京へ戻る新幹線の中から、米原〜岐阜羽島辺りの雪化粧の光景を撮ってみた。

大変見事。美しい。ここで暮らす人々は雪にはさぞ困らされてはいるだろうが、美しいものは美しいのだから仕方がない。

関西に丸四日ほど滞在。色々あったような気もするが、何もなかったような気もする。

東京に帰る。

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