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2010年8月

2010年8月31日 (火)

歌の伴奏

週末の二本のライブに向けて、昨日は金曜日のライブのリハーサル、そして今日、日曜日のライブの譜面が郵送で届く。

どちらも歌のライブ。ここ最近、歌の伴奏がものすごく面白い。(そしてものすごく難しい)

人間の声、というのはやはり驚くほどに表現力が豊かだ。言い換えれば、どんなあらゆる楽器も「歌うように」演奏が出来れば、それほど素晴らしい事は無い。

どうやって伴奏をしたら「声」が前に出て行くのか。それが美しく響くのか。そんな事を考えながら今日も日がな一日ピアノに向かう。

ここに言葉の切れ目があって、ブレスの谷間がある。メロディがこういうラインで動くから、和声はどういう風に動かそうか。そんな事を考えていると、改めて音楽というのは様々な可能性を内包したものなのだ、と実感する。とても難しい。しかし、実に面白い。

ちょっと休憩していたけれど、休憩終わり。またピアノに向かいます。

追記:昨日、当ブログのスパムコメント(迷惑コメント)を削除していたら、誤って「のりまき」さんのコメントを削除してしまいました。ここに深くお詫び申し上げます。なかなかコメントをまとめて返す時間が取れないのですけれど、いつもコメントを下さる皆様には感謝しています。きちんと全部読んでいます。ありがとうございます。訳の分からないスパムコメントを投稿する業者は頼むから死んでくれ。

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2010年8月30日 (月)

本日は和食

本日は和食
アジの塩焼き

カツオのタタキ

ナメコの味噌汁

納豆

白米

茄子のぬかづけ

二人分で総額600円。

安い。

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2010年8月29日 (日)

街を巡りたい

ついつい見てしまう好きなテレビ番組がある。

12ch、テレビ東京で放送している「アド街ック天国」だ。

恐らくは東京限定の放送だと思う。毎回東京のある街にスポットを当てて、その街の名物ランキング30を紹介するという、完全に地元密着型の番組だ。

ちなみに昨日の放送では浅草が特集されていた。ランキング二位が仲見世通りでランキング一位が雷門というあまりのベタさには若干閉口したが。ラーメン屋が「ウチの売り上げNo.1はラーメンです!」って言うようなもんだろ、それじゃ。みんな知ってるよ。

嘗ては我が街小岩も取り上げられた事がある。よく知った店がランキングに軒を連ねた。

さて、この「アド街」であるが、私は今激しく「アド街ごっこ」がしたい!

朝からどこかの街に行き、その街の商店街を一日をかけてじっくりと堪能する。甘味処に定食屋、職人の店に、居酒屋。そういった店や名所をだらだらと巡る。そんな事がしたいのだ。

行ってみたい街は、どこだろう。

ぱっと五つほど挙げるのであれば、立石、千住、赤羽、亀戸、神田、あたりだろうか。

近い内に是非やりたい。

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2010年8月28日 (土)

9月前半ライブ

9月前半は歌もののライブが二本、どちらも素晴らしいシンガーとのライブです。

是非お越し下さい!

9月3日(金)東京品川 トライベッカ
tel 03-6717-0933
http://www.tribeca.cc/shinagawa/index.html
vo:中溝ひろみ b:日下部史貴 pf:福島剛
品川駅ビル内トライベッカでの演奏。浅草ジャズコンテストでグランプリを受賞した凄腕のボーカリストと初共演。とても楽しみです。
19:45~start  music charge: 500円

9月5日(日)東京東中野 Big River
http://www.bigjazzriver.com/st/nd.html
vo:西池のりこ gt:佐藤健 pf:福島剛
東京を中心に活躍してきた西池のりこさんが、この度生まれ故郷の京都に帰ってしまう事になりました。柔らかく表情豊かな素晴らしい歌を、この機会に是非東京でご覧下さい。
19:00~start  music charge: 1300円

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2010年8月27日 (金)

本日の賢治

けれどもだんだん気をつけて見ると、そのきれいな水は、ガラスよりも水素よりもすきとおって、ときどき眼の加減か、ちらちら紫いろのこまかな波をたてたり、虹のようにぎらっと光ったりしながら、声もなくどんどん流れて行き、野原にはあっちにもこっちにも、燐光の三角標が、うつくしく立っていたのです。遠いものは小さく、近いものは大きく、遠いものは橙や黄いろではっきりし、近いものは青白く少しかすんで、或いは三角形、或いは四辺形、あるいは電や鎖の形、さまざまにならんで、野原いっぱいに光っているのでした。

新潮文庫「新編銀河鉄道の夜」、「六、銀河ステーション174〜175頁」より

文章っていうのはすごい。

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2010年8月26日 (木)

何もしない

久しぶりにものすごく鬱屈と一日を過ごす。

何もしたくなかったので何もしなかった。

かみさんから「もうすぐ帰るから一緒に夕飯を食べよう」とメール着信。

今日した事と言えば、それくらい。

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2010年8月25日 (水)

宇宙を辿る

昨日から引き続き「組曲銀河鉄道の夜」の作曲をずっとやっている。

第一章の「午後の授業」〜第三章の「家」までは昨日の内に出来上がった訳だが(そしてそれなりに気に入っているのだが)、第四章の「ケンタウル祭の夜」が難しい。祭の賑やかしさとジョバンニの孤独との対比というものが、なかなか音楽になって来ない。

ああでもないこうでもないと思いながら、原作の文庫本に再び目を落とす。

改めて、「とんでもない作品だ」と感嘆する。

「銀河鉄道の夜」は、いや、宮澤賢治の作品の一つ一つは、膨大な詩篇の集積だ。

例えば「銀河鉄道の夜」の第五章、「天気輪の柱」の一文。

「ジョバンニは、頂の天気輪の柱の下に来て、どかどかするからだを、つめたい草に投げました。」

こんな一文ですら、凡百の私達には到底辿り着き難い高みだ。文章自体に固有の律動がある。そこに夜の静けさがある。まるで一篇の詩のように。

これを音楽に「置き換える」のではなく、私は私でそこから派生したイメージの断片を捉え、そしてそれを辿り、また新たな宇宙世界を創造しなくてはならない。

賢治が原稿用紙に四次元の宇宙を創造したように、私もまた五線譜を使ってそれをする。

何とも途方のない話だ。

けれど、面白い。

一銭の金にもなりやしないのだが。

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2010年8月24日 (火)

