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2011年1月

2011年1月31日 (月)

六年目の一月三十一日

六年前の今日、一月三十一日から、この日が私にとって特別な日になった。

市川修という男が死んだ日だからだ。

彼がいなかったら、彼に会っていなかったら、間違いなく音楽で飯を食おうなどとは思わなかった。今の生活はしていなかった。

まだ私には充分な実力も無くて、元より学歴も後ろ盾も皆無だから、やはりこの世界では色々と苦労をするけれど、何かの偶然から市川修という男と出会って、彼の人間に惚れて、挙げ句に同じ道を少しずつだけれども歩ませてもらっている事を、私は、嬉しく思う。

市川修さん、俺を生かせてくれてありがとう。

死んじまったから、もう遅いのかも知れないけれど、俺は貴方にずっと感謝したい。

出来れば、少しずつでも恩返しもしたい。

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2011年1月30日 (日)

三日目

京都三日目は、何の予定もなく京都市内をふらふらと。

懐かしいなあ。

大学に寄ろうかなとも思っていたのだけれど、何だかめんどくさくなってきて。

明日は師匠の命日か。

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2011年1月29日 (土)

京都二日目

京都一日目、パーティーも盛況で終了。良かった。

自分の演奏が終わった後は、ごぶごぶと酒を鯨飲。

いやあ。酔っ払ったなあ。

本日はライブです。

滋賀県浜大津のtioというお店で20時から。サックス黒田雅之とのデュオです。

よろしくどうぞ!

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2011年1月28日 (金)

富豪

富豪
新幹線に乗って、今や超高級品となったタバコを吸いながら、更にセレブ御用達のサントリープレミアムモルツを呑んでいると、「富豪感」が半端じゃない。

今のオレなら国が買える。

肘の高さまで金が積める。

ぷらっとこだまは最強だな。

さて、京都に行って来ます。

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豚キムチ

豚キムチ
昨晩の夕飯。

豚キムチ、チャーハン、ニラ玉スープ。

たまには作り方を書いておきますわな。

豚キムチだけ。

まずニンニクを五かけほど剥いてから微塵切りにしますわな。古いやつはちゃんと芽を取るようにな。そしたらそれをフライパンでゴマ油で炒めます。あんまし強火でやるとすぐ焦げますよ。

そしたらそこに玉ねぎスライスを投入。そんなに薄く切り過ぎない方が良い。今日はちょっと薄くなり過ぎた。

適当に炒まってきたら、豚肉を投入。たくさん入れると贅沢な気持ちになれますが、食べる人の中に回教徒(イスラム教徒)がいない事を事前に確認するのを忘れずに。回教徒は豚を食べません。

肉を炒めながら下味を付けます。塩胡椒を適当に。ぼくは更に山椒も入れます。

最後にキムチとモヤシを投入。全体をよく馴染ませながら、上から鳥ガラスープの素、酒、豆板醤を入れ、火を強火にしたら中華の鉄人陳健一気分でがしがしフライパンを振ります。

最後に上からネギの刻んだのをパラパラかけます。今日はかけなかったけど、胡麻なんかかけても美味いわな。

あとは、料理記者歴40年の岸朝子さんに出すだけです。確実に「おいしゅうございます」と言われます。

マジな話をすると、辛くて旨くて、酒のツマミに一番良い。

美味かった。

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2011年1月27日 (木)

めんどくさい

明日から関西へ。

四日ほど滞在する予定ですが、何一つ準備をしておりません。

今日中にはやりますが、めんどくさくてしょーがない。

今回、京都木屋町にある「おもて」というおでん屋に行こう、というのが個人的な楽しみです。誰か一緒に行こうぜ。

パーティーやライブもあるので楽しんで来ます。

あ、ライブは明後日1月29日の土曜日、滋賀は大津のtioというお店です。20:00スタートだったと思う。

荷造りが死ぬほどめんどくさい。

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2011年1月26日 (水)

図書館にハマる

我が街小岩にある小岩図書館がなかなかに良い。

CDを一回三枚まで無料で貸し出しているのだが、ジャズのCDのラインナップがそこそこに充実している。

ブルーノート盤やプレステッジ盤など、いわゆる「ベタな」ラインナップなのだけれど、私自身のレコードコレクションにはそういったベタな所が少々手薄な所もあるので少しずつ借りて来ている。

先日借りたのは、ホレス・シルウ゛ァーとエリック・ドルフィーとケニー・バレルの三枚。奇しくも全てブルーノート盤。

ケニー・バレルのギターをちょっと聴いたが、やっぱりカッコイイ。無理してジャズっぽくしようとせず、かといってブルースフィーリングもほどほどに抑えて、という感じが絶妙に心地好い。

次は何を借りようか楽しみなのだが、小岩図書館のラインナップでは、ジャズ以外に充実しているのは落語。一通りジャズを借りたら、恐らくはその後は落語ばかり借りるのだろうな。

図書館はなかなかに良い。

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2011年1月25日 (火)

今日は休み

昼から銀行に行ったり図書館に行ったりして、久しぶりにだらだらと一日を過ごす。

だらだらとした一日に対して「こんな事じゃダメだ!」と思うのは、あまり内容の濃くない日々を過ごしている時だ。

ここの所、ぎっちりと詰まりまくった日々を数日間過ごしていたものだから、今日のような一日にもあまり後悔は無い。

休む時はしっかり休む。

中途半端が一番良くない。

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2011年1月24日 (月)

1月29日(土)大津tio

突然ですが、今週末から関西に行きます。

パーティーの演奏やらライブやらなんですが、ライブは29日の土曜日に大津の「tio」というお店でやります。

詳細はこちら

1月29日(土)滋賀大津 tio
tel 077-514-8839
http://www.ark.ne.jp/tio/mainframe.html
sax:黒田雅之 pf:福島剛
19:30~open  20:00~start  music charge:前売り1500円 当日2000円

お店自体は初めてのお店なのですが、実はここのピアノには深い思い出があります。

是非ご来場を!

