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2010年9月

2010年9月30日 (木)

9月29日アブドゥーラ・イブラヒム東京公演

Abdullah Ibrahim 東京公演を観る。

期待していた以上の素晴らしさに舌を巻く。本当に素晴らしかった。

最近の彼のCDアルバム「SENZO」と同様に、「Ocean & The River」から始まり、再びその「Ocean & The River」で終わるという構成。約一時間半の本編に加え、三十分程度のアンコール。計二時間に及ぶピアノの独奏。それは、全くの異世界と言わざるをえない二時間であった。

もう二回、10月2日と3日の演奏を私は観る予定ではいるが、私はAbdullah Ibrahimの演奏を体験する時に、何か眩暈のようなものを伴う特殊な効果がそこに隠されているような印象を、昨日感じた。

全てを観終わったときに、また詳しく書いてみたい。

昨日の演奏に関しての感想。簡単なメモ書き。

・ピアニッシモがホール全体に染み入るように響き渡る、という現象には度肝を抜かれた。

・ソフトペダル、サスティンペダル。技術的な部分だけを見ても、ペダルの使い方に関しては、本当に世界一の技術を持っている。ソステヌートペダルは使っていたのかは私にはわからなかった。

・ステージから下手(しもて)に下がる時、一瞬伊東史郎の「ニンニキニキニン」のポーズを取っていた。お茶目。

・総じてやはりものすごく偉大な音楽家。

他にも色々あるのだけれど、また全て終わってから。

京都公演もすごく楽しみ。

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2010年9月29日 (水)

探しものは何ですか

本日、ついにサントリーホールにて、アブドゥーラ・イブラヒムのソロピアノコンサート。

出掛けに家の中でチケットを紛失するというアクシデント。

私の分だけでなく生徒の分も一枚預かっていた為、大変な騒ぎに。

私「てめえナミコ!チケットどこにしまいやがったコラぁぁぁ!」

ナミコ「うるさい!大事なものならきちんと自分で保管してろオラぁぁぁ!」

というミジンコクラスのしょーもないケンカをしながらチケットを探す事約二時間。机の引き出しの中の見えにくい所に隠れてやがりました。

いやいや焦ったなあ。

という事で、ついにアブさん、観て参ります!

ちなみにかみさんとはしっかり和解しました。

夫婦ですもの。

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2010年9月28日 (火)

アブさんウィーク開幕

昨夜の皆川和義トリオを終えて、さあ、ぼちぼち仕事モードも終わり。

今日はレッスンが二件のみ。明日は一件だけレッスン。そんなにハードではない。

そして…そして…

明日9月29日は、サントリーホールへ。

そう、ピアニスト、Abdullah Ibrahim氏のコンサート。

私が最も影響を受けた音楽家の一人。

南アフリカが生んだ世界最高峰のピアニスト。往年のジャズファンには「ダラー・ブランド」の名前での方が親しみ深いかも知れない。

明日29日に東京のサントリーホールで彼を観て、数日後の10月2日と10月3日には京都は上賀茂神社で再び彼の公演を観に。

今週は完全にアブさんウィーク。

ちなみに10月2日には、思い切りついでに上賀茂神社で奈美子と結婚式も挙げてきます。ほんの10分程度のものなのですが。

奈美子にもアブさんを見せてやれる事が嬉しいです。

ああ、どうしよう。楽しみすぎてクソを漏らしそうだ。

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2010年9月27日 (月)

31歳の女

31歳の女
かみさんの誕生日だった。

ケーキを買ったのは、ウチの実家の両親。

だってオレはケーキとか嫌いだし。

おめでとう。

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2010年9月26日 (日)

明日の告知

唐突にアレですが、明日9月27日(月)は上野アリエスで皆川和義トリオでライブしてます。

お時間ある方は是非いらっしゃってみて下さい。

19:30スタートです。

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金が無くても晩酌だい

金が無くても晩酌だい
手作りグレープフルーツサワーと、ワカメのツマミ(上にカツブシ、ゴマ、ポン酢)で晩酌。

ツマミが予想外にうめえ。

ゴマ油をかけるのを我慢した事で、あっさりと仕上がる。

なかなかやるな、俺。

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2010年9月25日 (土)

