2010年10月
2010年10月31日 (日)
2010年10月30日 (土)
ぱーちーを前に
ないっ!ないっ!
アレがないっ!
アレがないとぱーちーに出れない!
まずいっ!
マジまずいっ!
どこだっ!
と家中を探しまわっていたら、出て来ました。
前田智徳のユニフォーム。
これで安心してぱーちーに出れますわい。
2010年10月29日 (金)
ぱーちーですか
今日は初めてヤマの店にお客さんが来たそうだ。嬉しいのう。嬉しいのう。
明日は結婚ぱーちーなんぞをして参ります。
色々めんどくさかったのですが、明日は楽しみです。
終わったら、胃袋が裏っ返るぐらいまで酒を呑みたいと思います。
2010年10月28日 (木)
カレー屋が出来た
ここ数日何故に忙しかったかというと。
まずは自分の結婚パーティー。10月30日、明後日に行う事になっており、それを巡ってのかみさんとの夫婦ゲンカに忙しかった。
「何よ、アンタ!ちょっとは手伝ってよ!」
「やだよ!ふざけんな!」
といった具合に。
まあ全体的に誰が悪いかと言えば、オレが悪い。
それと並行して、友人ヤマの料理屋オープンを手伝っていたものだから、忙しさに拍車がかかった。
友人ヤマのオフクロさんが営業している小料理屋を昼間に借りて、カレー中心のランチを、という話だったのだが、それの準備が思いの外大変だった。
「何でこんな時期(結婚パーティーで忙しい時期)にカレー屋とかやるワケ!?バカなの!?死ぬの!?」
おっと、これはかみさんから頂いた苦言だった。
それも何とか落ち着きまして、やっと10月28日本日、オープンまでこぎつけました。いやあ、マジに大変だったよ。
現在昼の2時。12時からオープンして客を待っておりますが、全く客が来ません。
という事で宣伝です。
JR小岩駅南口の昭和通りを真っ直ぐ進んで千葉街道とぶつかる辺り、「ドルフィンクラブ」という大きな水泳教室の数軒東隣にある小料理屋「暫(しばらく)」にて、AM11:00〜PM3:00まで、カレー屋さんやっています。
料金は激安のカレーライス390円。ちなみに11月7日まではオープン記念価格で300円。どんだけ安いんだ。手前味噌だが、マジに美味いよ。
定休日は不定休なので、店に一度電話してから来る事をオススメします。
電話番号は
03-5693-4759
私はいつもいる訳ではないのですが。
2010年10月27日 (水)
2010年10月26日 (火)
今日は演奏、明日は「ながら族」
風邪と喘息が完治しないまま、猛烈に忙しい日々に突入する。
やらなければいけない事も幾つもあるのに、九割方は「やっていない」。
明日は「アレをしながらコレをしてソレをしてアレをして」と、強烈な「ながら族」になる予定。
今日は今から演奏です。
「楽しんで演奏するので、一生懸命聴いてくれ」という「のだめスピリッツ」でやってまいります。
2010年10月25日 (月)
明日は上野アリエス
昨日ちらっと書きましたが、明日10月24日(火)は、上野アリエスで皆川和義グループでのライブです。
19:30〜です。宜しければどうぞ。
それにしても、体調が最悪だ。
昨日から良くなるどころか更に悪くなっている。
とりあえず、普段吸っているタール21mgのタバコから、6mgのタバコに変えた。いつものタバコを吸うと咳が出るから。
早く良くなれば良いのだけれど。
2010年10月24日 (日)
八方塞がり
ノドが痛くて、身体が怠い。
「風邪をひいたので一回休み」なんて書きたいのだけれど、明日はレッスン、明後日はライブ。
当分休めそうにもない。
とりあえずは酒をかっくらってちゃっちゃと寝る、とも言いたい所なのだけれど、これまた現在我が家の布団に「何物か」が発生しており、我が家の布団に入るとものすごい勢いでアレルギーと喘息が出る。
まさに八方塞がり。
どうしたら良いのだ。
2010年10月23日 (土)
丸一日レッスン
今日気付いた事。
包装紙であっても、そこに譜面がプリントされていると、ぐちゃぐちゃには破けない。ちょっとだけ職業病みたいなものだと思う。
あと、その譜面はついつい「読んで」しまう。流石に「模様」としては見れない、という事だ。あ、モーツァルトだ、みたいに。
生徒から頂いた結婚祝いのプレゼントが、そういう包装紙に包まれていた。なのでそんな事を思った。
今日は朝から晩まで連続で8コマのレッスンがあった。久しぶりにハードな一日。
レッスンは、教えている側の私も愉しい。好きだからやっている、というのは確かなのだけれど、やはり大変に集中力を要する。