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2011年1月23日 (日)

邪悪漫画「ファウル(仮)」

昨晩はソロピアノコンサート。

2〜3ヶ月に一度の企画、と自分では決めているが、改めてそのペースがギリギリ限界な事を思い知る。準備から演奏に至るまで、本当にしんどい。勿論、それに見合った、或いはそれ以上の充実感や達成感はある。ただ、ペースを間違えると、本当に死んでしまう。次回は春先ぐらいにしよう。

奇遇な事なのだが、昨日の客席には「元漫画家志望」が三人もいた。

内訳は以下。最近はよく上野アリエスでゲストボーカルとして出演してくれている大塚美香女史、そして私といつも援助交際をしている女、奈美子。更にそこに加え、現在日本転覆を企んでいる悪の作家(理由は最近の当ブログの記事を参照)、石田ゆうすけ氏の三人が「元漫画家志望」である事を白状した。

石田氏が女性陣二人に質問した。「出版社に投稿とか持ち込みした事ある?」と。

「いやー、それは流石に無いですねー」と二人が答えると、返す刀で石田氏は「オレはある」。

私が口を挟んだ。「どこに投稿したんですか」と。

石田氏の発言に耳を疑った。彼の口から出された言葉は「ジャンプ」だった。

ドラゴンボール、スラムダンク、こち亀、北斗の拳、シティハンター。

我々は人生において大事な事は、ほぼ全てジャンプから学んだと言っても過言ではない。週刊少年ジャンプ、それは間違いなく小学生のバイブルだった。

そしてジャンプには三つのテーマが存在する事を我々は知っている。ご存知、「友情・努力・勝利」である。

高校生時代の石田氏、今の悪の様相からは想像もつかぬが、まさか「友情・努力・勝利」の高校生だったのか、と私はいささか驚いた。

私は彼に投稿した漫画のストーリーを聞いた。

彼は答えた。「陸上部の話」と。

なるほどなるほど。スポ根ものはジャンプの御家芸。当人の石田氏も当時は陸上部。自分の経験や妄想に基づく、甘酸っぱい恋愛の話を交えた、あだち充テイストの漫画を描いたのだな、と私は合点した。

否、そうではなかった。

彼の口から伝えられた大雑把な漫画のストーリーは以下。

「走り幅跳びの日本記録を持つ主人公。競技自体は既に現役を引退し、現在では指導者として後進の指導にあたっている。主人公と同じく走り幅跳びを専門とするある優秀な後輩が、目下めきめきと実力を付けてきた。いずれ自分の日本記録も更新する勢いだ。ある記録会で、その後輩が跳ぶ、というその時、審判員は奇しくも主人公であった。後輩によって目の前で自らの日本記録が破られたその瞬間、主人公はほぼ無意識に、ファウル(無効)の旗を挙げた。勿論、ファウルではないのに」

というストーリー。

ええっと…

さすが悪の作家である。

これは「友情・努力・勝利」ではなく、「虚栄・欺瞞・敗北」だよね?なぜにジャンプ?

孫悟空は「おめえつええな!オラわくわくしてきたぞ!」とは言っても「人間って狡いな!オラげんなりしてきたぞ!」とは言わないのだ。

安西先生は「諦めたらそこで試合終了ですよ」とは言っても「あなたなんか生まれた時点で試合終了ですよ」とは言わないのだ。

石田氏の考えた話は、人間の奥底に潜む無意識の悪を見つめる作品。ジャンプに載せられる訳がないでしょうが!子供がまだ食べてる途中でしょうが!

とは思ったのだが、どうやら話を聞くと、その漫画原稿、ストーリー面では絶賛を受けたと言うのだ。集英社に悪の漫画編集者がいたせいである。

しかし、その話を聞きながら私は「ああ、いつからジャンプを読まなくなったんだっけ」と考えた。

それは言い換えれば、「いつから友情努力勝利が大部分において嘘と気付いたんだっけ」という事だ。

そしていつから、勝利者よりも敗北者に興味を惹かれるようになったのだろう。

私はそんな風に大人になった。恐らく石田氏も、そのような紆余曲折を経て、修復不能なほどに性格が曲がりまくってしまったが為に、悪の作家になってしまったのだろう。だって明らかにその漫画、勝利者よりも敗北者・落伍者目線じゃん!もうその頃から人として手遅れだったんだね!

人としての手遅れ度という事では、当然私も石田氏には負けてはいられない。というか、勝っている。「Mr.お気の毒」こと私である。

ハイレベルな「お気の毒様」が二人寄ったので、私達はその後はひたすらに「オリジナル手淫」の話に終始した。

余りにも程度の低い下ネタに、周囲の人間が石化していた。

もう、私は海になりたい。

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2011年1月22日 (土)

さて

さて、ピアノ弾きに行って来ます。

がんばります。

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2011年1月21日 (金)

奇跡~大きな愛のように~

麺を、愛している。狂おしいほどに。

米にも負けず

パンにも負けず

東に美味い蕎麦があると聞けば、行って大袈裟に喜びながら食い、

西に美味いうどんがあると聞けば、ダシの香りにうっとりとしながらうどんをすする。

北に美味いラーメンがあると聞けば、行ってその麺のコシに腰を抜かし(←ダジャレな)