ビール

どうしたって土日は忙しい。忙しいけれど、仕事があるというのもありがたい。

今日は帰ったらビールを呑もう。

缶ビールのスーパードライ。

この間たまたま貰ったのだ。

発泡酒でもなくて、ホッピーでもなくて、ビール。

ささやかな贅沢。

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神のふりかけ

神のふりかけ
生徒から頂いた広島土産。

神がふりかけになりました。

神がご飯茶碗を持って口まわりにご飯粒がついているのが激カワ。

あ、神というのは前田智徳外野手の別名ね。

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2010年9月24日 (金)

カバチ、タレるわ

カバチ、タレるわ
行政書士試験の参考書を買った。

勿論、今の所試験を受験する気はさらさらない。

ただ、空いている時間、例えば電車移動の間や家で酒を呑んでいる間。暇潰しに少し法律でも勉強してみようか、という程度の話だ。

民法だの刑法だの色々あるのだけれど、とりあえずは憲法から。

法律、なかなか面白い。

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2010年9月23日 (木)

地上の遥か奥深く

門前仲町に用事があって、物凄く久しぶりに都営大江戸線に乗る。

地下鉄の都営大江戸線。地中奥深くを走る電車だ。「まだ潜るのか?え、まだ潜るのか?」と思うほどに、深く深く地中へ潜る。

私が子供の時分には、この大江戸線はなかった。そういえば半蔵門線もなかった。

私は不意に土竜(モグラ)のようにこんな地中深くで地下鉄の線路を掘っていた人達の事を思った。

太陽の光も届かない、地上の声も聞こえないこんな所で、確かに穴を掘り続けた人々がいたのだ、と。

風の中のすーばるー。

私の脳内iPodで中島みゆきの「地上の星」がフルボリュームで再生された事は言うまでもない。

地上にある星を人は覚えていない。人は空ばかり見てる。

そうなのだ。本当は、地上にも、ましてや地下にも星はある。

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2010年9月22日 (水)

タコ焼き祭

タコ焼き祭
タコ焼き祭
タコ焼き祭
本日は小岩のタコ焼き屋を巡るという遊びを。

様々なタコ焼き屋のタコ焼きを食べ比べた。

行ったのは、「わなか」、「じゃんぼ総本店」、「銀だこ」、「たい匠」の四軒。

どこがこんな感じでウマイ、そういう感想ももちろんあるのだけれど、一番の感想は、「もうしばらくはタコ焼き食べたくない」。

さすがにさ、三人で40個近く食うとね。

イヤ、ホント、美味くはあったんだよ、確かに。

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2010年9月21日 (火)

今年の初サンマ

今年の初サンマ
やっとサンマが安くなって参りました。

ので、今年の初サンマ。刺身でいただきます。

添えたネギとオオバは、我が家の庭で出来たもの。

美味いに決まっとろうが。

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野球への愛

(以下の文章は、昨日9月20日に書いたものです。「ココログ」の故障により文章が投稿出来なかったため、一日遅れての投稿になりました)

昨夜、テレビで桑田真澄氏の「野球講座」のようなものを観る。全体的に目から鱗が落ちる。

話の要点は主に三つ。

・ボールは上から叩くな

・ゴロは体で止めるな


・ヘッドスライディングをするな

というもの。

少しずつ解説すると、「ボールを上から叩くな」というのは、ダウンスイングからレベルスイングへ移行する事により、ボールを点ではなく面で捉えられるようになる、という事。また「ゴロを体で止めるな」というのは、「ゴロは体の正面で捕る。体の正面というのは一面ではなく多面的に存在する。そこで捕るのであれば、必ずしも両手でボールを捕る必要はない」という事だ。

これらは、一流の野球選手の動作を見れば、確かにそのように動いているし、それが滑らかで無駄の無い動きに見えるのだから、なるほどと合点する。

しかし、最後の「ヘッドスライディングをするな」に関しては、番組内で行ったデータ収集によれば、一塁まで「滑り込まずに駆け抜けた場合」と「頭から滑り込んだ場合」では、タイムとしては、極めて微差ながら後者の方が良い、という結果が出てしまった。それでも桑田氏は揺るぎ無く、「高校生までは全面的にヘッドスライディングを禁止するべきだ」と力強くおっしゃった。素晴らしい野球観である。

一塁へのヘッドスライディングに関しては、嘗てメジャーリーガーであるイチロー氏もその無益を語った事がある。イチロー氏の弟分であるソフトバンクの川崎宗則選手が、国際大会で一塁へのヘッドスライディングを試みたのを、イチロー氏が酷評していたのは記憶に新しい。

