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2010年6月

2010年6月30日 (水)

サッカー賭博に興じる私たち(←除名、もしくは解雇)

昨夜は、世間の多くの方々と同様に、サッカーを観る。

友人のヤマとウチダと三人で集まって、近所の中華料理屋へと行く。

三人ともが三人とも、熱心なサッカーファンという訳ではない。勿論、皆一様にサッカーというスポーツ自体は好きだけれども、普段からサッカーの試合を逐一観たりもしなければ、日本代表の動向に目を配らせている訳でもない。

W杯の影響で「俄かサッカーファン」が増殖しているのは周知の事実であるが、我々はその「俄かサッカーファン」ですらない。「ちょっと呑みに行こうか。あ、そう言えば今日サッカーやってるらしいし、どっかで観ようぜ」。言ってみれば、その程度のものなのだ。

そんな三人であるから、店選びに際しては幾つかの条件が出た。

・サムライブルーのユニフォームを着た人達で店がごった返しているような所は嫌だ。

・「ニッポンチャチャチャ」などはしたくない。

・なるべくBGM的にサッカー中継を流しているような所。

これらの条件に見合ったのが、我々の行きつけの小岩にある某中華料理屋だったのだ。余談だが、ここの中華料理はものすごく美味い。そして安い。絶品の麻婆豆腐と鶏の唐揚げと生ビールのセットで980円、そんな店だ。

店に入ったのが夜の九時半ぐらい。試合開始まではまだ一時間半以上があった。我々はその絶品の中華料理に舌鼓を打ちつつ、試合開始を待った。

テレビは確かに置いてあった。まだ地デジ対応していないタイプのテレビではあったが、我々ごときがサッカーを観るには充分だった。

昨日のテレビ中継は、TBS、東京では6チャンネルでの放送であった。

しかし、放送の30分前になっても、店のテレビはNHK、つまり1チャンネルのままだった。

「すいませーん、テレビ、チャンネル変えてもいいですかー?サッカー観たいんですけどー」

我々が店主(特級厨師)に尋ねる。

「あ、良いですよー」

店主(特級厨師)がチャンネルを6に変える。

我々はそこで大爆笑だった。

そこのテレビは、6チャンネルだけが、ものすごく画像が汚かった。

店主はいささかバツが悪そうに私たちに言う。

「他のチャンネルはキレイに映るんだけどねー」と。

「大丈夫です!全然問題ありません!」我々は爆笑しながらそれに答える。

その画像の汚さは、言うなれば、専用のメガネをかけずに見る3D映像、それに更に濃い目のモザイクをかけたような画像、とでも言えば良いだろうか。とにかく汚い。

日本チームとパラグアイチームの違いは、ユニフォームの色が違ったので、辛うじて見極める事は出来た。しかし、日本チーム内の誰がどれで、そこまでを判断するのはその画像からは不可能であった。本田はわかったかな、金髪だったから。

我々はそのテレビで、日本サッカー界において後々に「あれはエポックメイキング的な試合であった」と言われるような試合を観た。なかなかに面白かった。

ただ観てもつまらないので、きちんとサッカー賭博もした。一口1000円。三人が1000円ずつを出し合って、前後半終了時の結果を賭ける。三つの選択肢、日本の勝ち、同点、パラグアイの勝ち、である。これらの選択肢は、じゃんけんをして勝った順に決める。私はじゃんけんに一番勝ったので、日本の勝ちを選択した。二番目に勝ったヤマは、ドローはないだろう、との読みでパラグアイの勝ちを選択、じゃんけんには一番負けたウチダが必然的に同点を選択する事となった。

結果はもはや言うまでもないだろう。45分×2のゲームが終わった時点で勝利の3000円を手にしたのはウチダだった。

最近は野球賭博の問題で相撲界などが騒がしいが、この程度の博打は日常的にみんなやっている筈だ。今回のサッカーW杯だって、優勝国を予想して博打にしてしまっている会社などゴマンとあるだろう。普通の事だとは思うのだけれど。

試合自体は大変に面白かった。緊張感のある良い試合だった。日本代表の選手、スタッフ達、心からお疲れ様でした。出来れば次回は綺麗な画像で観ます。

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2010年6月29日 (火)

嶋重宣さんへ

これまで散々デブだとか何だとかバカにしてすまんかった。

今日の君の3ランは素晴らしいよ。

本家赤ゴジラ復活と行こうぜ。

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麻婆丼

麻婆丼
そして麻婆丼。辛い。そして美味い。

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2010年6月28日 (月)

ポテトサラダ

ポテトサラダ
こんなもんでも、やっぱり自分で丁寧に作ったらうめえなあ。

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こうして一日が終わる

朝早くかみさんが仕事で家を出て行った。私はまだ寝惚けていた。

10時ごろに納豆ご飯と夕べの残りのスープで遅い朝食を採った。

それからDVDを観て一人で号泣してから、正午過ぎに銀行へ行った。幾つかの手続きがあったのだけれど、契約している印鑑を忘れているという事で門前払いに遭う。

仕方ないかと思いつつ、照りつける日差しに少々苛つきつつ、実家へ向かった。

昼から実家でピアノの練習。五拍子のフレーズをひたすらに左手で弾き続けながら、右手は自由に即興演奏をする、という練習に随分と時間を費やす。なかなか上手くいかない。五拍子を意識している内は滅多に破綻もしないのだけれど、ちょっと気を抜くとすぐに右手と左手が噛み合わなくなる。いわゆる「アフリカンビート」を基に五拍子をやっていたのだけれど、そのビートがまだまだ身体に染み付いていない証拠だ。

もっと自然に。何を考えなくとも破綻をきたさないように。今では何も意識しなくとも自転車にすっと乗れるように。

夜の八時過ぎに練習を終えて、九時過ぎに家へ戻る。

そこから少し酒を呑みながら、料理を始める。

朝早く家を出て行ったかみさんが、日付の変わる頃に帰って来る。仕事で神経を磨り減らして、身体を酷使して、そして腹を空かせて帰って来る。

二人で美味いものを食べよう。今日起こった出来事を話そう。

ぼくはピアノを弾いて料理をしたら一日が終わった。君はどうだった?