南に美味いソーキソバがあると聞けば、行って「なんくるないさー」と呟く。沖縄行った事ねえけど。

そういう麺好きに、私は既になっている。

さて、「何食いたい?」と聞かれれば、「麺食いたい」と答える事でお馴染みの私であるが、ついに、ついにと言って良いだろう。昨日、究極の麺に出会った。

灯台下暗し、東大難しくて入りがたし、とはまさにこの事で、その究極の麺は、我が街小岩にあった。

本当ならば誰にも教えずに、私だけの楽しみとして心に秘めておいても良かったのであるが、私は今、どうしても誰かに言いたい。小岩にある究極の麺、これを是非とも食して頂きたいのである。

店の名前は、「美中味」。特級厨師のいる店である。いや、特級厨師がいるかどうかはわからない、多分いる。

私の紹介したい「本気度」の証拠として、以下に「ぐるなび」の紹介ページのURLを貼っておく。小岩駅から徒歩二分だ。

http://map.rakuten.jp/spot/56948/%E4%B8%AD%E8%8F%AF%E5%B1%85%E9%85%92%E5%B1%8B+%E7%BE%8E%E4%B8%AD%E5%91%B3

美味いのは、ここの「蝦仁湯麺」、日本名は「えびのあんかけそば」である。値段は820円。

昨日かみさんとこの店に夕飯を食べに行った所、私はビールを呑んでいたのだが、かみさんは酒が呑めない為に、「あたしは米か麺が食いたい」と言い出した。

食べなさい。私はそう答えた。

食べなさい、泣きなさい、笑いなさい。いつの日か、いつの日か花を咲かそうよ。私は喜納昌吉よろしくそう答えた。

そこでかみさんが選んだのが、前述の「蝦仁湯麺」である。

数分の待機の後に運ばれてきたその麺は、何とも上品な佇まいをしていた。

「うむ、奈美子、美味そうではないか。後で私にも一口くれたまえ」私はそう言ったが、かみさんはすぐに小さな椀に私の分の麺とスープといくつかの具をよそってくれた。

どれどれ、と一口麺を啜る。麺の世界の海原雄山と言われたこの私が一口それを啜ってみた最初の印象は、「ほほう、あっさりとしていてなかなかに美味いではないか」であった。

最初はその程度の感想であった。というよりも、今一つピンとこなかった、というのが正直な所だ。

一口目から「美味いっっっっ!!!!!!」ではなく、「あれ?これひょっとしたら美味いんじゃね?」という感覚に近い。

それが…二口、三口と食べ進める内に、「蝦仁湯麺」は、隠していた牙を徐々に、そして凶暴に剥き始めた。

つまり、こういう事である。

一口目「あれ?これひょっとしたら美味いんじゃね?」

二口目「あ、これ美味いわ」

三口目「いや、これムチャクチャ美味いわ」

四口目「これ…美味いってレベルじゃねえぞ」

五口目「美味い祭じゃー!者どもー!狼煙を上げろー!武器を持ていいいいい!」

六口目「あ…はぁん…美味しいよぉ…お、美味しいよぉぉ…」

「も、もう…ら、らめぇ(だめぇ)」

後から後から押し寄せる複雑な野菜の旨み、そして甘み。人参、ヤングコーン、白菜、キクラゲ、そしてエビ。それらが渾然一体となり、えもいわれぬ「美味いワールド」を構築していた。まさに奇跡の麺である。奇跡の麺である。大事な事なので二回言った。

本当に、どんな有名ラーメン店で食べたラーメンよりも、それは美味かった。皆様にも是非食して頂きたいものである。

余談ではあるが、明日1月22日、私がソロピアノコンサートを行う「Back In Time」というお店から「美中味」は徒歩15秒。ここで「蝦仁湯麺」を食してから私のソロピアノコンサートに来る、というのが、ナウなヤングにバカ受けなトレンディーな土曜日の過ごし方だ。勿論、ヤングでない方でも大丈夫だ。チョイ悪オヤジにバカ受けな、レオン的週末の過ごし方だ。

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2011年1月20日 (木)

分ける

しつこく書いているけれど、今週末にはソロピアノのコンサートを小岩でやる。

ここ数日は本当に追い込みの日々。時節柄、受験生みたいだ、と思う。

以前、私がアマチュアだった時にもライブなんかはしていたのだけれど、もうちょっと気楽にやっていたような気がする。

音楽を生業にするようになってから、私にとって色んな意味でライブは「面倒くさいもの」になった。取り分け自分で主催する時には。

でも、以前よりもずっと面白い。

そして以前よりもずっと綺麗な音が出せていると思う。

作家の吉本隆明氏がサインを書く時に引用する宮澤賢治の言葉がある。

「ほんとうの考えとうその考えとを分けてしまえば」

『銀河鉄道の夜』の補遺稿の中、ブルカニロ博士の言葉である。この言葉は、「その実験の方法さえ決まればもう信仰も科学も同じようになる」と続くのだが、私の心の中でも、この言葉は強い影響力をもって屹立している。

音楽において、ようやく、ほんの少しずつだけれど、「ほんとうの音」と「うその音」が分けられるようになって来た。まだまだ全てをコントロールするには到底至らないまでも。

そんな事を考えながら、ああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返した挙句にライブをするのは、そりゃあ「面倒くさい」。でも、当然、以前よりずっと面白い。

今日は夜に一つだけあるレッスンまでは、ひたすらカンヅメになって練習します。

今サボったら、バカだ。

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2011年1月19日 (水)