音楽と文学

以前から自分で作曲をする時に、好きな文学作品をイメージの源泉とする事がある。

一年ぐらい前に書いた「櫻の森の満開の下」という曲があって、勿論モチーフは坂口安吾の同名の小説。あまり人前で弾く機会は無いのだけれど、なかなかに気に入っている。

そして以前から挑もう挑もうと思っていた作品に、今日から手を付けた。

宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」。

これは組曲として作曲したかった。物語は第一章の「午後の授業」から終章の「ジョバンニの切符」まで全九章。それら全てをモチーフに曲を書きたかった。

だから大仰というか、面倒になってしまってなかなか手を付けられなかったのだけれど、今日家で朝飯にうどんを食っている時にふっと第一楽章のイメージが浮かんできたので取り掛かる事にした。

おかしな話だ。ピアノの前でああでもないこうでもない、なんてやっている時には全然出て来ないアイディアが、月見うどん食ってる時なんかにぽろっと出て来るのだから。

解らないものだ。

現在、やっと第二楽章のモチーフまで終わった所。今日中に第三章の「家」まで行きたいなあ。

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2010年8月23日 (月)

音楽にテクニックは必要か

今日はたまには音楽の話をしてみようかな。

さて。

「音楽にテクニックは必要か否か」という事が稀に議論の場に上がる事がある。

私の結論から先に言ってしまえば、「要るに決まっとろうがアホかボケ」という事になるのだが、これを少々解説したい。

テクニックの必要不必要が議論の場に上がるという事は、それは即ち「テクニック必要論者」と「テクニック不要論者」がそこに存在する事を意味する。必要だと信じる人がいれば、その一方で必要ではないと信じる人がいるのだ。私は先に述べたように前者だ。

テクニック不要論者の意見としてよく出て来るものにこんなものがある。曰く、「お世辞にも上手いとは言えない演奏に心を打たれる事が実際にあるではないか」と。

この意見は、一見して非常に説得力があるようにも見える。「テクニックは不要だ」というテーゼの論拠になりうるようにも思える。何故ならば、少なくない数の人間がそのような経験(稚拙に見える演奏に心を打たれた経験)を実際に過去にした事があるからだ。

なるほど、確かに音楽に技術は必ずしも必要ない。そう考えてしまうロジックもわからなくはないが、それはあまりに早計に過ぎる。

まず、その演奏が「本当に稚拙なのか」という事を疑う必要がある。つまり、それは稚拙に「見えるだけ」であり実際には稚拙ではない、という可能性を考慮に入れなくてはならない、という事だ。

そうなった場合、その音楽は実際にはかなりハイレベルな音楽だ、という事になる。本当に賢い人間はドヤ顔で専門用語や無駄な横文字を多用して喋らない。中学生にも解るような語彙で、明快な論理の元に意見を述べる。それと同じ事だ。

恥ずかしいのを承知で白状すれば、私は嘗て「サッチモ」ことルイ・アームストロングの音楽を「稚拙にして感動的な音楽」と感じていた時期がある。出来ればバールのようなものでその当時の私の後頭部をしたたか殴打したい。いや、やめてほしい。そんな事したら脳漿がびゃーびゃー飛び散るじゃないか。

「感動的な」という部分に関しては多少の主観も混じる為に断言を避けたい部分もあるが、「稚拙な」という部分に関しては完全に誤りである。ルイ・アームストロング、彼は必要十分に過ぎる程に極めて高い技術を有した音楽家である。今となってはこの事に疑いの余地も無い。

同じようなケースとしては、私が敬愛して止まない日本のパンクバンド「The blue hearts」が上げられる。

私が錯覚した(つまり彼らは技術的には稚拙だと誤認識した)原因は、彼らの語彙の普遍性にある。誰にでも解るような語彙で物語を語る彼らを、あろう事か私は稚拙だなどと思った訳だ。出来るならば当時の私の菊門(通称アナル)に試験管を入れてひいひい言わせたしかる後にその試験管を割ってやりたい。いや、やめてほしい。そんな事をしたら痔になるじゃないか。

それは先程述べたように、一部の人間にしか解らないような普遍性に乏しい語彙(例えばリテラシー、とか、ベルヌーイの定理、とか)を用いて一見難解な話をしているように見せて実は中身は空虚、そんなものを礼讚するのと同じぐらいクソ(通称ウンコ)のような話なのである。

そういう語彙も知らないではない。けれど今の論旨にそぐわない。そう感じた時にはそのような語彙を使うべきではないのだ。

そのようなケースを鑑みた時に、上記の「技術的に稚拙な演奏でも感動出来る」というテーゼに対する反論は、「それは実は全く稚拙な演奏ではない」というものだ。とてもではないが、サッチモは稚拙からは程遠い。ブルハも。

更に別のケース。

反論すべき根拠のもう一つであるが、演者は実際に「本当に稚拙」だった場合である。

では何故それを前にして聴衆は感動するのか。

答えは演者側ではなく、聴衆側にある。

稚拙ながらも一生懸命に打ち込むその姿に聴衆が感動を覚えた場合、その聴衆は「そういうもの」が好きなのだ。ツボなのだ。であるならば、「それは必ずしも音楽というフォーマットを踏襲する必要はない」という事になる。他のフォーマット、例えば演劇やスポーツでも良いという事だ。そこで或る「誰か」が、稚拙ながらも一生懸命に頑張っていれば、その聴衆に対しては感動が生じる。何故ならば聴衆は眼前の「芸」に感動を覚えた訳ではなく、眼前の「頑張っている人」に感動を覚えているのだから。

こういった感動の在り方は、実は存外に嫌いではない。弱小野球部が不十分な戦力でエリート校の野球部に向かっていく光景には心が躍る。技術的にも戦力的にもエリート校には劣るとは言え、だ。

しかし忘れてはならない一番の前提は、私達が血道を上げているのは音楽という「芸事」であるという事だ。芸事である以上、芸の研鑽こそが我々芸事を志した人間に課せられた使命であり苦しみであり悦びである。一生懸命やればそれだけで聴衆が感動してくれる、そんな甘い考えは微塵も通用しない。

だから毎日(面倒臭い日もたまにはあるのだが)、技術を磨こうと苦心する。

今日、日々の練習をいつものようにやりながら、そんな事を思った。こんな技術じゃ誰にも何も伝わらない。もっと鋭く正確に。もっと表現豊かに。その為に頭を使って練習をする。地道な作業を怠らない。

それが嫌ならば、音楽なんぞとっととやめれば良いのだ。

しかし、私は本当にピアノが下手くそで、すごくイヤんなる。

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2010年8月22日 (日)