何でもない一日が、何事もなく、こうして終わっていく。

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2010年6月27日 (日)

新しいメガネも出来た

昨夜は期待していたアブドゥラー・イブラヒム氏のドキュメンタリー番組があったのだが、その放送時間の直前に、かみさんが誤って私のメガネを破壊。

かみさんに悪気がなかったのは勿論わかっていたので、笑顔で許す。

私は大変目が悪い(頭と同じぐらい)ので、メガネがないと日常生活に完全に支障をきたす。なので急いでメガネを新しく作りに錦糸町へ。

テレビ番組のリアルタイムでの放送は見事に見逃す。

でも大丈夫。録画してあるから。DVDに。

DVDの録画とか、そういった事は私は苦手なのだけれど、そういう事が得意な我が父親に頼んでいたので完璧。

今日は朝から夜までずっとレッスン。

帰ったらそのDVDを見よう。

とても楽しみ。

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2010年6月26日 (土)

期待を裏切らない店

我が家の近辺に芸術的にマズい食堂を発見。

味の無いチャーハン、コクの無いスープ。まさに正統派の「マズい店」。

「ここはマズいだろー」と思って入ってみたが、期待以上の出来。

興味のある方はこっそり教えます。

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言葉にして

朝、出がけにかみさんと口喧嘩をしてしまい、かみさんを泣かせてしまう。

ものすごく後悔する。

嫌だったろうな。これから憂鬱な休日出勤、という時に。

激しい自己嫌悪。

帰ったら平身低頭、謝ろう。

なみちゃんごめんなさい。

しっかり言葉にして伝えよう。

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2010年6月25日 (金)

明日はテレビを観てもらいたい

博多から東京に戻ってきた。

我が家の事情でバタバタとしていたせいもあって、随分と世間から隔離されていたような気すらする。世間が騒いでいたサッカー日本代表の話も「今はちょっとそれどころではない」というような感じであまり関係なかった。決勝トーナメントはゆっくり見れると良いのだけれど。

明日には素晴らしいテレビ番組がある。

明日6月26日(土)、BS2において夜20:00から、ピアニスト、アブドゥラー・イブラヒムのドキュメンタリー番組が放送を予定されている。

南アフリカが産んだ孤高のピアニスト。彼が奏でる音楽は、恐らくは「世界で最も美しい音楽」の一つだ。

煌めく旋律に、大地のリズム。

これは見逃せない。一週間ほど前には、自分のピアノの生徒に一斉送信メールで「観なさい」とまで送ってしまった。

困った先生だ。

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2010年6月24日 (木)

じゃあね

じいちゃんの骨を拾う。

しばしの別れだ。

じゃあね。

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2010年6月23日 (水)

再び福岡へ

祖父が他界する。

私には父方と母方で、合わせて二人ずつの祖父と祖母がいた訳だが、これで一人もいなくなった。

亡くなった祖父も、実に90歳。人間の一生としては決して短い方ではない。この世を去ってしまった事に勿論寂しさはあるが、それだけの年数を祖父が生き遂げた事に、それなりの感銘もある。

10日ほど前に、まだ彼の意識がある内に、私はカミさんと共に彼の元を訪ねた。

病室のベッドに横たわる彼に、「ジイちゃん、剛だよ、わかる?」と聞くと、彼は頷いた。

「結婚したんだよ、コレがカミさん」と傍らの奈美子を紹介した。

彼は私と奈美子に一瞥をくれた。

「お互いに…」と口を開いたが、言葉が次がなかった。

伯母が、「お父さん、何?『お互いに、仲良く』?」と尋ねると、祖父が笑顔で頷いた。

「うん、仲良くやるよ」と私が言った。

私には、それが彼の最後の言葉となった。

わかりました。仲良くやります。色々ありますが、頑張って夫婦仲良くやっていきます。

ジイちゃん、ありがとね。

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2010年6月22日 (火)

新婚生活

区役所へ行って、色々な手続きをする。

不思議な話で、私と奈美子とは書類上ではどんどん「夫婦」になっていく。奈美子の姓が変わったり、お互いの住所が同じ所になったり。

そんな事にも少しくらいは意味があるのだろうか。

実際には平日には殆ど顔を合わせる事もないし、話をするのは大体が電話を通してだ。いわゆる典型的な「すれ違いの生活」を結婚当初からしている。すれ違わずに、お互いが正面を向き合いそうな兆しは、今の所、見えない。

形の上でだけ、どんどん夫婦になっていく。

「結婚式はどうするの?」などとさかんに周囲が私に言う。式場はどこそこで、日程はいついつで。

ふーん、と、他人ごとのように聞く。そうやってどんどん形の上では夫婦になるんだな、と。

「奈美子さんが忙しい人だとわかった上で結婚したんでしょう」ともよく言われる。

わかった上だった。わかった上だったけれど、それでも「夫婦になりたい」と願うのは、そんなに悪い事なのだろうか。形の上だけでなく。本当の意味のパートナーとして。

私は明日からまた福岡へ行く。

すれ違いの生活は、暫く終わりそうにない。

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2010年6月21日 (月)

私は野球賭博はやらないけれど

少しだけ体調を崩す。本日がライブだったので、何とかならんか、と無理やり寝まくっていたら九割方は回復する。季節の変わり目にはたまにこういう事があるが、大事には到らず。良かった。

相撲業界が賭博疑惑で賑やかしい。

その金が暴力団の資金源になっているという可能性を含めて、「何を今更」と思う。興行的なものの裏にヤクザの存在があるのは元からの事。それに何より、たかが博打で何を、と思う。

力士達が、文字通り身体を張って稼いだ金である。社会貢献の為に寄付するのが自由なのと同じように、つまらない博打で金をドブに捨てるのも、本人達の自由だ。

金額の多少を考慮に入れなければ、「金を賭けない麻雀」など、全体の5パーセントもあるかどうかも疑わしい。

ちょっとした小博打で非日常的なスリルを味わうくらい良いではないか。

混迷とした角界を復活させる為には、もはや横綱朝青龍の復活しか有り得ない。あのやんちゃ横綱をもう一度。

もし私が野球賭博をしたならば、毎試合広島カープの勝ちに賭けてしまう。そしてカープは負けるので、当然私も賭博に負ける。なので私は野球賭博はやらない。

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2010年6月20日 (日)

6月21日上野アリエス

明日、6月21日(月)は上野アリエスでお馴染みのハーモニカトリオのライブやってます。ぼくがリーダーという訳ではないのですが、ぼくのオリジナル曲もたくさんやらせてもらっています。

