二流の美学
木村拓也死去の報。無念、と合掌する。
彼の回復を祈っていた。倒れ方を見るに「凡そ無理だろう」とは思っていたが、それでもどこかで奇跡を信じていた。ただ、生きて帰って来てほしい。そう、思っていた。
クモ膜下出血。突然、人は死ぬ。恐らく本人は、死を意識する暇もなく、唐突に死ぬ。
木村拓也の場合は倒れてから5日、私の師匠は19日間だった。
亡くなるまでの間、傍にいる人間は「死」を意識する。とても身近なものとして、それを捉え始める。心底から回復を祈っていても、冷静な意識の中ではそれが難しい事も理解している。眼前の愛しい人が間もなく死ぬという事を意識させられる。本当に、それは好むと好まざるとに関わらず。
木村拓也の家族の気持ちが少しだけわかる。
以前にも書いたが、彼は決して「プロ野球選手として突出した何か」を持っていた選手ではなかった。決して、一流の選手ではなかったのだ。
だが、特筆すべきは彼の美学、そう、「二流の美学」である。
嘗てアテネ五輪の日本代表として召集された彼は、試合の攻守のみならず、コーチャーからブルペンキャッチャーまで、「雑用」と揶揄されかねないほどまでに献身的にチームを支えた。笑顔で。嫌な顔を一つせずに、である。
当時の所属球団、広島カープを代表し、そして日本を代表してアテネに向かったにも関わらず、彼はそうした「裏方」に徹した。
球団に戻ってからも、当時若手の売り出し株であった東出や尾形のバックアップを担当した。彼はそういったエピソードには事欠かない。
それに際して考えて頂きたい。
それは彼が単純に「良い人」だったからなのだろうか。
勿論それもあるだろう。木村拓也は、随分と人懐っこい、明るい性格の持ち主だったと聞く。そのチームへの献身的なエピソードも、彼という人間の性質の一つの所産だと考えても決しておかしくは無い。
だが、私はそういった部分から、性質とは別の、彼の独特な美学を感じずにはいられない。
類い希なる「二流の美学」である。
与えられた場所で全力を尽くす。人が面倒くさがるような事を率先してやる。それが何であろうと、兎に角「何でもやる」。
そうした内に、周囲は彼の存在の大きさに気付く。
大丈夫、何があっても拓也がいるから、と。
何の取り柄もなかった筈の男が、いつしか決して欠く事の出来ない存在になっているのだ。
そもそも、プロ野球選手になるような人間達は、幼い頃から「エースで4番」というのが相場だ。野球がとびきり得意な人達が選ばれる職業が、プロ野球選手であるのだ。
それがプロに入った瞬間に、自分はワンオブゼム、「その他大勢」の内の一人である事に気付かされる。それはそうだ。何故ならば、周囲の人間たちも皆「野球がとびきり得意な人達」なのだから。
しかし、そこで挫折を味わい落ちていく人間と、そこから這い上がる人間と、二種類の人間に大別される。木村拓也は、圧倒的に後者だった。彼は「超二流」として、自らの存在をプロ野球というフィールドの中で燦然と輝かせた。
緒方孝市の引退試合で放った笑顔のセンターフライ。昨年の巨人戦で構えたキャッチャーミット。泥臭くて生々しい数々のプレー。
木村拓也という「超二流」の野球選手がいた事を、私は決して忘れない。
お疲れ様、そしてありがとう、木村拓也。
あなたのプレーが、もっと言えばあなたという野球選手の在り方が、大好きだった。
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コメント
このニュースは、ほんまにつらい。
器用で、明るい選手やったのにな。
コーチとしても、もっと活躍できたのに。
ご冥福を祈ります。
投稿: okada | 2010年4月 7日 (水) 19時06分
okadaさんへ
なあ、これはつらいよなあ。ホント、コーチとしてはこれからだったもんなあ。
投稿: ふくしまたけし | 2010年5月 9日 (日) 12時39分