私は今夏、甲子園での高校野球を観戦しながら、幾つかの点で閉口した部分があったが、その一つが前述の「ヘッスラ問題」である。

それが過剰に美化されているのだ。ヘッドスライディングを敢行する事が闘志の表れだと言わんばかりの雰囲気に、私は辟易とした。

まるでそれは、戦時中の日本において行われていた教育に瓜二つだと、私はそう感じた。

零戦に乗って特攻をする事が美徳、そんな感覚すら私にはしてしまったのだ。

そんな訳があるまい、生き抜く事こそが最大の美徳なのだ。まるで桑田氏が、そんな事を言っているようにも聞こえた。

また桑田氏は、既存の野球観に数々の警鐘を鳴らしている。

氏の根底にあるのは、「もっと楽しく野球をしよう、そしてもっとみんなで上手くなって、野球をもっと好きになろう」というものである。

そういった大前提の元、彼は既存の野球観を破壊しようと奮闘している。

桑田真澄氏。現役時代から好きな選手の一人ではあったが、引退後の彼は更に魅力的な野球人へと進化している。

危機に瀕した時に「こういう時は気持ちでいけ」しか言葉を持たない指導者と、具体的な解決案を提示出来る指導者。どちらがより優れた指導者であり、野球への愛に溢れた指導者であるかは比べるまでも無いだろう。

恐らく近い将来、桑田真澄氏は指導者として球界に復帰する。

我が広島カープにやって来てもらうのが一番だが、それ以外の球団の指導者となった場合、私はその球団を心密かに応援するだろう。

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2010年9月20日 (月)

テスト

携帯から全然更新出来ない。

今日は野球エッセイ書いたのに。

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2010年9月19日 (日)

ああああああああああ

ああ、長文消えたああああああああああああ。

もう書けないいいいいいいいいいいいいいいいいいい。

くそ携帯があああああああああああああああああああ。

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2010年9月18日 (土)

ほんのふとした瞬間に人は恋に落ちる

私は、私という人間の感覚、認識を根本的に疑っている。あまり信用していないと言っても良い。言い換えれば、私は私の「理解」がいかに脆弱であるかを知っている、つまりはそういう事だ。

私の見ている景色は、私にだけ見えている景色であり、私以外の誰かが同じ景色を見た時には、まるで別の景色に見えるかも知れない。私には不毛に見える砂漠は、誰かの目には豊饒な泉に見える事もありうる。例えばフランツ・カフカ的なその不条理を、私は強固に信じている。

認識し、把握する。しかしそれは決して本質を掴むものではない。或いは本質など、この広い宇宙をくまなく探してみてもどこにもないかも知れない。「理解」という事に対する私の不信は、幾分と深い。

例えば。

何気なく眺めていた筈のもの、つまり自分にとっては特別な意味を持たなかったものが、ふとしたきっかけで特別のものになる、自分にとって特別な意味を包含する何かになる、そんな経験をしたことのある人は少なくないだろう。或いはその逆もあるだろう。強いこだわりを感じていた何かが、些細なきっかけで自分にとっては最早「特別ではない何か」に堕する事が。歳を重ね、成長するに従って様々なこだわりは少しずつ剥がれ落ちてゆく。それは必然的な変化だ。我々は変化する事を決して恐れてはならない。

物質・事象・存在の価値は、このように大変流動的であり、可変性に富む。その事を私は幾度となく実感している。そして先日も、した。

私が日中にピアノの練習をしていた時の話である。私は突如として強烈な眠気を覚えた。

あまりに眠い時には、私は無理に練習をしない事にしている。集中力を欠いた状態で、身体に不適当な動きを覚え込ませたくない、というのがその理由だ。眠い時には15〜30分、我慢せずに眠る。長い目で見た時には、そちらの方が効率的なのだ。

その日も私はすぐに眠りに落ちた。そういう時は再び目覚められるように、浅めの眠りである事が多いのだが、浅めの眠りには夢が伴う場合が多い。その日も私は夢を見ていた。夢に出て来たのは、女優の木村多江氏であった。

木村多江氏。映画「ぐるりのこと」で様々な賞を獲得し、最近では映画「東京島」の主役も務めている実力派女優だ、と言えば「ああ、あの人か」と思い出される方も少なくはないだろう。

この木村氏、私も以前から気にはなっていたのだが、特別に好きな女優ではなかった。素晴らしい役者である事には間違いないが、女優と言えば私には「ゆり子(神)」がいるではないか。貞操と純潔こそを美徳とする私は他所へ視線を遣る事を、頑なに拒んでいた。