ご興味ある方は是非。

6月21日(月)東京上野 アリエス
tel 03-3831-0523
http://www.jazz-cygnus-aries.co.jp/aries/ari-top.html
harp:皆川和義 b:山崎伸之 pf:福島剛
19:20〜start  music charge:2000円

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2010年6月19日 (土)

挑むから面白い

セ・パ交流戦が終わり暫く休止していた野球も昨日より再開。我らが広島カープは本日よりの再開。やはり野球があると生活にハリが出る。

本日の先発予定は、絶対的エースの前田健太。予定通りの先発ならば、締まった試合を作ってくれる筈だ。

そして夜にはサッカー。日本対オランダ。

前回は心密かにカメルーンを応援してしまった私だが、本日はしっかりと日本を応援出来る。何故ならば、日本の方が弱いから。体格的にも日本の方が遥かに劣るから。弱い方を応援するのは、もはや私の一つの規範なのだ。何度も同じ事を言うようだが、「負け戦こそ面白い」のだ。

敵は強ければ強いほど良い。強い相手に挑むから面白いのだ。勝てる相手とのみ勝負をしても、そんなものは面白味に欠ける。

さあ、頑張れ、カープ。そしてサッカー日本代表。

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2010年6月18日 (金)

雨。

「アタシ、何か雨って落ち着くのよねえ」などと桃井かおりテイストな風情でのたまう女は嫌いだが、私は雨が好きだ。

この季節の雨は湿気が多くて、身体にまとわりついてくるような感じが不快だが、我が家の庭に植えてあるネギや枝豆などが、恵みとしての雨を享受している様子を部屋の中から一人でぼんやりと眺めるのは悪くない。

ろくでもない日々を生きながら、少しだけ心が安らぐ、そんな時だ。

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2010年6月17日 (木)

速報

自作の肉じゃがが犯罪的に美味い。

あと、様々なコメントありがとうございます。さっき一通り返しました。いつも通りの遅レスですんませんな。

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洋服を買う事にまつわる懊悩

Tシャツを二枚とジーパンを二本買う。近所の洋服屋が店じまいの売りつくしセールをやっていたので。なかなかに安く買えた。

洋服屋の店員のネエチャンというのは、何故あんなにもナイスな香りを撒き散らしているのだろうか。香水だかシャンプーだかフェロモンだか何だかは知らないが、兎に角ナイスな香りがする。仕事から帰ってきたばかりのウチのカミさん(奈美子)などは、純粋な混じりっ気なしの「皮脂の香り」しかしないと言うのに。店員のチャンネーがとても良い匂いをさせていたので、○○○が×××してしまった。(自主規制)

さて、私は洋服を買いに行くのが嫌いだ。皆さんはどうだろうか。

「趣味はファッション」などとぬかすナオン(雌)が稀にいるが、そんな文言を聞いた時には「オマエはドン小西か!」と突っ込みたくなる。少なくとも話が合わないのは必定だ。服なんてものはチンコが隠れりゃそれでいいんちゃうんかい、と言いたくもなるが、ナオンにはコチンが備わっていないのでそれも叶わない。残念無念。

では何故服を買いに行くのが嫌いかと言うと、一つには「恥ずかしい」からだ。

私は、冗談じみているというか、ユニークというか、不整合というか、だいぶ「面白い顔」をしているという自覚がある。つまり「ブサイクさん」である。

服を買いに行くと、「おいおいおい、ブサイクがどんだけ着飾ったって変わんねーって。オマエいっちょまえにオシャレとかしようと思ってるわけ?救えねーな」と周囲から思われているのではないだろうかという被害妄想の誇大妄想に捉われる事となる。シャツを吟味している時、ジーパンをチョイスしている時、後方から店員に「お客様、いえ、ブサイク様、ブサイク様の場合、何を着たって同じでございます」と言われそうな気がしてならない。

こういった事は、実際に起こった事ではない。だが、間違いなく周囲の人間は私に対しそう思っている。だから洋服を買いにいくのは嫌いなのだ。

もう一つ、私が洋服を買いに行くのが嫌いな理由がある。それが、「裾上げ」である。

人間には二種類の人間しかいない。足が長い人間と、足が短い人間だ。

私はその内どちらに属すかと言われれば、残念ながら「足の短い人間」の方だ。

ジーパンを買う時に、私はブサイクであると同時にデブであるので、サイズは大きめのジーパンを買わなくてはならない。今日履いてみた所、32号というのが私のサイズだった。いやはや、デブ以外の何物でもない。

デブ用のジーパンと言うのは基本的には「大きな人向け」のジーパンであるため、裾も随分と長い。裾を詰めていない状態のそのジーパンを私が履くと、完全に「殿中でござる殿中でござる!」になってしまう。どれだけ余るんだよ、と。

なので普段履くためには必ず裾上げをしなくてはならないのだが、この切り取る布の量が半端では無い。おそらくは小学3年生ぐらいの子供の長ズボンを作れるくらいに切り取らなくてはならないのだ。

「こんだけ切るんだったら、更にもう1000円ぐらい割引してくれても良くない!?」と私は心の奥底で激しくシャウトするのだが、口には出さない。

口に出したら最後、「オマエ、ブサイクの分際で服なんて買いに来て更にその上でゴチャゴチャ言ってんじゃねえよ!ア!?」と店員に怒られるからだ。なので、私は死んだ魚のような目をしながら「あの…ここの位置で裾上げして下さい…」とそのズボンを店員に差し出すのみだ。

差し出されたズボンは「すわ、半ズボンか!?」と驚愕するほどの丈の短さになる訳だが、私の足の長さにはそれが丁度良い塩梅でフィットしてしまう訳だ。

まあ良いや、ジーパン二本で6000円、Tシャツ二枚で1600円、しめて7600円のお買い物だ。それほど高い買い物でもないし。

帰ってきたカミさんに「おい、てめえ何無駄遣いしてんだよコラ」と怒られるのは火を見るよりも明らかなので、ご機嫌を取る為に晩御飯の料理を今から作ります。本日の献立は、肉じゃがと納豆ご飯と味噌汁です。あとは、チャーシュー用の肉が安かったので買ってしまったので、チャーシューを作ります。今は肉じゃがをコトコトと煮込んでいるところです。

