私のブログ論
こうして毎日飽きもせずにブログを書いている訳だが、書く時には自分の中で3つのパターンがある。只今深夜二時。全然眠くない。あまりに暇なので、それを紹介してみたい。ご自身でもブログを書かれている方があれば、参考にでも反面教師にでも何にでもして頂ければ恐悦である。
以下、3つのパターン。
1.勢いで一気に書いてしまうパターン。書いたら即投稿、手直しナシというやり方。ちなみに今回はこのパターン。かなり行き当たりばったりに書くし、書き始めた時点では着地点も殆ど決めていない。だから今日もどうなるかわからない。この書き方が全体のおよそ半分以上を占める。書いている分には一番愉しい書き方である。
2.数回に分けて書くパターン。一つは途中まで書いて、一度中断して続きを書くというやり方。もう一つは一度一気に最後まで書いてから、それを下書きとして残しておいて、後日加筆修正並びに推敲を入れるやり方。本、映画、音楽等の感想文に多用する。大体は全体の2〜3割がこのパターン。それなりに労力を要する。
3.2番のパターンの変形なのだが、書いて、直して、また書いて、また直して、最終的にボツにする、というパターン。それなりに本腰を入れて書いてしまうと、書き上がったものに何かしらの「完成度」じみたものを自らで求めてしまう悪癖がある。ついつい、「何じゃこの文章は!なっとらん!気に食わん!」と私の中の星一徹的な部分が激しく吠えた後に、返す刀で保存中の下書き文章をデリートする。後には一抹の空虚感だけが残る。
この3番のパターン。それはいかがなものか、と私は自問するのだ。消さなくったって、良いじゃねえか、と。
ブログなんて所詮は便所の落書き程度でも構わないのだ。
例えばこんな例はどうだろうか。
オシャレカフェの写真と共に「今日は代官山で友人と楽しくお茶して来ましたー♪夢に向かってまっすぐな友人を見てたら、私まで元気をもらっちゃいました!明日からも頑張らなくっちゃ!私、ファイトファイト(笑)」というブログ。
所謂「マンコ保持者(manco possessor)」、世間で言うところの「女性」、業界用語で言うところの「ナオン」もしくは「チャンネー」と呼ばれる方々にこういったタイプのブログを書く方が多い訳であるが、正直、そのブログを読んでの私の感想は、「貴様、試験管を入れてからしこうした後に割るぞ」である。
いやいや、言い過ぎた。それは無い。嘘だ。悪ぶってみたかっただけだ。
それはそれで良いのだ。だってブログなのだから。
だから私も負けじと削除せずに載っけちゃえば良いのだ。
「今日私は新しい日本語ラップを考えた。『アイツはいつも頑固、そんなアイツがチンコマンコと連呼、チェケラチェケラチェケラッチョ、オレはそれを聞いて漏らすウンコ』というラップを」
みたいなブログを書いたって良いのだ。だってブログなんだもの。
しかし、適当に書いたこのラップは小学生レベルだな。ウンコチンコで笑ってて良いのは小学二年生までなのだが。
まあ良い。
なかなかそれが出来ずに、「うーん、ギャグにキレがない、ボツ!」といったような理由などでお蔵入りになる文章も少なくない。
それもまあ良い。
実は何が書きたかったかと言うと。
上述したような「オシャレカフェでのお茶ブログ」には、得てしてたくさんのコメントが付いている事が多い。
曰わく、「うわー、そこのカフェ、雰囲気すごく良さそう!あたしも今度行ってみたいから場所教えて!」だの、「そうだよねー、夢に向かうって大事な事だよねー!」だの、「それでは今度代官山の派出所を襲撃、そして爆破致しましょう。権力との闘争の第一歩です。決行日はいつが良いですか?」だのとたくさんのコメントが付いている訳だ。
正直に言おう。これがめちゃ羨ましい。
めちゃんこ羨ましいのだ。
我々ブログを書く人間にとって、一番嬉しいのはまずアクセスが伸びる事である。ブログなんぞを書いている人間はすべからく露出狂な訳で、より大多数の方々に露出が出来た方が嬉しいのだ。そしてアクセス数に次いで嬉しいのが、このコメントである。
「私」の書いた文章に誰かが共感したり反感を持ったりする。そしてそれが言葉となって現れる。嬉しくない筈が無いのだ。
私のこのブログにも時折コメントをくれる酔狂な方が何人かいるが、それは実はめちゃんこ嬉しいのである。
すぐにはコメントは返さない。だってチャットじゃねえし。
コメントを頂いたという喜びを先ずは噛み締め、そしてコメントの内容を数度反芻する。そろそろ返さねえとこりゃやべえな、という頃合で重い腰を上げてからコメントを返すのだ。