だのに。だのに、何故。

夢に現れた木村氏の美しさたるや、まさに尋常ならざる美しさであった。

私と木村氏は、昭和の趣の残る家の中で、静かに、そして穏やかに対峙し、時折視線を絡ませていた。沈黙に耐えかねた私が口を開く。

「この間、新しい映画観たよ。すごく良かった。面白かった。」

「ありがとう。大変だったのよ、ずうっと島でのロケだったから。」

「大変だったね。お疲れ様。」

「早く…あなたに会いたかった…」

私と多江の手が触れる。胸が高鳴るのがわかる。多江。

という所で目が覚めた。

どきどきしていた。(←この部分だけ吉岡秀隆の声で読むように)

木村氏が私の夢に現れる事、それは私の想定外の事であった。

私はその日まで木村氏に特別な感情を抱かなかった。しかし、その日を境に私の中に、木村氏に対する特別な感情がはっきりと芽生えたのである。木村多江氏は、むちゃんこ可愛い。

木村氏の事を、色々とネットで調べてみた。どうやら深川は門前仲町の出身らしい。これだけで随分と好感度アップである。もしこれが仮に麻布や渋谷の出身であったら、好感度は下がる。土地に対する偏見を、私は確かに持っている。

どうやら結婚しているらしい事もわかった。案ずるな、私も既婚者だ。

という事で、これから暫くは木村多江氏に積極的に心を奪われながら生きていこうと決めた。

今度「東京島」観に行こっと。

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2010年9月17日 (金)

難儀なものだ

今日は久しぶりに「何も書きたくなかった」。

一年以上毎日書き続けたブログも、ついに一日ぐらい放置しちゃうか、とも思ったが、「(落とすのが)気持ち悪くて」更新。

ピアノもそう。「今日は本当に弾きたくない」という日もたまにあるのだけれど、やはり何だか「気持ち悪くて」弾いてしまう。

弾き始めたらそれなりに楽しいし、実は色々と慰められる。ピアノに。

難儀なものだ。

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2010年9月16日 (木)

責任重大

週末に結婚式の仕事が。

お金を頂いて演奏が出来るというのは有り難い事ではあるが、責任は重い。

それは音楽で飯を食うようになってから、以前よりも遥かに強く思う。

しっかりと練習あるのみ。

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2010年9月15日 (水)

事務作業員になりました

一日事務作業。時間かかるなあ。

やっと一段落。

ビールのもっかな。

中日強いなあ。

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2010年9月14日 (火)

魚の王様

魚の王様
昨夜の晩飯。

鯛の刺身、松皮造りで仕上げました。

それと鯛茶漬け。焼き身をほぐしてご飯に乗せて、鯛のアラでとったほんのり味噌味のスープを上からかける。大葉と葱と胡麻と海苔を薬味に沿える。

どちらも悪魔的にウマイ。鯛は魚の王様だ。これは間違いない。

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数学を解ける人求む

〔問題〕

タケシくんとスグルくんは、先週の9月11日に4リットルの焼酎(アルコール度数25%)を買いました。

たくさん呑んでしまった後に、「これはヤバイ!なくなってきた!」と思い、9月13日に900ミリリットル補充しました。

二人でそのお酒を三日で呑み終わりましたが、さて、この二人はビール一本(アルコール度数5%、500ミリリットルで計算)に換算した場合、一日何本を呑んでいたのでしょうか。

また、この二人が今後どのようにして生きていけば良いのか。

教えてつかあさい。

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2010年9月13日 (月)

真鯛

真鯛
夜中に鯛を捌く。実家のオヤジが釣って来たやつ。

明日食べようと思って。

刺身は少しにして、焼き身をほぐした茶漬けと潮汁(うしおじる)などをメインにしようかと。

友人のヤマに「食いに来ない?」とメールしたものの、ノーレスポンス。かみさんと二人だと、ちょっと多いんだよなあ。

ま、明日は鯛を美味しく頂きます。下拵えは完全に終わった。

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2010年9月12日 (日)

スポーツから再び武道へ

数日前からやっている柔道の世界選手権が面白い。ここ十年ぐらいの間のオリンピックと世界選手権を全て考慮に入れても、一番面白いと私は思う。

日本(東京)開催である事も手伝って、「ホーム判定」みたいなものがやはりちらほらと散見されはするが、さほど目くじらを立てる程でも無い。あくまでも許容出来る範囲内だ。