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2010年6月16日 (水)

久しぶりのあっちゃん

昨夜、寝る前にパソコンでYouTubeを色々と見る。

YUIという日本人女性歌手の歌をレッスンでやりたい、という生徒がいた。「良いですよ」とは言ったものの、一度も聴いた事がなかった。そんな時に便利なYouTube。流行りの音楽はそこでチェックすれば早い。便利な世の中になったものだ。

YouTubeと言えば、普段は石田ゆり子の「女房酔わせてどうするつもり?」のCM動画をひたすらにエンドレスで観るぐらいでしか活用していない。「女房酔わせて…どうしよっかなぁ…」などとにやけながら呟く私を横目に見て、奈美子が「気持ち悪っ!激しく気持ち悪っ!」と私を罵るのが常だ。

それが流行りの女性歌手など見ていたものだから、「アンタどうしたの?ついに狂ったの?」と優しく私に問い掛ける奈美子。いやいや、私は狂ってなぞおらん、レッスンの為だよ、と説明した。

「ふーん」と納得する奈美子。

しかしYouTubeという動画サイトは、一つの動画からリンクが貼ってある所へと縦横無尽に跳べるようになってある。

日本人女性歌手繋がりを幾つか辿る内に、私の好きな日本人女性歌手動画を幾つか見てしまう。

Coccoと、鬼束ちひろと、一青窈。

取り分けCoccoに食い入るように見入ってしまう。

「あ、この人はガチだ」と思う。

狂ったふりや変わり者のふりをする人はよく目にする。大体において、自分で自分を「変わっている」と評する人間、また「よく周りから変わっていると言われる」と自ずから言う人間は、得てして救いがたい程に凡庸だ。凡庸さを隠そうと必死に変わり者のふりをするものだから、正直に言えば見ていて鬱陶しい。

「似非である事」自体はさほど悪い事だとは思わないが、それを頑なに認めないのは見苦しい。良いじゃん、似非で。オレだって似非だよ、と思う。自分が如何に偽物かを認めたら、またそこから新たに道が拓ける。

少々話が逸れた。

Coccoに関しては、彼女の歌は確かに「もう少しで狂いそうな精神世界」を表しているが、それが恐らくは残酷なまでに「事実」であろう、と感じた。自らを切り刻むように、極めて切実に歌っている、と。

「嘘偽りなく切実に歌う事」、その事は必ずしも良いとは限らない。けれど、そうやって歌われた歌は、聴き手である私の心を奇妙な程に捉える。ストレートな意味での感動とは違う。まさに心を鷲掴みにされたような、「捉えられる」感覚だ。

何だかよくわからないような感覚の中で、「あ、この人すげえな」と思うのである。

人は強いものよ、そして儚いもの。

そう歌う彼女の声を聴いて、背筋が震えた。

久しぶりに彼女のアルバムを聴いてみようかな。

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2010年6月15日 (火)

おポリ様に向かって

小岩駅前にて大声で警察に向かってメンチを切る酔っ払いオヤジを発見。訳がわからん。

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負け戦こそ面白い

W杯、日本対カメルーン戦を料理の片手間に観戦する。

1-0で日本の勝利。おめでとう。

だが、正直に言えば、後半辺りから私はカメルーンを応援していた。カメルーンが日本ゴールを脅かす度に「いけっ!そこだ!」などと。横で見ていた奈美子が「アンタ、スポーツバーとかで観てたら袋叩きに遭うよ」と。私もそう思う。

開幕前からのいくつかのニュースで、チーム内の内紛が報じられた。崩壊寸前のチーム状態。何故だろう、そういったチームを応援したくなってしまう。

もう一つには、私が大の「アフリカサッカー好き」な事も原因だ。昔のW杯でナイジェリアのサッカーを見た時の衝撃は忘れられない。物凄く高い身体能力、けれど小学生のようなサッカー、そのバランスの悪さと言ったら素敵で素敵でしようがなかった。

漆黒の戦士たちが縦横無尽に(或いは好き勝手に)ピッチを走り回る姿は、美しくすらあった。アフリカンサッカーが好きだ。

しかし、今回の敗戦。残るデンマークとオランダも強敵だ。日本に予選突破をしてもらいたいのは勿論だが、カメルーンにも突破していただきたい。

ちなみに日本―オランダならば、私は日本を応援する。何故ならば日本の方が弱いから。

判官贔屓の癖も、ほぼ病気の域に達してきた。

そうでなければ、負けても負けても懲りずに広島カープなど応援できない。

「負け戦こそ戦場(いくさば)の華ではないかね」

前田慶次郎の至言である。

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2010年6月14日 (月)

サッカーはちょっと我慢

サッカーの試合が始まりましたが、オイラは料理です。観たいのだけれど、料理を作り終えるまでは我慢。

本日、我が家の稼ぎ頭の人からのリクエストは「ニラか山芋が食べたい」との事なので、ニラ玉と豚汁ととろろご飯というメニューに決定。

急げー、サッカーが終わるー。

エトー、カッコいいな。

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2010年6月13日 (日)

さよなら長野

さよなら長野
東京に戻ります。

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長野へ

長野へ
朝から飛行機で博多を出て長野松本空港へ。

これから長野市に向かいます。

何だか忙しい人みたい。

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2010年6月12日 (土)

到着

到着
博多到着。思ってたより暑くない。

でも眠い。

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空港から

空港から
羽田空港。眠い。今から福岡へ。

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役所は夜中までやっている

という事で先ほどの深夜二時過ぎ、婚姻届を提出して参りました。

夫婦かあ。

いやしかし。

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2010年6月11日 (金)

夫婦になる

母方の祖父は福岡は博多にいる。いよいよだそうだ。

以前から悪い悪いとは聞いていたが、そろそろそれも堪えが利かず、今月を越せるかどうかが際どくなってきた。

人はいずれ死ぬ。私の祖父が遠くない将来にその人生を終える事も、それは避け難い事だ。だからこそ残りの限られた時間の中で何が出来るのだろうと考えた時に、私は祖父に会いに行く事を選んだ。もうかれこれ数年、会っていない。

私は私でちょっとした転機を迎えている。

日付が変わって明日、6月12日付で、生まれて初めて婚姻届なるものを役所に提出する。以前からこのブログにもしばしば書いている奈美子という女性と夫婦になる。奈美子の姓が、福島の姓に変わる。