何度同じ過ちを繰り返せば、人は赦されるのだろう

タイトルの件ですが、赦されませんよ。ええ、絶対にね。

またもライブの告知の日付を間違うっていうね。

もうね、ホントにアホかと。

バカかと。

お前「ライブ告知」って言いたいだけちゃうんか、と。

何が「よーしパパ頑張ってピアノ弾いちゃうぞー」だ。もうね、見てらんない。

ライブ告知っていうのは、一文字間違えただけで一触即発、そんな刺すか刺されるかのふいんき(←何故か変換出来ない)ちゃうんか、と。

女子供はすっこんでろ。そう言いたい訳ですよ。

とまあ、有名な「吉野家コピペ」を文字って書いてみましたが、昨日の記事のライブ告知の日程は、嘘です。

大嘘です。

11月6日は前回の日程でした。今回は1月22日(土)、これでFA(ファイナルアンサー)です。

ホントにすみません。

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2011年1月18日 (火)

ご褒美ハンバーグ


写真は夕飯用に作った和風ハンバーグ。激ウマかった。

とりわけソースが会心の出来。大根おろし、生姜おろし、玉葱みじん切りを混ぜた所に上から酒とごま油と塩・胡椒、あとはめんつゆと醤油を交互に入れながら味を調えるのだけれど、さっぱり感を倍増させるは、味わいが深くなるわでもうエライ騒ぎ。何なんでしょうか。素晴らしい。

夕方ぐらいに、ずっと考え続けていた今週末のソロピアノライブのセットリストが完成する。もう後は練習するだけだ。これでだいぶ楽になった。それもあって、今晩はご褒美の自家製ハンバーグと、もちろんお酒。酒が美味いです。

さて、そんな訳で、今週末は渾身のソロピアノです。是非皆様足をお運び下さいませ。

11月6日(土) 小岩 Back in time
福島剛ソロピアノコンサート 「アフリカを弾く」
20:00~start
チャージ:2000円
http://www.bqrecords.net/backintime.htm
03-3659-0351
JR小岩駅より徒歩3分

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2011年1月17日 (月)

カープびいき

カープびいき
ピアノの生徒から頂いた広島土産の焼酎でございます。

ええ、おっしゃる通りのカープびいきでございます。

芋焼酎なんだけれど呑んでみたらね、結構芋の香りがつええの。「すっきり呑みやすい」とかじゃなく、「がっつり香り深い」って感じ。

森伊蔵とか魔王とかよりも、さつま白波や黒霧島が好きなぼくからすれば、好みの味でございやす。

いやあ、やっぱ深夜の独り酒ほど楽しいもんはねえよなあ。

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2011年1月16日 (日)

パソコンで音楽を

パソコンに音楽を取り込もうと必死になっている。

外付けのハードディスクを持っていたので、手持ちの音楽ソフト、主にCDだが、そいつらをハードディスクに放り込んでやりたい。そうすればパソコン自体の容量は使わないで済む。そう思っているのだけれど。

中々上手い事いかん。

ハードディスクの中にitunesをインストールして、そのitunesの中にCDをインポートしたら、ハードディスク内にCDが取り込まれた事になるのか?

いやあ、わからんわからん。

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2011年1月15日 (土)

鉛筆の転がり先が人生を変える事だってある

大学入試センター試験だそうで。

もう13年も前か。受けたのは。

私は数学と理科が全く出来なかったので、国語と英語と日本史の、ほぼ三科目(数学は受けるだけ受けた。結果、四点。二百点満点で)で受けたのだが、国語はいつも通り「まあまあ」出来て、日本史もいつも通り「全然」出来なくて、英語はヤマカン(鉛筆転がし)が当たりまくって「ムチャクチャ」良く出来た。

お陰で母校となる京都府立大学に辛うじて滑りこんだ訳だが、それを考えたら不思議な話だ。

あの時鉛筆があらぬ方向に転がっていたら私は京都の大学になど行っていなかっただろうし、そうなれば師匠となる市川修にも会っていなかっただろう。

そうすれば、恐らく今のように音楽を生業にするような事もなかった筈だ。

人生なんて、本当にわからない。

今日も今日とてピアノを弾きながらそんな事を思う。

受験生諸君。試験が上手くいっても、その後の人生がとんとん拍子にいくとは限らないし、逆もまた然りだ。

だから人生は難儀で、まあ、面白いのではないかな、と30歳を越えて腹も出て来てしまったオジサンは思うのだ。

らいかろーりんすとん。

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2011年1月14日 (金)

才能

最近「才能」という事についてたまに考える事がある。

例えば私は音楽を生業にしているが、私には音楽の才能はあるのだろうか。そんな事を以前は良く考えた。

結論から言えば、ある一時期を境にして、私は自分で自分に「才能など無い」と思い込む事にした。

「そんな事ないよ、才能あるって」などと慰めてもらいたいから卑屈に謙遜している訳でもなければ、冷静な自己分析の結果そのような結論に至った訳でも無い。

そうやって思い込んでおいた方が、私の場合色々と都合が良かったからだ。だから実際の所、私に才能が有っても無くても、どちらでも構わない。少なくとも今の所は。再三になるが、「才能など無い」と思い込む事が今の私には都合が良いのだ。

練習に際して、「才能の無い私」は、「才能の有る誰か」と比べて物覚えが悪い訳である。一つのフレーズを、「才能の有る誰か」が5分で覚えて弾けるようになるとしたら、私は30分はかかる。まずはそうやって認識する。

そうすると、同じような方法を辿っていたのでは、いつまで経っても私は「才能の有る誰か」に追いつかない事になる。

だからこそ、そこで知恵を絞る。

効率的な練習方法を考え出す事も一つの手だ。そして何より「とにかくやる」という事に重きを置くのが最重要だ。私が嘗て通っていた柔道の道場に、木村政彦という昭和の柔道家が書いた「三倍努力」という色紙が飾ってあったが、それは未だに私の一つの指針になっている。

