好いとうと
ちょっとした事情があり、来週に福岡へ行く予定だ。
私はこの福岡という街がなかなかに好きだ。これまでに訪れた事のある日本の街の中でも五本の指に入るレベルで好きだ。
それなりに都会であるので住みやすい、という事もあれば、人の気質が好きだ、というのもある。気候や風土も私に合う。そしてそれらと匹敵するレベルで、食文化の充実を挙げる事が出来る。
海が近い事もあり、海産物の充実は言うまでもないが、私はここで「ある福岡名物」を愛でておきたい。
明太子?否。確かに好きだが。
モツ鍋?否。愛しているが。
そう、それは博多ラーメンである。愛しの博多ラーメンである。
本日は午前中から今週末のライブのリハーサルをして、午後からはレッスンをしに池袋へ。池袋には私の好きな博多ラーメン屋があるのだ。レッスンが終わったら博多ラーメンを食いに行こう。そんな事を考えながら池袋の教室へと向かった。
恙無くレッスンが終わり、私は逸る心を抑えて博多ラーメン屋へ。店内から漂う豚骨の香り。たまらん。
ラーメンには様々なラーメンがある。味噌ラーメン、醤油ラーメン、豚骨ラーメン、塩ラーメン。そこから派生した種々のラーメン。まるで世界の様々な人種のようだ。
それらの中で、別段私が特別に豚骨ラーメンが好きな訳ではない。味からいけば、私は醤油ラーメンが一番の好みなのだ。しかし、豚骨ラーメン、つまり博多ラーメンにはそこをフォローするだけの充実したオプションが多数ある。これらが素晴らしいのだ。
まずは値段である。現在東京のラーメンの値段の相場はおそらく700〜800円ほどだろう。決して安くはないのだ。私のように日々を1000円の小遣いで過ごす人間には、余裕をもって食べられる範囲の金額ではない。800円のラーメンを食べたら、もうその日はタバコすら買えない。そりゃあタバコだって少しは吸いたい。
ところが博多ラーメンの値段の相場は、およそ300〜500円。400円のラーメンを食べた後にタバコを一箱買っても、まだうまい棒が30本も買えてしまう。圧倒的に安いのだ。
その値段設定には、誇りのようなものすら感じられる。たかだかラーメン、決して高級料理じゃあるまいし、という誇りである。飾り立てない美学がそこにはある。
本日訪れたラーメン屋も、ラーメンは一杯500円だ。今やラーメン一杯に800円や900円を取る店がザラにある中にあって、この値段は良心的だ。本場博多よりは若干高いものの、池袋という都会においてこの値段。企業努力が伺える。
そしてここからが本題なのだが、博多ラーメンには二つの醍醐味がある。それを紹介してみたい。
一つは替え玉である。
読者諸氏はここで一度パソコン(或いは携帯電話)のディスプレイから一度目を離し、「替え玉」と言ってみて頂きたい。
替え玉。何と甘美な響きだろうか。一度食べ終わってなくなってしまったラーメンが、この替え玉によって復活するのである。ドラクエで言う所のザオリク、FFで言う所のアレイズである。それは即ち復活の呪文なのだ。
一杯目のラーメンの麺を六割ほど食べ終わった所で店員に声をかける。「すみません、替え玉下さい」と。残った四割の麺を慈しみながら啜り、それが丁度全て終わった辺りで、「はいよー!替え玉お待ちー!」となる訳だ。
ギャアアアアアア!この愉悦が再び味わえるなんてええええええええ!
私は歓喜にうち震えるのだ。
ちなみに本日行ったラーメン屋は、替え玉は無料、業界用語で言う所のダータである。これで震えずにいられようか、いや、いられない(反語)。
もう一つの博多ラーメン屋の醍醐味、それはトッピングである。
胡麻に紅生姜、ニンニクなどがテーブルに置かれている事が多く、それらをお好みでラーメンにトッピングして味の変化を楽しむ訳だが、私のイチオシは、辛子高菜である。
激辛の辛子高菜。これが入れ放題の具材として置かれている事があるのだが、これを入れる。とにかく入れる。ラーメンを食べているのか高菜を食べているのかわからなくなるほどまでに入れる。そしてかき混ぜる。白濁した豚骨スープの色が、みるみるうちにオレンジ色へと変色していく。噎せ返るような辛子の香りが鼻腔をつく。
コレコレ!コレだよチミィ!と私はうっとりとする。
私は自らの味覚障害を疑うほどに辛いものが好きなのだが、無論ラーメンも然りだ。唐辛子で真っ赤になった食べ物を見るとうっとりとする。
ああ、アホさ、アホだとも。びっくりするほどにアホだとも。
来週、福岡に行った折には、時間があれば是非久しぶりに本場の博多ラーメンを堪能したい。
博多ラーメン、バリうまかもん。好いとうと。
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