「結婚なんて、まさか自分には関係あるまい」とずっと思っていたが、何かの間違いで私も結婚というものをする事になったのだ。我が事ながら不思議な実感ばかりがある。

だから奈美子を博多に連れて行って、祖父に会わせたかった。

「タケシくんは、げってんはちやけんね」と、私が小さい頃に祖父が言った。「げってんはち」とは、「意地っ張りな変わり者」を表す博多弁だそうだ。そう言いながらも、祖父は私を可愛がった。

ジイちゃん、確かにオレ、げってんはちだったかも知れないけどさ、なかなか良いカミさん見つけたんだぜ。そんな風に、祖父に言えたら、良い。

そんな折、長野に住む奈美子の祖父が他界した。こちらは突然の事だったようだ。連絡が入ったのは今日の朝だった。

奈美子は、「仕事も忙しいし、親戚もたくさんいる。福岡にも行かなくちゃいけないから、あたしは葬式に出なくても構わない」と言った。私は首を横に振った。

「君の大切なお祖父ちゃんだ。最後はしっかり見送ろう。それをしないと、いずれ大変な後悔をする事になるかも知れない」そう私は言った。

だから私達は明日(正確には本日の日付が変わった辺りで)正式に夫婦になり、朝一で博多に向かう。年老いた私の祖父に会い、明後日にはやはり朝一に博多発松本行の飛行機に乗って奈美子の祖父を見送りに行く。

他人はどうなのかは知らないけれど、私はそういう事が「夫婦になる事」なのかな、と思う。私の家族を思いやり、奈美子の家族を大切にする。如何せん初めての事なのでよくわからないのだが、そういう風にお互いを大切にしたい。

嬉しい事ばかりではない。悲しい事もたくさんある。悔しい事もたまにはある。

でもそんな時に、奈美子という女と共にいれる事を、私はありがたく思う。

明日から暫くは忙しくなる。

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2010年6月10日 (木)

耐久飲酒大会

若い頃に当たり前にやっていた事が、年を取るに従って少しずつ出来なくなる。そんな時に人は「ああ、年をとったのかな」などと思うのかも知れない。

私も現在30歳。まだまだ若いとは言え、十年前の自分と今の自分を比べてみれば、やはりそこには「変化」がある。

まず第一に、随分と怒らなくなった。生活全般を見渡してみても、「ふざけんなよバカヤロウ」と憤ることがだいぶなくなった。感情の起伏も以前ほど激しくなくなった。感受性が鈍ってきているだけなのかも知れないが、私自身はそれを「良い変化」だと思って自らを見ている。だって随分と生活がし易いもの。今の方が。元気一杯に「怒って」いた時よりも、今の方が良い。

昨日、「若い頃にはよくやっていた事」を久しぶりにやった。

そう、十二時間連続飲酒の荒業である。

十二時間連続飲酒って何かのスポーツなの?ねえ、バカなの?死ぬの?と思った読者の方、正解だ、バカなのだ。

昨日は久しぶりに野球を観に行っていた。我らが広島カープは千葉マリンスタジアムにて、千葉ロッテマリーンズとの試合があり、「一度マリンスタジアムも行ってみたいなあ」と思っていた私は、小岩に住む友人のヤマちゃんを誘って野球を観に行っていたのだ。

夕方の四時に小岩駅で待ち合わせをする私とヤマ。ヤマから「ちょっと遅れる」というメールを受け、じゃあちょっと酒でも呑んで待っていますかな、と私はコンビニで360mlのチューハイを一本買い、ヤマの到着を待った。ここから私の昨日の長時間飲酒が始まった。

遅れる事約10分、ヤマが到着した。ヤマは到着するなり私の呑んでいるチューハイを見て、「あ、俺も呑もう」とそそくさと小岩駅内のコンビニへと向かった。

買ってきたのは500ml、いわゆる「ロング缶」と呼ばれるチューハイが三本。「オマエ、野球場内のチューハイももう買っちゃったの?気が早えんじゃねえの?」と私が聞くと、ヤマは私を一喝。「こんなもん球場に行くまでの分に決まってるだろ、バカかオマエ!」と。

ヤマは三本買った内の一本を私にくれた。私たちは行きの電車の中から元気一杯に飲酒を始めた。電車内でものすごい勢いでいちゃついているカップルがいた。何だったらもう妊娠すんじゃねえか?ってほどに。でも振り向いた女が大変面白い顔の女であったので、私もヤマもその蛮行を許す事にした。

千葉マリンスタジアムに到着。球場は思っていた以上に楽しかった。

まず、神宮や東京ドームなどと違い、球場周辺にいくつもの屋台が出ている。そこでは酒や食べ物が所狭しと売られていた。いくつかある屋台の中から私たちがチョイスしたのは、メザシを一匹20円で売っている屋台。このメザシが大変に美味い。ここでもチューハイを買う。

野球が始まってからは当然元気良く飲酒。大体1回~2回の間にビールorチューハイを一杯ずつ、というペース。昨日はたまたま延長戦により12回まで試合は長引いたが、その間も絶える事無く私たちは飲酒を続けた。現地で私のカープ仲間の方々と合流したが、彼らとも野球談義に花を咲かせながらごぶごぶと酒を呑み続けた。

試合は同点のまま引き分けに終わった。海浜幕張駅へとぼとぼと歩きながら、酔っ払った私とヤマは薄着のオネエチャンを見ては「夏は良いのう」「ほうじゃのう」と言い合っていた。

さて、小岩に帰ってきたのが大体11時。そこからは我が家での飲酒大会が始まった。

昨日は我が家に住んでいる稼ぎ頭の人(奈美子)が「仕事で家に帰れない」という一報があり、じゃあ今日は家で好き勝手しますか、とヤマと悪乗りをする。

酒を呑みながら、youtubeで「ガチンコ!」という昔やっていたバラエティ番組の映像を観る。

番組内で、「ガチンコ!Be-bop予備校」というコーナーがあり、それは「ヤンキー達が大学受験をする」という企画のものなのだが、集まったヤンキー達の中に高卒資格を持っていないものが多数いる事が判明(つまり大学受験資格がない)、それを聞いた講師の大和龍門大先生が、「お前ら、ホームラン級のバカだな」と呆れるシーンを見て、二人してげらげらと笑い転げる。あとはアレな、ボクシングのやつ。あれも最高に面白い。ヤラセ前回なのだけれど、出演者がたまにセリフを間違えたりという杜撰なかしょもあって、バラエティ番組としてはありえないほどの面白さがある。