眼前でピアノを弾いている生徒を注意深く観察して、その生徒に今、必要なアドバイスは何かを考える。長所はどこか、短所はどこか。当たり前の話だが、長所を伸ばして短所を潰す。普段私が私自身に課す練習の目的から、そこは大きくは外れない。
だからこそ、生徒が何かコツのようなものを掴んでくれると、ものすごく嬉しい。弱々しいタッチでしか弾けなかった人が、ピアニッシモからフォルティシモまで出せるようになったり(それは腕力に頼らずに)、ジャズに特有のリズムを身に付け始めたり。
今日のレッスンでは、そんな事が何回かあった。「おお、良くなったなあ」と思うような瞬間が。
そんな時には、軽く鳥肌が立つ。大袈裟に言えば、人の「進歩」を目の前にして、私は感動する。
そんな事があるから、長丁場でもあまり苦にならない。少し焦りはする。私もしっかりと練習しないと、と。
本当に、生徒の進歩は嬉しい。
負けてはいられない。
2010年10月22日 (金)
会心のおじや
三時間、ピアノの練習をして、三時間、作曲をして過ごす。
練習に関してはそれなりに集中して出来たが、作曲は三時間粘ってたったの8小節を書いたのみ。それでも良いのだ。とても大事な8小節が書けたから、あとはおそらくどうにかなる。手応えは、少しだけだが、ある。
夜は呑み会の約束をしていたのだが、かみさんが風邪で臥せって朝から家で寝ている。
一度家に帰り、かみさんの夕飯用におじやを作る。しっかりダシをとったり、野菜をぐつぐつ煮込んだせいか、自分でも驚くほどの会心の出来。私も茶碗に一杯だけ食べる。実に美味い。
呑み会も愉しみたいのは山々だが、今日は遅くならない内に帰ろう。
やっぱり、かみさんの事が大事だから。
なんつって。
2010年10月21日 (木)
ユニフォーム
今度、結婚のパーティーをするので、その時にタキシードを着なくてはならないそうで、どこかでレンタルしなくてはならない。タキシードなんて、昨年初めて着たばっかりだ。はっきり言うと、タキシードを着る事は全然好きじゃない。
でも、時と場合によっては着なくてはならない。我々は、時と場合を選んで服装を変えるのだ。
「オシャレ」という意味での服装には殆ど興味がない。寒くなくて暑くなければそれで良い。昔から一年か二年に一度くらいしか自分で服など買わないし、最近では私の服装は全てかみさん任せだ。買って来てくれたら、あまり文句も言わずにそれを着る。そんなものだ。
オシャレ命な人々から見れば、私のような服装に対する価値観など「頼むから、5千円あげるから死んでくれ」というレベルのものなのであろうが、そんな私が今日は服装について少しだけ話してみたい。理由は特にない。毎回理由を考えながら書いていたら、ブログの毎日更新なんて無理なのだよ。わかっておるかね。
私は、「ユニフォーム」という意味での服装はとても好きだ。その事を少し。
例えば、肉体労働者の作業着。
私も結構だらだらと、期間だけは長いこと引越し業者でアルバイトをしていた。とても居心地の良い職場だった。生意気で、仕事も出来ない私なのに、不思議なことに「居場所」だけはそこにあった。だからついつい長居をしてしまったけれど、音楽を食い扶持にしてからは、だいぶ足も遠のいている。そんな昔の事を、肉体労働者達の作業着を見る度に思い出すのだ。
またあの作業着に袖を通してみたいな。いや、みたくないのかな。作業着を見ると、そんなむず痒いような気持ちになる。
同じような気持ちになるのが、柔道着。何回かこのブログに書いた事もあるのだが、私は十年以上柔道をやっていたのだ。勿論段位も持っている。10年程前までは、毎日柔道着に袖を通して青畳の上でばたばたやっていたのだ。そう、今現在音楽をやるぐらい自然に、柔道という武道を楽しんでいた。
柔道は、とてもやりたい。恐らく、今柔道をやれば、昔とは違う気持ちで柔道が出来るから。
「誰にも負けたくない」、「誰よりも強くなりたい」そういう気持ちで柔道をやっていた。それはそれで悪い事だとは思わない。「強いって、どんなんだろう?」という男の子独特の好奇心から私は柔道をやっていたのだ。試合で負ける悔しさを学び、二度と負けたくないと願い、そうやって練習をしていた。
しかし、恐らく今ならば、それとは違う気持ちで柔道に臨める。「スポーツ」としての柔道でなく、「武道」としての柔道を。
知人から送られて来た、ピアニスト、アブドゥーラ・イブラヒム氏の言葉にこんなものがあった。(補足:アブサンは日本の古武道の免許皆伝です)
「武道の武には、争いを止めるという意味がある」と。