近所でジャズを観る

近所のジャズフェスにちらっと行って、サキソフォン四重奏っつうのを初めて見る。

なかなか良いものだ。

アレンジがしっかりしてると聞き応えがあるな。

楽しかった。

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2010年8月21日 (土)

高校野球にもの申す

高校野球の全国大会の決勝戦、沖縄の興南高校と神奈川の東海大相模高校との対戦は、興南高校が勝利したとニュースで見た。

個人的には、今年ほど高校野球が極悪だと感じた事はない。

一番は、選手の体調管理である。

まず、今年のような猛暑の中で無理矢理にでも試合をさせる事自体に私は強く反対する。熱射病や脱水症状、その他諸々の危険性が強くある。ならば屋外の甲子園でなく、空調が整ったドーム球場で試合をする事は不可能なのだろうか。

高校硬式野球の全国大会は、通称「甲子園」と呼ばれるが、結局の所は単なる全国大会なのである。選手の体調を考慮に入れれば(更にはまだ身体的に未発達な高校生だという事を考慮に入れれば)、今年のような猛暑の中で選手達に試合をさせるのは、大袈裟に言えばちょっとした殺人行為だ。

また、試合スケジュールの過密さから来る投手の連投というのも気に食わない。

決勝戦では両チームのエース、島袋投手と一二三投手が注目されたが、彼らは共にこの一週間の間で何球のボールを放ったのだろうか。考えるだけでぞっとする。プロ野球ならば、絶対に考えられない話だ。投手の肩は消耗品なのだ。

忘れてはならないのは、彼らはこれからの野球界(プロアマ問わず)を背負う逸材たりうるという事であり、また今回の全国大会を最後に野球の世界から遠ざかる人間達もまた皆一様に「健やかに暮らす権利がある」という事だ。

何故その彼らを大事にしない。

高校野球が、未来の至宝達を潰す権利はどこにも無い。

更に細かい事を言えば、「ヘッドスライディングの美徳」のようなものも気に食わない。ヘッドスライディングをすれば、怪我をする可能性は高まる。そもそもバッターボックスから一塁ベースまでは(つまりフォースアウトがある状況では)、滑り込まずに駆け抜けた方が速い。そして安全だ。なのに何故、一塁ベースへヘッドスライディングをする事が美徳とされるのだろうか。

危険な手段を選ぶ事は、決して美徳ではない。有効な手段を選ぶ事が美徳だ、というのならまだわからなくもないが。

私は高校野球にルール改正を強く求める。

希望する改正点は幾つかもあるが、ぱっと思いつくの以下の点だ。

・球場をドーム球場へ

・投手に球数制限を設定

・一塁へのヘッドスライディングの禁止

このままでは、日本の野球は、本当の意味で暗黒時代に突入する。

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2010年8月20日 (金)

今日は何をやっていたかと言うと

今日は何をやっていたかと言うと
今日は何をやっていたかと言うと
千葉は船形漁港という所から漁師さんの船に乗せてもらっていました。

色々書きたい事はあるけれどそれはまた次の機会に。(今日の疲れっぷりが尋常でないので)

一つだけ言わせてもらうと、「何にしてもプロはすごい」

漁師っていうのは、「魚を獲って飯を食っている人」の事だ。

つまり「魚を獲るプロ」だ。

やっぱりプロは凄いよ。

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2010年8月19日 (木)

いい加減にしやがれ

友人のヤマが交通事故に遭う。

原付で。

取り敢えず死んではいない。そこ「だけ」は良しとしよう。

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2010年8月18日 (水)

セッション訂正

昨日の記事に誤りがありました!

本日のセッションですが、開始時間を19:30と書いていましたが、19:00の誤りでした。

すみません。以下が正しい情報です。

8月18日(水)東京小岩 COCHI
tel 03-3671-1288
http://www.jazz-cochi.com/
b:日下部史貴 ds:松永博行 pf:福島剛
東京都江戸川区南小岩8-12-6 マンション中村Ⅱ1階
19:00~start  music charge: 1800円

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シャブはよくない

昼過ぎにぼけっとテレビを観ていたら、清水健太郎、覚醒剤所持(使用)容疑で逮捕、との報。

またか、さすがだな、と苦笑する。

清水健太郎。通称シミケン。かつて「失恋レストラン」という歌をヒットさせ、Vシネマの「雀鬼」シリーズでお茶の間を沸かせた芸能人である。

薬物での逮捕は、今回で5回目になるそうだ。

こういう時に思うのは、当たり前の事として「シャブ、こええなあ」である。

彼は以前にも懲役に服しているにも関わらず、再び覚醒剤に手を染めた。彼の中での不等式として「刑務所の懲役の苦しみ<覚醒剤の快楽」となったのだ。それほどまでに覚醒剤の快楽と依存性は高い、という事だ。

そういった快楽を求める人間を、「心が弱い」の一言で斬り捨てる事が出来るほど、私の心は強くない。逆に言えば、「覚醒剤はやってはいけません」と頭ごなしに言われた場合に、私はそういったものに対して興味を惹かれてしまう。「やってはいけない」と言われると、私はどうしてもそれに逆らいたくなってしまう。

元来、人間には「好奇心」がある。

例えば人類史上初めて「海鼠(ナマコ)」を食べた人間、そんなものよく食べたな、と思う。あの外見を見て、それを口に入れてみようと思う、それは明らかに好奇心から来ているのではないか、と思う。

勿論、海鼠には人体に害を及ぼすようなものはない。しかし、我々人類はそうして「好奇心」というものと共に文明を発達させてきた。覚醒剤に手を染める人間にも、最初はそういった好奇心がある事は明白だ。

しかし、こうしてシミケンのように何度も逮捕される人間を見るにつけ、「おお、やっぱりシャブはやってはいけねえなあ」と私は心の底から思うのである。

昔、インドのカルカッタの街で目をぎょろつかせながら薬物を求めて彷徨う日本人ジャンキー(薬物中毒者)を見た時にも同じような事を思った。「こうはなりたくねえな」と。

更に突っ込んだ話をすれば、そういった薬物には「貴賎」がある、と私は思っている。

例えばコーヒー。これも数百年前までは立派な薬物として扱われていた。コーヒーを飲めば逮捕、酷い場合には死刑、という事まで国によってはあったそうだ。

こういった事がいかに荒唐無稽な事であったかという事は、今現在日常的にコーヒーを飲む我々にはわかる。確かに身体に良いものではないかも知れないが、そこまで規制する必要はないだろう、と。