ホント、コメントは嬉しいのである。
深夜に暇だったので全然知らない他人のブログをあれこれ見ていたら、何だかそんな事を思った。
訳知り顔で時事ネタをぶって他人を叩いてたら、あちこちから「そうですよね、ワタシもその件は許せません!」とかコメントもらえるんだな。
いいなー。
コメントいいなー。
コメントコメント書いていたら、脳に「メメントモリ」という言葉が浮かんで来ました。
酒もだいぶまわって参りましたし、お後が宜しいようで。
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コメント
だいぶご無沙汰です。
毎日楽しみに拝見させて頂いてます。
今回も芸術的な破綻っぷりで(笑
投稿: TAKK | 2010年3月24日 (水) 11時13分
コメントコメント、メメントモリで笑ってしまいました。確か…死を考えよ?だったかしらん。違うかなぁ…そんなふうな意味な記憶。でも笑う所ではないですよね…日野原重明氏の講演会で聞いた言葉。10年ぐらい前の話し…時の流れとは、まことに早いものです。人間の一生をアブクの如くに説法してくれた和尚の話しが聞きたくなりました。
投稿: のりまき | 2010年3月24日 (水) 15時45分
筆者は職業柄毎日新聞雑誌書籍に加えホームページブログ最近はツイッタアなる物まで目を通す事にしている。
その中でも幾つかのお気に入りがあるのだが、本日はそな中でも特に面白いブログを読者諸君に御紹介させて戴きたく筆を取った次第。。。
それがこのブログである。
全米が哭いた、オスカーが滑り落ちた、日の丸が揚がったと云われる衝撃である。
コメント者へのあからさまな挑戦状。。。
只のお洒落コメントを書いたものなら、スーパーハカーの友達の手を使いメールアドレスどころか住所電話番号郵便番号身長体重スリーサイズ足の水虫の数まで晒されてしまうに違いない!祭りだ祭りだ
ここは冷静さを取り戻し本題(コメント)を書かねばならぬ、その前に一杯珈琲を味わう事にする…
はっ!これは…
既に毒が盛られておったか…不覚…
無念。
投稿: 自称讀賣新聞書評者代表 | 2010年3月24日 (水) 20時18分
今回、久しぶりに炸裂してて面白かったじゃ~ん。最近、料理ネタとか野球ネタとか超まっとうな人間の書くブログで(それはそれで良いんだけどね)、酔っ払った勢いでやけっぱちになって書いているブログはこれぞ福島くんという感じね。私も昔はmixiやってたんだけど、自分の日記にコメントもらうと、その人の日記もどんなにつまらないものでも目を通して、何かしらコメントいれなきゃ…というプレッシャーみたいなのがあって、それに嫌気がさしてやめた。というか休眠中。代官山でお茶して、友達の夢に共感して…というのは、上で言ったような、私がつまらない、と思うブログ。そういうのはきっと、コミュニティとか何かしらの繋がりを持った友達もどきが沢山いて、みんな、自分のブログにコメントもらってるから、ヒトのつまらないブログにも強迫観念でコメント入れてるだけだよ、きっと。
投稿: クロサバ | 2010年3月25日 (木) 01時54分
TAKKさんへ
どうもどうも、こちらこそご無沙汰です。破綻してます。性格も生活も。褒め言葉として受け取っておきます。
投稿: ふくしまたけし | 2010年3月31日 (水) 15時59分
のりまきさんへ
藤原新也の写真集のタイトルにもありましたよね、メメントモリって。そうそう、死を考えよ、です。もし自分が不老不死だったとしたら、人生は多分つまらないと思う。良い言葉ですよね。
投稿: ふくしまたけし | 2010年3月31日 (水) 16時03分
自称讀賣新聞書評者代表さんへ
大袈裟なご紹介、ありがとうございます(笑)毒は盛っておりません。バイアグラとマカパワーを盛っておきましたので、おにんにんがおぎんおぎんになる事と思います。眠れなくなっても知りませんので、よろしく。
投稿: ふくしまたけし | 2010年3月31日 (水) 16時12分
クロサバさんへ
変に馴れ合いになると面白くないんですよね。そう、それこそ強迫観念に駆られて「せねばならない」となってしまうと、何事も面白くない。ぼくの場合、音楽もそうです。仕事なんですけど、基本的には「楽しいからやっている」っていうのがあって。「やらなくちゃいけない」になると、途端につまらなくなるんだろうなあ。
投稿: ふくしまたけし | 2010年3月31日 (水) 16時15分