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2010年5月

2010年5月31日 (月)

好いとうと

ちょっとした事情があり、来週に福岡へ行く予定だ。

私はこの福岡という街がなかなかに好きだ。これまでに訪れた事のある日本の街の中でも五本の指に入るレベルで好きだ。

それなりに都会であるので住みやすい、という事もあれば、人の気質が好きだ、というのもある。気候や風土も私に合う。そしてそれらと匹敵するレベルで、食文化の充実を挙げる事が出来る。

海が近い事もあり、海産物の充実は言うまでもないが、私はここで「ある福岡名物」を愛でておきたい。

明太子?否。確かに好きだが。

モツ鍋?否。愛しているが。

そう、それは博多ラーメンである。愛しの博多ラーメンである。

本日は午前中から今週末のライブのリハーサルをして、午後からはレッスンをしに池袋へ。池袋には私の好きな博多ラーメン屋があるのだ。レッスンが終わったら博多ラーメンを食いに行こう。そんな事を考えながら池袋の教室へと向かった。

恙無くレッスンが終わり、私は逸る心を抑えて博多ラーメン屋へ。店内から漂う豚骨の香り。たまらん。

ラーメンには様々なラーメンがある。味噌ラーメン、醤油ラーメン、豚骨ラーメン、塩ラーメン。そこから派生した種々のラーメン。まるで世界の様々な人種のようだ。

それらの中で、別段私が特別に豚骨ラーメンが好きな訳ではない。味からいけば、私は醤油ラーメンが一番の好みなのだ。しかし、豚骨ラーメン、つまり博多ラーメンにはそこをフォローするだけの充実したオプションが多数ある。これらが素晴らしいのだ。

まずは値段である。現在東京のラーメンの値段の相場はおそらく700〜800円ほどだろう。決して安くはないのだ。私のように日々を1000円の小遣いで過ごす人間には、余裕をもって食べられる範囲の金額ではない。800円のラーメンを食べたら、もうその日はタバコすら買えない。そりゃあタバコだって少しは吸いたい。

ところが博多ラーメンの値段の相場は、およそ300〜500円。400円のラーメンを食べた後にタバコを一箱買っても、まだうまい棒が30本も買えてしまう。圧倒的に安いのだ。

その値段設定には、誇りのようなものすら感じられる。たかだかラーメン、決して高級料理じゃあるまいし、という誇りである。飾り立てない美学がそこにはある。

本日訪れたラーメン屋も、ラーメンは一杯500円だ。今やラーメン一杯に800円や900円を取る店がザラにある中にあって、この値段は良心的だ。本場博多よりは若干高いものの、池袋という都会においてこの値段。企業努力が伺える。

そしてここからが本題なのだが、博多ラーメンには二つの醍醐味がある。それを紹介してみたい。

一つは替え玉である。

読者諸氏はここで一度パソコン(或いは携帯電話)のディスプレイから一度目を離し、「替え玉」と言ってみて頂きたい。

替え玉。何と甘美な響きだろうか。一度食べ終わってなくなってしまったラーメンが、この替え玉によって復活するのである。ドラクエで言う所のザオリク、FFで言う所のアレイズである。それは即ち復活の呪文なのだ。

一杯目のラーメンの麺を六割ほど食べ終わった所で店員に声をかける。「すみません、替え玉下さい」と。残った四割の麺を慈しみながら啜り、それが丁度全て終わった辺りで、「はいよー!替え玉お待ちー!」となる訳だ。

ギャアアアアアア!この愉悦が再び味わえるなんてええええええええ!

私は歓喜にうち震えるのだ。

ちなみに本日行ったラーメン屋は、替え玉は無料、業界用語で言う所のダータである。これで震えずにいられようか、いや、いられない(反語)。

もう一つの博多ラーメン屋の醍醐味、それはトッピングである。

胡麻に紅生姜、ニンニクなどがテーブルに置かれている事が多く、それらをお好みでラーメンにトッピングして味の変化を楽しむ訳だが、私のイチオシは、辛子高菜である。

激辛の辛子高菜。これが入れ放題の具材として置かれている事があるのだが、これを入れる。とにかく入れる。ラーメンを食べているのか高菜を食べているのかわからなくなるほどまでに入れる。そしてかき混ぜる。白濁した豚骨スープの色が、みるみるうちにオレンジ色へと変色していく。噎せ返るような辛子の香りが鼻腔をつく。

コレコレ!コレだよチミィ!と私はうっとりとする。

私は自らの味覚障害を疑うほどに辛いものが好きなのだが、無論ラーメンも然りだ。唐辛子で真っ赤になった食べ物を見るとうっとりとする。

ああ、アホさ、アホだとも。びっくりするほどにアホだとも。

来週、福岡に行った折には、時間があれば是非久しぶりに本場の博多ラーメンを堪能したい。

博多ラーメン、バリうまかもん。好いとうと。

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2010年5月30日 (日)

自ずより給し、自ずから足る

自ずよら給し、自ずから足る
自ずよら給し、自ずから足る
しめ鯖、鰺のなめろう、その他を作りました。

なめろうに関しては、ネギと味噌こそ買ってきたものですが、アジはオヤジ殿が昨日釣ってきたもの、シソは我が家で育てたものです。

自給自足というのは、良いか悪いかは別にして(独善的か否か、という事を含め)、なかなかに気分の良いものです。

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手塚賞を受賞してしまいました

手塚賞を受賞してしまいました
漫画を描いてみたら、手塚賞を受賞してしまいました。あと、国民栄誉賞ももらいました。

ペンネームは、「糞山穴男」にしようと思います。

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「スナックなみこ」にやって来ました

「スナックなみこ」にやって来ました
「さくさくしっとりきなこ」とピスタチオ、そしてホッピー。

ホステスはやる気ゼロです。

典型的なぼったくりです。

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2010年5月29日 (土)

ハンカチ→マーくん→マエケン

現在29歳〜30歳の野球選手達は、通称「松坂世代」と呼ばれた。名前を冠された松坂大輔選手の他にも、投手では杉内俊哉選手、和田毅選手、新垣渚選手のソフトバンク勢、野手では横浜の村田修一選手に広島の梵英心選手、その他多数、と、実に多くの優秀な野球選手を輩出した「豊作の年」であった。

年に数人かは必ず優れた野球選手は出てくる。それはほぼ当然の事なのだが、ここまで集中的にスター選手が多数出た時には、そのような「何々世代」という呼称が付けられる事も珍しくない。

その後の有名な「世代」と言えば、現在21歳〜22歳の世代である。

甲子園夏の大会の決勝戦、駒大苫小牧高校と早稲田実業高校の死闘を鮮明に覚えておられる方も多いだろう。そう、「マーくん」こと田中将大選手、そして「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹選手の有名な投げ合いである。

この世代もまた、「松坂世代」に負けず劣らずに豊作な世代である。

当初、前出の甲子園での決勝戦において斎藤佑樹選手が投げ勝った事からこの世代は「ハンカチ世代」などと呼ばれた。しかしその後の田中将大選手のプロ野球やWBCでの大活躍から、その呼称は次第に「マーくん世代」という呼称にシフトしていった事は有名である。

しかし、この呼称もまた変化するのではないか、私はそう思っている。「ハンカチ世代」から「マーくん世代」へ。そして「マエケン世代」へと。

そうなのである。この世代、「ハンカチ世代或いはマーくん世代」には、広島カープの「マエケン」こと前田健太選手がいる。私はこのマエケンこそは、その世代を代表する大投手になると予感している。その予感はこの1ヶ月にあって、ほぼ「確信」へと昇華した。

