宇宙を辿る
昨日から引き続き「組曲銀河鉄道の夜」の作曲をずっとやっている。
第一章の「午後の授業」〜第三章の「家」までは昨日の内に出来上がった訳だが(そしてそれなりに気に入っているのだが)、第四章の「ケンタウル祭の夜」が難しい。祭の賑やかしさとジョバンニの孤独との対比というものが、なかなか音楽になって来ない。
ああでもないこうでもないと思いながら、原作の文庫本に再び目を落とす。
改めて、「とんでもない作品だ」と感嘆する。
「銀河鉄道の夜」は、いや、宮澤賢治の作品の一つ一つは、膨大な詩篇の集積だ。
例えば「銀河鉄道の夜」の第五章、「天気輪の柱」の一文。
「ジョバンニは、頂の天気輪の柱の下に来て、どかどかするからだを、つめたい草に投げました。」
こんな一文ですら、凡百の私達には到底辿り着き難い高みだ。文章自体に固有の律動がある。そこに夜の静けさがある。まるで一篇の詩のように。
これを音楽に「置き換える」のではなく、私は私でそこから派生したイメージの断片を捉え、そしてそれを辿り、また新たな宇宙世界を創造しなくてはならない。
賢治が原稿用紙に四次元の宇宙を創造したように、私もまた五線譜を使ってそれをする。
何とも途方のない話だ。
けれど、面白い。
一銭の金にもなりやしないのだが。
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コメント
すげー楽しそうだ。
いろいろ不手際がありまして真夜中にまだ水道橋。
投稿: nami | 2010年8月26日 (木) 00時53分