演奏に関しても、指導に関しても、私の代わりなど幾らでもいる。私より才能に満ち溢れた人間が、腐るほどいる。その中で生き延びていかなくてはならない。そこが私の一つの出発点になっているのだ。

今日も今日とて家で一人で練習をしていた訳だが、練習を録音したものを聴いて、その演奏の酷さに愕然とした。タッチの粗さ、ミスの多さ、そして音楽性の欠如。

だからこそ、問題点を一つ一つ洗い出して、それらを解決していく必要がある。「何故そのようになってしまっているのか」という事を考える事で、自ずと私がやるべき事は決まってくる。「おかしいな、俺には才能が有る筈なんだけどな」と思っていると、そのような細かい点には気付かない。少なくとも私の場合は。

そうやって考えると、私には才能が無くて良かったな、とも思う。

日々の練習を継続する一つの動機になりうるし、それらを工夫しながらやっていくのも愉しい。何でもかんでもすぐに出来てしまったら、恐らくはここまで愉しくなかったんじゃないだろうか、と勝手に想像する。

今日の練習テーマは、左手と右手の独立。左手で一定のベースパターンを弾きながら、右手で自由にアドリブをする、という練習。これがドヘタなものだから、すぐに左手は見当違いの事を弾き始めてしまうし、右手はいつまで経っても自由にならない。

でも、少しずつ出来るようになって来る。

これが、たまらなく愉しい。

練習に戻ります。

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2011年1月13日 (木)

基礎練

今日は日中は家で譜面を書いたり、基礎練をしたり。

音楽というのはなかなかに難儀なモノで、この「基礎練」をサボるとにっちもさっちもいかなくなる。

かと言って、本番が控えている時などは、その基礎練を一旦脇に置いておいて、本番の為の練習をしなくては、当たり前だが、本番でコケる。取り分け私のようなヘボミュージシャンは、確実にコケる。

けれど、当然基礎練をやらない事には上手くならない。

この辺がバランスの取り様で、例えば私は来週の土曜日、1月22日に、大事なソロピアノの本番が控えている。それに向けて綿密に計画も練りたいし、練習もしたいのだが、それは「基礎練」からはちょっと外れてしまう。

だから、私は今週一杯までは、あまり本番の事は意識しないで普段の基礎練をしよう、と決めた。

来週の一週間を使って、本格的に本番に向けた練習をする。

何だか野球選手がシーズン前にキャンプに入るみたいで楽しいな、と思う。

という事で、最後は宣伝ですが、1月22日の土曜日は、小岩「back in time」でソロピアノです。今回のテーマは「アフリカを弾く」です。アフリカに纏わる曲を演奏致します。

19時オープン、20時スタートですが、予約も受け付けておりますので、私に直接言って頂くか(このブログでも構いません)、お店までお問い合わせ頂ければ、お席を確保出来ます。

よろしくどうぞ。

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訃報

古澤良治郎さんという有名ジャズドラマーの訃報を聞く。

私は彼と直接の繋がりがあった訳では無いのだが、以前酒の席に同席させて頂いた時に、亡くなった彼を兄のように慕う廣木光一さんというギタリストが、「この人がいなきゃオレは世の中に出られなかったんだ、幾ら感謝してもし足りない」と、目の前の古澤さんに、心からの敬意を表していた。廣木さんは、本当に古澤さんの事が好きなんだな。何だかこういうのって良いな。私はその光景を見ながら、そんな事を思った。

だから、古澤さんの訃報を聞いた時に、私はすぐに廣木さんの事を思い出した。

彼の悲しみは、私にはとてもではないが計り知れない。沈痛な思いの中に、いらっしゃるのだろう。

私は廣木光一さんの事が好きだ。音楽家として、人間として、深く尊敬している。

彼が、そして多くの人が愛した稀代のドラマーが、亡くなった。

御冥福をお祈りします。

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2011年1月12日 (水)

伊達直人騒動

「伊達直人」を名乗る男が児童相談所にランドセルを数個置いていった、という出来事を発端として、匿名、或いは意図的な偽名で似たような「事件」が相次いでいるらしい事をネットのニュースで見た。

こういった形での好意には、思わず顔が綻ぶ。

悪戯のような面白さもあるが、私がこういった行動に惹かれてしまうのは、そこに犯人(というのも変な言い方だが)の「照れ」が感じられるからだ。

照れないやつは馬鹿だ、と私はどこかで思っている。また、基本的には「照れない人間」は信用しない。照れもせずに誇らしげに自分の行為や思想を語る人間は、十中八九馬鹿だと思って間違いない。良い意味ではなく、悪い意味での馬鹿だ。大抵の場合、度し難い。

一連の「事件」の「犯人」達は、そういう馬鹿な連中とは、在り方として対極にある。

二元論は嫌いだが、彼らのやっている事は一般的に見て「良い事」か「悪い事」かで言えば「良い事」だろう。少なくとも批難されるような行為ではない。

そういう行為をする時に、ついつい人は「良い事をやっている私を見て」という自己陶酔に陥りがちだ。「今の私はとても正しい」、そんな風に自分で自分に酔ってしまう。

それはそれで良いかな、とも私は思っている。自分に酔おうと何だろうと、やはり「行動」として何かをやっているのは大したものだ、と思う。

しかし、美学としての理想を言えば、やはりこの「犯人」達のようであってほしい。

オレ、今「良い事」してんだよな。何だかなぁ、恥ずかしいなぁ。

「良い事」をしている自分に酔うよりは、照れる方が良い。

私の好みとしては、そんなものだ。

一連の「事件」は、見ていてとても気分の良いニュースだ。

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2011年1月11日 (火)