現在の日本で規制されていないものであっても、例えば煙草やアルコール、これらはなかなかに依存性の高い薬物である事は、私は自らの身体をもって知っている。私は日常的に煙草を吸うし、酒を呑むが、それらをたちどころに止めなさいと言われてもなかなかに困難である。それなりにそれらに依存しているのだ。

私が初めて煙草を吸った時、そして酒を呑んだ時。その時には確実に「好奇心」が働いていた。その時にはその私の好奇心を抑制するようなものは無かった。

そして覚醒剤である。これはさすがに手を出すまい、と私も思っている。

そういうものに対して好奇心がゼロだ、とは言わないが、前述したシミケンや数多のジャンキー達を見るにつけ、「こうなりたくない」と思わせてくれる。そういった意味では、彼らの逮捕の様子を見る度に、当たり前のように「ああ、シャブはダメだなあ」と思うのは私にとっては良い事である。

基本的には薬物に対する罰は「本人の健康」のみで充分だろう、とは思うが、それにより家族や周囲の人間が迷惑を被るのもまた事実である。

やはり、シャブはいけない。

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2010年8月17日 (火)

明日はコチセッション!

先ほどアホな文章を書いてしまったが、大事な告知を忘れていた。

明日、8月18日(水)はついに小岩COCHIのセッション!

大好きなジャズを、大好きな小岩で、大好きな人達と一緒に!

つう事で、皆様是非お越しください。楽器や譜面を持って。みんなで合奏するのは、やっぱり楽しいじゃん、と当たり前の事をぼくは思う訳です。

8月18日(水)東京小岩 COCHI
tel 03-3671-1288
http://www.jazz-cochi.com/
b:日下部史貴 ds:松永博行 pf:福島剛
東京都江戸川区南小岩8-12-6 マンション中村Ⅱ1階
19:30~start  music charge: 1800円

いやホント楽しみなんだ。

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瑕を庇う

仕事のメールと電話を6件やっただけで随分と疲れ果てて、「ああもう今日は何もしたくない」などと言ってしまいそうになるほど暑い。

記録的な暑さだ。

しかし、何もしないでいる事を許されるほど私には余裕は無い。

譜面も書かなくてはならないし、ピアノの練習もしなくてはならない。布団も干さなくてはならないし、昨日作ったカレーを救出しなくてはならない。

カレーを救出、というのは。

昨日、寸胴鍋でカレーを作ってみた。分量がべらぼうに多くなるので、思ったよりもカレー粉が大量に必要になる事に途中で気付き、カレー粉を何回も買いに出かける、という失態はあったものの、概ね美味いカレーが出来た。その事には満足していた。

しかし、再度火を入れておこうと思い、鍋を火にかけていたら、鳥頭の私はその事をしばらく忘れてしまい、鍋を十分ほど放置してしまったのだ。

当然、カレーが焦げた。

この絶望感といったら無い。

苦労して、手塩にかけて煮込んだカレーから煙が上がっているその様子を目にした時、私の脳裏には「絶望」の二文字のみが仰々しく浮かんだ。

ただし、それはまだ修復可能なレベルであった。火事で言えば、まだ「ボヤ」の段階であったのだ。

しかし、そこには苦味が残った。まるで人生だ。甘いばかりが人生ではない。苦いこともある。辛いこともある。

今日、私は思案した。それを復活させる方法を。

思案した挙句に私が買ってきたのは、ヨーグルトである。これをどばどばとカレーに入れる。

今度は慎重に火を入れる。小さな火で、そして入念にかき混ぜながら。

すると、これが当たった。

勿論、一度ついた「焦げ」の烙印は決して落ちる事は無い。過去の過ちを決して消し去ることが出来ないように。しかし、それでもカレーは随分と「マシに」なったのだ。

我々人間が決して贖(あがな)う事の出来ない罪と共に生きているように、私が昨日作ったカレーも、「焦げ」というその瑕(きず)と生涯を共にしなくてはならない運命へと導かれた。

しかし、だからと言って生きていてはいけない訳ではない。

私はお前の瑕を庇おう。そういって現れたヨーグルト。それと共に生きていけば良いのだ。

人間には「取り返しのつかない事」など、それほどたくさんは無い。

カレーにも無い。

だから今日もカレーは生きていくのだ。

「焦げ」という瑕と共に。それを誰かに庇われながら。

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2010年8月16日 (月)

カレーの作り方、そして叫び方

昨日、というか日付的には今日の深夜0時を廻った辺りで、友人のヤマが我が家に唐突にやって来た。アポなしで。

片手には寸胴鍋、というどこからどう見てもガイキチ全開の出で立ちでやって来た。

彼がそんな酔狂なものを持ってきたのには理由がある。

私が昨日ツイッターを通じてネット上で「寸胴鍋が激しく欲しい」と書いた為に、それを見た彼が持ってきてくれたのだ。

昨日、かみさんと共に昼間に寸胴鍋を見に行ったのだが、やはり業務用は高い。大体一万円弱がその相場で、「これはちょっと手が出ないねえ」と言い合っていた。

そこへ来てヤマ、いや最早「おヤマ様」と呼ばなくてはなるまい、おヤマ様は「職場で余っていた、使ってないからあげる」と言って寸胴鍋を我が家へ持ってきてくれたのだ。

そうだった、おヤマ様の職場は料理屋であった。

おヤマ様は読者諸氏もご存知だとは思うが、かつて料理番組「料理の鉄人」で和の道場、中華の陳、洋の坂井らと共に「伊の山科」として名を馳せた特級厨師、奇跡のシェフである。勿論、「伊の山科」の名の通り、専門分野はイタリアンであるが、彼の手にかかれば、ありとあらゆる食材に魂が宿る、でお馴染みの敏腕シェフなのだ。

そんなおヤマ様から頂いた寸胴鍋、私としても心が躍る。さて、この寸胴鍋で何を作ってやろうか、と思案する。

やはり最初だからカレーが無難で宜しかろう、という事で、カレーを作る事にした。

たまには当ブログにもレシピのようなものを載せていこう。

まず、カレーを作る際には髪型と服装に気を付けなくてはならない。

髪型はリーゼント以外は認められない。ポマードべっちょりでリーゼント。ソリも入ればなお良い。

また、服装は革ジャンに革パン、そしてサングラスも不可欠だ。

これらの髪型と服装の理由については後述する。兎に角、クールス時代の舘ひろし、もしくはキャロル時代の矢沢永吉を意識した出で立ちをして頂きたい。

それが出来たら、まずは寸胴鍋に水を張り、それを沸かす。

その傍らで、玉葱をひたすらにみじん切りにするのだ。今回の私の場合は玉葱を計8個、全てみじん切りにした。なかなかの量である。

みじん切りにした玉葱にざっとサラダ油をかけ、それをフライパンで炒めていく。所謂「飴色玉葱」を作るのだ。炒める時に口ずさむ歌はBOROの「大阪で生まれた女」が最適だ。