世代を超えたプロ野球界の絶対的エースは誰か、という問いに、現在最多得票を獲得する可能性が最も高い投手は、日本ハムファイターズのダルビッシュ有選手である。好き嫌いは別にしても、やはりそう答えざるを得ない技術と迫力が彼にはある。私は個人的には彼のピッチングは好きだが。

そのダルビッシュ有選手と前田健太選手が、10日ほど前の広島対日本ハム戦で投げ合った。エース同士の力のこもった投手戦、スコアボードには綺麗に無得点を表す0の文字が並んだ。

結果としては、九回裏にマウンドを譲ったのがダルビッシュ選手。代わったピッチャーが広島の赤松真人選手にサヨナラ打を許し、広島が勝利を飾った。

この試合を見た時に、私は「マエケンいよいよ飛翔の時」という確信を得た。ダルビッシュ選手という、日本球界を代表する選手と見事にがっぷり四つに渡り合い、そして競り勝ったのである。そういった事をきっかけにして有り余る才能が一気に開花する事はあるだろう、と思ったのだ。

実際にはもう少し前に彼の才能は開花していたようで、本人曰わく、今年の開幕間もない頃の東京ヤクルトスワローズ戦において田中浩康選手に投じた一球のストレートが自分のピッチングを変えた、そこで「掴んだ」と言うのだ。確かにそういう所もあるのだろう。

現在セ・リーグにおいて、勝利数、防御率、奪三振の三部門においてトップに君臨するマエケン。このままいけば何かしらのタイトルを獲得する事も全くもって夢の話ではない。願わくば、広島首脳陣に、彼の投手生命を一年でも伸ばすような起用を望む。

10年後、彼らの世代が「マエケン世代」と呼ばれるのを楽しみにしている。

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2010年5月28日 (金)

6月スケジュール

「お前さん、職は何だい?」と問われたら、「いやいや、名乗るほどのものでもあるめえ。ただの自宅警備員さ。」と答える私であるが、本業である自宅警備員の傍ら、音楽家などもやっている。自宅の平和を守ってばかりでは金が稼げないのである。

稀に演奏などをしているが、本日はそのスケジュールを紹介しておきたい。6月には何回か演奏の機会がある。

6月3日(金)東京品川 トライベッカ
tel 03-6717-0933
http://www.tribeca.cc/shinagawa/index.html
vo:おおたりこ b:日下部史貴 pf:福島剛
品川駅ビル内トライベッカでの演奏。何と今回はノーチャージ、奇跡です。おおたりこが6月半ばから一年近く渡米してしまうので、これを機に暫らく彼女との演奏はお休みです。心震える魂の歌を是非お聴き下さい。
19:45~start  music charge: no charge!

6月4日(金)東京高円寺After Hours 
tel 03-3330-1556
http://www.afterhours-1975.com/index.html
vib , vo :楠原木曜 piano:福島剛
友人の鉄琴奏者、木曜(もっくん)とのデュオライブ。何とこの日はもっくん歌うみたいです。ジャズからポップス、もっくんのオリジナルなども交えてやります。
20:00~start  music charge:1800円

6月5日(土)東京中野 Sweet Rain
tel 03-6454-0817
http://jazzsweetrain.com/
vo:西池のりこ b:アラン・グリースン ds:湯川学 pf:福島剛
昨年中野に出来たばかりの新しいお店に、西池のりこさんのカルテットで。明るくて柔らかなのりこさんのボーカルは、聴いている人を笑顔にします。リズム感に溢れるスキャットも流石です。脇を固めるリズムセクションも強力。頑張ってやります。
19:30~start  music charge:1800円

6月21日(月)東京上野 アリエス
tel 03-3831-0523
http://www.jazz-cygnus-aries.co.jp/aries/ari-top.html
harp:皆川和義 b:山崎伸之 pf:福島剛
いつものメンバーで、いつものアリエス。最近はレパートリーにも様々な広がりを見せています。それでも必ず一曲ぐらいはブルーズをやります。だって好きなんだもの。
19:20~start  music charge:2000円

という事で現在は以上。自宅警備に戻ります。

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2010年5月27日 (木)

今日の出来事を村上春樹風に書いてみる

目覚めてみるとそこには誰の姿もなかった。

昨晩の食事の痕跡だけが机の上に残っていた。ぼくはそれを熱意に欠けた目で眺めた。

昨夜は家に大学の後輩が泊まりに来ていた。ぼくたちは夜遅くまで酒を飲みながら取り留めの無い話をした。砂漠に一人取り残されたアフリカ人の話や、浅蜊の一生について。酒のせいで記憶の繋ぎ目はいささか曖昧ではあったのだけれど、そういった記憶の断片は不思議なほどにクリアだった。

一緒に暮らす奈美子がその様子を横から見ながら、笑っているような困っているような顔をしていた。

深酒のせいもあって、ぼくは正午の少し手前で目を覚ました。居間で寝ていた筈の後輩もいなかったし横で寝ていた奈美子の姿もそこにはなかった。そのせいか、まるで何か重要なピースが失われたジグソーパズルのように、部屋は不完全に感じられた。ぽっかりと、何かが失われていた。

ぼくは自分が強烈な喉の渇きを覚えている事に気が付いた。それは刑務所に服役して1ヶ月目の囚人が覚える性欲と同じぐらい強烈だった。

キッチンに行って冷蔵庫を開けると、そこには少々濃い目に淹れられたウーロン・ティーがあった。奈美子は寝る前にはいつも欠かさずにこのウーロン・ティーを淹れては冷蔵庫に保存しておいてくれる。ぼくはそれをグラスに注ぎ、一口で飲んだ。渇きは随分ましにはなったが、足りずに更にもう一杯飲んだ。渇いた大地に雨が降り注ぐ情景がぼんやりと頭の中に浮かんだ。

ぼくは奈美子の事を思った。

「奈美子」

口に出して呟いてみた。奇妙な具合にその声が部屋の中に響いた。もう一度呟いてみた。

「奈美子」

今度は先ほどよりも確かにその声が響いた。ぼくの頭の中にも響いた。ぼくには「奈美子」という、その言葉が何か不思議な外国語のように感じられた。カリブ海に浮かぶ島に住む名もない少数民族だけが話す言葉のように。

そんな事を思っていると、ぼくの携帯電話がせわしなく神経質に振動した。ぼくは直感的にそれは奈美子からの連絡である事がわかった。論理的な証拠は無いが、ぼくには「ただわかった」のだ。

やはりそれは奈美子からのEメールだった。

文面を読む前に嫌な予感がしたが、その予感はやはり的中した。奈美子は、今日のぼくの使うべき金が入った封筒を間違って会社に持って行ってしまった、という事をメールの中で詫びていた。ぼくの財布には金は全く入っていない。どうやらぼくは今日一日中を文無しで過ごす事になるようだった。

ぼくは少し思案してから居間に戻り、ロング・ピースを一本吸った。煙草の濃い煙が肺に染み渡り、体内にタールとニコチンが吸収されるのがわかった。

ぼくは自分が今何をするべきなのかはわかっていた。登山家が数々の雪山に登る中で危機に瀕した時の対処法を学んでいくように、ぼくにも金が無い時の処世術は染み付いていた。人はそうやって生きている。好むと好まざるとに関わらず。