今回の世界選手権をきっかけに、柔道という武道自体が再び面白くなる、私はそう感じているが、面白くなった一番の要因は、今回のルール改正だ。

細かい事を言い始めると専門的になりすぎてしまうので割愛するが、簡単に言ってしまえば「きちんと組んできちんと投げよう」というコンセプトのルール改正がなされた。いきなり飛び付いたりは反則ですよと、そういう事だ。

個人的に言えば「奇襲」という戦法は決して嫌いでは無い。相手の虚をつく起死回生の作戦があるから、勝負は緊張感を増していよいよ白熱する。

しかし、昨今の柔道(もしくはJUDO)では、その奇襲が逆にスタンダードになるという逆転現象が起きていた。「しっかり組み合って相手を投げる」という形よりも、例えば「相手の足をめがけていきなりタックルをかます」という作戦が幅を効かせていた。

たまに見る奇襲には「なるほどそういう手もあるなあ!」と興奮するが、ほぼ毎試合と言って良いほどにそればかりだと、随分と食傷気味になる。

今回からはその奇襲が反則とされた。反則、とまでしてしまうのはいささかやり過ぎに感じなくもないが、最早そこまでやらなくては収集が着かなかったのだろうな、とも思う。いずれにせよ、そういった奇襲的な攻撃が禁止とされた。

今の所、そのルール改正は良い方向に出ている、と私は感じる。スポーツ化してしまった柔道が、再び武道に戻りつつある、少々大袈裟に言えばそんな感想だ。

今、世界柔道がアツい。残りの数日も見逃せない。

二つだけ苦言を言うと、寝技の際の「待て」のタイミングが早過ぎる事と、テレビで実況しているフジテレビの「煽りVTRの鬱陶しさ」だ。

我々ファンは、もっとじっくり柔道を観たい。

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2010年9月11日 (土)

初代征夷大将軍はだーれだ

昨晩は友人のヤマが我が家に来て(週二〜三ぐらいのペースで来ているのだけれど)、自作ラーメンを振る舞った後に世界柔道をテレビ観戦、そこから時間無制限一本勝負耐久飲酒大会と相成った訳であるが、昨日はなかなかに楽しい遊びを発見した。その名も「ドキッ!まるごと全裸!三十歳だらけのクイズ大会〜ポロリもあるよ!」である。

我が家は、ハイパーセレブで贅に贅を尽くしまくった家庭である為に、パーソナルコンピュータ(通称PC)というものがあり、更には年収五兆円以上の人間でなければ契約はまず不可能と言われる「インターネット」なるものが完備してある。このクイズは、インターネットを用いる遊びである為に、インターネットが利用出来ないパンピー(一般ピープル)の方々は、自らの貧困をすんすん嘆きながら、直ちにブラウザの「戻る」ボタンをクリックするが良い。

インターネットの中にも、「通」のみぞ知る、Googleという検索サイトがある。我々「通」の間では、Googleで検索する事を「ググる」などと言う。また大衆の前で扇動的な演説をする事を「アジる」と言う。また、ノンポリの連中を極左運動に巻き込む事を「オルグする」と言う。(私には総括と自己批判が求められる)

このGoogleを用いて、歴史のクイズを調べると、出て来るわ出て来るわ歴史のクイズが。

私の細君の奈美子を出題者にし、色々なクイズを出してもらう。私とヤマがそれに答える。

「承久の乱を起こしたのは誰でしょうか?」

「ん、ん、んーと!後醍醐…じゃなかった!後鳥羽上皇!」

「ピンポーン!」

こんな具合に。

これが超エキサイト。問題のジャンルを地理やことわざなどに変えてもものすごく面白い。

これからはクイズの時代だな。

いやあ、ハイパーセレブで良かった。

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2010年9月10日 (金)

明日はワークショップ

三日前に買った4リットルの宝焼酎が早くもなくなりそうで困っています。

次回は10リットルの焼酎を買わなくてはいけないかもしれません。

さて、明日はワークショップです。

詳細は以下。

9月11日(土)東京新宿 音楽館東口店 Poleスタジオ
tel 03-5919-4711
http://www.st-ongakukan.com/sinjukuhigasi/sinjukuhigasi.html
「ミュージックワークショップ東京 vol.10」
ゲストインストラクター:千光士実
恒例のワークショップ。今回のゲストはドラムの千光士実氏。バンドとは?リズムとは?合奏とは?どんな話題が出るのでしょうか。音楽を志している方には大変お得なワークショップ。是非ご参加を。
14:00~start  参加費:2000円(見学のみの方は1000円)
参加ご希望の方は
musicworkshop.tokyo@gmail.com
までご連絡を。