その通り、「武」とは、「戈(ほこ)を止める」と書く。私は昔から誰にも負けたくなくて、誰彼構わずケンカをふっかけて、そんな事で困っていた時もあるが、今は少しだけ違う。そんな事もしないように気をつけている。そもそも気が小さいからすぐに強がるんだろうけれど。とても惨めだ。だが、アブさんの言う通り、まさに武道は「争いを止めるための道」なのだ。今ならば、その事が少しぐらい分かる。昔よりは少しぐらいは。だからこそ久しぶりに柔道がやりたくて仕方がないし、柔道着を見ると、あのザラザラとした衣服の感触が妙に懐かしくなる。
野球選手を引退して暫くした人達も、やはりまたユニフォームが着たくなるのだろうか。あの、アンダーシャツの袖にまた腕を通したくなるのだろうか。
わたしの今のユニフォームは、とりあえずは背広だ。レッスンの時などは、全くオシャレ感に欠けるクソみたいな私服だけれども。
でもやはり、「さあ演奏だ」という気持ちで背広に袖を通すと、それは柔道をしていた時に「開始線で礼」と言われた時の気持ちに近いものになる。
ユニフォームというのは悪くないだろ、と私は思う。
だけれども、タキシードなんぞ着たくない、というのも、これまた正直な所だ。
2010年10月20日 (水)
2010年10月19日 (火)
2010年10月18日 (月)
独特な太刀筋
ここ半年ほどずっと課題にしていた、「ピアノのソフトペダル(ピアノのペダルで一番左側にあるやつ)の使い方」。
この二週間ほどで何か急にコツを掴んだような気になって、少々浮かれている。
原因はやはり、アブドゥーラ・イブラヒム氏のピアノを生でじっくり聴いたからだろう。
音楽の場合、「百見は一聴に如かず」。強烈な記憶として脳裏に痕跡を残した彼の「音」、そのイメージが私をまた違う場所へと運ぶ。
彼の音に対する私のイメージ。色々な様相があるのだけれど、その中の一つには「熟練の料理職人が魚を捌く、その斬り筋」に似たものがある。スッと入ってスパッと斬れる。斬られた当人の魚自身も、自身が斬られた事に気付かないのではないか、という程の無駄の無い斬り筋。
そう、そんな音色。
しかしすごいものを観たものだな、と今更に感激している。
2010年10月17日 (日)
2010年スポーツ界五大ニュース
気付けば既に10月も中の頃を過ぎた。年の瀬が迫ってくると、人は一年を振り替えるものである。
365日。地球が太陽の周りを一周する間に、何が起こったのだろうか、と。
そんな訳で、少々気が早いが、私も今年一年の事を振り替えってみたい。今回はスポーツの話題限定で、五位から一位までをランキング形式で発表したい。
・第五位:広島カープ、永川、大竹、シュルツなど、相次ぐ故障者に泣く。
今年は本当に怪我人が多かった。取り分け、主力に故障者が続出したのはチーム事情に深刻な打撃を与えた。私が個人的に心配しているのは、投手・大竹寛選手の故障である。咋期抜群の成績を上げ、一躍エース候補に踊り出た彼の故障には強く胸を痛めている。また、故障箇所が肩という事も心配な要素の一つだ。今オフの間の回復を祈ると同時に、来期の飛躍を期待する。
・第四位:広島カープ、最後の最後まで中堅手(センター)固定出来ず。天谷なのか、赤松なのか。
これは深刻な問題であった。左打者の天谷宗一郎選手、右打者の赤松真人選手。相手投手の左右によって使い分ける、というような明確な意図があるのならばまだ少しはマシであったが、この両選手の起用法に関して、最後まで野村監督には一貫した意志が見られなかった。現在日本野球界屈指の守備力を誇る赤松真人外野手に対して、明確な理由なく出場機会が与えられなかった事に、私はいささかの憤りを感じている。
・第三位:広島カープの廣瀬純外野手のレギュラー定着、並びに打撃の開眼。
10年目のシーズンを迎えた廣瀬選手。今シーズンの覚醒には目を見張るものがあった。元来の売りであった鉄砲肩には更に磨きがかかり、また課題であったバッティングも、広角に打ち分けながら三割を超える高打率を残した。来期には長打の増加と得点圏打率の上昇を期待したい。つまり、クリーンナップ〜中軸での勝負強いバッティングだ。来期のカープの浮沈の鍵を握る重要人物の一人、それが廣瀬純選手だ。
・第二位:広島カープの梵英心内野手、打率三割超えと共に、盗塁王のタイトルも獲得。
若手から中堅へと成長してきた梵英心選手が、今年は彼自身としてはこれまでで最高の成績を収めた。中でも特筆すべきはその盗塁数。天谷選手、赤松選手、東出選手という俊足選手達をも軽々と凌駕する盗塁数は、彼のスタートの技術の高さを裏付けている。また、その俊足と強肩に支えられた守備力も魅力だ。同一リーグの遊撃手に阪神の鳥谷選手、巨人の坂本選手などがいる。打撃面では多少の見劣りこそするものの、守備に関してはセ・リーグの中では頭一つ抜けている印象だ。惜しむらくは、彼が随分と長い間二番バッターとして起用された事だ。彼の俊足を活かす為には、やはり一番バッターが適任ではないだろうか。
