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2010年4月16日 (金)

千駄ヶ谷は将棋の街なのだ

「あンた、背中が煤(すす)けてるぜ…」

そんな科白を、真剣(マジ、と読んで頂きたい、本日に限り)な顔付きで言われた経験、そんな経験は読者諸氏にあってはお持ちだろうか。

勿論私には無い。

この上記の決め科白は、能條純一作、『哭きの竜』という麻雀漫画における主人公、「竜」のものである。

意味としては恐らく、「あんたの考えている事は全てお見通しだ」、或いは「もう待った無しだぜ」ぐらいの意味だろうが、もしも実際の麻雀の対局中にかような事を言う輩がいればマジキチ(「マジでキチガイ」の意)として一笑に付される。そんな科白が発されるのは、あくまでも漫画や小説の世界においてのみなのだ。

それを知りながらも、我々はそういった「漫画的世界」に憧れずにはいられない。

「あーん、チコクチコクー!」と声高に喚き散らしながら口にトーストをくわえたちょっぴりドジな女の子と路地の曲がり角でごっつんこ。実はその女の子は自分の学校にやって来た転校生で、席は図らずも自分の隣、二人で目を見合わせ「あ、あなた…」的な状況から生まれる淡い恋。そんなものを夢想した事は誰にでもあるだろう。

だが、現実にはそんな事は起きようが無いのだ。天文学的確率で起こり得るのかも知れないが、そのようなエピソードをリアルに経験した人を私は知らない。仮にいたとすれば、その人は十中八九虚言癖のシャブ中(覚醒剤中毒の意)である。もしくは稀代の嘘吐きである。実際に有り得る筈が無いのだ。

私は本日、前述した能條純一氏の別の代表作、『月下の棋士』を読んでいた。

『哭きの竜』が麻雀をモチーフにした漫画であるのに対して、こちらは将棋をモチーフにした漫画である。

この漫画においても能條純一ワールドは全開。棋士達が一手一手に魂を削りながら将棋盤に向かう姿が、漫画的大袈裟さと共に劇画タッチで描かれていた。

主人公の氷室将介に、駒達が語りかける。「さあ、次の一手を打ってくれ」と。

実は大の能條純一好きの私なのだが、ご多分に漏れず、夢中になって読み耽ってしまった。

この作品の中で度々登場する舞台が、東京は千駄ヶ谷の街である。

千駄ヶ谷には将棋会館なるものが実際に存在し、その中にある「奨励会」という将棋の虎の穴では、日々若き棋士達が切磋琢磨しながら凌ぎを削っている。これは実際の話(事実)なのだ。

奇しくも私が教鞭を採る音楽教室も、この将棋会館や鳩森神社(将棋の神様が祀られているらしい)のすぐ近くにあり、そこに描かれていた風景は、細密に私の知る風景であった。

まさか、いつも私が何気なく歩くあの風景のすぐ傍で、あのような魂の削り合いが行われていたとは…

漫画と現実を完全に混同した私は、私の棲む「現実世界」に「月下の棋士ワールド」を代入した。

もうこれからは千駄ヶ谷の街で和服を着て歩いている人間を見たら、それらの人間は全て将棋指しだと勝手に思い込む事にする。

寝癖がついたまま歩いている人間も、羽生善治的な理由から将棋指しと判断する。

そんな事を考えながら千駄ヶ谷の街を歩いていたら、本当に歩いている人が皆将棋指しに見えてきた。

「こいつらみんな駒の声が聞こえるんやで…えらいこっちゃで…えらいこっちゃで…」と私は狼狽した。

そんなこんなしながら歩いていると、路地の曲がり角でトーストを口にくわえたドジっ子と…以下略

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