さて、もっかい呑みます。

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2010年9月 9日 (木)

麺や「ふくしま」

麺や「ふくしま」
本日は昔からの夢であった「ラーメン作り」を。

昨日の内に煮玉子を仕込んでおいた。

今日の朝から寸胴鍋に鳥ガラと煮干しを投入。ぐつぐつと半日煮込む。

傍らでチャーシューを煮る。これも半日かけて煮る訳だが、この時の煮汁をスープの原液として使う。煮汁の中身は、塩、砂糖、醤油、味醂、酒、にんにく、生姜、葱の青い所。最後の味の調整の段階でゴマ油と豆板醤を少々。それらを煮染めて、前述の鳥ガラ煮干しスープで割る。

麺とメンマに関しては既製品に頼ったが、それ以外に関しては完全に自作。なかなかに骨も折れる。

肝心の味の方だが、これが絶品。制作途中ではスープに若干のえぐみがあったが、煮込む事でマイルドになりそれもなくなり、ダシの味が複雑に絡み合う、あっさりとした中にコクのあるスープが出来上がった。

近所の製麺屋で買った一玉65円の麺も、喉越し歯ごたえともに文句なし。小麦の香り豊かな素晴らしい麺だった。

全体的な自己採点は、少々甘めの85点。初めてのラーメン作りにしては充分満足。明日からは暫く我が家は「麺やふくしま」なのだ。

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2010年9月 8日 (水)

降り注ぐ雨

東京では本当に久々の雨。

ここまで雨が降らなかった事というのも記憶に無い。お陰で「あ、雨ってあったな、そういえば」という不思議な感覚に襲われる。

日中はほとんど家から出ずに、譜面を書いたり練習したりという作業。やはり家だとあまり捗らない。

合間に、ロサンゼルスドジャースの黒田博樹投手が日本球界へ復帰濃厚というニュースをネットで見る。

プロの野球選手であるから、自らをより高く評価してくれる球団に所属するという理屈は頭ではわかっているのだが、それでもやはり感情的な部分においては「カープに帰って来てほしい」と強く思う。阪神や巨人が黒田投手に触手を伸ばしているという報もあるが、本人が渡米前に語っていたように、彼が「カープの打者に向かって投げる所が想像出来ない」。それは我々ファンも同様なのだ。渇いた大地に降り注いだ本日の雨のように、カープの貧窮する投手陣を再建する礎となってもらいたい。若きエース、前田健太投手と共に。黒田投手のカープ復帰を、切に願う。

その一方で、カープの最年長投手、高橋建投手の今季限りでの引退の報も届く。ダイナミックなフォームと、少年のような笑顔が私も大好きだった。今シーズンの序盤、まだ好調を維持していた建さんと中日ドラゴンズの和田一浩選手との対戦には痺れた。緊張感のある、素晴らしい対決だった。

建さんと同世代のベテラン、石井琢朗選手と前田智徳選手の来季の現役続行の報もほぼ同時に飛び込んで来る。両氏ともまだまだカープには欠かせない。前田智徳選手に関しては今季は不本意なシーズンを送っていると言わざるをえないが、石井琢朗選手はまだまだ若手には負けない活躍が随所に見られる。小窪哲也選手、梵英心選手、松本高明選手や木村昇吾選手などは「生きる教科書」として石井琢朗選手から多くの事を学び、盗んで頂きたい。

しかしなあ、ホントに黒田投手にはカープに帰って来てほしいなあ。他所には行かないでもらいたいなあ。

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2010年9月 7日 (火)

ラーメン欲と激辛欲

ラーメン欲と激辛欲
数日前から激しい「ラーメン欲」が起きていたので、昼飯に地元のラーメン屋「味源」へ。

激辛の「鉄火麺」を食す。ついでに激辛欲をも満たそうという目論見。

辛く、そして美味い。

問題は明日の我が菊門。

大火事は必至である。

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2010年9月 6日 (月)

着飾らなくても良いんだぜ

レッスンが一件だけあり、池袋に向かう。

池袋、というのは周知の通り東京にある街の地名であるが、所謂「都会」である。私は個人的には決して好きな街ではない。池袋のみならず、新宿、渋谷。都会の風情は私の性に合わないのだ。

しかし、池袋という街を闊歩する人々と、我が街東京の極東である小岩の人々とは、明らかに風体としては異になる。それは小岩に限らない話なのだが、つまり、「非都会」の人々と「都会」の人々とは風体において少なからず差異がある、という事だ。