・第一位:広島カープの前田健太投手、投手三冠の偉業を達成。
今年のスポーツ界における五大ニュースの栄えある第一位は、前田健太投手の投手三冠の快挙である。流石にこの事に異論を挟む人はおりますまい。三冠とは、言うまでもなく「最多勝・最優秀防御率・最多奪三振」の三つである。躍動する投球フォーム、溢れる闘志。前田選手の今年のピッチングは、まさに「圧巻」の言葉以外に形容する言葉が見当たらない。私の印象に残るのは、セパ交流戦における日本ハムファイターズとの決戦、そう、ダルビッシュ有投手との投げ合いである。日本球界を代表する大エースに挑み、投げ勝ったこの試合。観た人は前田選手の飛躍に対し、期待が確信に変わった瞬間だったろう。「広島のマエケン」から「日本のエースマエケン」へ。彼の飛躍は手放しに喜ばしい出来事である。監督コーチ陣に関しては、くれぐれも前田選手の酷使に注意し、向こう十年以上に渡って日本球界を牽引指すする大投手の溢れる才能を伸ばしてやって頂きたい。
さて、という事でお届けした「2010年スポーツ界五大ニュース」。お楽しみ頂けたであろうか。
何?「全部カープの事じゃねえか?」って?
あーあー聞こえない。そして聞く気もない。俺は俺を肯定する。
2010年10月16日 (土)
早起きは何円の得か
宵っ張りな生活が随分と身体に染み付いてしまって、寝るのはいつも午前三時をまわる事が殆どだ。
別段遅くまで何か有益な事をしている訳でもなく、大体は酒を呑みながら落語なんぞを観ている。
まあどこにでもそそっかしい奴なンてのはいる訳でございやして…なんて話を「うんうん、上手いなあ」などと感心しながら観ている。
それが昨晩に限っては珍しく疲れてしまっていて、午前0時過ぎには床に着いてぐうぐうと寝息を立てていた。
珍しくそんな時間に寝たものだから、起きた時間も早かった。目覚ましを朝の8時半にかけていたのに、起きたのはそれから遥かに早く、朝の5時。魚釣りに行く時以外にはまず起きない時間である。
何であれば、そのまま釣りにでも行ってしまいたい心持ちではあったが、勿論そういう訳にもいかない。今日は朝からレッスンだった。
徒然に時間を潰してから朝飯を用意する。いや、用意してもらう。私がだらだらと過ごしていると、寝床からかみさんがむくりと起きて来て、「何でアンタはこんなに朝早く起きてる訳?」とぶつぶつ言いながら台所に向かってくれた。
白飯と納豆と味噌汁と卵焼き。それに箸休めの新香。
味噌汁が会心の出来であった事に舌鼓を打ちつつ、かみさんと朝飯を食う。
終わって暫くしたら風呂に入る。湯舟が少々ぬるかったので、頭や身体を洗いながら湯舟を熱くして、最後にその熱い湯舟に身体ごと浸かる。
髪の毛を乾かしたり着替えたりしていると、すぐに出掛ける時間が近付いてくる。
たまにはこんな朝も悪くない。
いつもならば、二日酔いの気持ち悪さと戦いながら、親の敵のように水をがぶ飲みして、「母ちゃん、仕事行ってくらあ!金くれ、金!」と寝ぼけ眼で喚きながら忙しく家を出るばかりだ。
それが今日のように時間に余裕があると、「おう、母ちゃん、いくら交通費の為の金とはいえ、流石に千円ぽっちっていうのは少な過ぎやないかい?せめてもう一枚、もう千円つけてくんな。それで二千円ちょうどだ。それならオイラも途中でコーヒーも飲めるしタバコも買えるってもンだ」と交渉の余地がある。
「嫌だよ、あンた。ついこないだだってアンタが‘お前の誕生日プレゼント買う’っていうからアタシが一万円も持たせてやったんじゃないか。それがアンタ、酔っ払ってすっかり使い切ってきちまうんだもの。アンタは金は持ってるだけ使っちまうんだ。だから今日も千円で良いンだよ。」
「後生だ、母ちゃん。あと千円で良いんだ。あと千円、付け足してやってくんな」
「ったく、しょうがないねえ。無駄遣いするんじゃないよ!」
と言ってかみさんがもう千円をくれる。これも早起きをしたお陰だ。
昔ならば三文の得であった早起きであるが、どうやら三文とは現在の貨幣価値に換算すると、千円らしい。
早起きは千円の得なのである。
2010年10月15日 (金)
同じペースで
徹夜明けに太陽が眼に沁みるような感覚がずっと続いているのだが、一体これは何なのだろうか。
わからないけれど。
ここ数日間、比較的自由になる時間があったにも関わらず、やらなくてはいけない事の半分も終わらなかった。原因は怠惰。完全に自業自得。