そんなものを観ていたら、結局は午前四時。晴れて十二時間連続飲酒の偉業を達成できた訳だ。

いやいやいや、酔っ払ったよ。しかし我々もホームラン級のバカだな。

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2010年6月 9日 (水)

初めての千葉マリンスタジアム

初めての千葉マリンスタジアム
千葉マリンスタジアムにやってきました。ヤクルトファンのヤマちゃんと来ましたが、本日はカープとロッテです。

前田神がスタメンだと良いなあ。

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2010年6月 8日 (火)

イラスト

イラスト
先日の中野でのライブの時に、とある方がポスターを書いて下さった。

それだけでも嬉しいのだけれど、そのポスターの内容が似顔絵っぽいイラストだった。

書いて下さった方とは面識はないのだけれど、きっとネットか何かで私の写真を調べてくれたのだと思う。

嬉しかったので、そのポスターをブログにアップします。

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2010年6月 7日 (月)

もうすぐ南アフリカW杯

午前中にレッスンを一つだけ。午後からは意図的にだらだらと過ごす。

昼飯にお気に入りのラーメン屋にラーメンを食べに行ったり、随分と暑かったので少し汗をかきながらの昼寝をしたり。

起きてから近所のスーパーへ。牛のスネ肉を買ってきて、ビーフシチューを作る。買ってきた段階ではまだまだ肉が硬い。大量の玉ネギと赤ワインと共にひたすらに煮込む。

大して高級でもない食材を、こうして時間をかけて柔らかく美味くしている時に、「物事には時間が解決してくれる、という事も往々にしてある」といつも思う。生まれ持った素材が全てではない。時間や調理で食材は変わる。人間も然り。

さて、シチューを煮込んでいる傍らで時間潰しに少しコラムを。

間もなく開催されるサッカーW杯にまつわる話を少し。

今回のサッカーのW杯は、ご存知のように南アフリカで開催される。ちなみにこの南アフリカ共和国、数年前から私の個人的な「行ってみたい国ベスト3」の第一位だ。とても興味を持っている。私はジャズなんていう音楽を生業にしておきながら、アメリカ合衆国への憧れは強くない。アフリカという土地に、強烈に興味をそそられる。あ、あとはもちろんインドも。

そういった個人的な興味、という事もあって、私は数年前から南アフリカ共和国の事については自分なりに勉強をしてきた。今でも南アフリカ関連の書籍などを目にすると、ついつい手が止まってしまう。

昨日、ちょっとした用事で新宿の辺りをうろついていた時のことだが、私の目に、元南アフリカ大統領のネルソン・マンデラ氏の写真が飛び込んできた。

「お、マンデラ」と私は思った。それは雑誌「The Big Issue」の表紙だった。隔週で刊行されているこの雑誌であるが、今号は南アフリカの特集であったのだ。

ちなみにこの「The Big Issue」、ご存知の方も多いかも知れないが、ホームレスが販売員をしている。300円の代金を彼らに支払うと、その内160円が彼ら販売員の収入になる、という仕組みだ。私はその仕組みも大分気に入っているし、何となくホームレスに話しかけたい時などに、そのきっかけとしてこの雑誌をよく買う。とても良い雑誌だと思う。

今号の「The Big Issue」の南アフリカ特集も良かった。
・マンデラの描いた南アフリカ社会と今
・「真実和解委員会」について
・南アフリカで長年の支援を続ける津山直子さんの話
と三つの側面から南アフリカを特集していたが、どれも丁寧な取材と独特の切り口で、読んでいても退屈しない、とても面白い特集であった。まだ暫くは今号も販売している筈なので、皆様にもお勧めしておく。

さて、テレビに目を移してみても、サッカーW杯が間近に控えている事もあって、テレビ各局が南アフリカ共和国についていくつかの特集を組んでいる。

正直に言って、これらの殆どが、酷い。ものすごく酷い。

「マスゴミ」などという言葉を使って安易にマスコミ批判を繰り広げるのは大嫌いだ。「マスゴミが、マスゴミが…」などと一生懸命になって批判している輩を見ると、「あ、バカなんだな」と思う。大抵の場合、驚くほど話が幼稚だ。

しかし、それにしてもテレビ各局で報道されている南アフリカの報道はあまりにも酷い。

似たような感覚を以前味わった事がある。2001年の「9・11」の時のイスラム諸国に対する報道だ。安易な二元論で「イスラム=悪」の図式を作り上げる報道姿勢に吐き気すらもよおした。

何が酷いのか、と言えば、それは「あまりにも南アフリカの治安の悪さばかりがクローズアップされている」という事だ。

確かに南アフリカの治安は決して良くはないと聞く。しかし、その治安に至るまでの経緯、またその背景についての報道があまりにも少な過ぎる。

また、それとは別に南アフリカには独自の素晴らしい文化がいくつもあるのだ。音楽も然り。私が心から尊敬するピアニスト、Abdullah Ibrahim氏も南アフリカが生んだ音楽家だ。そういった、南アフリカの素晴らしい面の報道はいつになったらなされるのだろう。

一昔前の歌謡曲の歌詞で、「外国で飛行機が落ちたが、ニュースキャスターは『被害者に日本人はいませんでした』と嬉しそうに言った」というようなものがあった。日本人たちはどこまで自分たちの身の安全を確保する事に必死なのだろう。

南アフリカは危険な国です。だからなるべく近寄らないようにしましょう。W杯を見に行く時にも万全の警戒をして行きましょう。

何だかそんな事を言っているようにも聞こえてくるのだ。

南アフリカは複雑な歴史を持ってはいるが、奥深い、大変に素晴らしい国だ。折角のW杯、南アフリカを身近に感じる機会だ。テレビの報道にあるような「治安の悪い国」としてだけの側面ばかりでなく、深遠なる南アフリカの文化に触れて頂きたい。そんな事を切に願う。

そういう意味では、今週の「The Big Issue」は、大変に良い。と私は思う。

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2010年6月 6日 (日)