有り体に言ってしまえば、都会を闊歩する人々はわかりやすく「着飾って」いる、非都会に暮らす人の大半はそうではない、個別の例外的な事例を考慮の外に追いやれば、つまり一般論で話せばそういう事になる。

時に都会の着飾った人々は、「オシャレ」などという言葉で賛美されるが、私にはそれがまるでわからない。池袋(都会)を歩く女性達の出で立ちは、私にはとても良いとは思えないのだ。少なくとも、私の両の脚の間(別名:股間)に具備された「マグナム」という名のレーダーは、ぴくりとも反応しない。老い、であろうか。いやいや私はまだまだ30歳、これからの男である。ならばこれは如何なる事であろうか。

世界的な賢者である私は、すぐに一つの真理に辿り着いた。私にわからない事と言えば、高校一年生以降の数学ぐらいのものだ。私ほどの賢者になれば大抵の事はわかってしまう。

端的に言ってしまえば、それは単一化された美に対する私の拒否反応である。

色彩を欠いた絵画のように、或いは抑揚のない平面的な音楽のように、そこにある美は極端に単一化され、多様性を拒絶する。私は自然とそういった価値観の存在形態に対して忌避を覚えていたのだ。

いつ何時も他人からの視線に晒されているやも知れぬ。だからこそ見られても恥ずかしくないように華美な服装に身を包み、化粧を整えて身嗜みを、という気持ちはわからなくはない。私とて他人からの視線(客観)を完全に自意識の外に追いやるのは不可能に近い。あらゆる都市生活者にそれは共通の認識であろう。

しかし、そういった事を考慮に入れて猶、私は「着飾った人々」に「わかっておらん」と苦言を呈さなくてはならない。

着飾る事は決して悪い事ではない。しかし、それは「たまに」で良いのだ。

わかり易い例えをしよう。

野球のピッチングを頭に思い浮かべて頂きたい。投手が放った渾身のストレート、それが打者の内角ぎりぎりの所にずばっと決まり見逃し三振、そんな光景を眼にした事がある人は少なくないだろう。

これに際して、「内角のストレートを見逃し三振」というのはあくまでも結果である。結果にはほぼ全ての場合において「過程」が付随する。

内角のストレートを見逃したのには、それに対する布石があったのだ。その何球か前に、ストライクゾーンから外角のボールゾーンに逃げていくようなスライダーが投じられてはいなかっただろうか。いた筈だ。私の言う事なのだから間違ってはいない。私は間違った事を言う時以外は常に正しい事を言う。その残像が打者の脳裏に残っていたからこそ、内角のストレートがボールに見えるのだ。それでついつい見逃してしまったのだ。

もし仮に投手が同じようなコースに同じようなボールばかりを放っていたら、その内角のストレートは無惨にもライトスタンド上段奥へと突き刺さっていた事だろう。もしもその時の打者が前田智徳ならば、ボールは確実にスタンドに運ばれている。間違いない。同じような攻めを続けてはいけない。これはピッチングの原則だ。

ならば、「着飾る事」も、勝負所で着飾れば良い、という事になる。

普段は洗い晒したTシャツにジーパン、足元はスニーカー、化粧はすっぴん。そのような女子がいたとしよう。普段はあまりの仕事の忙しさから着飾る事もままならない。化粧をする時間も碌に無い。それでも「生きていく」為に、一生懸命に働いて来た。気が付けば齢も三十を越え、目尻にも幾筋かの皺が出て来た。

そのような女子が、ここぞという場面で身に纏う、例えば爽やかなワンピース、そして着飾った自らへの若干の照れを内包した苦笑。イマジン想像してごらん。その破壊力たるや、まさに核兵器クラスの愛らしさである。

だからこそ、私は簡素にして質素である女性、これを愛でたい。その奥には無限の可能性が秘められているのだ。外角に逃げるスライダーを放れるからこそ、内角の渾身のストレートが生きる。いつでも化粧をしてフリフリの服を着ている女など、何もわかっちゃいない。すっぴんこそが最大のオシャレである事に何故気付かない。気付けないのか。気付きたくないのか。気付く度胸もないのか。声を荒げて憤りを表したい。

都会を歩く度に胸にその違和感を抱く。

着飾るなとは言わない。しかし、それはたまにで良い。そうでなければ、着飾った時のありがたみが薄れるではないか!と。

ちなみに私の家には私と同じ「福島」の姓を持つ女が一人暮らしている。本人のプライバシーの為にN美子という表記に留めておきたい。この奈M子であるが、まあ見事に化粧をしない。たまに化粧をした折には、私も「おお、奈美K、まるで別人だね!」と言ってしまう。