最近、柄にも無く健康の事などを考えて、近所の新中川を走ったりするのだが、走っている時に痛感する大事な事とは、「同じペースでずっと走り続ける事」である。
それは、随分余裕を持って走れるほどのスローペースでも構わない。とにかく「変わらぬペース」、これが何より大事なのだ、と。
我々は、瞬発力の華やかさにすぐに目を惹かれてしまうが、持久力の底力に気付かない事が多い。
地味で真っ当に。ずっと同じ事をやり続ける事こそが、大事な事だ。
そこの認識をごまかす輩は、生涯地を這う。
だから私は、今、まさに地を這っている。
度し難い。
2010年10月14日 (木)
2010年10月13日 (水)
言わずもがな
一日を無駄に過ごしてしまった気がしたので、夜から少し足掻いてみる。もがいてみる。
とりあえずは走ってみた。新中川を、30分弱。筋トレもして、汗だくになる。
帰ったらすぐさま風呂に入る。最後に熱めの湯舟でゆっくり数字を100まで数える。汗だくになる。
そして、風呂から上がったら…
当然ビールじゃろうが…麦酒じゃろうが…ルービーに決まっとろうが…
買ってあるビールをジョッキに注ぐ。かみさんの分も小さなコップに注ぐ。
焦ってはいけない。まずは遥か上方から勢い良くビールを注ぐ。派手に泡が立つ。それが落ち着いたら、そろそろと脇からビールを足して…
しかるべく後に…呑む。
さてそのビール。美味いだろうか。不味いだろうか。
「言わずもがな」という日本語は、こういう時に使うものである。
せっかく時間もあったのに
休みなので、ゆっくり作曲しようと思ったら。
何も浮かばない。何も浮かばないなりにも何かあるだろ、とも思うのだけれど、やはり何も浮かばない。
仕方がないので、これまで作った部分の作り直しを少しやってから、ぼんやりとしていたら、そのまま寝てしまう。
という事で今日は殆ど何もしていない。
だらだらと一日を過ごしてしまった。
死ねばいいのに。
2010年10月12日 (火)
2010年10月11日 (月)
来年こそは
夕方5時過ぎに千駄ヶ谷の教室を出ると、外はもうすっかり暗くなっていた。三日月が随分と綺麗に空に浮かんでいた。
秋だ。
毎年この季節になると、プロ野球が終了した寂しさを感じる。数年前からCS(クライマックスシリーズ)なるものもあるが、万年Bクラスの我らが広島カープにはそんなものも関係ない。
来年こそは、来年こそは。そう言い続けて「また今年も駄目だった」と頭を垂れる。
でも明るい兆しもある。低迷していた梵(そよぎ)と廣瀬の覚醒。エース前田健太の成長。オフには三年前に海を渡った黒田博樹も帰って来るかも知れない。
だからまたいつものように「来年こそは」と言ってしまう。
負けても負けても応援をしてしまうのは、やはりどこかで「アホだなあ」と我ながら思ってしまうが、それでもまた懲りずにカープを応援する。
CSに進出した中日、巨人、阪神の3チームには好ゲームを期待します。
この3チームだと、中日を応援してしまうなあ。高橋聡文、浅尾拓也の盤石の中継ぎリレーはやはり見ていて圧巻だものなあ。
明日は休みだ。ゆっくり作曲をしよう。
2010年10月10日 (日)
10月に入っていた事に今日気付いた
そういえばもう10月に入っていたのに、カレンダーをめくっていない事に気付いて、今日、めくる。
10月はヨコリューこと横山竜士に、「前田二世」の末永真史、そして今年大ブレイクの「広島伝説」廣瀬純。(←私は彼の事を韓国人ぽく「ヒロ・セジュン」と呼んでいる)
三人とも大好きな選手。
来年こそは末永に一軍定着してもらいたいなあ。
ヨコリューと廣瀬は今年は本当によくやった。
今年のカープで手放しに褒められるのは、ヨコリュー、廣瀬、ヨギ(梵)、マエケンの四人のみ。
次点はキムショー(木村昇吾)とガンちゃん(岩本)。あ、あとタクローさんも。
あとはみんなもうちょっと頑張れたよな。天谷とか。天谷とか。天谷とか。嶋とか。
来年は本当に見れるのかな、黒田、マエケン、大竹の三本柱が。横山、シュルツ、永川のリレーが。
今年のストーブリーグは何が起こるのだろう。
2010年10月 9日 (土)
アメリカから強烈なヤツが帰ってきた
今更だが、煙草が高い。440円、飯が一回食える値段だ。ふざけやがって。
でも確か昨日は煙草を買っていない。一昨日の夕方に買って、今日も夕方に買ったから、二日で一箱のペースには減っている。まあこれはこれで良いのか。
本日は夕方までレッスン。その後新宿でリハーサル。明日は結婚式の仕事だ。