「青春のかけらを置き忘れた街…」という所まで歌い終わった頃に、丁度玉葱が飴色になる。

ちなみに「大阪で生まれた女」という歌は本来は18番まである。大阪で生まれた女が東京に出て立教大学の近くの小さな部屋に住み、そこで「大阪で生まれた女やさかい、負けられへん」と唇を噛み締めて東京の地で暮らし……(中略)……青春とは何かをふと見つける、という所まである。

もちろんこれを全て歌うと、玉葱は完全に焦げるので注意して欲しい。完全版ではなく簡易版の方の「大阪で生まれた女」だ。間違えないで欲しい。

さて、それが出来たら、いよいよ寸胴鍋に具材を投入だ。

この時に、先ほどの出で立ちの意味が出て来る。

無論、具材を寸胴鍋に投入する際の掛け声は「ぶっこんでくんでヨロシクゥ!」である。

それに対する相槌は勿論「ヨロシクゥ!」である。

何だったら漢字で表記して「夜露死苦ゥ!」でも構わない。

やはりこのセリフを叫ぶ時には舘ひろし的な服装と髪型が必要不可欠となる訳だ。間違えないで欲しい。舘ひろしだ。猫ひろしではダメだ。

「ぶっこんでくんでヨロシクゥ!」

炒め玉葱どばどばどばー!

「夜露死苦ゥ!」

「ぶっこんでくんでヨロシクゥ!」

手羽元1kgぼとぼとぼとー!

「夜露死苦ゥ!」

「ぶっこんでくんでヨロシクゥ!」

カットトマト2缶だばだばだばー!

「夜露死苦ゥ!」

「ぶっこんでくんでヨロシクゥ!」

赤ワインじゃばじゃばじゃばー!

「夜露死苦ゥ!」

…………

あとはひたすら弱火で煮込む。途中で思い出したように色々入れる。シメジ、ショウガ、コーヒー、ブーケガルニetc。

手羽元はとてもダシが出る。肉が骨から完全に剥がれるまで煮込む。骨はあらかじめ取っておくと、食べる時に食べやすい。

現在はこの煮込む作業の真っ最中なのだ。なかなかに暇なので、こうしてブログを書いたりしているのだ。

朝の11時から煮込み始めて、現在夕方18時。

あと3時間ほど煮込んだら、そこに茄子と人参を投入。勿論この時にも「ぶっこんでくんでヨロシクゥ!」を忘れてはならない。

茄子と人参を投入してから一時間ほど煮込むと、丁度良い塩梅に全ての食材が溶け合う。そこにカレー粉、スパイス、ガラムマサラなどで味を調える。

そんなこんなしている頃に、かみさんが帰ってきて、夕食の時間になるのではないのかな。

という事で、厨房に戻ります。

さようなら。

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2010年8月15日 (日)

人生と麻雀

先日、東京に住む大学時代の先輩と我が街小岩で呑む機会に恵まれた。

昔から随分と世話になっている先輩で、私が今東京で暮らしている中での人間関係を形成出来ている一つの要因を作ってくれた人でもある。わかりやすく言ってしまえば、彼から紹介された幾人かの音楽家、また音楽関係者との関わりが、私の現在の生活に強い影響を及ぼしている。尊敬するギタリスト、廣木光一氏も最初は彼からの紹介だった。

そんな大恩ある先輩との酒の席にも関わらず、私はいつものようにごぶごぶと安酒を鯨飲、あっという間に妖怪「よれよれ泥酔ばあ」へとなった訳だが。

同席したかみさんの話によれば、帰途に着く先輩を小岩駅に送る際に、駅のホームへ上がるエスカレーターに私は自転車に乗りながら上機嫌で乗り込み、ホームへ着くや否や自転車ごと激しく横転。「大丈夫っ!酔ってないってっ!」という酔っ払いのみに許された言葉を発する私を見て、先輩は私のかみさんに「何か、大変やなあ」と笑っていたとの事だ。

確かにかみさんは大変だとは思うが。

そんな先輩との会話の中で印象に残った言葉があった。

「麻雀って面白いっすよねえ。また今度一緒に麻雀しましょうよ」

「ああ、麻雀面白いよねえ。またやろうや」

そんな会話の中で出て来た言葉だった。

どうやらその先輩の父上が発した至言らしいのだが、曰く、

「麻雀は人生と同じくらい面白い、というのは間違いだ。人生は麻雀と同じくらい面白い」

という事だ。

見事である。まさしくその通りだと私も思う。

先輩が言った。「もし俺が企業の面接官になったら、受験者に麻雀をさせて、それを後ろからしばらく見ていたい。そうすれば下手に建前的な面接をするよりもよっぽどそいつの事がわかる」と。

麻雀というのは面白いもので、打ち手がピンチに瀕した時にどういう行動に出るか、それにはその人の性格が如実に出る。もっと大袈裟に言えば、その人の人生哲学みたいなものが出る。

大きく分けてしまえば、

・危険を顧みずに突き進んで勝負する

・一度後退して体勢を立て直す

・後退はしないまでも、大きな勝負には出ずにその位置で様子を見る

この三つである。

もちろん、これらは常に同じ選択肢を選んでいたのでは仕方がない。その場その場の状況に応じて、「今は行く時なのか退く時なのか」を見極める判断力も必要となる。勝負時に日和ってしまうようでは話にならないし、かといっていつでも何処でも猪突猛進では、あっさりと犬死にしてしまうのがオチだ。

またそれらの「行き方」、或いは「退き方」や「立ち止まり方」にも極めてその打ち手の性格が出る。そういった意味でも、人生と麻雀はとても似ている。

また、麻雀というゲームの面白い所は、「百戦して百勝は決して出来ない」という所にもある。運の要素が随分と強いゲームの為(だからこそギャンブルになりうる、というのもあるのだが)、百戦して八十勝は可能かも知れないが、百戦して百勝はまず無理だ。

そうなった時に大事な事は、「いかに負けから学び、いかに勝ちを大きくするか」という点にある。

これもまた、我々の人生と似てはいないだろうか。

我々は決して「勝ち続ける事」は出来ない。必ずどこかで負ける。それは不可避だ。

その時に我々は、出来る限り負けを最小限に食い止めようとする。それはその場の被害を少なくする為ではない。逆転のチャンスを残す為なのだ。

「流れ」が自らにない時には、海中深くで自らを閉ざした貝のように、その危機が去るのを待てば良い。いずれやって来る好機に向けて、傷を最小限に食い止め、力を蓄える。好機はいずれ必ずやって来る。それを正確に捉えられるかどうかは別にして。