横の棚に置いてあるぼくのコレクションの野球カードに手を伸ばした。数十枚のカードの中からレアリティの高いカードをより分ける。読売ジャイアンツのや阪神タイガースのカードは需要が高い為にレアリティも高い。対して、オリックスバファローズや広島カープのカードは需要の低さからレアリティも低い。

「良いものがすべからく需要が高い訳ではない」

そう呟いた。ありがたい格言のようにその言葉は一人の部屋に響いた。

ぼくはより分けたカードをシャツの胸ポケットに入れた。文章に適切な形容詞を入れるように思慮深く。

それをカードショップに売れば今日の当座の金は何とかなる。多少面倒でも、その手間を惜しまないようにしなくてはならない。

「カードを売りに行こう」

ゆっくりと立ち上がったその瞬間に、ぼくは少し糞を漏らした。たくさんではないけれど、ほんの少し。まるですごく嬉しい事が起きた時に笑顔がこぼれるみたいに。

「やれやれ」とぼくは呟いた。

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2010年5月26日 (水)

オールスターゲーム投票

夏の風物詩と言えば、プロ野球のオールスターゲームである。今年も7月の23日と24日にかけて開催される、という事を本日付の新聞で知った。

オールスターゲームというのは野球のお祭りである。各ポジションから一名乃至三名ずつそれぞれのリーグを代表する選手たちが選ばれ、一堂に会したスター選手達がその技術を競う。勝ち負けが重視される通常のリーグ戦とは違い、その勝負内容に目が注がれる。そういった事からも、名勝負、名シーンが生まれる事も少なくは無い。

古くは江夏豊の九連続三振、最近では松坂大輔と清原和博との名勝負。そういったものには枚挙に暇が無い。

その選手は、我々ファンによる投票から半数以上が決まるのだが、その投票が今日5月26日から始まった。私もどれどれ、と投票してみた。セ・リーグ6球団の中から、各ポジションそれぞれに最も素晴らしい選手を極めて公平に吟味した結果、私の投票は以下のようになった。

先発投手 前田健太
只今、勝利数・防御率・奪三振という投手主要部門において全て首位をひた走る絶対的エース、マエケン。これはもはや当然である。

中継投手 横山竜士
強気なピッチングと絶妙な牽制は、チームのピンチを幾度と無く救う。スライダーにカーブにフォーク、と多彩な変化球も魅力。

抑え投手 永川勝浩
嘘のように落差のある「お化けフォーク」と共に「永川劇場」でお馴染みの守護神永川。彼の劇場っぷりはまさに祭向き。

捕手 石原慶幸
球界ナンバー1と言われるキャッチング技術に、今年に入ってから幅を見せているリード。意外性のある打撃も考慮に加えての選出。

一塁手 栗原健太
得点圏での抜群の勝負強さと、広角に打ち分ける打撃センス。取り分けここ一ヶ月ほどの絶好調ぶりからも、ここはファースト栗原の一択。

二塁手 東出輝裕
俊足、好守、巧打と三拍子揃った上に、バントやエンドランといった小技にも長ける東出。レフト方向に流し打つ美しい打球も随一。

三塁手 石井琢朗
経験値豊富な大ベテラン。自軍投手が打たれ始めた時にもすぐにマウンドに駆け寄り投手を立て直す。フィールド上のもう一人のコーチ。

遊撃手 梵英心
現在セ・リーグ盗塁王並びに犠打王。パンチを秘めつつも確実性のある打撃、そして堅実な守備。今年スターダムを駆け登る選手の一人。

外野手1 前田智徳
セ・リーグのみならず、日本プロ野球界の至宝。落合やイチローが絶賛する天才打者、そして孤高の侍。打席に立っただけで我々ファンのボルテージは最高潮に達する。

外野手2 廣瀬純
鉄砲肩と言えばこの人、「チャーリー」廣瀬。レーザービームで走者を刺す。今年はバッティングも開眼し、現在絶好調。

外野手3 赤松真人
球界きっての韋駄天選手。その俊足が生み出す広大な守備範囲は、彼の背番号をもじって「エリア38」とも呼ばれる。只今バッティングも好調。

という事で、この11人である。

ん?何かおかしくないかって?何もおかしくはない。

全員が広島カー…あーあーあー何も聞こえないオレはオレしか信じない。

という事で皆さんも暇なら投票してみると良い。

いやあ、熟考して考えてみた11人だが、実に良い11人だ。まさにオールスターにふさわしい面子だ。

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ストロングとうまい棒

ストロングとうまい棒
本日は氷結ストロングとうまい棒。

横で奈美子が「眠いズラ」を連発。

深夜ラジオでも聴くかな。爆笑問題でも。

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2010年5月25日 (火)

継続せよ2

昨日の深夜0時。丁度日付が今日へ変わった辺り。ふと、気が付いた。あ、今日そういえばブログ書いてねえや、と。

実際の所、その凡そ24時間前、つまり一昨日の深夜に、深夜の酒とそのツマミの写真を投稿していたから、5月24日付の記事は一つはあった事になる。けれど、それにしてもびっくりした。

実は、このブログ、「ほぼ」ではなく、「完全に」毎日更新されている。

昔は気が向いた時だけ書いていたが、それは一年ほど前にやめた。内容が有る無しという事をあまり考慮に入れずに、兎に角毎日何かしら書く、という事を自分で決めた。別に誰かがこのブログを見たがっているから、とかではない。自分の為に課した一つの試練なのだ。

同じ事を毎日続けるという事には確実に意味(意義)がある、と私は信じている。瞬間的な閃きや独創的なアイディアというものは、継続的なものが背骨として有る時に初めて輝きを見せるのだ、と。その「継続的」という言葉は、やはり一年×エックスという期間を指すのだ、私にとっては。

ピアノのレッスンを私も生業としてやっている。正規レッスンの前に、30分程度の体験レッスンをいつも行う。体験レッスンに来て、それでも「ここが良いや」と思った人だけ来て下さい、そういったスタンスを取っている。

その体験レッスンの時に必ず私が口にする言葉があって、それは「数ヶ月や半年通っただけではあまりご自身の中でも変化はありませんよ。場所や金額、勿論私との相性というものもきちんと勘案して頂いて、最低でも二年は通って頂きたい。それが出来ないのであれば、今回は大変申し訳ありませんが見合わせて頂きたい」という事だ。

これは私が自分の師匠、市川修から言われた事でもある。「お前が今練習でやっている事は、二年後のお前が出来るようになる事。だから同じ事でも兎に角続けなさい」と言われたのだ。

その時は少々それに反発した覚えがある。「いや、言われた事は何とか頑張って来週にでも、いや、明日にでも出来るようにしたいです」と。何とも生意気盛りらしい、何もわかっていない発言で我ながら痛々しいが、それは最早許してあげよう。問題は「出来る」という事のレベルを、その当時の私は相当甘く見ていたという事だ。

一つのパッセージを何度も練習して「弾ける」ようになったとする。それで「出来た」訳ではないのだ。それは語学に置き換えて考えれば、「単語を一つ覚えた」というレベル。そこからその単語が文脈の中でどう使われ、そして主語や時制によってどういった変化を学ぶ。それがまず一つだ。常套句はやたらめったらに使えば良いというものではない。使い所を学ぶというのも大切な事だ。そういった総合的な意味での理解、技術習得には最低でも二年を要するという訳だ。

私はその「単語を一つ覚えた」レベルを「出来た」状態だと勘違いしており、わが師はその事にきちんと警鐘を鳴らしてくれていたのだ。

レッスンでも同じ事をやる。地道でつまらない事を。当然、華々しいピアノレッスンを期待していた人はどんどん辞めていく。けれどしつこくそれに喰らい付いてきてくれる人も何人かいる。