一緒に演奏するのは「天才」おおたりこ。若手ナンバーワンのボーカリストだ。アメリカに武者修業に行っていた彼女が一時帰国して、明日の仕事に誘ってくれた。有り難い限り。
仕事として演奏出来る嬉しさは勿論あるが、ヤツの歌と久しぶりに共演出来るのもこの上ない悦び。恐らく本場アメリカでバリバリやっている彼女から「ちょっとー、たけちゃんまん、そんなイモな伴奏じゃアタシ歌えなーい」などと虐められるのは間違いないが、精一杯やるのみ。
リハーサルから楽しみです。
2010年10月 8日 (金)
失敗の顛末
昨日しでかしてしまった大失敗の事の顛末を少々。自らへの戒めとして。
早い話がダブルブッキングである。数日前の日記で書いた「11月22日の小岩でのソロピアノ」という件、実は私は事前に他所での演奏を引き受けていたのだ。同日の11月22日に。
上野アリエスでの皆川和義グループでの演奏がそれだ。私はうっかりとそれを手帳に記入するのを忘れていた。
私のブログを見た皆川和義から昨日の朝に電話がかかって来た。「お前、ダブルブッキングしとるで」と。広島弁で。
寝呆け眼で電話を受けた私であったが、眠気は一瞬にして霧散した。自らの過ちに身が震えた。
ダブルブッキング。私達の業界では決してやってはいけない過ちである。多数の人に迷惑をかける事は元より、自らの信用を失う。信用は、築くのには長い月日を必要とするが、失うのは本当に一瞬だ。
信用の無い楽隊屋に誰が仕事など振るものか。私達楽隊屋は、その仕事内容からある種「特殊な職業」と誤解される事もしばしばだが、れっきとした「一介の社会人」なのである。「約束は守る」という暗黙の了解を守れない人間は、いの一番に淘汰される。私はそれを身に沁みて知っている。
犯してしまった過ちは、すぐさま解決するのが鉄則だ。時間が解決などはしてくれない。私は小岩のライブハウスにすぐに連絡を取った。
結果から言えば、それは大事にならずに解決した。だがそれはあくまでも結果だ。私は一歩間違えれば、私を信用してくれていた方々を裏切るような愚行をしてしまいかねなかったのだ。
人間は過ちを犯す。その際にどれだけ相手の立場に立って、誠意をもって事に臨むかは、何よりも大事な事だ。
しかし、大変な事態にならなかった事に、心から安堵している。私を助けてくれた小岩「Back in time」の店長と、皆川和義に心より感謝したい。そして自らに猛省を促したい。
という事で、
11月6日(土)は、小岩「Back in time」でソロピアノの演奏。20:00〜22:00まで。チャージは2000円。
11月22日(月)は上野アリエスで皆川和義グループ。19:20〜23:00まで。チャージは2000円。
ちなみに、この数ヶ月の間に作曲し続けていた組曲「銀河鉄道の夜」、やっと完成しそうです。全編通して一時間弱の大作。11月6日のソロピアノの時に初披露する予定です。
色々な意味で、新しい挑戦です。是非お越し下さい。
最後は宣伝でした。
2010年10月 7日 (木)
焦らずに一つずつ
スケジュール管理で、私の信じ難いミスが発覚。
解決出来るかどうかはわからないけれど、とりあえず迷惑をかけてしまった所には急いで謝りに行かなければ。
作曲の〆切りもある。プロフィールを書かなきゃいけない。宣材写真も撮らなきゃいけない。そうだ、結婚パーティーもするんだった。まあそれはテキトーで良いのだけれど。
とにかくあれやこれやとやらなくてはいけない事が押し寄せてきて、いささかパンク気味。半分以上は自分で蒔いた種なのだけれど。
こういう時にこそ、焦ってはいけない。何かを同時にやろうとしてもいけない。一つずつ、目の前の事から片付ける。
今日はまずはレッスン。色々あっても、レッスンの軸はブレないように。基礎を大事に、当たり前の事を正確に。
しかし、年に一度の大失敗、やってしまったなあ。
何とかしよう。頑張れ俺。
2010年10月 6日 (水)
野菜と作曲
我々太っている人間(通称:デブ)達は、食事には細心の注意を払わなくてはならない。
さもなくば、更にデブ(DEBU and DEBU)になってしまう。
デブの食事の一番の肝、それは野菜である。野菜を多めに、肉と炭水化物を少なめに。それが鉄則だ。
本日の食事はまさに野菜中心。ボリュームはたっぷりだが、カロリーは控え目だ。
家で作ると、野菜をたっぷり摂れるのが良い。
今日は日中はひたすらに作曲。来月の22日、月曜日の晩に小岩でソロピアノをやる。それの曲作りだ。久しぶりのソロピアノは、全部オリジナルをやるつもりなのだ。
また近くなったら告知しますが、今から空けておいてね。
11月22日(月)は、小岩でソロピアノだよ!
