シャブはよくない
昼過ぎにぼけっとテレビを観ていたら、清水健太郎、覚醒剤所持(使用)容疑で逮捕、との報。
またか、さすがだな、と苦笑する。
清水健太郎。通称シミケン。かつて「失恋レストラン」という歌をヒットさせ、Vシネマの「雀鬼」シリーズでお茶の間を沸かせた芸能人である。
薬物での逮捕は、今回で5回目になるそうだ。
こういう時に思うのは、当たり前の事として「シャブ、こええなあ」である。
彼は以前にも懲役に服しているにも関わらず、再び覚醒剤に手を染めた。彼の中での不等式として「刑務所の懲役の苦しみ<覚醒剤の快楽」となったのだ。それほどまでに覚醒剤の快楽と依存性は高い、という事だ。
そういった快楽を求める人間を、「心が弱い」の一言で斬り捨てる事が出来るほど、私の心は強くない。逆に言えば、「覚醒剤はやってはいけません」と頭ごなしに言われた場合に、私はそういったものに対して興味を惹かれてしまう。「やってはいけない」と言われると、私はどうしてもそれに逆らいたくなってしまう。
元来、人間には「好奇心」がある。
例えば人類史上初めて「海鼠(ナマコ)」を食べた人間、そんなものよく食べたな、と思う。あの外見を見て、それを口に入れてみようと思う、それは明らかに好奇心から来ているのではないか、と思う。
勿論、海鼠には人体に害を及ぼすようなものはない。しかし、我々人類はそうして「好奇心」というものと共に文明を発達させてきた。覚醒剤に手を染める人間にも、最初はそういった好奇心がある事は明白だ。
しかし、こうしてシミケンのように何度も逮捕される人間を見るにつけ、「おお、やっぱりシャブはやってはいけねえなあ」と私は心の底から思うのである。
昔、インドのカルカッタの街で目をぎょろつかせながら薬物を求めて彷徨う日本人ジャンキー(薬物中毒者)を見た時にも同じような事を思った。「こうはなりたくねえな」と。
更に突っ込んだ話をすれば、そういった薬物には「貴賎」がある、と私は思っている。
例えばコーヒー。これも数百年前までは立派な薬物として扱われていた。コーヒーを飲めば逮捕、酷い場合には死刑、という事まで国によってはあったそうだ。
こういった事がいかに荒唐無稽な事であったかという事は、今現在日常的にコーヒーを飲む我々にはわかる。確かに身体に良いものではないかも知れないが、そこまで規制する必要はないだろう、と。
現在の日本で規制されていないものであっても、例えば煙草やアルコール、これらはなかなかに依存性の高い薬物である事は、私は自らの身体をもって知っている。私は日常的に煙草を吸うし、酒を呑むが、それらをたちどころに止めなさいと言われてもなかなかに困難である。それなりにそれらに依存しているのだ。
私が初めて煙草を吸った時、そして酒を呑んだ時。その時には確実に「好奇心」が働いていた。その時にはその私の好奇心を抑制するようなものは無かった。
そして覚醒剤である。これはさすがに手を出すまい、と私も思っている。
そういうものに対して好奇心がゼロだ、とは言わないが、前述したシミケンや数多のジャンキー達を見るにつけ、「こうなりたくない」と思わせてくれる。そういった意味では、彼らの逮捕の様子を見る度に、当たり前のように「ああ、シャブはダメだなあ」と思うのは私にとっては良い事である。
基本的には薬物に対する罰は「本人の健康」のみで充分だろう、とは思うが、それにより家族や周囲の人間が迷惑を被るのもまた事実である。
やはり、シャブはいけない。
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コメント
2年振り6度目って高校野球ならなかなかの強豪校なのにと思った私は
薬中を間近に見たこと無いからそう暢気に思えるんでしょうね。
投稿: 和香 | 2010年8月18日 (水) 17時36分
和香ちんへ
薬中の人って結構いるよ、気付かないだけで。ま、アルコールやらタバコやらがやめられない我々も似たようなものな訳で。シャブはやめようね、お互い♪
投稿: ふくしまたけし | 2010年10月 8日 (金) 12時57分