うろうろ

小岩から新小岩、新小岩から池袋、池袋から代々木へ。

久しぶりに東京中をうろうろと。

子供の頃は小岩の周りしか知らなかったのに、それを考えると色んな所へ行くようになったなあとふと思う。

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2010年6月 5日 (土)

正気のSaturday night

久しぶりに目の回るような忙しさ。

合間の電車移動の間にブログ更新。携帯から。

昨日は高円寺アフターアワーズでライブ。最後の曲の時に、ハンドマイクで腰に手を当てて「マイウェイ」を熱唱する鉄琴奏者の楠原木曜。どこからどう見ても正気の沙汰ではなかった。確実に狂っていた。

演奏中に吹き出す事数回。大変に腹筋の鍛えられたライブであった。

さて、日付変わって本日は中野スイートレインで「西池のりこグループ」。奇をてらう事の無い本格的ジャズボーカルグループ。

ボーカル:西池のりこ、ドラムス:湯川学、ベース:アラン・グリースン、ピアノ:広島鯉太郎の四人でお届け致します。

楽しみだ!

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2010年6月 4日 (金)

「溶ける」という感覚

昨日の品川トライベッカ、お越し下さった方々はまことにありがとうございました。

いやしかし楽しかった。心の底から楽しかった。

1セットに何曲、というのはあらかじめ決めていて、一曲一曲が終わる度に終わった譜面を後ろにまわしていく。

すごく夢中になって小説を読んでいる時や映画を観ている時に、残りのページ数や時間が減っていく度に何とも言えない寂しさを覚えるようなその感覚。それに酷似したものを昨日の演奏では味わった。

ああ、あと三曲でこのステージも終わりか、まだまだずっとこの人達と演奏をしていたいな。そんな感覚。本当に一曲一曲が愛おしくて、名残惜しいような、そんな感覚。

共演のおおたりこさんと日下部史貴さん。やはり大変に素晴らしい音楽家で、そんな幸せな感覚を身体いっぱいに味あわせていただいた。

そういう時に、何とも形容しがたいのだけれど、「無私」みたいな状態になる。「こう弾いてやろう」だとか、「ここでこんな事をしてやろう」という感覚ではなくて、ただ流れに身を任せる。音楽というものが創り出す「うねり」のようなものの中にただひたすらに身を沈めていくような感覚。そんな感覚は、当たり前なのだけれどものすごく心地良い。

そういう感覚を味わえた事にも、また味わせてもらった事にも深く感謝。

以前にも書いたけれど、おおたりこは今月から暫く日本を離れてしまう。彼女が帰って来た時にまた一緒に楽しい演奏が出来るように、私もひたすらに精進あるのみだ。素晴らしい彼女の歌や、日下部さんのベースに対してしっかりと「溶け込める」ように。

さて、本日は高円寺アフターアワーズでライブ。共演の楠原木曜は鉄琴奏者。なのに今日は歌まで歌うらしい。ジャズから歌謡曲まで。先日軽くリハーサルをしてきたが、彼曰く、「思い出の曲特集」だそうだ。ハーモニカの皆川和義もゲストで参加予定。何だか楽しい夜になりそうだ。

という事で、ただ今より高円寺へ。

奈美子が高円寺から小岩に引っ越して以来、久しぶりの高円寺だ。楽しくやってきます。

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2010年6月 3日 (木)

次はまた一年後

6月3日、ただいまは2:34だけれども、日付変わって今日。

今日はライブだ。それも、少しだけ特別なライブだ。

私がこのブログ内でもずうっと絶賛している一人のヴォーカリスト、おおたりこ。

明日は彼女を迎えてのライブなのだが、彼女とのライブは明日を期にしばらくお休みだ。

彼女は暫く遠くへ行ってしまう。アメリカに行ってしまう。一年だか二年だか行ってしまうそうだ。

「向こうでジャムセッションを荒らしてくる」

彼女はそう言ったが、それはあながち誇張ではないだろう。アメ公どもはヤツの歌を聴いて震えたら良い。ファッキンイエローにはジャズは出来ない。そんな事を思ってるんだろう。ふざけるな。ヤツの歌を聴いて震えやがれ。

そんなこんなで、明日は品川駅の駅ビル内、「トライベッカ」にてライブです。ミュージックチャージは「ダータ」、つまり無料です。

あと一年は見ることの出来ない「イエローによるモノホンのズージャ」。これは見た方が良い。多分アイツ、帰国後は売れまくっちゃってミュージックチャージ6000円とか取るぜ。

いや、それはウソだけれど。

でもそれぐらいすごいんです。是非、ご来場を。

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2010年6月 2日 (水)

趣味は仕事になるのだろうか

昨日の日記に書いたのだけれど、昨日から我が家にインターネットが開通した。

このブログ、長文短文を含めて九割近く、つまりその殆どを携帯電話から書いていた。仕事に行くのに電車に乗った時が大体いつもの「ブログ書きタイム」だったのだけれど、正直言ってそれもどうかなと思っていた。

確かにブログを一本書いていれば、往復一時間程度の電車乗車時間の暇をキレイに潰せるし、毎日の課題である「日々ブログ最低一本更新」も達成出来る。けれどそれ以外の事が出来ないのだ。

読みたい本もまだたくさんあるし、たまには仕事の都合で読まなくてはならない譜面もある。仕事関係のメールなんかも電車に乗っている間に終わらせてしまえば大変効率的だ。だからなるべく電車でブログを書くのを控えようかなと思っていた。

代わりに我が家に開通したインターネット、つまりパソコンを使って書いたら楽だろうと思っていたのだ。

確かに携帯電話から文章を書く事に比べたら、パソコンのキーボードを用いて文章を書くのはものすごく楽だ。多分時間にして考えたら倍は違う。パソコンからブログを書いた方が良い。そう思っていた。

けれど実際はそれは出来なかった。

パソコンはあまりに文章を書くのに適している。それが為に、私はブログではない、別のものを書き始めてしまった。

昔から何か物語が書きたかった。その欲求が、手元にパソコンがやって来た事によって、いよいよ顕現化してきたのだ。

文学新人賞のようなものに応募するような、そんなものではない。もっとライトな、誰でも読めるようなものだ。(実はそういう「誰でも読めるようなもの」を書くのはなかなかに骨が折れるのだけれど)