2010年10月 5日 (火)
アブドゥーラ・イブラヒム
アブドゥーラ・イブラヒム。南アフリカが産んだ奇跡のピアニスト。彼の三日間に渡る来日公演が、終わった。
東京で一回。京都で二回。幸運にして、私はその全ての公演を見る事が出来た。私なりに、その感想を書いてみたい。
幾つかのキーワードが私の中にあるのだが、その中の一つは「眩暈」である。一回目の東京公演を観ている際に、私は「眩暈」のような感覚に襲われた。身体が痺れ、視界が歪むような感覚だ。しかし不思議な事に、それは決して不快な感覚ではなかった。
同じような眩暈の感覚が、京都公演の一日目には、より強固な感覚となって顕れた。私はすぐにそれが目の前のアブドゥーラ氏によってもたらされたものだとわかった。
その感覚を、東京の初日と京都の初日に関しては、私は自らの中から排除しようとしていた。脳をよりクリアにし、アブドゥーラ氏の演奏を隅から隅まで記憶しよう。そう考えていたからだ。やって来る眩暈の感覚は、私の感知能力を鈍らせるような気がしたからだ。
京都公演の二日目、千秋楽の日。私はその感覚を受け入れる事を試してみた。案の定、演奏が始まればその眩暈はすぐに私の元へやって来た。私は覚悟を決めた。それを排除せずに、眩暈の中でアブドゥーラ氏の音を浴びよう、と。
すると、未だかつて体験した事の無い、まるでドラッグでトリップするかのような心地が私にやって来た。音楽が、或いは音そのものが、私の身体に一つずつ染み込んでゆく。その瞬間には既に音楽は「聴くもの」から「感じるもの」へと変容していたし、更には「当たり前にただそこに在るもの」へと形を変えていた。私という存在とそこにある音楽は極限まで抽象化され、分離した二つの存在から溶け合った一つの現象へと。
私は思った。アブドゥーラ氏は私を解体した、そして世界を解体した、と。
私の身体を不自然に繋ぎ留めていたネジが、彼の一音によってするすると緩められる。世界のネジもまた緩められる。私の身体が、記憶の海に溶ける。そして、音楽が全てを包み込む。
そのような感覚は、私にとっては最も非日常的な感覚であったのだが、どうやらそれは私だけに訪れた感覚ではないようだった。公演を観終わった聴衆から、「ふわふわする」、「不思議な感覚」などの感想を幾つか聞いた。それはやはり、アブドゥーラ氏によって世界を解体された痕跡なのだろうと私は思った。
彼の音は、本当にスッと身体の中に入り込む。染み込むように入り込むと言っても良い。そんなにも簡単に身体に入り込む音を私は他には知らない。そしてそれは、三年前に同じ場所で彼が紡ぎ出した音よりも、更にその様相を強めていた。
アブドゥーラ氏は、2003年と2007年にも、京都上賀茂神社にやって来て演奏をしている。私もそれは観ている。しかし、その時よりも彼の演奏は変化している。傲慢な物言いになる事を承知で言えば、彼は以前よりも上手くなっているし、良くなっている。以前の音よりも今の音の方が遥かに簡単に身体に染み込む。音楽が、音楽である事を一瞬忘れてしまうほどに自然なものになっている。これは俄かには信じ難い事だ。まさしく、奇跡だ。
幸運にも彼と喋る機会に恵まれた私は、彼に尋ねてみた。
「あなたはこれからどこへ向かうのですか?どのように変わっていかれるのですか?」と。
彼は一言、「No idea(わからない)」と言った。
そしてこう続けた。「私はこれまでに自分でどこかへ行こうと思った事はない。いつも連れて来られただけだ」と。
私は「何によって連れて来られたのですか?」と尋ねた。
やはり彼は一言で答えてくれた。親指で自らの胸を指差して、「my soul(私の魂だ)」と。
全て、とまではいかないが、かなり多くの事が私にとって合点がいった。なるほど彼が若い頃から現在にかけて、三年前から今日にかけて、少しずつ、しかし確実に変わって来たのは、至極当然なのだと。彼の音楽は、比喩的な意味でなく実際的な意味で「魂の音楽」なのだ。魂に正直にある事こそが、彼の音楽的な変化をもたらしている。それこそが、彼の音楽が唯一無二の存在である理由なのだ。誰にも辿り着けない、まさに高みの際である。
余談になるが、京都公演の初日、私と嫁の奈美子は、上賀茂神社内で日中に結婚式を挙げた。私も奈美子も京都公演に関してはボランティアスタッフとして参加していた為、会場設営などの間のほんの20分、空いた時間に上賀茂神社の神主さんに祈祷の儀式をして頂いた。私も奈美子もアブドゥーライブラヒムコンサートのスタッフTシャツ、という出で立ちで。