東京に戻ってきて四年目になり、ピアノのレッスンを始めてからも丸三年以上が過ぎた。色んな人が入会しては辞めて、というのを眼前にしてきたが、それでも地道で派手さの全く無い練習に付いてきながら二年以上続けている人たちというのも十人前後はいる。そういう人達のピアノが、少しずつ、しかし確実に上達していくのを目の当たりにする度に、やはり継続する事の重要性を思うのである。近道も無ければ一段飛ばしも無い。けれど、少しずつ、確かに前へ進むのである。

こうして思いつくままにでも構わない、文章を綴る事、それを「継続する」事も私にとっては大事な事なのだ。だからこそ、昨日は一瞬ヒヤリとした。日々続けていた事を放棄するのは、本当にあっという間に出来てしまう事なのだから。

演奏家としての立場の私も、恐らくは少しずつであるが変化を続けている。それは私の生徒達と同じだ。様々な人から教えを乞い、吸収させて頂いている。ここ数年、特に私に強い影響を及ぼしてくれているのは、ギタリストの廣木光一氏、タップダンサーの川村隆英氏、そしてトランペッターのMitch氏。他にも私に影響を与えてくれている方々は多数いるが、とりわけこの三氏。真摯に音楽に対峙し続けている匠の方々の演奏や思考を目の当たりにして勉強させて頂くのは、幸福の極みである。

師匠が死んだ時に、「よし、一人で何とかやっていこう」と思ったが、何ともありがたい事に、そういった方々との出会いの中で私は一人では無い事も知った。

続けていく事。音楽も、文章も。決して焦らずに。

ブログは毎日書き続けてやっと一年。音楽はもう少し長いが、それでもまだたったの十年。まだまだこれから。折り返し地点にすら、辿り着いていない。

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2010年5月24日 (月)

本日の晩酌

本日の晩酌
ツマミはオニオンスライス。水で晒して臭みを抜いた後に、上からカツブシぶっかけて、ごま油とめんつゆを味付けに。

酒は宝焼酎。ホッピー割りだよ。

貧乏でも結構楽しいのだよ。

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2010年5月23日 (日)

TAKESHI'S

映画「TAKESHI'S」のDVDを借りてきて観る。

シュールかつ難解。「世界のキタノ」やりたい放題。逆に言えば、北野武でなければこのような映画を撮る事すら許されないだろう。

良し悪しだけでは判断しかねない映画。たまにはこういうのも良い。

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2010年5月22日 (土)

体力の限界

体力の限界
気力もなくなり、引退を決意しました。

という事で本日、髷を落としました。

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かき捨てた歌

旅の恥はかき捨て、という態度はあまり好きではない。

やはり一期一会。その刹那々々をきちんと礼儀正しく生きるべきだと思っている。それは言い換えれば、「他人にどう見られたいか」ではなく、「自分がどう在りたいか」という問題である。やはり私は「私」でありたい。そう、強く思っている。

だが、私には一つだけ、どうにも堪え切れない「旅の恥はかき捨て的な態度(或いは悪癖)」がある。何とも我慢し難い、そんな習慣である。

それは、自転車に乗りながらイヤフォンで音楽を聴いて、合わせて大声で歌う、という癖だ。

すれ違う人は皆、私を見て、「え!?何故に大声!?」という顔をする事が多い。その時ばかりは私もさすがにいささか恥ずかしい。

だが、それは一瞬の事なのだ。すれ違い、過ぎ去ってしまえば、それは忘却の彼方へと消失する。また新しい人とすれ違い、再び「え!?何故に超ノリノリ!?」という視線を浴びるだけだ。

良いのだ。私はさすがに電車の中では歌わないけれど、一人で自転車に乗っている時は歌いまくる。自転車のサドルの上は、私にとってはカラオケボックスなのだ。

イヤフォンで音楽を流す事もあれば、脳内iPodで音楽を流す事もある。

さあみんなで歌おうぜ。

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2010年5月21日 (金)

料理は愛情

昨日は簡単な料理の写真でお茶を濁したので、その「料理」に関するコラムを少しだけ。

日本の料理と言うものは、私の味覚的な好き嫌いという贔屓を別にして見ても、おそらく世界でもかなり高いレベルにあると思う。インド人が日本のカレーライスの美味さに驚く、同様にイタリア人が日本のナポリタンの美味さに驚く。こういった例からもそれは伺える。何故日本の食文化はかくも高水準なのだろうか。

当然な理由の一つに経済的な側面がある。昨今は不景気だなどとは言っても、やはり日本の経済水準は途上国などのそれに比べると遥かに高い。安全で高品質な食材を容易に手に入れられる事は、我々の食卓を潤沢にしうる大きな要因の一つだと言って良いだろう。

では、同じ先進国の中でも日本の料理が美味い理由を考えてみたい。

一つには、「出汁の文化」があると私は思っている。

煮干、昆布、鰹節。他にも様々あるが、日本の料理は極端に言えば「出汁の料理」だ。化学調味料やスパイスに頼らずに、出汁の味をしっかりと食材に染み込ませる事で味わいに奥深さを与えるという手法は、日本独自のものだ。「出汁をとる」という行為を初めに発見した日本人は本当に偉大だと思う。

また、宗教的な側面から食材に制約が殆ど無い、というのも強みの一つであろう。豚を食べないイスラム教、牛を食べないヒンズー教、といったような制約は、日本人の間ではそれほど普通ではない。我々は、個人的な好き嫌いを別にすれば、比較的「何でも食べる」。同じような理由から中華料理が発展した事を考えれば、これも理由の一つだとして挙げて良い。

そして私が思う、「料理を美味くさせる最たる理由」とは、その精神性、つまりは「思いやり」だ。

例えば日本の典型的な朝食のメニューを挙げてみよう。

白米に納豆。味噌汁。魚の塩焼き。漬物。

いわゆるスタンダードな和食の朝食である。このメニューを見た時に、その栄養バランスの注目してみたいのだが、そのバランスの良さはなかなかのものだろう。白米により炭水化物。納豆により植物性タンパク質。魚で動物性タンパク質。味噌汁と漬物で野菜も摂れる。本当にバランスが良いのである。

何故そのようにバランスが良いのか、と言えば、そこに作り手の「思いやり」が込められているからに外ならない。

食べてもらう人間に健康であってもらいたいという願いが、そのような献立を作り出す。ここ最近、私は本当にその事を実感している。

昨日のメニュー、カレー風味のミートソーススパゲティと野菜スープであるが、当初私はスパゲティだけを作ろうと目論んでいた。しかしそこで一度思い直し、あ、少し野菜が足りねえな、野菜スープも作ろう、と、こうなった訳である。

以前私が一人暮らしをしていた時には、そのような栄養バランスなど微塵も考えずに料理を作っていた。例えば、インスタントラーメンとドンブリ飯、といった組み合わせ。カロリー過多なだけでなく、バランスも非常に悪い。その時には私は、自らの空腹を満たせればそれで良い、という考えの基にそういった献立を作っていた。そこには思いやりは無い。

また、誰かに食べさせようと思うから、「折角ならば美味いものを食わせてやりたい」という頭が働く。だからこそこまめに出汁をとったり、丁寧に灰汁を取ったりという作業に余念がなくなる訳だ。結城貢先生の言葉通り、まさに「料理は愛情」なのだな、と、そう感じた。