カチャトーラ

カチャトーラ
今日は我が家にかみさんの友達が来るというので、カチャトーラ(チキンのトマト煮)を作ってみた。

先程味見したが、美味さで悶絶して死ぬかと思った。

享年31歳になる所だった。

危なかった。

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2011年1月10日 (月)

みっともない二十歳だった私

成人式だそうで。

自分の事となると、もう十年以上昔の事である。随分と昔の事のようにも感じるし、それとは反対につい最近の事のようにも感じる。

成人式には行かなかった。正確には、会場まで行って、やっぱりいいや、となって昼間からずっとパチスロをしていた。不思議と細かい事を覚えているのだけれど、「ワードオブライツ」というパチスロ機を打って、その日は幾らか勝った。どうでもいい記憶だ。

二十歳の頃を思い返すと、多分私にはまだ「物心」というものがついていなかった。物心が何を指すかは置いておくとして、まだ自分が何者かもわからなかったから、えらく虚勢を張っていたような気がする。

「知らない」、「わからない」と言う事が嫌だったようで、随分と知ったかぶりをしていたと思う。そういう事を思い返すと、酷く気恥ずかしい。

今になって、「あの頃に戻りたい」などとは思わない。嫌な事が増えたのかも知れないが、それでも今の方が幾分も良い。嬉しい事も嫌な事も、出来る限り「今」で感じていたい。

自分があまりにみっともない二十歳だったから、今年の新成人達をテレビや電車の中で見て、彼らがどれだけ頭の悪そうな発言を繰り返していても、「まだオレよりはマシだろ」と、若干自意識過剰気味に思う。

逆に彼らを見て「今時の若いモンは…」という論調の人を見ると、「さぞかし御立派な二十歳であったんでしょうな」と意地悪く思う。

あの時から、ほんの少しだけだけれど、私も成長したのだ。

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2011年1月 9日 (日)

台湾自転車気儘旅

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深刻な不治の病として、「マイウー症候群」という病気が医学界から発表されて久しい。人命に危険をもたらす可能性のあるこの病は、日本のみならず、世界各国で猛威を振るっている。

患者達の主な症例としては、精神の破綻が挙げられる。

例えばこんな状況。

夜間のスポーツニュースも終わり、さてそろそろ床に着くかと考え始めた午前一時、青天の霹靂の如く脳裏に浮かぶ一つのテーゼ、「ラーメン食いたい」である。

この想念に憑かれたが最後、患者は向こう三時間ばかりラーメンの事しか考えられなくなるのである。コシを残して茹でられた味わい豊かな麺、芳醇なダシの香りのスープ。それらを複雑に絡めつつ勢い良く啜る我が身を夢想する事で、眠ってなどいられなくなるのである。漫画の表現として「金の事ばかり考えている人間の目の中を¥マークで表現する」という日本古来の伝統的な技法があるが、その技法に沿って考えるならば、この時の患者の目の中は「ラーメンマーク」で表現されるのが最も適切である。

「ラーメン食いたい」

「今食うと太る」

「そしてオレは太っている」

苦悶と懊悩の時を過ごし、眠れぬ目をこすりながら明け方に近所のコンビニへカップラーメンを買いに行くその様は、まさに薬物中毒患者のそれである。完全に精神が破綻していると言わざるを得ない。

さて、この恐ろしき「マイウー症候群」であるが、私も勿論この病に冒されている。医学の専門家によれば、私の余命は残り短ければ二日、長ければ七十年という事らしい。自らの余命を宣告される事ほど残酷な事は無いが、私には残された限り有る余命を懸命に生きる義務があると思い、今日も一日を生きている。

そんな私を遥かに凌駕する程の重篤な「マイウー症候群」の患者が、私の友人にいる。「石田ゆうすけ」というのが彼の名だ。物書きとして数冊の本を上梓し各地で好評を博している為、その名前を見知り置いている方も少なくないかも知れない。

彼の病状は極めて深刻だ。医師から彼の病状について「残念ですが…持って…あと六十年…」という言葉を聞いた時には私もがっくりと肩を落とした。友人である彼の事ゆえ、無念さを禁じ得ない。

そもそも、マイウー症候群の発症の原因として挙げられるのは、脳の異常である。何かを「食べた」時、仮にそれが「美味かった」時(ここで言う「美味い」という概念は形而上学的かつ観念的ゆえに多義的な意味を含むが、ここでは説明を割愛する)、脳味噌からは快楽物質である汁(通称:脳汁noujiru)がちゅるちゅると出る。

「うまい…」

小声でそう呟いた時に、更にちゅるっと汁が滲む。

返す刀での咆哮。

「美味いぞーっ!!!!!!!!!」

この時には汁は滲み出るというレベルを越え、「溢れ出る」。脳味噌が脳汁で水の都ヴェネツィアになってしまうのである。

この快楽物質の魔力に、我々患者達は文字通り「溺れる」のだ。一度その甘美な瞬間を味わった者は、「うまいもんはねえが、うまいもんはねえが、泣ぐ子はいねが」と譫言のように呟き、宛てどもなく街から街へと彷徨ってしまう。

前述の石田ゆうすけであるが、彼に関してはその症状は最早末期である。症状の最も酷い形として著されたのが、彼の最新作『台湾自転車気儘旅〜世界一屋台メシのうまい国へ』である。このタイトルからも彼の重篤ぶりは想像に難くないだろうが、帯に記されたコピーは「台湾一の“うまい”をめぐる旅」である。完全に「お気の毒様」レベルのマイウー症候群患者である。

彼の「うまい欲」は凄まじい。渇えた砂漠が水を欲しがるその欲求のように(砂漠に欲求があるかどうかは疑問だが)、彼は日々「うまい」を求めている。自身のブログには近所の「世界一美味い焼鳥屋」や、京都木屋町の「奇跡のおでん屋」などが日々紹介されている。