私と奈美子と立会人と神主さんのたった四人。質素にひっそりと挙げた式だったが、私はとても満足した式だった。金をかけて豪華にやるばかりが全てではない。心のこもった小さな式も、決して悪くはない、と。
その事を、今回の主催者である「lush life」のマスターが、アブドゥーラ氏に伝えた。
「アブさん、あいつらついさっき結婚式して来たんですよ、すぐそこで」と。
するとアブドゥーラ氏は私たちに向かって「おめでとう」と言った後に笑顔でこう言った。「今日は君たちの為に結婚の曲を弾くよ、聴いていてね」と。
そんな事は、有り得ない事なのだ。
私も知り合いの結婚式でピアノを弾いてくれと頼まれた時には、必ずアブドゥーラ氏の作曲した「The Wedding」を弾く。それはすごく美しい曲だし、私は本当にアブドゥーラ氏を尊敬しているからだ。
それを、作曲した本人であり、世界最高峰のピアニストであるアブドゥーラ・イブラヒム氏本人が弾いてくれる事など、有り得る筈が無い。
しかし、実際には有り得てしまった。
コンサートの終盤、印象的な五連符と共に、その曲は奏でられた。
過剰にドラマチックにならず、まさしく染み込むようにスッ、と、その曲は奏でられた。
私は溢れる涙を堪えられなかった。一生忘れ得ない、最高の演奏だった。
その翌日、アブドゥーラ氏は感涙していた私に向かって「喜ばせてあげようと思ったんだけど、泣かせてしまってごめんね」と冗談ぽく言ってくれた。
私が観てきたのは、アブドゥーラ・イブラヒム。南アフリカが産んだ、世界最高のピアニストだ。
追記:今回もそうだが、ボランティアスタッフというのは本当にボランティアなのである。交通費も出ない上に、チケットは自腹で購入している。本当に「好きでなければ出来ない」レベルのボランティアだ。一部から営利の話やスタッフ特権についての噂などが出ていたようだが、それは皆無だ。あるとすれば、休憩中のコーヒーが飲み放題な事ぐらいだ。そういった誤解についてここで訂正しておくと同時に、共に尽力頂いたスタッフ各位、心より御礼申し上げます。
2010年10月 4日 (月)
いつまで経っても変わらない、そんなものあるだろうか
自分にとっての「ここが京都!」みたいな場所と言えば、やっぱり生活していた所なのだ。
有名な寺社仏閣や繁華街でもなくて、ただ「生活していたエリア」。
そうなると、どうしたって京都の北の方、北大路通りの周辺になる。大学もその辺りにあったし。
今日は日中は何もする事がなくて、かみさんと二人で鞍馬口にある師匠の墓参りに行った後に、その北大路周辺を散策。荷物が大きかったので、それは近くにある母校のジャズ研の部室に置かせてもらった。もとい、勝手に置いた。
授業をサボってよく行っていたブラジルコーヒーの喫茶店で一服。相変わらず安い。コーヒーが一杯200円。かみさんと二人で半分こしたココナッツカレー(添付写真のもの)が550円。
ここでよくコーヒーを呑んで煙草を吸いながら、「授業行きたくないなあ、バイトめんどくさいなあ」なんて言いながらだらだらしてたっけか。
相変わらずカレーは辛かったしコーヒーも美味かった。変わらないものもたまにはあるのだ。
大学に戻って荷物を取るついでに、いつも弾いてたオンボロピアノを少し弾かせてもらう。勝手に悪趣味な緑色に塗装されてはいたが、音は昔と同じ。調律はめちゃくちゃ、戻って来ない鍵盤もある。ピアノとしては確かに最悪だけれど、昔ずっと弾いていたせいもあって、懐かしい気持ちになる。
夜は祇園へ。円山公園内の料理屋で、アブさんのコンサートの打ち上げ。アブさんも来て下さる予定らしい。
すごくミーハーな事を願うが、レコードのジャケットにサインがもらえたら良いなと、うっすら期待している。
2010年10月 3日 (日)
2010年10月 2日 (土)
2010年10月 1日 (金)
いざ京都へ
広島カープが阪神タイガースにいらんことをしたお陰で中日ドラゴンズの優勝が決まりました。タイガースファンの方々におかれましては、広島カープに少々の苛立ちも覚えるやも知れませんが、やはりどんな状況でも贔屓のチームが勝つというのはファンとしては嬉しい事。今日もカープが勝って嬉しいカープファンの私でございました。
さて、只今より夜行バスに乗って一路京都へ。
アブドゥーラ・イブラヒム氏の京都公演を観に。
そしてついでに結婚式をしに。
明日一日が眠くならないように、夜行バスへは満腹で乗り込みます。
満腹だとなかなかに寝れる体質なのです。
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