良いんだ、普段から化粧をして着飾ったりしなくても。

たまにするから、可愛いんじゃないか。

私は強くそう思うのである。

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2010年9月 5日 (日)

珍しく働きまくる私

朝からレッスン。

電車での移動時間は、仕事関係のメールをびしばし打つ。効率の良い、「デキる男」になったような錯覚をしてしまう。

レッスンが終わったら、今日はライブ。即座に東中野へと移動。リハをしてから本番。

昨晩は夜中に「ラーメン食いたい」の8文字が頭の中を駆け巡りまくっていたせいで若干の寝不足。ホントに夜中にラーメンの事なんか考え出し始めたら、頭の中はラーメンまみれになるな。気をつけないと。

という事で宣伝。

9月5日(日)東京東中野 Big River
http://www.bigjazzriver.com/st/nd.html
vo:西池のりこ gt:佐藤健 pf:福島剛
19:00〜start  music charge: 1300円

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2010年9月 4日 (土)

猛暑再び

猛暑。

丸一日レッスンの日。教室までの徒歩移動が心底億劫になる。行ってしまえば後はどうにでもなるのだけれど。

数ヶ月前に高知の友人宅で食った太刀魚の刺身をふと思い出す。

自分達で釣ってきた太刀魚を刺身にして、そいつの皮ギシをバーナーで軽く炙ったやつ。今日みたいな暑い日は、そんな刺身でキンキンに冷えた冷酒をやりたい。今日の夕飯は何なのだろう。

明日はまたライブ。東中野のビッグリバーで。このビッグリバーという店、客として一度訪れた事があるが、ドリンクだのツマミだのが驚愕の全品350円。値段だけ見れば、立ち呑み屋か、という風情。値段に見合わずに、怪しげな雰囲気が満点のバー。やはり呑み屋たるもの怪しげでなければ、と思うのは私だけではあるまい。「酒を呑む所」が過剰に健全であっては困る。

メンバーはボーカルの西池のりこさんとギターの佐藤健氏。

のりちゃんの歌は聴いていて本当に明るい気持ちになる。歌を歌って人をにっこりと笑わせる、というのはやはり大した事だ。是非聴いてもらいたい。

ギターの佐藤氏とは初共演。更に言えば明日が初対面。ベテランの渋いギターを弾く方という事で、こちらもとても楽しみ。ギターとピアノのデュオというのは実はなかなかに難しいのだが、うまくハマった時には何とも言えず美しくなる。歌が綺麗に響くような伴奏を出来れば良いのだけれど。

開始は19:00。JR東中野駅のすぐ近くだ。是非ご覧になって頂きたい。

しかし暑い。

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2010年9月 3日 (金)

我が家の家庭内暴力

我が家の家庭内暴力
本日より、我が家に家庭内暴力(DV)が導入される事となりました。

配偶者に何か不愉快な事があれば、このハリセンで叩いて良い事になりました。

本日は嫁がナマ(生意気)言うので、このハリセンでシバき上げてやりました。

我が家はDV家庭なので、間もなく離婚必至です。

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2010年9月 2日 (木)

ピアノとカープのある風景

ピアノとカープのある風景
9月になって、我が家のカレンダーは天谷宗一郎と嶋重宣と倉義和の三人。

ピアノの前に貼ってあるので、家で練習する時は「お前らもっと頑張りんさいや、わしももっとピアノ頑張るけえ」と思います。

野村監督は今のままならホントに辞めてほしい。あと松田オーナーも。

わしらもいつも一生懸命応援しとるんじゃけえのう。

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2010年9月 1日 (水)

カスでもわかるマルキシズム

カスでもわかるマルキシズム
今日(日付的には昨日)付けで、かみさんが仕事を辞めてきた。

新しく就活もするらしく、ここから暫く休んだ後にリスタートなのだけれど、とりあえず今日で一区切り。

実家のオヤジが「一緒にメシでも食ってこい」と小遣いをくれたので、がっつり焼肉へ。

もらった金で充分足りて、幾らかお釣りは出たのだけれど、それは全てかみさんの財布へ。

日中にもらったレッスンの月謝もかみさんの財布へ。

週末のライブのギャラも、音よりも速くかみさんの財布へ。

労働者は資本家に搾取される。

マルクスをしっかりと漫画で勉強した私ならばこそ知っている高尚な真理。

これぞ資本論。

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