その欲求が、日本だけには飽き足らず、「台湾を自転車で一周しながらひたすらにうまいものを探す」という暴挙に彼を駆り立ててしまった。

しかも彼は台湾一周の最中に事故に遭い、鎖骨を骨折し一時帰国の目に追いやられたにも関わらず、暫くして六割ほど骨がくっついた辺りで「もう行ける、もっかい行ける」と再び台湾へ飛び、事故に遭った地点から再び自転車を漕ぐというキチガ…いや、貪欲ぶりである。まさに「うまい欲」の化身である。「うまい神」である。

その彼が渾身の力を込めて上梓した『台湾自転車気儘旅』。これは大変によろしくない本に仕上がっている。

日中、電車の中で本書を読んでいた場合。そこに「清燉牛肉麺が信じられないぐらい美味い」などという事が色鮮やかな写真と共に書いてあるのである。私の頭は「麺食いたい」という想念で充満し、目的地の駅に降り立った時には「うまい麺はねえが、うまい麺はねえが、泣ぐ子はいねが」と呟き、当初の目的(仕事など)はすっかり忘却の彼方へ、私は麺を求めるジャンキーとなり、その辺のラーメン屋にふらふらと入ってしまうのである。そして私はまた太るのである。

更にこれが寝しなに読むと一層にタチが悪い。小籠包のページを読んでいたならば、「上杉達也は浅倉南を愛しています、世界中の誰よりも」というノリで「福島剛は小籠包とビールの組み合わせを愛しています、世界中の誰よりも、例えそのせいで太ろうとも」と甲子園の公衆電話から告白してしまう。そして食べたくなってしまう。そしてまた私は太るのである。

これほどまでに食欲を駆り立てるこのような本は、有害図書に選定しなくてはならない。国が法律で規制せねばならない。

これ以上マイウー症候群の患者が増えれば、まさに国家の危機なのである。この有害図書は、国家転覆を目論んで書かれた本である事は疑いようの無い事実である。

以下、あまりエンターテイメントしない(正直な)感想。読み飛ばし推奨。

正直に言えば、彼が「次回作は台湾メシ本」と言った時に、私には多少の不満感があった。ご存知の方も多いとは思うが、彼は七年半に及ぶ自転車世界一周というキチガ…いや愉快な偉業を達成した男である。これまでに数冊刊行された彼の著作は、その殆どが世界一周旅行に纏わるものであった。

それが「次は台湾本」と言われた時に私の脳裏に浮かんだのは、「世界一周から台湾一周って、スケールダウンがすごくね?」である。

しかし、その不満は本書を読み進める内に、極めて浅はかな考えだった事を思い知らされる事になる。

結論から言ってしまえば、「どこにでもドラマはある」。

大袈裟な言い方になるが、我々がこうして当たり前に暮らしている事そのものが、大変にドラマチックな事であるのだ。幾代にも連なる祖先の連綿たる系譜として生きている「私」。そこにはドラマがあり、歴史がある。人里離れた秘境にしか物語がある訳では決して無い(無論、「そういう所」にも、在る)。

今作の中で、彼は「台湾の食」を縦の軸に定めながら、横の軸としてそれに纏わる人々や国家の歴史を、軽々とした筆致で鮮やかに描き出した。

先程書いた「どこにでもドラマはある」という事を、世界を自転車の上から見て来た彼だからこそ言いたかったのではないだろうか、そう私は感じた。

またそういった彼の主張は、「食」をメインに据えた事で、あくまでも本題の「食」を引き立てるコラムという役割に収まり、それが絶妙な匙加減、押し付けがましさを感じさせない塩梅で我々読者にすっと入り込む事に成功した。明らかに意図的なものである、と私は感じた。或いは彼は本能的に「どうすれば自分の話を聞いてもらえるか」という事がわかっているのかも知れない。

確かに「とても腹の減る本」ではあるのだが、清々しい佳作だと私は思う。

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2011年1月 8日 (土)

訂正

昨日の記事のライブ告知の日付が1月18日になっていましたが、間違いです。

今日、1月8日です。

あとピアニストの名前が福島剛となっていましたが、正確には「イボ痔腫れ之介」です。

訂正しときます。

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2011年1月 7日 (金)

明日は新年一発目、上野アリエス

明日はライブだ。午前中から夕方までレッスンもある。

何だか本格的に一年が動き出してきた感じ。

まだ若干正月ボケもあるのですが、きちんと切り替えて頑張ります。

明日のライブの詳細は以下↓

1月18日(土)東京上野 アリエス
tel 03-3831-0523
http://www.jazz-cygnus-aries.co.jp/aries/ari-top.html
harp:皆川和義 pf:福島剛 guest:大塚美香(vo)
19:20~start  music charge:2000円

恒例の上野アリエスです。今年も宜しくお願いします。

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2011年1月 6日 (木)

1月22日ピアノソロコンサート

1月22日ピアノソロコンサート
昨日かみさんが作ってくれた1月22日のピアノソロコンサートのチラシ。

タイトルの通り、今回のテーマは「アフリカ」です。

ガチンコです。

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2011年1月 5日 (水)

オレは何て雑なんだ

早速昨日買ったグングルーを付けてピアノを練習。

いやー、ムズイわー、リズム狂うわー。

自分がこれまでどれだけ雑なタイム感で演奏していたかを痛感。

ま、わかっただけ良しとしよう。直しゃあ良いんだから。

ポリリズム云々の前に、まずは正確な4ビートを。

よっしゃ、やったろ。

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2011年1月 4日 (火)