そしてそこに私は日本的な家族の美しさを見るのである。

欧米人たちのように、口に出して「愛している」と言うばかりが愛情表現ではない。口ではそう言っていながら、食卓に並ぶのはハンバーガーとコーラ。何じゃそりゃ、と思う。

そんな事は口に出しては言わないけれど、きちんと相手の身体を思いやって料理を作る。高額な金はかけなくとも、バランスの取れた美味い料理が食卓を彩る。それは立派な愛情表現なのではないだろうか。

そう思うと、今日も料理を作る事が楽しくなるのである。

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2010年5月20日 (木)

本日の夕餉

本日の夕餉
ミートソース風カレースパゲティと野菜スープ。

最近、主婦化が激しい。

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2010年5月19日 (水)

継続せよ

継続は力なり、という言葉の持つ説得力の裏側には、「継続する事がいかに難しいか」という真理が含まれている。

難しい事を為したのだから、それは当然血となり肉となる。即ち「力」となる。

音楽も然り。こうして文章を書く事も然り。

小説家志望の人間が、小説を一編、新人賞に向けて送付する。大事なのは出し終わった後で、そこで一息つかずにすぐさま次の作品に取りかかる人間は、いずれ何らかの形で生き延びるという話を聞いた事がある。

「四の五の言わずに、やる」という事は、口で云うよりも遥かに難しい。だからこそ、その効果も著しい。

そんな事をふと思った。

継続せよ、と。

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2010年5月18日 (火)

オレは大成しない

カレーを作る。

1日オフにしていたので、昼過ぎまで寝て、そこからだらだらとピアノを気ままに弾き出す。ピアノを弾いている横で、カレーを煮る。

集中してピアノの練習をするのも楽しいし、大事な事なのだけれど、全く集中せずに、完全に遊びとしてピアノを弾くのも楽しい。音楽は、私にとっては「遊び」でもあるのだから。

もっとストイックに、禁欲的に音楽をやっている人もいるのだろう。それが人生の全てだ、という具合に。

そういう人がやはり大成するのかも知れない。わからない。

ただ、私は私で、亀の歩みで少しずつやっていて、もうこれで仕方が無いかなとも思っている。どうにもならない事なんてどうにでもなって良い事だ。ブルーハーツがそう言っていた。

そんな事を、カレーを煮込みながら思った。

昔ラジオで聴いたネタで、大爆笑しつつとても心に残ったネタがあった。

「この広い空に向かって誓う!オレは…大成しない…!」

この言葉が最近本当に身に沁みて来る。

カレーを美味く作れるようにはなって来たのだけれど。

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2010年5月17日 (月)

深く眠る為に

鼻にテープを貼って鼻腔を広げるアイテムがある。「ブリーズライト」という商品が一番ヒットしたらしいのだが、それの類似品を近所のマツキヨにて購入してみた。

鼻腔を広げてどうしたいのか。決して北島三郎のようになりたい訳ではなくて、睡眠をスムーズにする為に買ったのだ。

私には一緒に暮らすN子さんという女性がいる(本人の名誉の為、名前は隠しておきたい)。この彼女、日中の専らの口癖は「眠いズラ…」である。

一緒に食事をした後や、どこかから帰って来た後。N子の眼は数字の3の文字が二つ並んだようになり、口癖の「眠いズラ…」を呟きN子は眠りに落ちてしまうのだ。

何故そんなにも頻繁に眠くなるのだろうか、と考えてみた。勿論私とて日中に眠くなる事はあるが、N美子のように頻繁では無いので、何故だろうと考えてしまうのだ。

原因は、呼吸ではないだろうか、というのが私の一つの見解だった。

夜間の睡眠において、何らかの理由によりスムーズな呼吸が阻害される。それにより、得られる睡眠の深さも損なわれ、故にいくら寝ても日中に眠いのではないか、という推測だ。

ちなみに奈M子は、眠りにつくと怪獣に変身し、ガオーガオーという迫力のある雄叫びを上げる。私はこれまでに、奈美Kの横で寝ている時に怪獣(ガメラとかゴジラみたいなやつ)に追い掛けられる夢を何度か見た事がある。これはマジだ。恐らくはその雄叫びのせいではないかとも考えている。

私は私で睡眠時には鼾をかいている時があるらしい。

鼾をかく私と、怪獣になるN美子。これはどう考えても二人して呼吸に問題がある。私はそう確信した。なので昨日のマツキヨでの「ブリーズライトもどき(以下鼻テープ)」の購入なのである。

さて、そんなものを購入して帰った昨夜の事。

ほぼ毎日、寝る前には「スナックなみこ」という店を開店してもらっている。ホステスはN子、客は私、飲み物はホッピーのみという店である。ちなみにホステスはドリンクを作ってくれない。ツマミも作ってくれない。客がセルフサービスでやらなくてはならない。なかなか客に厳しいツンデレスナックだ。

余り物の煎餅をツマミにホッピーをウマウマと呑む私に、ホステスである奈M子が「あの鼻テープやってみよっか」と持ち掛けて来た。

しばしの沈黙の後、「やって…みるか…」と神妙な面持ちの私が答える。N美子が鞄から恐る恐るそのテープを取り出した。

二人が息を呑み、そして唾を呑む音が聞こえた。

取り出してみれば、絆創膏のような形をしたものが数枚、其処に鎮座していた。

慎重にシートから剥がし、私はそれをN美子の鼻に貼った。

奈M子がカッと目を見開く。そして鋭い眼光で私を見る。その一連の所作から、眼前の奈美Kに尋常ならざる変化が起きている事は想像に難くなかった。

「ど…どうだっ…?」私が尋ねる。

N美子は、いささか不遜とも見える様子で力強くそれに答えた。

「広がっておる!広がっておるぞおお!」と。

その後私も自らの鼻にそのテープを貼ってもらい、効果を自らの体躯に実感させた。

ピタッと鼻にテープを貼る。そして鼻より息を吸い込む。訪れる衝撃。

「何じゃこりゃあああああ!ものすごく呼吸がしやすいやないかああああ!」私は狼狽した。

暫くしてからいつものようにN美子の「眠いズラ…」が始まった。

寝たまえ、ゆっくりと休みなさい、と私は奈美Kを布団に促す。程なくしてN美子は眠りに落ちた。

しかし、しかしである。昨日は奈M子は怪獣に変身しなかったのである。いつもならば、眠りについてすぐにガオーガオーという雄叫びと共に、寝室を火の海へと化させる筈なのに、ありえないほどに可憐な寝息と共に寝ているではないか!こんな事があるのだろうか!

私は驚愕した。そして、そのような変化をもたらした鼻テープに、畏怖の念すら抱いた。

本日N美子から朝、私にやって来たメールにはこうあった。

>なんかいつもより目覚めがスッキリしてる気がする。
>しばらく鼻広げて寝ます(笑)

(以上原文ママ)

そうなのである。眠りすら深くなるのである。最早我々はこの鼻テープを手放せない。一回の使用で大きくその効果を実感した。

という事で、これからは睡眠時には鼻腔を広げる。我が家のスタンダードな規範である。

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2010年5月16日 (日)

おみくじひいた

おみくじひいた
凶。「全て悪いでしょう」ですと。

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三社祭

三社祭
三社祭
来ました。浅草に。ソーレソレソレお祭りでーい!