前から暖めていたアイデアを基に、今日の朝から書き始めた。朝の8時過ぎに我が家の稼ぎ頭(奈美子)を送り出してから、正午過ぎまで四時間少々。原稿用紙換算で凡そ14枚分ほど(約5600字)の文章を書いた。それはすごく楽しい事だった。

もちろん、その分量はまだまだ「途中」だ。途中どころか、まだ「書き始め」の段階だ。

けれどこれから毎朝の、これまで徒に過ごしていた時間を使ってコツコツ書きためたら、きっとそれなりの量になる。絶好の暇つぶしの玩具が見つかったのだ。

という事で、ブログはいつものように電車の中で書いている。

願わくば書き上げたものが、いつか本になると良いのだけれど。

おっと、その前に本業本業。

明日から3日連続でライブがあります。詳しくは以前の記事に書いてありますが、明日6月3日(木)は品川トライベッカ、明後日6月4日(金)は高円寺アフターアワーズ、明明後日6月5日(土)は中野スイートレインです。

今からリハーサルとレッスン。趣味の執筆にかまけてしまって、本業がおろそかにならないようにしないとね。

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2010年6月 1日 (火)

情報と自主性

月が変わって6月1日、本日付で我が家にインターネットが繋がった。

ネットが繋がったら何をしようか、などと少々わくわくはしていたのだけれど、結局やった事と言えば、仕事用のメールアドレスを開いて諸々の連絡、などと普通の事だった。

その後に少しだけyoutubeで昔のCMを見た。「恋は遠い日の花火ではない」の田中裕子先生のCMと、「女房酔わせてどうするつもり?」の石田ゆり子先生のCM。どちらも素晴らしいCMなのだが、このCMを見ていて気付いたのは、恐らくは田中氏、石田氏、共に現世(うつしよ)の存在ではない、いう事だ。私は現実世界であそこまで美しい生き物を見た事がない。恐らくは両者共に想像上の生き物なのだろう。だとしなければあの美しさは説明がつかない。

さて、インターネット。

このように、見たい時にすぐに田中裕子選手が見れる、石田ゆり子選手も見れる、と大変便利な代物である。私自身もその利便性の恩恵を大いに受けながら生活しているのだが、やはりいくつか気をつけなくてはならない部分もある。その事について今日は少し。

例えば、私は今日はイカの料理を作った。スーパーでイカが安かったからだ。スルメイカ5杯で150円。「買い」の一択だ。

イカに関しては私は捌き方を知っている。と言うよりも、イカを捌くのは全くもって難しくない。簡単なのだ。

だが、何かしらの食材を元に、調理方法がわからなかった時などに、私はインターネットを頼る。「イカのゲソの唐揚げ レシピ」と検索窓に打ち込めば、その調理法がいくつもインターネット上で公開されている。これは大変に便利なのである。

他にも、気になるニュースがあれば、ネットを頼るのも良いだろう。ネットの利点の一つとして、即時性が挙げられる。リアルタイムのニュース、なんていう事も可能なのだ。実際私は野球中継を見れない時には、ネットに頼る事がよくある。些かのタイムラグさへあれど、「ほぼリアルタイム」で、野球の実況を知る事が出来る。とても重宝しているのだ。

かように、インターネットの利便性は枚挙に暇がない。

しかし、大きな危険性が含まれている事も確かな事実であるのだ。

私が考える一番の危険性は、「自主性の欠如」である。インターネットが当たり前に生活に根差した事で、我々の自主性という能力が損なわれているのではないだろうか、私はそんな風に考えている。

「情報を得る」という事には、数十年前までには自主性が必要とされていた。

例えば、私の住んでいる江戸川区の歴史について知りたいと思ったとしよう。数十年前であれば、まず初めにするべき事は「図書館へ向かう」という行動が最も手堅かったであろう。

図書館には江戸川区に纏わる膨大な数の資料がある。それらを本棚から自分の傍らにどさっと何冊も重ねた状態で持って来て、ざっくりと目を通しながら自分のほしい情報をより分ける。いくつもの(探しているそのトピックに対して)無益な情報に隠れて、まるで籤引きの一等賞の当たり籤のように有益な情報は隠れている。それらの無益な情報の森に隠れてしまったいくつかの有益な情報を探し出しピックアップしていく事で、我々は求めたものの核心へと近づいていく事が出来る。

ここにいくつかの「自主性」が介在している事がおわかりだろうか。

勿論、わざわざ図書館まで行く、という事に「自主性」が介在しているのは言うまでもないが、一番の肝心要の部分は「情報のより分け」という過程における自主性である。

これは必要な情報、これは不必要な情報、といった具合に自ら情報をより分ける。それを判断する基準はあくまでも自分なのだ。

先ほどの例、江戸川区の歴史を調べている際に、「小松菜の歴史、これは欠かせない。コピーして持って帰ろう。しかし金魚の歴史、これはどうだろう。確かに江戸川区を紐解く上では大事なのかも知れないが、今回は触れずにおこう」。こんなプロセスがあったとする。

その取捨選択をどうするかによって、その人が見たいと願う未来、つまり調べ物をした挙句に作り出したい結論の全容が少しずつ輪郭を明確にし始めるのだ。何を持って帰る、何を捨てて帰る。そこを決断する根拠になるのは、自らの自主性なのである。

これがここまでインターネットの普及した現代の場合、取捨選択を迫られる余地が極端に減っているのだ。いくつかの複数キーワードで検索した場合、さほどの労力もなくほしかった情報の核心へと辿り着くことが出来る。さして取捨選択をしなくて済むのだ。

私はこれが怖い、と思っている。

インターネットがあまりに最短で情報の核心に辿り着くあまり、我々は情報に対する懐疑心が希薄になっているのだ。本当にこの情報は正しいの?という事を、自らの判断、つまり自主性によって判断する機会が減ってしまっている。

実感として感じている事だが、インターネット上の情報には嘘もたくさんある。(ちなみに当ブログには、嘘しか書いていない)

それをあまり鵜呑みにしない事だ。

だからこそ、一つの核心に辿り着きたいときには、いきなり其処に行ってはいけないのだ。少しずつ、其処に近付いていかなければならない。

「疑う事」というのは、私の大事なアイデンティティなのだ。

私はそもそも私の事を心から疑っている。自分を信じてなどいない。矛盾する言い方になるが、その事には自信を持っている。

もっともっと、疑おう。

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