身体の記憶
立て続けにあったライブも終わり、一休み。
一つ一つそれぞれに反省点があって、もちろん「あー!畜生!」と歯軋りしたくなるようなミスもあった。どうしたって良かった印象はすぐに忘れるけれど、ミスに対する負の印象は脳裏にしつこくこびり付く。
間違いを犯したくはない。ある程度技術的に確実なものがあったその上で、「表現」がしたい。そう思いながら日々練習しているにも関わらず、性懲りもなく安易な過ちを繰り返し、「表現」という土俵に上がれなくなる。
原因の一つは、技術の精度の低さだ。
例えば優れた野球選手は、狙った所にボールを打つその精度において、かなり高いものを持つと聞く。
イチロー、落合博満、そして前田智徳。彼らに代表されるような「巧打者」と呼ばれる打者は皆一様に、レフトならレフト、センターならセンターと、狙った所に打球を飛ばす事が可能だと言うのだ。
その技術の精度を支えているのは、絶え間ない反復練習である。
幾度とない素振りを繰り返し、常に身体を同じような軌道で動かせる。それは才能のみならず、不断の努力の賜物なのだ。
確実にピアノを弾くという事は、上に挙げたようなプロセスに酷似した部分がある。
常に身体をコントロールし、決まった「所定の位置」へと指先を導く。野球のボールが「動いている物体」であり、ピアノの鍵盤が「動かずにそこにじっとある物」だと考えれば、ピアノを確実に弾く事はもう少し容易な筈だ。
反復練習。必要なのは反復練習だ。
例えばメトロノームに合わせながら、一定のテンポで、更に全て同一の音色で音階を弾く。旋律をなぞる。和音を押さえる。
飽きるほどに繰り返したやっとその後に、身体が「その身体の動かし方」を記憶する。
私の身体はまだそれを記憶していない。「知って」はいるが、記憶するには至っていない。
四の五の云わずに、ただ、やるのみ。
「表現」の土俵に上がるのは、思いの外大変そうだ。
先日の2日、3日、5日と続いたライブ。共演して頂いた方や裏方をして下さった方々、そして観に来て下さった方々に改めて御礼申し上げます。
また、明日からコツコツやります。
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コメント
天谷選手、かっこいいぜ!
木村コーチの復活と、あなたのダイエットを嗅げながら応援して居る物寄り。
えこえこあざらく えこえこあざらし
さあ!ダイエットのバルバロッサ作戦を書いしするのだ!
中島らもんにアインツバイ!
投稿: 僕差亜 | 2010年4月 6日 (火) 23時40分
僕差亜さんへ
天谷ねえ。なかなか調子上がってきませんでしたけれど、ようやくこの二戦ぐらい、当たりが出て来ました。彼の覚醒に期待したいっす。そういえば、名城負けちゃいましたねー。残念。
投稿: ふくしまたけし | 2010年5月 9日 (日) 12時37分