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2010年5月15日 (土)

ボーイズトーク

女同士のガールズトークというのは、カフェの話とエステの話と男の話で全体の九割以上だという。信用出来る筋から得た情報なので、ほぼ間違いない。

対して、男同士が酒の席で交わす会話はと言えば、「釣りと野球」、この二つでほぼ決まりだ。間違いない。ソースは私だ。

エロネタ、というのは意外な事に少ない。何だろうか、さほど盛り上がらないのである。それに比して、野球ネタと釣りネタの盛り上がること盛り上がること。

先日友人のヤマちゃんと呑んでいた時の事だが、私たちはごぶごぶと無反省にホッピーやらレモンハイを鯨飲し、アルコールはついに脳幹にまで達していたと思われた。

そうなったら、二人の会話は「なあ今度釣り行こうぜ」と「野球してえなあ」で、会話のおよそ10割を占めてしまう。

「何釣りたい?」

「やっぱアジかなあ」

「投げてみたい変化球って何?」

「オレはスライダー」

「マジか!オレはフォーク投げたい!」

と言った具合に。

仕方ない。野球選手は我々男の子の永遠の憧れであるし、我々の先祖は恐らく狩猟民族であった為に狩猟本能が騒いで釣りに行きたくなるのは至極当然の帰結なのだ。

という事で、あー、釣り行きてえ。野球してえ。

野球チームを作りたいのだよ、野球チームを。

チーム名は既に「西小岩チンカース」で決定。現在、部員並びにマネージャーを絶賛募集中である。

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2010年5月14日 (金)

5月17日(月)は上野アリエス

本日は何も予定の無い日だったので、一日中家でピアノを弾いたりして遊んでおりました。

さて、明日明後日はレッスン。さらに明明後日の5月17日(月)はライブです。という事で宣伝。

5月17日(月)東京上野 アリエス
tel 03-3831-0523
http://www.jazz-cygnus-aries.co.jp/aries/ari-top.html
harp:皆川和義 b:山崎伸之 pf:福島剛
いつものメンバーで、いつものアリエス。真っ直ぐに「音」を見つめながら。結構本気です。
19:20〜start  music charge:2000円

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2010年5月13日 (木)

好き嫌いだけが全てではなくて

通勤途中にiPodで音楽を聴く。好きな音楽を。私の好きな音楽は、「たまらなく美しい音楽」か、「踊り出したくなるほどに楽しい音楽」か、「死にたくなるほど暗い音楽」かのいずれかなのだが、「楽しい音楽」を電車内で聴いていると、電車内で踊り出したくなる。危険だ。そして泣きそうになる。これも危険だ。

音楽の好き嫌い、という事について少し。

好きな音楽を聴くのは勿論私にとって悦びである事が多いのだが、嫌いな、或いは私が良いと思わない音楽を聴く事も、存外に嫌いではない。

よくライブなどを見に行った人が「下らなかったから数曲だけ見て帰ってしまった」などと言う事があるが、私はまずそれはしない。本当に飽きてしまって退屈したのならまだしも、「酷いなあ」と思った演奏も大体は最後まで聴く。

「折角金を払っているのだから」というのが一つの要因だ。不味い料理も、よっぽど酷くない限りは残さずに平らげるのと一緒だ。

もう一つの原因、というか目的があって、それは「目の前の演奏を分析する」というものである。

何故目の前の音楽を私が良いと思えないのか、そこを分析する。音色やリズム、或いはフレーズ。それらが「どのように」私の感性に響いて来ないのかを考えるのだ。

注意深く聴いていると、そこに幾つもの問題点が見えてくる。そしてこれが重要なポイントなのだが、「表出した問題点は必ずしも眼前の彼(或いは彼女)にのみ当てはまるものではない」という事だ。

それらの問題点は、多かれ少なかれ私にも当てはまる事が珍しくない。

例えば、誰かピアニストの演奏を見に行ったとして、そのピアニストがまるでピアノを「鳴らせていなかった」とする。そうしたら、「何故鳴らせていないのか」をよく見るのだ。大体は脱力が疎かになり身体に余計な力がかかってしまっており、スムーズな身体の動きが阻害されている事が多い。ならば私は「ははあ、ああいう身体の動かし方は良くないのだな」と認識する。それと同時に、「はっ、待てよ。オレも時たまああいう動きしてねえか!?」となる。そこまでいけば、翌日よりその動きを避けるように頭の中に自らインプットする。それだけでも私にはありがたい事なのだ。

もう一つは、私はあまり自分の感性を信用していない部分がある。

先ほどの例とはだいぶ次元の違う話なのだが、もう一つの例を。

ビル・エヴァンスというピアニストがいた。ジャズ史の中でも大変重要なポイントを占めた革新的なピアニストであり、全世界に多くのファンを持つジャズジャイアンツの一人だ。

実は、私はあまり彼の演奏が「好き」ではない。

しかし、それはあまり重要な問題ではないのだ。私の個人的な「好き嫌い」などとは別に、エヴァンスというピアニストは素晴らしいピアニストなのだ。

つまり、「エヴァンスなんてつまらないよ。そこから何も得るものはないよ」といった風にインプット回路をシャットアウトしてしまうと、エヴァンスの音楽からは何も得られなくなる。

しかし「いやいや、オレの好き嫌いとかはどうでも良いとして、とりあえず注意深くそれを聴いてみよう」と思いながら彼の音楽と対峙すれば、それは途端に「情報の塊」へと変貌する。実際私はこれまでに何度も彼の音楽からアイディアを得ることが出来たし、間違いなくこれからも彼の音楽を研究し続けるだろう。

但し、それとは別の部分で、やはり「イマイチ好きになれない」のも事実である。似たようなミュージシャンではチェット・ベイカーやアート・テイタムがいる。「好きではない。でも間違いなく素晴らしい」と思うミュージシャンだ。

「嫌いだ」という感性を抱く事は、決して悪い事ではない。何でもかんでも「好きだ、素晴らしい!」と言ってしまうのは、ちょっと違うだろう、と思う。

音楽を「聴く」だけならばそれでも一向に構わない。好きな音楽を好きなように聴く。誰に何を非難されるいわれも無い。

が、こと音楽を「演る」という立場に立った場合に、音楽を好き嫌いだけで判断するのは大変に損をするだろうと私は思っている。様々な音楽に、幾つもの情報やヒントは含まれている。

見逃すのは勝手だが。

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2010年5月12日 (水)

ショパンとワンレン

今日初めて知ったのだが、今年2010年は、ポーランドの作曲家、フレデリック・ショパンの生誕200年の節目であるらしい。

ショパン・イヤーという事で、数多くのショパンにまつわるCDなどがリリースされているとの事。中には「ジャズピアニストが弾くショパン」なんてものまで出ているらしい。ちょっとそれは眉唾じゃないかとも思うのだが。

なので、私も少しショパンに手を出してみようと思い、実家の本棚を漁ると、やはりショパンの譜面があった。母親のものなのだが。

とりあえず知ってる曲を、と思い、「別れの曲」を弾いてみた。

美しい曲だ。これから暫くきちんと練習し甲斐がある。確かに大変素晴らしい曲なのだが…

どうしても私の脳裏にこびりついて離れない浅野温子の画像。あの90年代を象徴するかのような極端なワンレンが。

そう、「101回目のプロポーズ」である。武田鉄矢と浅野温子のコンビで大ヒットとなった「トレンディドラマ」(←この言葉も90年代独特だな)である。

「101回目のプロポーズ」の中で、BGMとしてこの「別れの曲」が頻繁に使われていたのだ。

私が譜面をなぞり、今から丁度200年前にこの世に生を受けた天才作曲家のフレーズをピアノで奏でる度に、脳裏にはワンレンが。そして「ぼくは死にましぇん!」でお馴染みの海援隊の真ん中の人が。

もうお前らどっかいけよ、と思ったところで、私の脳裏の彼らはチャゲアスの「SAY YES」のメロディーに乗せて自らの存在を強固に主張する。わー、この刷り込みってすげー。そしてすげー嫌ー。

他にも、太田胃散のCMに使われていた曲もショパンの曲なのだが(タイトル失念)、この曲もやはり弾く度に長嶋一茂の映像が私の脳裏にこびりついて離れない。弾き終わった後には「ありがとう、良い薬です」と言わずにはいられない。やめろ、一茂!

