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2010年9月21日 (火)

野球への愛

(以下の文章は、昨日9月20日に書いたものです。「ココログ」の故障により文章が投稿出来なかったため、一日遅れての投稿になりました)

昨夜、テレビで桑田真澄氏の「野球講座」のようなものを観る。全体的に目から鱗が落ちる。

話の要点は主に三つ。

・ボールは上から叩くな

・ゴロは体で止めるな


・ヘッドスライディングをするな

というもの。

少しずつ解説すると、「ボールを上から叩くな」というのは、ダウンスイングからレベルスイングへ移行する事により、ボールを点ではなく面で捉えられるようになる、という事。また「ゴロを体で止めるな」というのは、「ゴロは体の正面で捕る。体の正面というのは一面ではなく多面的に存在する。そこで捕るのであれば、必ずしも両手でボールを捕る必要はない」という事だ。

これらは、一流の野球選手の動作を見れば、確かにそのように動いているし、それが滑らかで無駄の無い動きに見えるのだから、なるほどと合点する。

しかし、最後の「ヘッドスライディングをするな」に関しては、番組内で行ったデータ収集によれば、一塁まで「滑り込まずに駆け抜けた場合」と「頭から滑り込んだ場合」では、タイムとしては、極めて微差ながら後者の方が良い、という結果が出てしまった。それでも桑田氏は揺るぎ無く、「高校生までは全面的にヘッドスライディングを禁止するべきだ」と力強くおっしゃった。素晴らしい野球観である。

一塁へのヘッドスライディングに関しては、嘗てメジャーリーガーであるイチロー氏もその無益を語った事がある。イチロー氏の弟分であるソフトバンクの川崎宗則選手が、国際大会で一塁へのヘッドスライディングを試みたのを、イチロー氏が酷評していたのは記憶に新しい。

私は今夏、甲子園での高校野球を観戦しながら、幾つかの点で閉口した部分があったが、その一つが前述の「ヘッスラ問題」である。

それが過剰に美化されているのだ。ヘッドスライディングを敢行する事が闘志の表れだと言わんばかりの雰囲気に、私は辟易とした。

まるでそれは、戦時中の日本において行われていた教育に瓜二つだと、私はそう感じた。

零戦に乗って特攻をする事が美徳、そんな感覚すら私にはしてしまったのだ。

そんな訳があるまい、生き抜く事こそが最大の美徳なのだ。まるで桑田氏が、そんな事を言っているようにも聞こえた。

また桑田氏は、既存の野球観に数々の警鐘を鳴らしている。

氏の根底にあるのは、「もっと楽しく野球をしよう、そしてもっとみんなで上手くなって、野球をもっと好きになろう」というものである。

そういった大前提の元、彼は既存の野球観を破壊しようと奮闘している。

桑田真澄氏。現役時代から好きな選手の一人ではあったが、引退後の彼は更に魅力的な野球人へと進化している。

危機に瀕した時に「こういう時は気持ちでいけ」しか言葉を持たない指導者と、具体的な解決案を提示出来る指導者。どちらがより優れた指導者であり、野球への愛に溢れた指導者であるかは比べるまでも無いだろう。

恐らく近い将来、桑田真澄氏は指導者として球界に復帰する。

我が広島カープにやって来てもらうのが一番だが、それ以外の球団の指導者となった場合、私はその球団を心密かに応援するだろう。

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