そして再び、先輩の父上の至言である。

「人生は麻雀と同じくらい面白い」

そう。我々はいくら負けても這い上がれる。根気強く待てば、また再び逆転のチャンスはやって来る。麻雀で百戦連続で負け続ける事が不可能なように。

一発を狙わなくても良い。ザンクを10回上がれば(そして時にそこに満貫やゴンニが混じれば)、それは役満にも匹敵する。少しずつ、「流れ」を自らに引き寄せていけば良いのだ。

「人生は麻雀と同じくらい面白い」

ここ最近私が聞いた中では、トップクラスにポジティブで素敵な言葉である。

おそらく父上の心中には「人生っていうのはすげえ面白いものなんだよ」という前向きなメッセージがあった事は想像に難くない。

さあ、それとは別に麻雀がしたくなってきた。

誰か麻雀牌と麻雀マットを持って、「雀荘なみこ」(我が家)に遊びに来ないかい?

ちなみにレートはテンゴだ。ヒリつくような高レートのギャンブルがしたい奴は他所に行ってくれ。

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2010年8月14日 (土)

途中は飛ばせない

漫画「BAKUMAN」の一巻〜六巻まではうちにあったのだが、あろう事か我がバカ嫁が先日最新巻の第九巻を買ってくる。

七巻と八巻を読んでないのになして九巻だけ読めるとやキサン!と私が憤ると、「だってあたしは七巻と八巻はもう読んだもん、どっかで」と自分勝手な事をぬかすクソ嫁。

仕方なく本日七巻と八巻を購入。これで読めなかった九巻までが読めると思い、帰って熟読。

新妻エイジの「亜城木夢吐はライバル」発言にしびれる。面白いなあ、「BAKUMAN」。

漫画ばっかり読んでいてはいけないので、読み終わったらすぐに譜面を一部書く。

今からは夕飯の支度。

ダメ嫁は布団に寝転がって漫画を熟読中。

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2010年8月13日 (金)

家事はロックだ

料理以外の家事が全て大嫌いな私であるが、家事を全てかみさんに押し付けていては、家庭崩壊は免れない。私のように音楽やら魚釣りやら広島カープやらに現を抜かしまくっている稼ぎの悪い亭主は、少しでも家の事をやらなくては具合が悪い。

しかしいかんともしがたいこの家事嫌いという悪癖。

解決策は、「無理矢理にテンションを上げてノリノリで家事」。この一択でキメ打ちである。

テンションを無理矢理に上げる為に必要不可欠なツールは「大音量のブルーハーツ」。これもまた一択でキメ打ちなのである。

本日も私は大嫌いな洗濯と台所の洗い物をする為に、テンションを上げるべく大音量でブルーハーツを鳴らした。

「いつでも真っ直ぐ歩けるか。湖にドボンかも知れないぜ。誰かに相談してみても僕らの行く道は変わらない。手掛かりになるのは、薄い月明かり」

もりもりもりっという音と共に私の中のテンションが上がるのがわかる。家事が捗る。

しかしあれだな、ドラムが「シャンシャンシャン、ドン!」と鳴らして、それに合わせてバンドがわっと一斉に入ってくる。こういうのを聴くと、「ああ、バンド最高!」と思うな。

見てきたものや聴いた事、今まで覚えた全部。デタラメだったら面白い。そんな気持ちわかるでしょう。

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2010年8月12日 (木)

I've never seen

台風が来ている。

ふらっと友人で作家の石田ゆうすけ氏のブログを見たら、台風がやって来ると頭の中でブルーハーツの「台風」が流れる、と書いてあった。

「台風が来る、ものすごいやつ」

大好きな歌だ。

けれど台風が来ているのに、私の頭の中ではブルーハーツの「僕の右手」が流れている。

「見たこともないようなマイクロフォンの握り方で、聴いたこともないような歌い方をしたい」

そうだな。私もしたい。

見たこともないようなピアノの弾き方で、聴いたこともないような音楽がしたい。

私が心の底から敬愛するパンクロッカーの甲本ヒロト氏は、本当にそれをやっている。ぴょんぴょん跳びはねたり激しく痙攣したりしながら、「見たこともないような歌い方」をしている。それを見る度に私の心は熱くなる。何てカッコ悪くて何てカッコイイんだと、うっとりする。

ドブネズミみたいに、美しく、なりたい。

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不意に

かみさんにオール嘘まみれの嘘クイズを出して遊んでいたところ、不意にうんこを漏らすというとんでもない事態に。ほんと、うんこって漏らすよね、不意に。夏にたまに吹く、涼しいそよ風のように不意に。

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2010年8月11日 (水)

8月18日(水)小岩「COCHI」

ジャムセッションをやります。

ジャムセッションというのは、その場に集まった人達が、いくつかの簡単で最低限の約束事の元に「せーのドン!」で合奏をする事です。

ある人にとっては修業の場になるでしょうし、ある人にとっては自らをアピールする場になる。そしてまたある人にとっては「音の会話」を楽しむ為の場になる。

表題の通り8月18日(水)20:00より、小岩のジャズハウス「COCHI」で。

ホストミュージシャンですが、こちらは少々変わった形式で、ベースの日下部史貴氏とドラムの松永博行氏は毎回固定、ピアニストが毎回変わるという形です。そのピアニストに、今回は私が呼んでもらえました。

「小岩の街にジャズを!」

私の最終的な目標です。

どうぞお越しを!