他にも、「G線上のアリア」を聴くとエヴァンゲリオンを思い出してしまったり。クラシック音楽はどうしてもテレビや映画と切り離してイメージ出来ない。

しかしなあ。浅野温子はなあ。

W浅野ってどこへ行ったんだ。

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2010年5月11日 (火)

公安の陰謀

昨日の事。

アサリが安かったからアサリ料理を作ったとブログにも書いた。266円のものが半額で133円だったのだ。

という事は恐らくは消費期限が近いという事だが、そんな事は関係ない。火を通して食ってしまえば良いのだ。事実、作ったアサリの酒蒸しは芸術的に美味かった。

だが、問題はその後だ。

家計簿をつける為にレシートを再び見ると、そこには衝撃の事実が…

アサリ…266円

おい!値引きされとらんやないか!

恐らくは公安の陰謀だ。

私を極左活動家であると誤解した公安が、「ヤツのアサリを値引きするな。精神的なダメージから徐々にヤツを追い詰めるのだ!」という密約が、スーパーと公安との間にあったに違いない。

クソぅ…国家権力め…

今日はホッピーと焼酎を買って来た。今宵のホッピーはいつもよりも少々苦い。

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2010年5月10日 (月)

5月10日の夕飯

5月10日の夕飯
自作。

ほうれん草とシメジと挽き肉の炒め物と、アサリの酒蒸し。

美味すぎる。

オレは何健一だよ?道場何三郎だよ?料理の何人だよ?

これと、アサリの味噌汁も控えております。

いや、マジうめえ。

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たまにはロックを

午前中のみレッスン。午後からは練習。

いくつかのコピーをする。

最近では、普段やらないポップスやロックも並行して練習している。

今日はグローバー・ワシントン・Jrの「Just the two of us」を少し。ロックというよりもソウルかな、これは。

「ジャンルの違い」は、一つには「リズムの違い」だ。文化的背景に根差した、実に様々なリズムが世界には存在する。それは、世界中に様々な言語が存在する事とほぼイコールだ。

ジャズのリズム。ロックのリズム。ソウルのリズム。ブルーズのリズム。

今、私の身体の中にはどんなリズムがあるのだろうと思いを巡らせる。

10月には、私の憧れるリズムを持つ、素晴らしいピアニストが日本にやってくる。

彼に会う時までに恥ずかしくないように、少しでも精進しないとなあ。

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2010年5月 9日 (日)

池袋の夜

昨日はレッスンの為に少々久しぶりに池袋へ。

夕方過ぎに終わってから、池袋のジュンク堂へ、友人石田ゆうすけさんのトークショーを観に行く。作家である彼が、「とまこ」さんというお絵かき作家の方と二人でトークショーをやっていたのだ。

トークショーは面白かった。トークショー後のサイン会において、一緒に行った奈美子がとまこさんの本を一冊買っていた。私は石田さんの著作を持参していくのを忘れたので、たまたま持っていた村上春樹の『1Q84』にサインをしてもらおうと思ったが、ジュンク堂の人に怒られそうなのでやめた。

終わってから奈美子と帰ろうとしていたら、石田さんからメール着信。「ちょっとだけ呑みに行こうぜ」と。「ロンモチだよチミィ!」と返す刀で池袋に戻り、奈美子と三人で呑む。某居酒屋に入り、そこで『1Q84』にサインをしてもらう。石田さんは、「村上春樹」とサインをして、その上に「いしだゆうすけ」とルビをふっていた。悪ふざけにも程がある。頼むからガチの村上春樹ファンの方は怒らないで欲しい。

石田さんは、昔、旅先のパキスタンで知り合った人だ。私はなかなかに薄情な人間なので、旅先で知り合った人たちとの交友が今でも続いているという事は殆ど無いのだが、二人だけ交友が続いている友人がおり、石田さんはその内の一人だ。彼は作家だと書いたが、現在は旅の事を書いた本を何冊か上梓している。あとは、「SMの歴史」についての本と、「オレの考えたオリジナル手淫」についての本を上梓していたような気がしないでもなかったような気がするような今日この頃である。

なので久しぶりに少しだけ旅の話をする。

「旅に出て人生観が変わる」という事について話した。

「変わらんよなあ、そんな簡単に」と彼が言う。

「変わりませんでしたなあ」と私が答える。

そう、私も何度か旅行をした事があるが、人生観が変わらなかった。

よく、「インドに行けば人生観が変わる」などと言うが、私は変わらなかった。その時には私はまだ若かった為に、「やべえ!インドまで来ておいて人生観が変わらねえってマジやべえ!」と焦った。「ひょっとしてオレの感受性ってムチャクチャ鈍いんじゃねえの!?」と。

インドにバラナシというヒンドゥー教の聖地があるが、そこに行っても人生観は変わらなかった。とても面白い街なのだけれど。

仕方が無いので、バラナシの中のゴウドリヤー交差点という所があるが、そこで売っている「何とかラッシー」という不思議なドリンクを飲んで、がんがんに酔っ払った状態でガンジス川にぷかぷかと浮いて、「うーん、これで人生観が変わった、っていう事にしておこう…」と自分を無理矢理に納得させた。単に酔っ払って行水をしていただけなのだけれど。

石田さんが言った。「『No travel , No life』って言葉を見たんやけど、「はあっ?」っていう感じせえへん?」と。

すごくよくわかる。「あ、ぼくも『No music , No life』っていう言葉が嫌いです」と答えた。

勿論、彼も私も旅は好きだし、音楽は好きだ。大好きだ。けれど、それをそういった感じで神聖化するのが嫌いなのだ。そういう部分では彼と私はすごく似ていて、だから話していると楽しい。すごくラクなのだ。

後は一通り下ネタと野球の話ばかりを話す。げらげらと笑う。正しい酒の呑み方だ。

楽しい時間を過ごして来ました。

そんな彼の著作はこちら。

「いちばん危険なトイレといちばんの星空」

「行かずに死ねるか!(文庫版)」

「洗面器でヤギごはん」

「道の先まで行ってやれ!」

私も全て読んだのだけれど、どれもとても面白い。所謂「普通の旅行本」とは随分と異なる面白さがある。それは読んでみて確認して欲しい。

探してみたのだけれど、SMの本と手淫の本が見つからなかった。

あれ?出してなかったかなあ。

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2010年5月 8日 (土)

ギターとベース

私の仕事はピアノを弾いたり教えたり、部屋の隅で三角座りをしながら酒を呑んだり、広島カープの応援をしたりする事である訳だが、実はピアノ以外の楽器を弾くのも大変好きだ。

下手の横好きという感は否めない上に、年に何回も触らないが、サックスやトランペット、ドラムを叩くのも好きだ。

そんな中でも、取り分けよく弾くのはギターとベースである。ピアノほど頻繁には弾かないが、それでも週に4、5日は楽器に触る。アマチュアの練習量としてはそれなりだと思う。

