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2010年5月13日 (木)

好き嫌いだけが全てではなくて

通勤途中にiPodで音楽を聴く。好きな音楽を。私の好きな音楽は、「たまらなく美しい音楽」か、「踊り出したくなるほどに楽しい音楽」か、「死にたくなるほど暗い音楽」かのいずれかなのだが、「楽しい音楽」を電車内で聴いていると、電車内で踊り出したくなる。危険だ。そして泣きそうになる。これも危険だ。

音楽の好き嫌い、という事について少し。

好きな音楽を聴くのは勿論私にとって悦びである事が多いのだが、嫌いな、或いは私が良いと思わない音楽を聴く事も、存外に嫌いではない。

よくライブなどを見に行った人が「下らなかったから数曲だけ見て帰ってしまった」などと言う事があるが、私はまずそれはしない。本当に飽きてしまって退屈したのならまだしも、「酷いなあ」と思った演奏も大体は最後まで聴く。

「折角金を払っているのだから」というのが一つの要因だ。不味い料理も、よっぽど酷くない限りは残さずに平らげるのと一緒だ。

もう一つの原因、というか目的があって、それは「目の前の演奏を分析する」というものである。

何故目の前の音楽を私が良いと思えないのか、そこを分析する。音色やリズム、或いはフレーズ。それらが「どのように」私の感性に響いて来ないのかを考えるのだ。

注意深く聴いていると、そこに幾つもの問題点が見えてくる。そしてこれが重要なポイントなのだが、「表出した問題点は必ずしも眼前の彼(或いは彼女)にのみ当てはまるものではない」という事だ。

それらの問題点は、多かれ少なかれ私にも当てはまる事が珍しくない。

例えば、誰かピアニストの演奏を見に行ったとして、そのピアニストがまるでピアノを「鳴らせていなかった」とする。そうしたら、「何故鳴らせていないのか」をよく見るのだ。大体は脱力が疎かになり身体に余計な力がかかってしまっており、スムーズな身体の動きが阻害されている事が多い。ならば私は「ははあ、ああいう身体の動かし方は良くないのだな」と認識する。それと同時に、「はっ、待てよ。オレも時たまああいう動きしてねえか!?」となる。そこまでいけば、翌日よりその動きを避けるように頭の中に自らインプットする。それだけでも私にはありがたい事なのだ。

もう一つは、私はあまり自分の感性を信用していない部分がある。

先ほどの例とはだいぶ次元の違う話なのだが、もう一つの例を。

ビル・エヴァンスというピアニストがいた。ジャズ史の中でも大変重要なポイントを占めた革新的なピアニストであり、全世界に多くのファンを持つジャズジャイアンツの一人だ。

実は、私はあまり彼の演奏が「好き」ではない。

しかし、それはあまり重要な問題ではないのだ。私の個人的な「好き嫌い」などとは別に、エヴァンスというピアニストは素晴らしいピアニストなのだ。

つまり、「エヴァンスなんてつまらないよ。そこから何も得るものはないよ」といった風にインプット回路をシャットアウトしてしまうと、エヴァンスの音楽からは何も得られなくなる。

しかし「いやいや、オレの好き嫌いとかはどうでも良いとして、とりあえず注意深くそれを聴いてみよう」と思いながら彼の音楽と対峙すれば、それは途端に「情報の塊」へと変貌する。実際私はこれまでに何度も彼の音楽からアイディアを得ることが出来たし、間違いなくこれからも彼の音楽を研究し続けるだろう。

但し、それとは別の部分で、やはり「イマイチ好きになれない」のも事実である。似たようなミュージシャンではチェット・ベイカーやアート・テイタムがいる。「好きではない。でも間違いなく素晴らしい」と思うミュージシャンだ。

「嫌いだ」という感性を抱く事は、決して悪い事ではない。何でもかんでも「好きだ、素晴らしい!」と言ってしまうのは、ちょっと違うだろう、と思う。

音楽を「聴く」だけならばそれでも一向に構わない。好きな音楽を好きなように聴く。誰に何を非難されるいわれも無い。

が、こと音楽を「演る」という立場に立った場合に、音楽を好き嫌いだけで判断するのは大変に損をするだろうと私は思っている。様々な音楽に、幾つもの情報やヒントは含まれている。

見逃すのは勝手だが。

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