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2010年8月10日 (火)

手抜き

手抜き
家の前にいた猫。

手抜き更新ですまん。

色々あるんだ。

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2010年8月 9日 (月)

元祖長浜屋

元祖長浜屋
博多と言えばやはりこれ。博多ラーメンを食わずには帰れません。

見た目よりも遥かにさっぱりとした「元祖長浜屋」のラーメンを、東京に戻るその前に一杯。

大変おいしゅうございました。

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2010年8月 8日 (日)

唐津の烏賊

唐津の烏賊
本日は昼間にSAGA佐賀へ。

唐津でイカの刺身を堪能。

うまいのう、うまいのう。

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2010年8月 7日 (土)

Mさんの事ファイナル

日を改めて、私達は自転車で集まった。

私はと言えば、何かこれから冒険が始まるのだろうかというような高揚を感じてはいたが、アキラや他の友人達には、それ以外の緊密さも見受けられた。

恐らくはアキラは一度、自らの脳内でMさんと今生の別れを交わしていたのだ。最早生涯会うことはあるまい、二度と言葉は交わすまい、と。

そのようにして、袖を濡らしながら断腸の思いで別れを決した女性。その女性に纏わる手掛かりが、今、眼前に差し出されているのだ。震えずにいろ、というのが土台無理な話だ。

「…行くか…」

私達は、自転車のペダルを踏み込んだ。まだ、「ストーカー行為」という言葉が日本ではさほどポピュラーではなかった時代の話である。

先程(第一話)にも触れたが、私達は女の子にモテなかった。「モテたかモテなかったかのどちらかで言えばモテなかった」のではなく、「完全無欠に、比類無きほどにモテなかった」。「どちらかと言えば童貞」ではなく、「がっちがちに童貞(GGDT)」だった。

見た目のマズさもあれば、中身のマズさもあった。私達はいわゆる「不良グループ」でもなかったので、「悪っぽいカッコ良さ」とも無縁だった。無駄に武闘派だったので(喧嘩だけは強かった)、そういった不良グループは私達を避けた。優等生グループでもなかった。スポーツが得意だった訳でもない。現にアキラは中学三年生の時点で掛け算九々が半分以上言えなかった。平仮名もきちんと書けなかった。

そんな何の取り柄も無く、女性とは無縁な私達だったからこそ、日々、理想の女性像についての会議には余念が無かった。

「初めてのデートではどこに行くのがモアマッチベターなのか」

誰かが間違った英単語と共にそんな議題を出せば、会議はヒートアップした。

「お前、最初っつったら映画に決まってんだろが!?」

「は!?バカかテメー、せっかく一緒にいられんのに、映画なんて行ったら二時間無言でいなきゃいけねえんだぞ?それだったら‘でずにーらんど’とかに行って一緒にはしゃいだ方が仲良くなれんだろが!バカかお前!」

「お前の方がバカか!でずにーらんどなんて何百万円かかると思ってんだよ!オレらの小遣いじゃ無理に決まってんだろが!」

「うーん、それもそうか…」

という具合に。

そんな時の、アキラの脳内妄想デートの相手は、Mさんであった。私の相手は、誰だっただろうか、完全に失念した。意外と覚えていないものだ。

小岩を出て、私達は西に向かって自転車を漕ぐ。

錦糸町を越えた辺りから、皆の口数が目に見えて減ってきたのがわかった。

隅田川を越えてからは、まるでケモノのようなテンションだった。

「上野来ました!ウ・エ・ノ!ひゃっほう!」

と誰かが叫ぶ。

合わせて誰かが自転車をウイリー走行させる。

今現在私が同じ事をしたならば、確実にポリスへ通報、おロープ頂戴となり、プリズンにゴーという事になる。それほどのはしゃぎようである。

我々は一通りはしゃぎ終えると、近くの小さな公園で小休止を取りながら、持って来た地図を広げた。

「んーと、ウチダの名簿によると住所はこの辺だから…」

「今オレらがいるのはココだろ?つうことは、もうあんまり遠くねえな…」

そんな会話をしていると、面白半分でついて来ただけの私まで、胸が高鳴った。

「行くか…彼の地へ…」

「ああ、行くか…」

私達はその住所の指し示す場所へと、再び自転車のペダルを漕ぎ出した。

それから数分後、その住所の地へ私達は辿り着いた。

結論から先に言ってしまえば、私達にはMさんの家を発見する事は出来なかった。

そもそも発見した所でどうするつもりだったのかもわからない。恐らくは、「はーん、こんな所に住んでらっしゃるのですなぁ」などと言ってそこを5分ばかり眺めた後に「帰りますかー」と帰路に着くのは目に見えている。インターホンをピンポンと鳴らし、「あ、あのっ!昔の学校の同級生の者ですがっ!」などと言える筈がない。そういった事の「オクテさ」に関しては、がっちがちの童貞達の右に出る者はいない。

指し示した住所の地に来ても、我々はMさんの家が何処だかはわからず、暫し右往左往した後に、力無く「帰りますか…」の一言と共に帰った。往路の上機嫌に比べて、復路の意気消沈ぶりと言えば、説明の必要もないだろう。

私達の、ほんのり切ない少年時代の夏の思い出である。

他の友人達はどうだかは知らないが、少なくとも私に関して言えば、Mさんとその後再開した記憶も無い。

ここまで読んで頂いた読者諸氏は、「は!?終わり!?オチは!?無いの!?バカなの死ぬの!?」とお思いの事だろう。

そんな皆様の為に、取っておきのオチを用意した。

私達童貞野郎達の中で、最初に大人の階段をくぐったのは、前述のアキラである。

アキラはその三年後、西船橋のピンサロ街で「帝王」と呼ばれるほどのピンサロ大臣になった。

あんなに純情だった男が、である。

ピンサロを「おでのみしぇ(俺の店。アキラはものすごく滑舌が悪い)」と言うようになるとは。

就職した際の初任給を全てピンサロに突っ込むとは。

そしてその二年後に夜逃げをして行方不明になるとは。

全ては混じりっけナシ、ガチの話である。

きっとMさんも歎き悲しんでおられる事だろう。

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福岡へ

福岡へ
行きます。福岡へ。

飛行機です。びゅいーんと飛んできます。

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2010年8月 6日 (金)

エースですから

野球を見に行ってきた。

東京ドームに、広島ー巨人戦。

4−1で珍しく勝利。

勝利投手はマエケン。

彼に関して一言言うならば、

「エースですから」

マエケン、すごい。

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2010年8月 5日 (木)

Mさんの事2

結論から先に言ってしまえば、Mさんはさほど遠くへは行っていなかった。

ある日ウチダが、そこに通う全生徒の名簿を持って来た。現在ほどプライバシーや個人情報の保護が叫ばれていない世の中である。私の高校でもそうであったが、やはりウチダの高校でも、全生徒の電話番号と住所が記載された名簿が、皆に配られていた。

ウチダが持って来たその名簿を覗き込む私達。ごくりという唾を飲み込み音が今にも聞こえて来そうだった。

Mさんの住所は、我々の住む小岩からさほど離れてはいなかった。Mさんの住所は、上野の辺りにあった。

まずそれに狂喜乱舞したのはアキラである。アキラはかねてから「Mさんが可愛い、Mさんに童貞を捧げられるのならば死んでも良い」と公言する、筋金入りのMさんファンであった。