一人遊び

一人遊び
鈴を探しに御茶ノ水へ。

とは思ったが、年末の有馬記念の馬券をまだ換金していなかった事に気付いて先に水道橋の場外馬券売り場へ。

行ってはみたものの、水道橋の場外馬券売り場は明日5日からの営業だそうで、換金は出来ず。何だよばか。

けれどそこであまり落ち込みはしない。水道橋から御茶ノ水までをのんびりと歩く。この辺りは私の好きな町並みなのだ。随分昔とは変わって、綺麗な建物も増えたけれど。

程なくして御茶ノ水に到着。幾つかの楽器屋を巡ってグングルー作成用の鈴を探していると、思いの外あっさりと「グングルーそのもの」を発見。1600円也。

自分で作る気満々だっただけに、少々気勢を削がれた感はあるけれど、まああるんならあるで良いや、とそれを購入。

その後御茶ノ水界隈をふらふらしていると、ディスクユニオンの「新Jazz館」なるものを発見。誘い込まれるように入ってしまう。そして条件反射でレコードを五枚購入。2800円也。すぐ近くにあった「旧Jazz館」には足繁く通ったが、新しい方は初めて。レコードのビニールケースがもらえなくなったのが不満な変更点。

更にこれも誘われるようにカレー屋「エチオピア」へ。私が日本一好きなカレー屋である。相変わらず辛い。そして相変わらず美味い。添付の写真はこの「エチオピア」のカレーである。

大満足の昼食を終えて、本屋に立ち寄りたい欲求を抑え、更に隣町の秋葉原へ。

今月22日の私のソロピアノコンサートのチラシを作ろう、否、かみさんに作ってもらおうと思っていたので、そのプリント用紙を買いに電気屋へ。800円也。用紙を購入したら、近くのカードショップに行って私がコレクションしていた野球カードを売る。3400円也。

こんな感じで小岩に帰る。

今日は久しぶりに一人で遊んでみた。

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グングルー

楽器を自作したくなったので、材料を求めてフラフラと。

昨日ピアノを弾いている時にふと、「左足の足首に鈴のようなものを付けてピアノを弾きながら同時にシャンシャン鳴らしたい」という欲求に駆られた。頭の中で、その鈴の音が鳴っていたのだ。

試しに、ピアノを弾きながら左足で様々なリズムを踏んでみた。四拍子での二拍四拍、五拍子での二拍五拍、三拍子での三拍などなど。

まだぎこちない所はあるけれど、何となくはいけそうだ。暫く練習すれば、ある程度機械的にメトロノーム的な役割を賄う事ぐらいは出来そう。慣れて来たら、両手のピアノで四拍子、左足の鈴で二拍三連×2の六拍子なんて事もやってみたい。

調べてみたら、この足首に鈴を付けるという楽器、「グングルー」というインドの舞踊楽器であるそうだ。インド舞踊を舞う人が手首や足首にその鈴を付けて、踊りながらその鈴を鳴らす、というものらしい。なるほどそう言われてみれば確かに以前インド舞踊を見た時に踊り子がそんなものを足首に付けていたような気がする。

けれど、楽器は同じにしても、今私の頭の中にある音のイメージは、インド舞踊のそれとは微妙に異なる。

上手くいけば、ピアノの音色をより引き立たせる事が出来るかも知れない。

まずは鈴探しから。

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2011年1月 3日 (月)

小旅行にビール

三が日最終日は、逗子にあるかみさんの実家へ挨拶に。

逗子という街自体は、魚釣りで何遍か来ていたが、魚釣り以外の用事で来るようになるとは思っていなかった。神奈川の港町。そりゃあ縁もゆかりもなかったが、ひょんな事から縁は出来るものだ。

電車で二時間弱。新小岩から総武線の快速に乗ると横須賀線に直通するので一本で行く。

この総武線快速(横須賀線)は、二人掛けの椅子が向かい合うタイプのボックス席が後部車輌に配置されている。このボックスタイプの椅子に座ると、ちょっとだけ「小旅行」の趣が出て来る。「遠くに行くぞ」っていう感じが。

だから小岩駅を出る時にかみさんにねだってビールを一本買ってもらった。

最近はさすがに電車の横掛けの椅子でビールを呑むのは遠慮するようになって来たが、このボックスタイプだと「ちょっとぐらいなら良いかな」という気持ちになる。なので、缶ビール。

昔、学生だった頃に「青春18きっぷ」を使って休みの時期にあちこちへ行った。その時にも田舎のローカル線に乗ってボックス席で文庫本片手にビールを呑むのが好きだった。どこに向かってるのだかわからないけれど、まあビールでも呑みながらのんびり行こうぜ。そんな気持ちになりながら。

学校帰りの見知らぬ中学生を横目に見ながら。

あれから何年か経ったけれど、未だに私は同じ事をしている。

変わったのは、ビールを呑み過ぎると眠くなる、という事ぐらいだ。

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2011年1月 2日 (日)

数字の始まりが1ならば…

数字の始まりが1ならば…
年の始まりっぽい写真を一発。

日本一、1の数字が似合うこの方です。

ちょっくら親戚に挨拶に行って来ます。

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2011年1月 1日 (土)

2011年元旦

明けましておめでとうございます。

正月は朝から酒を呑んでいても何も言われないというのが素晴らしくて、朝からビールを呑んでおります。

正月はテレビ番組が全く面白くないのもご愛嬌。しかし見事に各局つまらんな。映画やってれば良いのに。

今年の目標は、大きな所では「離婚しない」ですが、細かな所では他にも色々あります。殆どは仕事の事ですが。

達成できるといいな。特に「CDを作る」っていう目標は今年こそ達成したい。

皆様にとっても良い一年になりますように。

あ、ブログも頑張らない範囲で書きます。

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