そもそも最初に自主的に楽器を触るようになったのはギターだった。小学生の砌、家にあったクラシックギターを引っ張り出してきてぽろんぽろんと遊びながら弾いていた。

すぐに何かの曲が弾きたくなり、最初に弾いた曲はクラシック曲の『禁じられた遊び』と、中島みゆきの『夜風の中から』だった。

「浮気でやくざな女が今夜どこでどうしていようと知った事じゃないが」などという歌を歌う小学生。言うまでもなく掛け値無しに気持ち悪い。

そういった幾つかのフォークソングやクラシック曲を練習しながらギターに親しみ、その後中学生になり親にフォークギターを買ってもらい、高校生になってから自分でアルバイトした金でエレキギターを買った。

他にも、インドで買った約20ドルの安ギター、昨年買ったマーティンのミニギター、昔買ったオベーションのエレアコ。様々なギターと共に今も過ごしている。(オベーションはどこかに行ってしまったが)

ベースには、大雑把に分類してエレキベースとコントラバスという二種類があるが、私の持っているのはエレキベースだ。コントラバスはなかなか弾けない。第一、高いから買えない。

ベースには大抵は四本の弦が張ってあるが、それはギターの低音四弦と同じ配列になっているので、構造的には意外な程にギターとベースには互換性がある。(弾き方は随分と異なるけれど)

だから、昔からギターを弾き続けてきた延長でベースも弾く。低音をぶいーんと鳴らすのは結構気持ちが良いのだ。

今日も朝からギターとベースを弾いた。やはりギターもベースも面白い。

ピアノほど真剣にやっている訳ではないけれど、そうやって音楽を楽しむのも良いじゃないか、と思う。

ああ、アップライトベース欲しいなあ。

あとソプラノサックス。

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2010年5月 7日 (金)

カサゴの煮付け

カサゴの煮付け
本日の夕飯に作りました。カサゴの煮付け。

ちょっと焦げたかな。

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芽吹き

芽吹き
引っ越してからのちょっとした楽しみで家庭菜園をやっている。

100均でプランターを買ってきて、そこに土を入れて種を蒔く。たったそれだけ。ネギや大葉、トマトに水菜などを植えているのだが、今朝プランターを見たら、水菜が既に芽吹いていた。芽吹き第一号だ。

想像していた以上に嬉しかった。育ったら水菜のサラダを作ろう。

ネギと大葉と釣って来たアジで、タタキも作ろう。

以前とある植物を育てていた事が一度あって、それ以来の家庭菜園だが、とても面白い。

勿論、以前育てていた植物についてはここには書けない。

お察し下さい。

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2010年5月 6日 (木)

日々の作業

朝から実家にやってきて、ピアノの前で過ごす。

昨日ワークショップに行って、コピー(模倣)の重要性を再確認。今日はコピーに練習の大半を費やす。CDを聴いてそれを譜面に起こして練習して、という作業の繰り返し。

以前からずっと「譜面に起こしたいな」と思っていたAbdullah Ibrahim の音源を譜面に書き起こす。

注意深く一音一音を聴いていると、やはり圧倒的にピアノの音色が綺麗。「深い」イメージの美しさ。

ピアノのせいもあるけれど、どこをどう押せばこういう音が出るのだろう。いや、そのメカニズムの大体の所はわかるのだけれど、それを物凄い高水準で実際にやっている、というのが凄い。なかなか出来る事ではない。

コピーが一段落したら、来月のライブの譜読み。なかなかやる事が終わらない。

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2010年5月 5日 (水)

スラッガーへの第一歩

スラッガーへの第一歩
バットを買いました。本日は素振りを100本しました。

只今0:30。ヤマちゃんが来ました。

酒盛り開始。

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2010年5月 4日 (火)

わー死んだー!ウソでーす!やっぱり死んでませーん!

只今大ヒット中の小説、村上春樹の『1Q84』のbook3(第三巻)を読んでいる。つい先日読み始めた。

まだ序盤なのだが…

book2の終盤において、主人公の「青豆」という女性が自殺するシーンがあった。高速道路の路肩で青豆さんは自分の口の中に拳銃を突っ込み、自殺をするシーンだ。

「天吾くん」と青豆は言った。そして引き金にあてた指に力を入れた。(『1Q84』book2、474頁より)

こうして「青豆さんの物語」は終わった筈だった。

なのに、book3では生きていた。青豆さんは生きていた。

「やっぱり引き金を引くのをやめた。なので死ななかった」みたいな展開で。

それ、何ていう「少年ジャンプ」ですか、村上さん…

小学生が考えた適当な小説とか漫画にこういうのあるよなーとも思った。

「主人公は死んだ!いや、やっぱり死んでいなかった!」みたいな雑な展開。まさしくその展開じゃないっすか、村上さん!

ていうか、100万冊も売れるような小説で、そんな雑な展開を使ってオッケーなんだ!?

まあ、良いんだけどさ…

まだあと20章ぐらいあるので、楽しませて頂きます。

しかし、のっけでずっこけてしまいました。

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2010年5月 3日 (月)

パソコンにはあまり明るくはない

水天宮の親戚を昼に尋ねた後に、秋葉原へ。パソコンを買いに行く。

こういった買い物はなかなかに楽しいかなとも思っていたのだが、実際やってみるとものすごく面倒くさい。

まず、店員の言っている事が半分ぐらいしかわからない。

「メモリー容量が2ギガバイトなのでコアなんちゃらを増設してー」だの「光ファイバーケーブルをアナルの部分にブスッと差してー」だのと、何を言っているのかさっぱりわからない。

なので私も「おうおう、好きに小粋にやっちまってくんな」と答えるのみである。

「それではお客さま、お客さまの薄汚いアナルを恥ずかしげもなく出しやがって下さいませ!光ケーブル挿入でーす!」

「い、いやん…!インターネット開通っ…!」

いやいや、そのような下品なやり取りはなかった。全て妄言だ。

ホント、何言ってるのかわからなくてね。

でもまあ買って来ましたよ、バイオ(VAIO)というパソコンを。注文したので来週ぐらいに届くらしいのですが。

ちなみにバイオ、というのは「バイアグラを飲む男」の略らしいですね。初めて知りました。

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2010年5月 2日 (日)

子供の日は大人の時間です

ワークショップの宣伝です。

5月5日(水祝)東京笹塚 リハーサルスタジオ マジェスティック
tel 03-3378-2688
http://www.st-ma.jp/majestic/index.html
「ミュージックワークショップ東京 vol.9」
ゲストインストラクター:廣木光一(gt)
ゴールデンウィーク最終日には恒例のワークショップ。今回のゲストは名手、廣木光一氏。氏がインストラクターを務めて下さるのはこれで7回目にもなりますが、毎回毎回様々な発見を我々に下さいます。音楽を志している方には大変お得なワークショップ。是非ご参加を。
14:00~start  参加費:2000円(見学のみの方は1000円)
参加ご希望の方は
musicworkshop.tokyo@gmail.com
までご連絡を。

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2010年5月 1日 (土)

嘘のような本当の話

昨日、広島県に本拠地を置く「広島東洋カープ」という草野球チームが、プロ野球の強豪球団である中日ドラゴンズに8−0の大差で勝利致しました。

私も最初は何かの冗談か、或いは壮大なドッキリだろうと思っておりましたが、どうやら真実のようです。

春の珍事でございました。

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