ちなみにこの「アキラ」については、いずれ「オレ達のアキラレジェンド」というタイトルで長文を書かなくてはならない。アキラの話をしてすべった事はない。

アキラが興奮気味に言った。

「う、う、上野に…行こうぜ…っ!」

私達は言葉もなく頷いた。

(続く)

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2010年8月 4日 (水)

Mさんの事

ふと思い出した昔話を一席。

小学生の頃、小学校に登校する為の「登校班」というものがあった。近所同士の子供達が、十人前後集まって学校へ行くのだ。私も近所に住む子供達と連れ立って小学校に登校していた。

その登校班の中に、Mさんという女の子がいた。大人しいけれど、目鼻立ちのはっきりした美人だった事を覚えている。小学校も高学年になる頃、Mさんの事を「かわいい!」と言う男の子達も少なくなかった。

中学校に上がって、Mさんは私と同じ中学校に上がったのかどうだったかは忘れた。中学校に上がる頃だったか、入ってすぐだったかに、Mさんはどこかに転校して行ってしまった。私の友人でMさんに想いを寄せていた連中は、揃って肩を落とした。

また想像力の豊かな中学生である。そうやって転校などで美人な女の子がいなくなると、頭の中ではその子の記憶(イメージ)はどんどん美化される。最早私達の間では、「転校していなくなったMさんこそが史上最強の美人」というのは定説になっていた。これは、普段から顔を合わせる同級生の女の子達から全く相手にされない「モテない男子」である私達の無意識かつ必死の自己肯定に他ならない。

私達の仲間は、私を含め本当に女の子には縁が無かった。やり場の無いエネルギーだけをひたすらに蓄えて、無駄に自転車で遠出をしてみたり。

女の子達と仲良くしている別の男グループに対しては、本当は羨ましくて仕方が無いのに「あいつらは軟派だ」だの「あんなブサイクな女達と仲良くして何が楽しいかね」だのと、わかりやすい負け惜しみを吐いていた。今ならば言える。本当は羨ましかった。間違いない。

さて、そんな完全無欠なまでに「モテない中学時代」を過ごした私達は、当然のように「モテない高校生」になった。それぞれに違う高校には進んだものの、家がすぐ近所に住んでいるものだから、夜な夜な近くの川原などに集まった。相変わらず「どこそこのパチンコ屋にはモーニングが入っている」だの「オレは最近タバコを吸いはじめた」などという愚にもつかない報告をし合っていたが、やはりその時となっては通う高校も違う。それぞれの高校の報告、というのも日課になっていた。

「ウチの学校の授業、マジわかんねえ」と私が言えば、「オレの高校は女だらけ」とミノルが言う。「オレの高校にはバカとヤンキーしかいねえ」とアキラが言った。

そんなある日、集まっていたメンバーの一人「ウチダ」が、我々を戦慄させる、驚愕の事実を告げた。

ウチダは、江戸川区の、とある都立高校に進んだ。その学区では上から二番目に勉強の出来る高校だった。

そのウチダが私達に告げた驚愕の事実。

「オレの高校に…Mさんが…いた…っ!」

ざわつく私達。

そう、Mさんは、私と同じ小学校の登校班にいた、「あのMさん」であった。

(続く)

あまりに長くなりそうなので、続きます。急展開の次回を心して待て!

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2010年8月 3日 (火)

親子ゴーヤチャンプルー丼

親子ゴーヤチャンプルー丼
かみさんの実家からゴーヤをもらったので、ゴーヤチャンプルーと親子丼の中間にあるような丼料理を作る。

肉は鶏肉を使うのだが、下ごしらえのやり方でなかなか美味くなる。

玉ねぎの三分の一をすりおろしたものに、オリーブオイルを入れ、塩を少々。そこに鶏肉を漬け込む。

これにより、安物の肉が柔らかに、味わいが上品になる。

出来上がった丼は…

いやーん!美味いー!

本日は完全に料理ブログでした。

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鰹節

鰹節
この間、かみさんの友達から鰹節の削り機と、本枯鰹節(背節)をもらった。

なのでここの所、うどんやお吸い物を作る時に、嬉々として鰹節を削っている。

今日は夜に寝付けずに暇なので、明日の朝のうどん用の出汁を今から作る。削った鰹節をひたすらに煮込む。

粗めに分厚めに削ったから、ちょっと時間をかけて。

こうやってとった出汁、本当に美味いんだよなあ。出来合いの出汁と全く違う。荒々しくて、魚臭い感じの濃厚な出汁。

これに醤油と塩と酒で簡単に味付けするだけで、絶品のうどん出汁が出来る。

具なんて、葱と天かすを少しずつ、そこに玉子の一つも落としてやれば充分だ。

明日の朝飯は、絶品うどん。

早く朝にならないかな。

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2010年8月 2日 (月)

プチ禁酒中

プチ禁酒中
目標は「ムダ呑み」を控える事。

友達が家に来たりとか、どこかに美味いものを食いに行った時は、当然呑む。

「何でもない晩飯」の時にごぶごぶと酒を呑みまくるのを控える。

という事で本日で禁酒二日目。

明日は呑む。

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想念の整理

ようやくブログの不調も復旧したようで、携帯電話からの投稿が可能になった事が、先程のテストでわかった。

最近では我が家にパソコンがある事も手伝って、パソコンからブログを更新する事も増えたが、それでもやはり全体の半分以上は未だに携帯電話から投稿している。

ほぼ毎日電車に乗るが、その電車の車内から文章を書く事も少なくない。

例えば今日は、朝から池袋へと向かっている。

小岩から池袋までは乗り換えを含めて40分強。往復する事を考えると、約一時間半もの時間を電車に揺られながら過ごさなくてはならない。

意外とやる事はある。普段のレッスンや演奏の仕事の連絡のメールを打ったり、読まなくてはいけない譜面を読んだりしていると、比較的すぐに時間は過ぎていく。

車内に興味を惹かれる人がいれば、その人を観察していても面白い。

ただ、それ以外の時。

私の場合、思いの外、電車の車内というのは取り留めの無い想念が脳裏を行き交う事も少なくない。

そういったものを整理するのに、このブログは私の役に立っている。

第三者が読んでもきちんと話の筋が通るように話の体裁を整えて。そういった作業は、やはり音楽の練習に「とても似ている」。

今は池袋からの帰りの電車内。

文章をつらつらと書いていると、頭の中が段々とクリアになってくる。

さて、帰って夕飯を作ろう。

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投稿テスト

携帯から投稿出来るかテスト

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2010年8月 1日 (日)

ブログ不調

携帯からブログが更新出来ない!

料理の写真とか送ったのに!

ニフティのバカ!

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